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第465話 くっころ男騎士と子犬騎士(2)

 この娘ともう一度茶会を共にすることがあるとは思わなかった。対面の席で小さくなっているアンネリーエ氏を見ながら、僕はそんなことを考えた。まあ、茶会と言っても所詮は即席だ。いすやテーブルは軍用の折り畳み式だし、茶器も頑丈なこと以外に取り柄のない部コツ極まりない代物だ。

 まあ、よく考えればミュリン家主催の茶会も似たような代物だったので、別にことさら恥じ入る必要はないだろう。属する国は違えど、質実剛健を愛するのは武人の本能は同じなのかもしれない。


「それでは、アンネリーエ殿。改めまして、ご用件をお聞きいたしましょうか」


 従兵に淹れてきてもらったばかりの香草茶を一口飲んでから、僕はそう言った。僕とアンネリーエ氏の関係は、はっきり言って良好とは言い難いものだ。そんな彼女がわざわざ声をかけてきたのだから、用件は単なる雑談などではないだろう。


「いえ、その……あの。もう一度、しっかり謝罪しておきたいと思いまして」


「謝罪」


 冷や汗をダラダラと流しながら絞り出すような調子で声を出すアンネリーエ氏に、僕は眉を跳ね上げました。


「はて、何を謝罪されているのかわかりませんね。先日の件のことであれば解決済みですし、この戦争そのものの件であれば僕はあなた個人が僕に謝る必要はなにもありません」


 我々の村落が焼き討ちされた、みたいな状況なら流石に謝罪を求めるかもしれないけどな。とはいえ今回はそのような戦争犯罪めいた状況は発生していないし、むしろ焼き討ちを仕掛けたのは僕らの側だ。民間人には被害は出ていないが、森一つ焼き尽くしちゃったのは流石に申し訳ないとは思っている。

 まあ、何にせよ今の段階でアンネリーエ氏が僕に対して謝罪する必要は何にもないと思うのよ。確かに彼女は将来のミュリン家当主ではあるが、祖母イルメンガルド氏や母マルガ氏が健在である以上アンネリーエ氏の存在感はそれほど強くない。開戦に際する意思決定に関与できたかといえば、まあ無理だろう。つまり、戦争責任を求めることはできないということだ。


「いや、でも……アタシは……」


 しかし、アンネリーエ氏の側はそうとは思っていないようだった。歯切れの悪い態度でそんなことを言い、目をそらし、考え込み始める。僕はそんな彼女を見ながら、香草茶を飲んだ。アンネリーエ氏の態度はだいぶ妙だ。ずいぶんと打ちひしがれているように見える。

 僕の記憶が確かであれば、アンネリーエ氏は戦争には出ていないはずだ。むしろ、先日の会戦でミュリン軍が敗北する直後までは、ミューリア市の居城で缶詰(蟄居)状態だったはず。つまり、戦場の記憶が原因で憔悴している訳ではないハズ。ふーむ。


「もしやアンネリーエ殿」


 僕は香草茶のカップを置き、彼女の目を見た。そのダークグレイの瞳には、明らかな怯えと後悔の色がある。


「今回の戦争の原因は、自分にあるのだと思っていませんか?」


「……」


 アンネリーエ氏はハンマーで頭をブン殴られたような顔になって目を逸らした。図星って感じか、これは。


「……アタシが、ブロンダン卿にシツレイな、すごくシツレイな態度をとったから。だから……アタシは」


 僕は無言でため息をついた。分別のない子供に少しばかり罵倒されたからといって、軍を動かして応報するような人間がどこに居るよ。……あー、べつに珍しくはないのか、自己救済上等の時代だと。嫌だねぇ、野蛮でさ。


「アンネリーエ殿」


 僕は、努めて柔らかい声で彼女の名を呼んだ。


「いい機会です。今回の戦争がなぜ起きたのか、それぞれの当事者同士の立場で話し合ってみましょうか。戦争の原因が分かれば、次の戦争を防ぐことだってできるでしょうから」


「戦争の……原因?」


「ええ」


 頷いてから、香草茶に口を付ける。そして空になったカップを従兵に見せ、お代わりを要求してから視線をアンネリーエ氏に戻した。


「まずは、僕の立場で見た景色を語りましょう。僕がなぜあなた達との戦争を決心したかといえば、我が国……リースベンの食料安全保障が脅かされたからです」


「食料安全保障……というと」


「要するに、我々の食料庫が燃えかけたから、消火しに来たわけですよ。リースベンは土地が瘦せており。人口に対して食料の生産量が著しく小さい。足りない分は外部から輸入するほかありません」


 正確に言うと、単純に土壌の栄養価が低い事だけが問題じゃないんだけどな。少しばかり草木灰をまいた程度では中和しきれないほど土が酸性なんだよ。百年前のラナ火山大噴火でとんでもない量の火山灰が降り注いだせいだろうな。おかげでサツマ(エルフ)芋のような酸性土壌に強い作物以外はマトモに育たないような状態になっているわけだ。


