第474話 くっころ男騎士と作戦会議
「リッペ市より使者が戻ってきました。降伏勧告は拒否されたとのことです」
「了解」
伝令の言葉に、僕はコクリと頷く。現在、我々は大河・モルダー川の岸辺にある小都市リッペ市の直前に軍を布陣させていた。このリッペ市自体は、どうということはない小さな街だ。小規模ながら川港を有しており、漁業やモルダー川を行きかう川船を相手に商売をすることで生計を立てている。いわば、川の宿場町といえるような都市だった。
モルダー川は帝国南部の大動脈とも呼ばれる物流の要だ。この川の近辺には、リッペ市のような街など吐いて捨てるほどもある。しかしそのような凡庸な街であっても、我々から見れば十分に魅力的な獲物であった。この街はミューリア市から伸びる街道がそのまま接続されているし、その下流側には我々の当面の目標であるエムズ=ロゥ市がある。これは大変に都合のより立地だった。おまけに街自体がそれほど大きくないので、制圧の際の抵抗も小さなものであると予想されていた。
「この間の街と違って、リッペ市の連中は根性が据わっているな」
腕組みをしながら、リュパン団長がフンと息を吐く。この間の街というのは、先日我々が制圧した小都市のことだ。街の規模はリッペ氏と大差はなかったが、この街の首脳陣は最初の降伏勧告をした時点ですでに心が折れていた。無血開城ができたのは有難いが、少しばかり肩透かしな気分を味わったのは確かである。
もっとも、前回の礼はミュリン領があっという間に陥落したショックもあってのことだろう。こうした心理的衝撃は、当然ながら時間と共に薄らいでいく。ミュリン軍の敗北から一か月近くたった現在、そろそろ敵軍も体勢を立て直してくる頃だろう。油断はできない。
「攻城戦は避けられんようだな。レンブルク市のように、この街も一日で落とす自信はあるかね? 男騎士殿」
挑戦的な視線を僕に送ってくるリュパン団長。少しばかり嫌味な調子だが、出会った当初から比べれば遥かに態度が丸くなっている。行軍や作戦会議などを通して、僕がたんなるお飾り指揮官ではないと理解してくれたのだろう。有難い話だ。
「そう簡単にはいかないようです。どうやら、敵は単なるカカシではないようなので」
僕はソニアの方をチラリと見た。彼女は頷き、指揮卓の上にいくつもの写真を並べる。
「わが軍の鳥人偵察兵が持ち帰ってきた、リッペ市の航空写真だ。どうやら、敵は準備万端こちらを待ち構えているようだな」
写真に収められているのは、防衛の準備に精を出す軍人や市民たちの姿だった。この街の最大の特色である川港は、船同士を縄で連結した水上バリケードで完全に封鎖されている。市内を写した写真には、家のドアや窓に板を打ち付ける民衆の姿もある。長期の籠城戦を意識した行動なのは明らかだ。
「この程度の防備であれば、突破はそう難しいものではない。問題はこっちだ」
そう言って、ソニアは一枚の写真をリュパン団長に渡した。街の正面を写したショットだ。そこには、二重に張り巡らされた立派な塹壕の姿がある。よく見れば有刺鉄線を巻き付けて作った鉄条網まで設置されているのだからなんとも丁寧な仕事ぶりである。
「連中はどうやら、レンブルク市攻略戦の戦訓を加味して防御戦術を組みなおしたらしい。しかも、敵の策は塹壕だけではない。どうやら、街の周囲にある平地を軒並み重量有輪犂で掘り返しているらしい。野砲の移動や設置を妨害するためだろう。地味だが有効な作戦だ」
重量有輪犂は、現代の耕運機の御先祖様といえる大型農具だ。馬や牛にけん引させて使い、その鉄の刃は固い地面もパワフルに掘り起こす。
「ほう? この短時間で大砲への対抗策を立ててくるとは、敵の指揮官はよほど気の利いた手合いのようだな」
リースベン軍の装備や戦術が他の軍とはずいぶんと異なった代物であることは、もちろんリュパン団長も承知している。彼女はこの新式軍制について感想を述べることは差し控えていたが、すくなくとも攻城戦において大砲が極めて有効な兵器であることは認めていた。
