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第471話 ポンコツ宰相の葛藤

 私、アデライド・カスタニエは憂鬱な日々を過ごしていた。アルが帝国領への遠征に出て以来、私はずっとリースベンでの留守番をしている。夫(まだ正式な結婚はしていないが)を戦場に送り出し、自分は後方でヌクヌクしているとは何事か。それでも貴様は女かと、ひどい自己権をが毎日のように私の心を苛んでいた。

 いっそのこと自分もアルのところへ向かいたい気分だったが、そういうわけにもいかない。このリースベンは蛮族と文明人の寄り合い所帯だ。誰にでも領主代理が務まるような、安定した領邦ではない。アルもソニアも不在な以上は、アルの婚約者である私が頑張るほかない。


「はぁ……」


 ……そう思って頑張ってきたわけだが、ため息を抑えることはできなかった。リースベンの領主代理の仕事は、とにかく大変だった。戦時下だけに領民や領地を通る行商人たちはピリピリしているし、領主不在の隙を狙って盗賊どもは跋扈するし、エルフたちはその盗賊どもを勝手にブチ殺しては生首タワーを目立つ所に設置するし……本当に大変だった。

 リースベンに来るまでは、大国・ガレアの宰相たるこの私ならば辺境の小領邦の政務などチョチョイのチョイだ。などと思っていたのだが、現実は予想以上に厳しかった。アルの代わりに領主屋敷の執務室でアレコレ仕事をしている私のもとには、暗澹たる気分になるような報告書ばかりが届く。

 リースベンは人口は少ないのに人種に関してはやたら多種多様で、文化のギャップによるトラブルは毎日のように起こっていた。それに加え、この頃は外部からの流入者からも多いのでその連中もまたトラブルを起こす。毎日毎日、トラブル祭り。執務室だけで仕事が完結することはまれで、頻繁に現場に出なくてはならない。

 しかもリースベンの蛮族の大多数を占めるエルフとアリンコは勝負の気風が極めて強く、したがって文民たる私の言うことはまったく聞いてくれない。というか、あいつらにまともに言うことを聞かせられるのはアルだけだ。彼女らの統治に関して、私は大変に苦労していた。


「癒しが欲しい……」


 一人寝が辛いのは竜人(ドラゴニュート)だけの専売特許ではないと思うんだがな。別にスケベなことはしなくていいから、アルと一緒にベッドに入って丸一日イチャイチャしていたい気分だった。当のアルが不在な以上、叶うことはない望みではあるのだが。

 冷めきった香草茶を飲み干し、もう一度ため息をつく。アルがいれば、まだましなのだが。というか、この不安定極まりないリースベン領がまとまっているのは、アルのカリスマあってのことだ。私の個人的な欲求のみならず、公的な理屈でもアルには早く帰ってきてもらわねば困る。このくだらない戦争は、いったいいつになったら終わるのだろうか……。


「ご主人様~」


 などと考えていると、いきなり執務室のドアが開いて誰かが入ってきた。顔を上げずとも、侵入者の正体は察しがついていた。エルフやアリンコは基本的に私のことをナメくさっているが、流石にノックもせずに部屋に入ってくるような真似はしない。こんなことをやらかすのは、私の知る限りただ一人だけだ。


「どうした、ネル」


 私の腹心にして護衛でもある騎士、ネルだ。あのカマキリ娘によく似た名前を持つこいつは、いわばアルにとってのソニアと同じような存在だった。公私にわたって私に仕え、執務の補佐から身辺の警護までなんでもやる副官。もっとも、このネルは主君を主君とも思わぬ女で、私のことを上司ではなく友人だと思っている節がある。正直、ときどきソニアと交換してやりたい気分になるのが玉にキズだ。


「愛しのアル様からお手紙が届きましたよ。翼竜(ワイバーン)便の速達です」


「ああ……」


 げんなりした心地で、ネルから手紙を受け取った。ブロンダン家の家紋である青薔薇の封蝋が押されたその封筒には、確かにアルの名前が書かれている。


「婚約者から来た手紙を受け取った割には、テンションが低いですね」


 そんなことを言いつつ、ネルは許可も取らずに勝手に椅子を持ち出して、私の対面に座った。その顔には嫌味な笑みが張り付いている。


「恋文なら大喜びするところだがね、アルくんからの手紙に色気を期待するのは愚の骨頂なのだよ。彼は手紙をたんなる情報伝達手段としか見ていないフシがあるからねぇ……」


 惚れた男からの手紙だというのに一切のトキメキすら覚えないあの無味乾燥の文体は、いっそ一種の才能なのではないかと思わざるを得ない。私は肩をすくめてから、ペーパーナイフで封筒を開封した。

 刃物や毒物などのトラップは、警戒する必要はない。その辺りはすべてネルがチェック済みだからだ。この手の仕事には絶対に手を抜かないのが、この護衛騎士の唯一にして最大の長所だった。まあ、アルからの手紙に罠などが仕掛けられている可能性は皆無だが、敵対派閥などからの偽書の可能性もあるからな。この手のチェックは不可欠なのだ。


「……うげぇ」


 相変わらず何の感動も浮かばない乾いた文体の書面を目で追った私は、思わずそんな声を漏らしてしまった。手紙の内容は、主に現状報告だ。ミュリン軍撃破後、戦況には大した動きがない事。諸侯どもがまったく言うことを聞いてくれないこと。王室方面が相変わらずきな臭いこと。……そんなことがつづられている。

 まあ、これは良い。だいたい予想通りだ。問題はその後。あのヴァルマ・スオラハティが、アルとの結婚を条件に我々へ協力することを打診しているという部分だった。ああ、あの忌まわしい破壊の申し子! 私は頭を抱えたい気分になった。


