第476話 くっころ男騎士の作戦
ヴァール子爵の支隊が奇襲された! この急報は、あっという間に諸侯軍の間を駆け巡った。なにしろこの部隊は(いちおう形の上では)我々の後方を守る重要な存在だ。これが崩壊してしまえば補給線は途絶してしまうし、我々自身も有力な敵部隊に背後をとられてしまう。緊急事態と言ってよい状況だった。
そう言う訳で、味方諸侯のほとんどはひどく慌てていた。これまでほとんど敵の抵抗を受けないまま進撃してきたわけだからな。すっかり油断してしまっていたのだろう。いわゆる"空城の計"に引っかかってしまったのではないかと怯える者も少なからずいた。
門前のリッペ市、門後の敵野戦軍。進むか退くか悩ましい盤面である。とりあえず話し合いで方針を決めようということもあり、指揮本部で軍議が開かれた。しかし、突然の奇襲で皆動揺している。大天幕の下に集まってきた諸侯たちはひどく落ち着かない様子で口々に何かを話したり身体を揺すったりしている。例外と言えば、ひどく楽しそうなリュパン団長や僕の部下たちくらいだ。
「皆さま、朗報です。ヴァール子爵の部隊と接触した敵は、エムズハーフェン選帝侯の紋章を掲げていたそうです」
そんな中、僕はニコニコ笑いを浮かべながらそう言った。それから余裕ぶった態度で香草茶を飲み、一息入れる。奇襲を受けたからと言って、指揮官は動揺を見せてはいけない。落ち着き払い、『すべては予定通りに進んでいる』という風な様子を装う必要がある。……まあ、今回の場合は本当に予定通りなんだけど。
エムズハーフェン選帝侯といえば、この辺り一帯を治める有力貴族である。僕たちが現在攻め込んでいるリッペ市も、この家によって支配されている。選帝侯というのは神聖皇帝を選ぶための選挙権を持つ(正確には違うのだがキチンと説明するとたいへんに長くなるので割愛する)大貴族のことだ。ガレアで言えば、公爵くらいの地位があると思っていい。
そのような大物の名前を出されたせいで、諸侯の間にはさらに動揺が広がっていった。いや、そもそも我々の方からエムズハーフェン選帝侯領に攻め込んでいるのだから、どうせいずれは戦う相手ではあったのだが……やはり、そのような有力な軍に後ろを取られてしまった、という部分が大きいのだろう。
「大きな魚が針に食いつきました。これだから釣りはやめられませんね」
「状況がわかっているのか! 貴様!」
諸侯の方から罵声が飛んでくる。まあ、気分はわかるよ。僕が女で歴戦の勇士だったら、同じ態度をとっていても安心感があるんだろうけどね。残念ながら僕は男で若輩者だ。いくら余裕ぶっても、状況の認識が甘いだけだと思われてしまう。
「わかっていますよ。この状況なら勝てる、などと勘違いをしたエムズハーフェン選帝侯閣下が、ノコノコ狩場までやってきてくれたのです。ならばやることは一つ、収穫ですね?」
怒声に怒声で答えてはならない。僕は穏やかな笑みを浮かべてそう言い返した。
「ノコノコ狩場まで出てきたのは貴様らの方だろうが! 三千の部隊が七千の兵に奇襲を受けたのだぞ! どんな名将であれ勝てる戦ではない! ヴァール支隊はあっという間に壊滅、次は我々がリッペ市とエムズハーフェン軍に挟まれて圧殺される番だ!」
「まあ、本当に奇襲を受けていたら、そうなっていたかもしれませんね」
ナンボなんでも慌てすぎじゃない? 士官がそんなに動揺を露わにしちゃダメだよ。などと思いながら、僕は香草茶を飲んだ。発言しているのは、有力貴族の名代として派遣された若い娘……つまりはヴァール子爵と同じような立場の者だった。若いだけあって、実戦の空気を吸いなれていないのだろう。責めるのは少しばかり酷だ。
「しかし、三千の側が準備万端待ち構えていたのなら?」
「なにっ!」
若い貴族は驚いた様子で叫んだ。いい反応だなぁ。ニヤニヤしていたら、ジェルマン伯爵に肩を叩かれた。彼女はひどく疲れ切った顔で、さっさと話を前に進めろと無言で促してくる。ここ一週間、僕は毎日のように諸侯から突き上げを喰らっていたからな。宰相派閥の仲間であるジェルマン伯爵は、僕を庇うべく東走西奔していた。おかげで彼女はスッカリ胃薬が手放せない体になってしまっている。ちょっと申し訳ない気分になって、僕はコホンと咳払いをした。
