第467話 くっころ男騎士と諸侯軍(1)
ミュリン家使節団の来訪から、一週間後。僕たちは戦場跡の野営地を発ち、ミューリア市に滞在していた。とはいっても、市や城にはためく旗は相変わらずミュリン家の家紋のままだ。我々がミューリア市を訪れた理由はもちろん制圧などではなく交渉が目的で、しかもその和平交渉もいまだにまとまってはいなかった。……まあ、そもそもすぐには結論がでないよう会議をかく乱しているのは我々の側なのだが。
とはいっても、一切何の進展もない、という訳ではない。まず、イルメンガルド氏の体調が改善し、講和会議に出席するようになった。捕虜になっていたミュリン家次期当主マルガ氏も、ミュリン側に戻っている(ちなみに、彼女の身代金を払ったのはミュリン家ではなくジークルーン伯爵だった)。停戦が発効したことで戦闘も終結し、事態は落ち着きを取り戻しつつあった。
まあ、落ち着きつつあるのは政情だけで、治安自体はメチャクチャ悪化してるけどな。なにしろ、ミュリン領の守護を担っていたミュリン軍は壊滅状態だ。その上、領主が敗北したという事実に恐れをなした民衆の一部が、家や畑を捨てて逃げ出す例も少なからず確認されている。
こういう環境では、当たり前ながらならず者共が暴れ始める。街道では野盗の被害が頻発し、街の内側でも強盗や誘拐といった凶悪事件が毎日のように発生した。道理の上では、敵国の治安悪化なんてどうでもいい話なんだがな。ミュリン領から伸びる街道は、我がリースベンにもつながっている。せっかくの交易路が脅かされては困るので、街道上に出現する賊に関してはわが軍が対処することになった。
まあ、ここまでは想定の範囲内。講和会議が全く進まないのでモラクス氏は不満げだが、怒りを爆発させるには至っていない。ロリババアの策のおかげだった。彼女はミュリン家臣団の一部を焚きつけ、戦場での失点は交渉で取り返すべしと考えるように思考を誘導したのだ。おかげで会議を妨害してくるのはもっぱらミュリン側の仕業になっており、モラクス氏の怒りはそちら側に向けられるのが常だった。
「星降祭以来ですな、ブロンダン城伯殿。レマ伯ロマーヌ・ジェルマン、王家の命により参上いたしました」
とはいえ、万事が順調という訳ではなかった。とうとう、ガレア側の諸侯が到着し始めたのだった。彼女らは味方ではあるが、補給体制の逼迫やら褒賞やらの諸問題を引き連れてやってくる厄介者でもある。辺境のド田舎の領主でしかない僕がこれらの問題を解決するのは、なかなか難しいものがある。援軍が来たというのに困り果てる経験は、前世と現世を通してみても初めての経験だった。
ミューリア市の正門前で、僕たちは到着した諸侯の一人、ジェルマン伯爵を出迎えていた。彼女の後ろには、しっかりと武装した兵士たちが控えている。その数は、騎兵と歩兵を合わせて八百名。われわれリースベン軍の動員数よりは少ないが、これは自分の領地に守備兵を残しているせいだ。
そもそも軍役というのは基本的に無料奉仕なので、契約に定められた最低限の兵員しか連れてこないのが普通だった。当たり前の話だが、兵隊は動員数が増えれば増えるほど維持費も管理の手間も増すからな。そういう面で見れば、八百という数は十分以上の数字と言って良いだろう。
「ようこそお越しくださいました、ジェルマン伯爵」
僕は笑みを浮かべながら、壮年の竜人騎士と握手をした。幸いにも、今回の"来客"はそこまで厄介な相手ではなかった。レマ伯ロマーヌ氏はリースベンに最も近いガレア側の都市、レマ市を治める領主であり、しかも宰相派閥の一員でもあった。僕としても馴染みの相手なので、そこまで気負うことなく接することができる。
ちなみに、挨拶している僕の隣では、ソニアとジェルマン伯爵側の副官と握手を交わしつつも早速実務的な打ち合わせを始めている。なにしろ八百人もの兵士が戦列に加わるのだ。寝床や糧秣の手配だけでも大仕事である。僕が忙しいのは当然のことだが、ソニアの方もなかなかたいへんな思いをしているようだった。
「自分のような位階の低い若輩者の元で戦うのは御不安もおありでしょうが、お力添えいただければ幸いです」
謙遜めいた言葉だが、実際その通りなのだから参ってしまう。僕の爵位は城伯という下から数えたほうが早いような位階であり、しかも年齢も和解と来ている。目の前のジェルマン伯爵のほうが、よほど軍歴も貴族としての位階も高いのだ。諸侯軍の長としてどちらの方がふさわしいかと聞かれれば、僕本人ですらジェルマン伯爵のほうを推すだろう。しかも、僕の指揮下に入っている伯爵級の貴族は彼女の他にも数名いる。
まったく、いったいどうしてこんな横紙破り以外の何者でもない人事がまかり通ったのか、理解しかねる。城伯が伯爵を部下として指揮せよなんてのは、どう考えてもマトモな命令じゃないだろ。年下の格下にアゴで使われる伯爵たちとしては当然いい気はしないだろうし、僕自身やりにくくてしょうがない。王太子殿下的には、王都内乱時の働きを評価してくれたのかもしれないが……正直、有難迷惑だ。
