第466話 くっころ男騎士と子犬騎士(3)
「ばぁちゃんが、どういう経緯でこの戦争に至ったか……」
そう呟きながら、アンネリーエ氏は視線を空中にさ迷わせた。ずいぶんとしっかり思案しているようだ。うんうん、いい傾向だな。考えなしにアレコレやると、大概ろくなことにならない。先日アンネリーエ氏が起こした事件などは、その最たるものだ。
「……」
などと考えていると、アンネリーエ氏が僕をチラチラ見ていることに気付いた。ちょっと焦ったような表情だ。どうやら、なかなか結論が出ないので慌てているらしい。僕は、彼女に穏やかなほほえみを向けた。
「制限時間はありませんから、ゆっくりじっくり考えてみましょう。焦って出した結論は、多くの場合誤りを含んでいます」
「……けど、ばぁちゃんは戦地では即断即決を求められるって。だから、普段から即座に結論を出す訓練をしておくべきだって」
「なるほど」
僕は自分の顎を撫でた。どうやら彼女の短慮癖はイルメンガルド氏の教育のたまものらしい。やっぱあの人、領主や当主としてはともかく教育者としては全然適性のないタイプなんじゃないかなぁ。
いや、なんじゃないかなぁというか、客観的な事実としてそうだわ。教育が下手じゃなかったら、後進が全然育たず七十代まで現役続行なんて事態にはなってないわ。この世界の貴族は結構な頻度で指揮官先頭を求められるから、従軍が辛い年齢になると当主の座からは降りるのが普通だ。
身近なところで言えば、スオラハティ家なんかもそうだな。当主のカステヘルミ(いまだに呼び捨てするのは慣れない)はまだ三十代だが、近いうちに娘に当主の座を譲る予定だった。この年齢での代替わりは流石に一般的な例よりもやや早いが、それでも驚かれたりするほどではない。翻って、ミュリン家の状況は異常そのものだ。当主がこの年齢になってもまだ代替わりできないというのは、相当に後継者の出来が悪いと判断せざるを得ない。
「流石はミュリン伯閣下、実戦的な考えをしていらっしゃる。しかしそれは、あの方自身の豊富な経験に裏打ちされてこその能力です。僕やあなたのような若輩者が真似をしても、同じようにはいきません」
たぶん、本人はその"即断即決"をしても大丈夫なタイプなんだろうなぁ。考えを手早く正確にまとめるのが得意な人ってのも確かにいるし。でも他人にそれを求めちゃいかんよ。ソイツははっきり言って特殊技能だ。
「確かに、戦場ではゆっくり考えている暇はありません。ですから、平時にしっかりと準備をしておくのです。計画書を用意しておいたり、実践的な訓練をしっかり積んでおいたりね。そういう前準備があってこそ、短時間で正確な判断が下せるようになるのです」
戦争なんて、前準備が八割みたいなところあるしな。……僕の側も、しっかり前準備しておかなきゃなぁ。王室のこととか、諸侯軍のこととか。正直考えたくはないが、最悪を想定した布石は打っておかねばならん。
とはいえ戦地で出来ることは限られているし、とりあえず提案書や計画書を作ってリースベンで留守番しているアデライドに送っておこう。彼女は軍人としての技能は持ち合わせていないが、内政に関してはガレアでもトップクラスの政治家だ。きっとうまく差配してくれることだろう。
「……確かに」
そう言う考え方もあるのか、と言わんばかりの様子でアンネリーエ氏は頷いた。そしてまたしばらく考え込み、香草茶を飲みほした。従兵にお代わりを注文し、茶菓子を食べる。当初よりもだいぶ気がほぐれてきたようだ。そして従兵が湯気の上がる香草茶を持ってきた後、彼女はあらためて口を開いた。
「ばぁちゃんは、ディーゼル家の強大化を恐れていました。これは確信を持って言えます。アタシらにとって、ディーゼル家は宿敵そのもの。今までは戦力が拮抗していたから、お互い致命傷を負わずに対立関係がずるずる続いていたんですが……」
「リースベン戦争の結果、その軍事バランスが崩れた」
「ハイ」
コックリと頷いて、アンネリーエ氏は湯気の上がる香草茶をごくごくと飲んだ。
「こういう結果になったから、バカなアタシも理解できたんですが……リースベン軍は、滅茶苦茶強い。そのリースベンの影響を受けて、ディーゼルまで強大化するんじゃないかって。ディーゼルがその強化された軍事力を使って、アタシらを蹂躙するんじゃないかって……ばぁちゃんは、そう考えたんだと思います」
「ええ、それはほぼ間違いないでしょう」