「実際のところ、これは奇襲などではありません。僕は事前に、ヴァルマ殿とこのような状況になった際の防御計画について詰めておりました。彼女は、たとえ一万の軍が相手でも五日は耐え抜いて見せると豪語していましたよ。いわんや、たかが七千。一週間以上は平気で持たせるでしょう。これだけの時間があれば、十分に救援は間に合います」
前々から言われているように、ヴァール子爵の部隊そのものはまったくもってやる気がないので役に立たない。が、それに同行しているヴァルマの騎兵隊に関しては切り札と言っても差し支えない精鋭だ。彼女らは独自の騎兵砲部隊を擁しており、さらには下馬戦闘の訓練も十分に積んでいる。つまり、諸兵科編成の独立部隊ということになる。防御に徹すればそうそう敗れはしない。
それに、この辺りは平原地帯だが防御向きの地形が全くないわけではない。敵がヴァール支隊を狙うことは分かり切っていたので、事前に部隊をそのような場所に誘導しておくようヴァルマには指示を出していた。とはいえあいつはたいへんに気の利いた士官だから、あえて言う必要もなかったかもしれないが。まあ、何はともあれヴァルマがいるなら問題ない。僕は彼女をソニアの次に信用していた。
「これに加え、現在山砲の空輸が進んでいます。昨日の時点ですでに一個小隊三門がヴァール支隊の元に到着しており、今日中にもう三門が到着するでしょう」
空輸予定の山砲は六門。残りの三門は、念のため僕の手元に置いておく。ちなみに、レンブルク市攻略戦で活躍した新型の一二〇ミリ重野戦砲はミューリア市でお留守番をしている。アレは八六ミリ山砲の比ではないほど重いので、このような路面の悪い地域に持ち込むことは憚られた。山砲と違って分解しての運搬もできないしな、アレ。
「ちょっと待ってください。何ですか、空輸って」
ジェルマン伯爵が「そんなことは初耳だぞ」と言わんばかりの様子で聞いてくる。まあ、言ってないからね。そりゃあ初耳だろうね。
「要するに、翼竜と鳥人兵に山砲隊の輸送を頼んだわけです」
「できるんですか、そんなことが」
「できますよ。いままで黙っていましたが、あの大砲は細かく分解できます。一番重い砲身パーツですら、その重量は百キロ程度。なんとか翼竜にも乗せられる重さなのです。そのほかの車輪やら仰俯角調整用のネジなんかもっと小さくて軽いので、鳥人でも運べますし」
「……なるほど」
そんなことは先に言ってくれ! そう言いたそうな表情で、ジェルマン伯爵は胃のあたりをさすった。いやホント、申し訳ない。でも仕方ないんだよ。どこに敵のスパイが紛れてるのかわからないんだもの。情報封鎖は必須だろ。
ついでに言えば、空輸しておいたのは山砲だけではなかったりする。わが軍の最高戦力、ネェルちゃんもだ。万一ヴァール支隊への救援が間に合わなかった場合、我々は各個撃破の憂き目にあうことになるからな。とうぜん、念には念を入れておく。
……しっかし、自力で飛行できる戦車並みの戦力ってナンボ何でもチートすぎんか? こんな種族がそれなりの数住んでいたというかつてのエルフェニアは、尋常ではない修羅の国だ。恐ろしいことこの上ない。
「そういう訳ですから、後方の守りは意外と盤石です。そして皆様方は、戦闘に参加しているわけではないので今すぐ行軍が可能ですね? リッペ市には千名も残せば十分でしょう。残り五千名は、救援軍として派遣します。ヴァール支隊の三千と、皆様の軍勢五千が加われば総兵力は八千。敵兵力の七千を上回ります。十分に勝てる戦ですよ、これは」
「なんと……ここまで見越して、わざわざ我らを戦闘に参加させていなかったのか」
さっきまでざわついていた諸侯たちは、一様に黙り込みながらお互い顔を見合わせていた。ピンチだと思っていたのが、実は好機だったのだ。そういう反応にもなるだろう。……でもヴァール支隊の損耗次第では数的不利になっちゃうからね。兵士らが大きな被害を受ける前に、さっさと救援に行ってほしい。いくら寄せ餌にしたからって、そのまま敵に食わせてやる必要はない。ヴァール子爵ははっきり言って気に入らないが、その部下の兵士たちに罪はないわけだし。
