第481話 くっころ男騎士と敵の罠
その翌朝。モルダー川の上流から大規模な船団が接近してきている、との報告が鳥人偵察兵よりもたらされた。それとほぼ同時に、リッペ市上空に六頭の鷲獅子が飛来。我が方の翼竜隊がこれを迎撃し、追い返した。敵鷲獅子の目的が攻撃開始前の航空偵察であることは明らかだった。
間違いなく、敵の攻撃が迫っている。対して、こちらの準備は……はっきりいって万端とは言い難い状態だ。リッペ市は反乱こそ起きていないものの、救援部隊の接近に伴って何ともきな臭い雰囲気が漂い始めている。塹壕線の補修と港の警備強化はギリギリなんとかなったが、鹵獲クロスボウを配布した即席弩兵のほうはどうしようもない。いかに扱いが容易なクロスボウとはいえ、一日二日程度の訓練では流石に戦力化は厳しかった。
だが、そんなことはすべて織り込み済みだ。敵が来た方向も規模もおおむね想定通りだし、即席弩兵が役に立たないなどということは最初からわかっていた。そもそも即席弩兵の役割は弾幕を張って敵を抑止することだ。命中弾が期待できずとも、敵のいる方向に矢を放つことができればそれでヨシ、である。
「敵船団は明らかにリッペ市に強行上陸をする動きを見せていますね」
先ほど届けられたばかりの報告書を見ながら、ソニアが言った。報告によれば、敵船団の半分は弩砲を備えた軍船で、残り半分が非武装の貨物船だという。後者にはおそらく、完全武装の兵士が乗船しているものと思われる。船団の規模からみて、敵の総戦力は二千から三千だと試算されていた。これもまた、想定通りの数字だ。
当の船団は、揚陸向きの河原やら周辺の河川都市やらに立ち寄る気配も見せず、一直線にこのリッペ市に向かってきているようだった。やはり、この街の港湾施設を利用して一気に上陸を図るつもりなのだろう。
「敵は船団ん上空に九頭もん鷲獅子を待機させちょっとん報告があっと。鳥人では、これ以上ん偵察は困難やろう。敵に発見されればたちまち蹴散らされてしまう」
「鷲獅子が九頭? ずいぶんと多いな」
ウルの報告に、僕は眉を跳ね上げた。飛んでいる者だけで九頭。地上待機している分も含めれば、さらに増えるだろう。掲げている旗から見て、敵はエムズハーフェン軍で間違いない。いかに裕福な選帝侯家でも、飼育にとんでもないコストのかかる鷲獅子の保有数は限られているはずだ。敵は航空戦力の大半をこちらの戦線に振り分けているようだな。こちらも航空戦力を集中しておいたほうがよさそうだ。
「敵軍の規模で言えば、リュパン団長側の戦線の方が大きいが……敵の本命はむしろこちら側かもしれんな」
「ええ、同感です。あの船団で運ばれている部隊は、エムズハーフェン選帝侯子飼いの精鋭部隊でしょう。……しかしこうなると、相手の描いている絵図も見えてきましたね」
地図上のモルダー川を指でなぞりながら、ソニアが言う。
「リュパン殿から送られてきた今朝の定時報告では、あちらの敵軍は遅滞と回避に徹している模様です。リュパン殿のほうは積極的に攻撃を仕掛けようとしているようですが、うまく敵の主力を捕捉できずにいます。我が方が数的に有利なのは確かなようですが、撃滅ないし撃退にはまだまだ時間がかかるでしょう。……つまり、あちらの敵軍は時間稼ぎを狙っているわけですね」
「そうして稼いだ時間を利用して、僕の首をバッサリ……というわけだな。こちらの罠を利用して、罠にかけ返す。エムズハーフェン選帝侯閣下はなかなかの知将のようだ」
実際、選帝侯の作戦はなかなかに有効だ。もし僕がリッペ市の攻略に手間取っていたら、本当にマズいことになっていたかもしれない。リッペ市守備隊と選帝侯軍主力の挟撃などという事態になっていたら、僅か一個連隊の部隊などあっという間にすり潰されていただろう。
まあ、それを避けるために超特急で街を制圧したわけだがね。一夜のうちに落城させられなかった場合は、諦めてリュパン団長の方に合流するつもりだったし。とはいえ、敵が油断ならぬ相手であるのは確かだ。欲をかきすぎれば、駆られるのは我々の側になる。損切りのラインについては、常にしっかり意識しておく必要があるだろう。