「どうされました? 愛しの細君が敵国の貴公子にでも寝取られましたか?」


「縁起でもないことを言うんじゃない!」


 私は思わず叫んだ。アルは身持ちが硬い男だが、それはそれとして妙に押しに弱い部分がある。どこぞの馬の骨に寝取られてしまうような不安は、いつだって私の精神を苛んでいた。ただでさえ、私は女としての魅力や自信からは無縁のロクデナシなのだ。


「……いや、しかしよく考えればネルの言う通りかもしれん」


 とはいえ、要するにアルが他の女とも結婚するかもしれない、という話なのだから、ネルの冗談は冗談になっていない。私は額を流れる冷や汗を拭った。


「というと?」


「ヴァルマ・スオラハティからの提案でな。アルとの共有婚に、自分も加えてほしいと」


 まあ、実際はそんな殊勝な提案の仕方ではなかったのだろうが。なにしろ、相手はあのヴァルマだ。わたしも、彼女とは何度も顔を合わせた経験がある。あの穏やかなカステヘルミの娘とはとても思えない、苛烈極まりない炎のような女だ。正直"アルを寄越せ"ではなく共有程度で妥協してくれたことすら、奇跡のように思える。


「対価は……対王家の際の助力ですか」


 こういう部分では、ネルはとても察しの良い女だ。打てば響くように、そう返してくる。


「ああ、その通り。どうやらあの女は、王家が隙を見せた瞬間に王冠をかっさらう腹積もりらしいな」


「なるほど」


 ネルは頷き、許可も得ず勝手に執務机の上に置いていたビスケットを一口食べた。せめてなんか言ってから食えよ。


「結構なことではありませんか。北をカステヘルミ様が、中央をヴァルマ様が、そしてこの南方をアデライド様がそれぞれ治める。現状よりもよほど強固な体制です」


「……お前ならそういうと思ったよ」


 大きく息を吐いてから、私もビスケットを食べた。燕麦で作った、素朴な焼き菓子の味。中央に居た頃はこんな粗末なものを口にしたことは一度もなかったが、この頃はすっかり慣れつつある。リースベンでは小麦は黄金並みの貴重品だ。


「好き好んで王家に楯突くつもりはさらさらないが、向こうがこちらを排除しようというならそれなりの対処はせねばならん。ヴァルマは有能な女だ、確かにこの提案は魅力的ではある……」


 ヴァルマ・スオラハティという女は本物の異常者ではあるが、頭は回るし武力に関しても非の付け所がない。おまけにその特異な性格が武人を惹きつけ、スオラハティ軍内部では確たる地位を築いているという話だ。ヴァロワ王家が滅ぶならば、世相は必ず荒れる。そのような乱世では、あの女はてきめんに輝くことだろう。


「しかしその協力の対価がアルとなると……流石に」


「じゃ、突っぱねますか」


 ネルの端的な言葉に、私は一瞬顔を伏せた。そして執務机に積まれた山のような資料の中から数枚の羊皮紙を引っ張り出す。そこに書かれているのは、万一王家と事を構えることになった際の作戦計画だ。

 リースベンの防衛だけならば、なんとでもなる。なにしろこの土地には民族皆兵の蛮族が数千人も住んでいるからだ。今は一般人として暮らしているエルフやアリンコどもも、敵兵が押し寄せれば武器を取って戦うだろう。万単位の討伐軍が差し向けられても、撃退は可能だとアルもエルフの指揮官たちも太鼓判を押していた。

 しかし、その後が問題なのだ。リースベンの戦力は確かに高いが、遠征能力には難がある。独力で王都まで攻め寄せるなどというのは現実的なプランではない。その際に一番頼りになるのはもちろんスオラハティ辺境伯家だが、あそこは近いうちに代替わりする。それが問題だった。

 次代のマリッタは、姉や妹と比べるとどうにも地味で真面目なことだけが身の上のような女だ。平時であればむしろそのような領主のほうが良いのだろうが、有事となるといかにも不安だ。最悪の場合、王家方につく可能性も十分にある。

 そんな腰の定まらないスオラハティ家にくさびを打ち込むという意味では、ヴァルマの抱き込みは大変に有効な策だ。王位簒奪うんぬんはなんとも物騒だが、もし彼女がガレア王になれば次世代の王家にはアルの血が流れることになる。そうなれば、私の娘や孫は今ほどに王家に振り回されることも亡くなるはずだ。ぜんぜん、まったく悪くない。


「……受けるしかあるまいよ」


 すべての感情を飲み込んで、私はそう言った。まあ、そもそもアルを独占するのは現時点ですでに不可能なのだ。共有相手がいまさら一人増えたところで、大した変化はあるまい。……たぶん。


「とはいえ、あのロクデナシに状況の主導権を奪われるのは面白くない。こちらの方も、政治工作とリースベン軍の強化を急ごう」


 流されるばかりでは望む未来は手に入らない。私は決意を込めて拳を握り締めた。むろん私とて、成すがまま日々の雑務に忙殺されていたわけではないのだ。手紙でアルとやり取りしつつ、最悪の状況に備えた準備は進めている。


「手始めに……北で錬成している新型砲装備の砲兵隊。あの連中の戦力化を急がせろ。それから……ボルトアクション式小銃? とやらの実用化もな。せっかく、高いカネを払ってわざわざ新しい兵器を作ったんだ。間に合いませんでしたでは泣くに泣けん」


 大砲も小銃も、すでに十分な数が揃っているのだ。にもかかわらずアルは子供のようにダダをこね、新兵器の開発予算を私からもぎ取った。鋼鉄製後装式野戦砲だのボルトアクション式小銃だのと言われても、私にはいまいちよくわからないのだが……安くないカネを払ったのだ。きっと役に立ってくれることだろう。

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