「この街を治めている領主は誰だ ?」
「エムズハーフェン選帝侯閣下です、団長」
流暢な口調で、リュパン団長の副官がそう答えた。エムズハーフェン選帝侯は、エムズ=ロゥ市の領主でもある有力貴族だ。この家は遥か昔からモルダー川の河川交通を牛耳っており、この辺りの川辺の都市はおおむねエムズハーフェン家の支配下のあった。。
「やはりあの女か。ふーむ、何度か顔を合わせたことはあるが、新奇な戦術にいち早く対応できるような頭の柔らかい女ではなかったように思うが……」
リュパン団長は思案顔で呟いた。たぶんエムズハーフェン選帝侯もこの人には頭が柔らかくないとか言われたくないと思うな……。
「おそらく、入れ知恵をしたものが居るのでしょう。そのような真似をする者に、心当たりがあります」
「ほう? 参考までにそれがどこのどいつなのか聞いておこうか。拙者も知っている相手かね?」
「神聖オルト帝国の先代皇帝、アレクシア・フォン・リヒトホーフェン陛下です」
「……随分と心臓に悪い名前が出てきたな」
馬糞でも踏んづけてしまったような顔でそう言ってから、リュパン団長は手元のカップを口に運んだ。ちなみに、その中身はミルクと砂糖を入れ過ぎてカフェオレみたいになってしまった豆茶だ。こう見えて彼女は苦いものが苦手なのである。……だったら香草茶を飲めばいいと思うんだけどね。
しっかし、アーちゃん絡みになるとみんな嫌そうな顔をするんだな。リースベン戦争の講和会議の際にも、アデライドがこんな表情をしているのを見たことがある。たんに厄介な敵の名前を聞いた、という以上の反応だ。やっぱり、あの人柄が原因なのかね。別に悪い人ってわけじゃないんだけど、まあちょっとアレだもんね……。
「なんだ、貴様ら。まさかあの厄介者と顔見知りなのか?」
「ええ。……去年に起きた我々とディーゼル家の紛争に、介入してきましてね。直接干戈を交える機会があったのです」
「それは、それは。難儀なことだ」
心底同情した口調でそう言ってから、リュパン団長はため息をついた。どうやら、彼女もアーちゃんとは面識があるらしい。まあ、あのライオン女は有能な人材と見れば誰かれ構わずコナをかけて回る悪癖があるからな。おそらく、リュパン団長もその被害者の一人なのだろう。
「塹壕戦にしろ、この針金を使った構築物……鉄条網も、その際に僕が使った戦術です。これらの有効性に関しては、アーちゃ……アレクシア本人が一番よく知っているでしょう。使わない手はありません」
実際、僕はこの鉄条網を見て背後にアーちゃんがいることを察していた。この世界には針金はあるがまだ有刺鉄線はできていないからな。コイツの有用性を知っているのは我々リースベン勢とその対戦相手だったディーゼル家、そして現場で戦っていたアーちゃんの一党だけだろう。……まあ、リースベン戦争とは無関係に自然発生した可能性も無きにしも非ずだが。こうしたコロンブスの卵的なアイデアはいつどこからpopしてくるかわからんからな。
「しかし作戦の出所がそんな大物だとすると、敵側の戦略スケールが随分と拡大するな。少しばかり警戒を強めた方がよさそうだ」
豆茶のカップを人差し指で何度か叩き、リュパン団長は低い声で唸った。
「同感ですね。もしアレクシア陛下御本人が親征などされたりしたら、だいぶ厄介ですよ。彼女本人の能力もさることながら、部下にも手練れが揃っています。たとえ周囲を固める兵力が少なかったとしても、油断するべきではありません」
「それはそれで話が早くていいがな。わが剣であの無駄に太い首を刎ねてやる絶好の機会だ」
ギラリと目を光らせるリュパン団長。堅実な用兵家としての側面はあるが、それはそれとしてこういう過激派な部分も強いのがこの人らしいところだなぁ……。