「とはいえ、作戦に余裕がないのは向こうも同じこと。精鋭をこっちに振り向けているなら、リュパン団長の戦っている七千は雑兵中心の張り子の虎だ。まともにカチあえば、問題なく勝利は掴めるだろう」
リースベン軍(プラス騎士隊)とリュパン軍の位置関係を見ながら、僕は思考を巡らせた。リュパン軍の現在位置からリッペ市までは、徒歩で丸一日程度の距離だ。あちらの戦線さえ片づけてしまえば、援軍はすぐに到着する。
「我々の勝利条件は、リュパン団長閣下が勝利を掴み、援軍としてやってくるまでこのリッペ市で耐え抜くことだ。籠城戦とはいえ、一か月も二か月もかかるような長期戦にはならないだろう。みな、安心してほしい」
僕はそういって、ペルグラン氏をはじめとした騎士隊のメンツに笑みを向けた。リュパン団長側の戦線は優位だが、こちらの戦線の戦力比は一対三。なかなか厳しい差だ。いかに歴戦の騎士たちとは言え、緊張を覚えずにはいられない様子だった。
「おっしゃることは分かりますがね。敵軍はリッペ市を港から攻める腹積もりなのでしょう? 昨日も言いましたが、この街は港側からの攻撃に弱い。先日の攻城戦の再演を、彼我を入れ替えて繰り返すわけにはいかんでしょう。そのあたりはどうなっておるんですかね? 策はあるとおっしゃっておりましたが」
「ああ、問題ない」
胸を張ってそう答えたのはソニアである。彼女は昨日まで、自ら港に出向いていろいろな作業や確認の監督をしていた。それだけに、作戦にはそれなりの自信があるようだった。
「防諜上、はっきりしたことを言うわけにはいかないが……港の入り口はしっかりと封鎖してある。船団の侵入は困難だ」
「へぇ、そいつは楽しみだ」
詰まらなそうな口調でペルグラン氏は言った。本当に大丈夫なのか? と思っている様子である。まあ、作戦の詳細も説明していない状態で安心しろと言われても無理があるだろう。この反応は致し方のないものだ。
「なにはともあれ、敵はもうすぐそこまで迫ってるんだ。こっちとしちゃ、大将を信頼して踏ん張るまでですわ」
圧力かけてくるねぇ。でも、こういう部下は嫌いじゃない。僕はニコリと笑いかけた。
「期待を裏切るつもりはないさ。……ペルグラン卿の言う通り、じきに敵の来襲が始まる。そろそろ、戦闘態勢に移ろう。部隊の配置は終わっているな?」
「はい」
頷いたソニアが、手元の資料をめくった。
「予定通り、港には砲兵隊とエルフ隊を配置しています。そして市街地にアリ虫人隊、塹壕陣地に騎士隊ですね」
「たいへん結構」
僕はポンと手を叩いた。このフォーメーションは、万一港を突破される自体に備えての配置だった。その場合は敵を市街地に引き込み、エルフ隊を主軸に据えたゲリラ戦で敵を撃滅する予定である。そうなったらそうなったで、勝ち目はそれなりにある。
市街地戦は、森林戦のノウハウがある程度流用可能なのだ。このような環境においては、エルフの変幻自在の戦法が猛威を振るうだろう。騎士隊やアリンコ隊が敵を足止めし、その側面や背面をエルフが攻め立てる。そういう風な役割分担をすれば、兵力の差はある程度カバー可能だ。
ただし、この作戦は市民を巻き込まざるを得ないという欠点がある。これは人道の上でも作戦の上でも大問題で、僕としてはできれば避けたかった。兵士だかレジスタンスだか本当の一般人だかわからない連中が大勢いるような場所でドンパチするのがどれほど厄介なことなのかは、僕は誰よりもよく知っている自信がある。
僕の一番の懸念は、三千の敵軍などではなくこの街の市民たちだった。彼女・彼らにはとにかく大人しくしてもらわねばならない。大規模反乱が起きたりすれば目も当てられない事態になる。反乱を防ぐためにも、船団の撃退は最優先事項だ。救援にやってきた味方があえなく撤退していく姿を市民たちに見せ、反抗心を折るべし。……あー、やだやだ。悪党以外の何者でもないような事を考えてるじゃん、僕。まあ、本当に今さらなんだけど。
「さあて、それでは作戦開始だ。諸君らの奮戦を期待する」
内心のそんな不満を抑え込み、僕はにこやかにそう宣言した。
 