「この攻撃が敵の陽動である可能性は? 我々主力部隊が反転したとたん、側面を狙って新たな一撃が飛んでくる可能性もあるが……」
そう指摘するのはリュパン団長だ。流石は団長、冷静に戦局を読んでいる。罠にはめたつもりで逆に罠にはまる……良くある話だ。しかし、僕はその可能性は低いと考えていた。
「エムズハーフェン軍の動員能力は、臣下の諸侯に民兵や傭兵を加えて一万程度が上限と言われています。ここに同盟等で更なる兵力が上澄みされていた場合、敵の総兵力は我々南部方面軍を上回るはず。つまり、我々を野戦で撃破することが現実的になります。領主としては、この選択肢が選べるならば選ばぬ理由はないでしょう。自分の所領で、敵の侵略軍が暴れまわっているわけですよ? 一秒でも早く叩きだしてやりたいと思うのが領主の心理です」
エムズハーフェン選帝侯は、我々の目標がエムズ=ロゥ市であることに気付いているはずだ。なにしろこちらは一直線にくだんの都市を目指している。そして領主としては、敵軍が自分の所領に侵入する前に迎撃したいと考えるのが自然だった。自分のおひざ元をわざわざ戦場にしたがる領邦領主など一人もいない。
「ですが、現実にはエムズハーフェン軍の活動は低調でした。領外での迎撃どころか、領内にはいってすら我々は大した抵抗を受けてはいません。つまり、エムズハーフェン選帝侯は両軍が総力を結集するような決戦では勝ち目が薄いと判断しているのでしょう」
こういう場合、取れる手段は二つ。イルメンガルド氏のように政治力を駆使して兵力を集めるか、策を弄して敵が隙を見せるのを待つか、だ。前者の手を使われると、少し困る。一万人超の軍勢同士がぶつかり合う戦いでは、わずか九門の山砲などではどう考えても火力不足だからな。数の不利をひっくり返すのは難しい。
そう言う訳で考案したのが、今回の陽動作戦だ。僕はわざと唐突に目標を変更してリッペ市を攻め、戦果の独占を狙っているように見せかけて攻撃作戦をグダグダにさせ、味方の諸侯すら欺いてそのヘイトを自分へと集めた。反撃の機会を虎視眈々と狙っていたエムズハーフェン選帝侯からすれば、動かずにはいられないシチュエーションだろう。
むろん相手は海千山千の大貴族だ。これが罠である可能性にももちろん気付いているのだろうが……僕が軍団の司令官としては経験が浅かったこと、そして諸侯らの信任を得られていなかったことが、選帝侯の判断を誤らせたのだ。
「ヴァール支隊への攻撃に七千も兵を出している以上、選帝侯閣下の手元に残っている戦力はそう多くないはずです。この部隊を打ち破れば、エムズ=ロゥ市の攻略も現実的になると思われます。楽しみですね」
そう言ってニッコリ笑ってやると、リュパン団長は満面の笑みを浮かべてグッとこぶしを握り締めた。
「おう、おう。血が滾って来たぞ。素晴らしいおぜん立てだ」
「喜んでいただけたようで何よりです。ところで、男は戦場に立つべきではない……というのがリュパン団長のどの信条でありましたね?」
「ウム」
先ほどとは打って変わって、重々しい表情で頷く団長。まあ、価値観というのはそう簡単に変わるものではないからな。こればかりは仕方がないだろう。
「ならば、救援軍の指揮官はリュパン団長。貴方にお任せします。よろしいですね?」
「無論だ、腕が鳴るな。ヴァルマ殿……貴様の婚約者の妹御も必ずや拙者が助け出して見せよう。ご安心召されよ」
リュパン団長はそう断言して胸を叩いた。彼女の指揮官としての手腕は本物だ。救援軍は、団長にまかしておけば問題なかろう。僕はお世辞ではなく本気で「よろしくおねがいします」と頭を下げた。リュパン団長はニヤッと笑ってサムズアップし、諸侯らを引き連れて出陣の準備を始めた。そんな彼女らの背中を見送りつつ、僕は小さく「さて」と呟いた。
「じゃ、こっちはこっちで始めようか。あの街は明日の朝までには落としておきたい。忙しい夜になるぞ、今のうちに準備しておかねば」
僕の言葉に、ソニアは厳かな表情で頷いた……。