「まあ、僕としてももう一回くらいシバいておきたい相手ではありますがね。それはそれとして、彼女の配下には単独で戦略級魔法をぶっ放してくる厄介な魔術師がいます。先の戦争で片足を吹っ飛ばしてやりましたが……場合によっては、義足などを使って戦線復帰してくるやも。警戒しておいた方が良いですよ」
「ああ、噂では聞いていたが本当にそのような魔術師がいるのだな。承知した、その忠言は心に刻んでおく」
まあ実際のところ、本当にアーちゃんだのその部下の男魔術師ニコラウスくんだのが出て来るかどうかは不透明だけどな。鷲獅子による航空速達便を使えば、遠方からでも大まかな戦略の指示くらいはできるしな。
とはいえ、彼女らの所在がわからぬ以上は彼女らへの対策を怠るわけにはいかないだろう。アーちゃんもニコラウスくんも顔見知りだが、だからと言って手を抜く気はない。敵味方に分かれてしまった以上は、全力で戦う義務があるのだから。
「……とはいえ、戦略ばかり考えて戦術がおろそかになっては元も子もないな。今はともかく、作戦を進めねば。とりあえず当面の目標は、このリッペ市の攻略だな」
大きく息を吐いてから、団長は視線を卓上の偵察写真に向けた。たしかに敵首脳部の動きは気になるが、だからといって目の前の戦場を放置するわけにもいかない。こういう切り替えができるあたり、やはりこの人は信頼できる軍人だ。
「飛行部隊の偵察結果を見るに、リッペ市の連中は明らかに長期戦を志向した準備を整えている。その割に、市内にはこちらを撃破できる規模の野戦軍がいる様子はない。……さて、ブロンダン卿。これらの要素から導き出される敵の思惑は何か?」
士官学校の教官のような口調で、リュパン団長はそんな質問をしてきた。まあ、この程度の問いであれば考えるまでもなく堪えられる。前世と現世を合わせれば、僕の軍歴は目の前の彼女よりも幾分長いのだ。考え込んでしまうようでは、格好がつかない。
「時間稼ぎですね。この規模の街の守備隊では、いかに防御を固めたところでこれだけの数の軍勢を退けるなど不可能ですから」
「同感だ。……本当に、参謀としては優秀だな。貴様が女であればな……本当に残念だ」
本気の口調でそう言って、リュパン団長はため息をついた。別にいいじゃん、男でも。頭脳労働には男女とか関係ないだろ。
「問題は、この時間稼ぎの目的だな。策があってわざとそうしているのか、それとも打つ手がないので仕方なく遅滞を狙っているのか……」
「実際のところ敵の思惑はわからないが、だからこそ最悪を想定して作戦を立てるべきだろう。足元をすくわれるのは御免だ」
腕組みをしつつ、ソニアが主張する。言っていることは一理あるが、それはそれとして上官が敬語を使っているのになぜ君はタメ口なんだろうね? いやまあ、リュパン団長は気にしていない様子なので別にいいが。
「その通りだ。何はともあれ、敵の思惑に乗るのはよろしくない。ここは、兵力差を生かして速攻をかけるべきだな。街を重包囲して、全方面から一気に強攻する。これが一番だ。塹壕だの路面荒らしだの、いろいろと小細工をしているようだが……だからこそ、こちらは正攻法を使うべきだろう。小細工に小細工で対抗するべきではない」
リュパン団長の作戦はいかにも脳筋じみた代物だったが、確かにこの状況では悪くない選択肢のように思える。そもそもからして、今回の作戦自体が速攻を目指したものなのだ。スピードを重視する団長の主張は、何も間違っていなかった。
「申し訳ありませんが、その作戦は不採用です」
が、僕はリュパン団長の意見を却下した。イヤミな態度にならないよう気を付けながら、申し訳なさそうな顔を作って軽く頭を下げる。
「リュパン団長麾下のリュミエール騎士団は、後方待機です。そのほかの諸侯の部隊もね。リッペ市の攻略は、僕の部隊にお任せを」
「……は?」
心底不機嫌そうな顔で、リュパン団長は片眉を跳ね上げた。