イルメンガルド氏がリースベンにやってきたときも、そのような発言をしていた。結局のところ、彼女が一番恐れていたことはディーゼル家の逆襲なのだ。
「ですが、その懸念に関しては僕の側としても反論があります。こちらとしては、ディーゼル家によるミュリン領侵攻を容認する気はさらさらないからです」
そこまで言って、僕はコッソリ周囲を見回した。ディーゼル家の関係者が周りにいないことを確認してから、声を潜めて言葉を続ける。
「今やディーゼル家は我々の最も重要な取引相手ですが、それはそれとして現状の領地以上の拡大は認められません。ディーゼル軍が再び強大化し、わが軍の実力を上回る状況になれば……第二次リースベン戦争のリスクが跳ね上がります。つまり、ミュリン家と同様の立場に置かれるというわけです」
現状のリースベン領の地力では、ズューデンベルグ領に太刀打ちするのは極めて難しい。農業では勝ち目がないし、現在好調な交易に関しても無関税措置ありきの発展だ。関税の回避ができないようになれば、物流面で不利なリースベン領はふたたび僻地扱いに戻ってしまう。
この状況をひっくり返すには、豊富な地下資源を生かして工業を発展させるしかない。そしてその工業製品を輸出するためには、効率の悪い荷馬車や駄馬による輸送体制から脱却する必要がある。まずは川下の地域を開拓して河口に港町を築き海運に接続し、並行して蒸気機関と鉄道を実用化して陸運による大規模輸送も実現せねばならないだろう。
こんな大事業が一朝一夕に実現するはずもない。とにかく時間が(そしてカネも)必要だった。そしてこの産業振興・国土改造策が実現する前に、ディーゼル軍の戦力がリースベン軍に優越する事態は避けねばならない。僕は、彼女らが雑な理由でリースベン領に侵攻してきたことを忘れてはいなかった。一度やったからには、二度目がないとは断言できないだろう。
「確かに、それはそうかもしれないんですけど……」
アンネリーエ氏は、視線を逸らせながら唇を尖らせた。
「でも、そうなるとは限らない訳で……。ディーゼルの連中が、ブロンダン家に相談なく戦争を始める可能性は十分にあるし。あいつらは、そういうことをやらかす連中だし……」
「そう、結局はそこなのです。我々がミュリン家を信用できなかったように、ミュリン家もブロンダン家とディーゼル家を信用できなかった。その相互の不信と、ディーゼル軍の弱体化による戦力バランスの変化。この二つが、今回の戦争の主要な要因だと判断して良いでしょう」
教師みたいな口調で、僕はそう説明した。なんだか、懐かしい気分だ。ヴァルマのヤツの家庭教師をしていたころは、こうしてよく講義をしていたものだった。アンネリーエ氏は僕の言葉に神妙な表情で頷き、懐紙を取り出して何かをメモした。……こりゃ真面目だ。当時のヴァルマよりよほどマトモに生徒をやってくれているな。やはり、意外と見込みがあるかもしれないな、この子は。
「戦力バランス云々はさておき、相互不信に関しては改善の余地はあると思います。そもそも、リースベン領とミュリン領の間にはそれほどの利害の不一致はありません。領土問題もないし、産業基盤も異なっているので交易上の競争相手にもならない。つまり、仲良くやっていく素地はあるということです」
「あー、ある程度離れた国とは却って仲良くしやすい、みたいなことを聞いたことがります。遠交近攻……だったかな?」
「そうそう、よくご存じですね」
勉強自体はそれなりにやってるんだな、この子。うーん、面白い。将来的に、ミュリン家もこちら側に引き込むメリットが出てきたかもしれん。ちょっと、策を考えてみるか。……けど今考えるべきことは、もっと直近の危機をどうするかってことなんだよなぁ! あー、畜生。ヤだなぁ。厄介だなぁ。逃げたいなぁ。
でもそういうわけにもいかんからなぁ……はぁ。ソニアやロリババアが戻ってきたら、もう一度作戦会議を開くことにしよう。場合によっては、ディーゼル家を巻き込むのもアリかもしれん。彼女らのために、我々はこの戦争を始めたんだ。なら、少しばかりお返しをしてもらってもバチはあたらんだろうさ。
……あー! ディーゼル家といえば、彼女らもこの戦いに参戦して実際に血を流したわけだから、戦後の分け前についても考えなくちゃならないんだ。そのあたりも、改めてアガーテ氏と話し合っておかなきゃ……。あー、くそ。考えることも話し合うことも多くてマジで困るよ……。