「ハハハ、何をおっしゃる。私が不安に思っていることはただ一つ、獲物をすべてブロンダン殿に喰われてしまう事だけですよ」
幸いにも、ジェルマン伯爵は朗らかに笑ってそう言ってくれた。むろん内心は煮えくり返っている可能性もあるが、少なくとも外見上はそのような気配はない。
「実際、その畏れは現実になってしまいましたがね。この街へくるまでに、真新しい墓標群をいくつも目にいたしました。そうとう大暴れされたようですな?」
ジェルマン伯爵が言っているのは、戦場跡に建てられた無名戦士たちの墓のことだろう。前回の戦いではかなりの数の帝国兵が戦死しているが、その大半は民兵や傭兵といった者たちなので遺体の引き取り手がいない。仕方がないので、僕たちの手で弔うしかなかったというわけだ。
「先走ってしまい、申し訳ありません。もともと、フランセット殿下のご遠征とはまったく無関係に、ミュリン家との戦争が始まりつつあったのです。拳を振り上げたまま固まっているのも不格好なものですから、そのまま振り下ろしてしまいました」
「その結果が三千対六千という兵力差をものともしない大勝利なのですから、まったく城伯殿は常識外れでいらっしゃる」
そう言って、ジェルマン伯爵は苦笑する。肯定も否定もせず、僕はあいまいに笑った。殊更に戦功をアピールしてもイヤミだし、さりとて謙遜をすれば部下の頑張りを否定することになる。なかなか難しい立ち回りが必要だった。王家との関係がギクシャクする中、周辺諸侯との関係まで悪化させたくはないからな。
「とはいえ、あながち悪い手ではありませんな。ここだけの話、城伯殿の幕下に加わるよう命じられた諸侯の中には、この人事を快く思わぬ者もおりますから。先手を打って実績を叩きつけれやれば、その者たちの目も覚めるというものでしょう」
ああ、やっぱそういう連中もいるのね。まあ、当然と言えば当然なんだけど。格下からアゴで使われる立場を良しとする人間なんか、そうそういないよ。しかも僕はエコヒイキされている成り上がり者だと思われるし(まあ事実だが)、王家は王家で僕を含めた南部諸侯全体からの怒りを買う。三方悪しの愚策じゃないか。誰がこんなクソ人事を考えたんだろうね、ぶん殴ってやりたい気分だよ。
「しかし、男城伯風情に従いたくはないという諸侯らの気分も理解できます。殿下からお借りした立場をかさに着て、傲慢な振る舞いをすることがないよう気を付けねばなりませんね」
僕はそう言ってため息をついた。士官をやるうえでは、必ず"年上の部下"というやつに遭遇する。これは新米のみならずそれなりにベテランになっても頭を悩ませ続けられる悩みの種だが、今回の件はそれの上位互換と言っていい代物だ。相当にデリケートな対処を求められるのは間違いない。特に僕の場合、性別の問題でナメられがちだからなぁ……。
「確かにそれはその通り。しかし、だからと言って卑屈にふるまうのも考え物ですぞ。配下の増長を招いてしまう」
正論をぶつけられ、僕は強い酒を一気飲みしたい気分になった。傲慢にふるまってはいけない、しかし卑屈にふるまってもいけない。確かにその通りだが、その塩梅が難しいのである。
「ハハハ、ご安心なされよ。城伯殿の後ろには、このジェルマンがついております。力の限り補佐いたしますゆえ、存分にご活用くださいませ」
そう言って、ジェルマン伯爵はドンと胸を叩いた。実際、伯爵級の高位貴族を従わせようと思えば、彼女の手を借りる以外の選択肢はない。ジェルマン家はそれなりに歴史ある家だから、権威性も十分だ。……というか、順当にいけば僕ではなくこの人の方が南部方面軍司令に任命されるべきなんだよな。マジでどうしてこうなった。
「ジェルマン伯爵閣下の御助力があれば、百人力であります。この御恩は忘れません」
僕の言葉は、お世辞などではなくまったくの本気であった。僕が指揮権を預けられている諸侯のうち、宰相派の有力な貴族はジェルマン伯爵くらいだった。出来る限り協力し合わなければ、この難局は乗り切れない。
もっとも、ジェルマン伯爵としてもまったくの善意から僕に協力を求めているわけではないだろう。とうぜん、それなりの見返りは望んでいるはず。つまり、彼女がやって切ることはいわば投資のようなものだ。可能な限りwin-winの関係を維持できるよう、努力するべきだ。
……はぁ、政治って面倒くさいし苦手だなぁ。あるていど気心の知れたジェルマン伯爵ですらこれなのだから、気が重い。この上、さらに訳の分からん有象無象まで集まってくるんだから、やってらんないよ。今のうちに胃薬を用意しておいた方がいいかもしれないぞ。