「さらに言えば、わが領邦(くに)特有の事情もあります。リースベンにはかつてエルフェニアというエルフの国がありましたが、この国は大飢饉に端を発する内戦により滅んでいます。この内戦はなんと百年もの間続きました」


「百年!? えっ、あ、そういえば、何かの書物で読んだことがある。百年前、空が灰に覆われて、しばらく太陽すら見えない日々が続いたって……」


「やはり、こちらの歴史書にも記録がありましたか。ええ、エルフェニア滅亡の引き金を引いたのはその降灰事件です」


 ああ、なるほど。アンネリーエ氏はこの手の記録が乗った本を読み、しかもちゃんと記憶しているタイプの子なんだな。少なくとも、単なるアホ娘ではないようだ。まあ、お勉強が得意なだけのアホってのも世の中には少なからず存在するけどな。


「そういう歴史をたどってきた人々ですから、当然"飢える"ことに関しては激烈に反応します」


「そうか、だからあのエルフはあんなに……」


 小さく呟いて、アンネリーエ氏の顔色はさらに悪くなった。おっと、いかんいかん。別に、彼女に自省してもらいたくてこんな話をしているわけではないのだ。反省するのは大切だが、その内容は建設的なものでなくてはならない。誤った認識のままアレコレ後悔したところで、得られるものは何もないだろう。


「肝心なのは、そのような小さな事件ではありませんよ。要するに、僕はリースベン領民の食料庫へと手を伸ばす者に対し、甘い顔はできなかったということです。領主とはいえ、世論をまったく無視した行動はできませんからね」


 そもそも、エルフやアリンコたちが僕に従ってくれているのは、彼女らを飢えさせることはしないという約束を果たしているからだしな。食料の切れ目が縁の切れ目、リースベンで再び飢餓が発生するような事態になれば、蛮族たちは僕の言うことなど聞かなくなるだろう。


「でも、ばぁちゃ……ご当主様は、リースベンへの食料供給を滞らせることはしないって」


 きゅっと眉間にしわを寄せ、アンネリーエ氏は反論してきた。僕はニコリと笑いかえしてから、従者が持ってきた香草茶のお代わりを受け取る。


「それはもう、完全に信用の問題ですね。ズューデンベルグの麦はリースベンの命綱。それをミュリンに手渡すことは認めがたかった」


「信用って……。うちが、ミュリンが、嘘をつくとでも?」


 疑われた怒りからか、アンネリーエ氏の目には少し力が戻った。いい傾向だ。ガキはこうでなくては。


「嘘、というのは少し違いますね」


 そう言って、僕は茶菓子の乗った皿から一つの干し芋を引っ張り出した。そしてそれを、憮然としたアンネリーエ氏に手渡す。


「たとえばの話……ある日あなた方の屋敷に見知らぬ商人がやってきて、この芋の素晴らしさを熱弁したとします。麦よりもはるかに少ない肥料で育ち、収量も見込めて味も良い! そう言って、商人は領主所有の畑で育てる作物を、麦からこの芋に切り替えることを勧めました。さて、アンネリーエ殿。あなたならこの提案を飲みますか?」


「……飲まない。得体の知れない商人が持ってきた得体の知れない芋でしょ? 畑の片隅でちょっとだけ育てるくらいならまだしも、麦から完全に切り替えるなんて絶対無理」


 珍妙なものを見るような目つきで干し芋を眺めまわしつつ、アンネリーエ氏は言う。妥当な判断だね。


「その通り。それが信用というものです。相手が誰であれ、一度二度しか顔を合わせたことのない相手に、命綱を手渡せる人間はそういません」


 この時代、地方領主の多くは自らが所有する畑から得られる麦に収入を頼っていた。なにしろ、農民たちはほとんど現金を持っていない。だから金銭の代わりに労働力を徴収し、領主所有の畑で働かせるわけだ。貨幣経済が普及する前の税制度だな。


「むぅ……」


 小さく唸ってから、アンネリーエ氏はもう一度干し芋を見た。そして意を決した様子でそれを口に突っ込み、そして眉を跳ね上げる。


「……意外と美味しい」


「でしょ?」


 僕は少し笑って、自分も干し芋を一口食べた。そのまま香草茶で喉奥に流し込むと、これがなかなか美味なのである。


「さて、ここまでは僕たちの事情。次は、あなた方。つまりはミュリンの事情に入りましょうか」


「アタシたちの、事情」


 オウム返しにしてから、アンネリーエ氏は香草茶を一口飲んだ。


「つまり、ばぁちゃんが何を考えてズューデンベルグに攻め込もうとしたか、ということ……ですか」


「はい、その通りです。僕が思うに、イルメンガルド氏は軽率に開戦を決めたわけではないハズ。状況をよく吟味し、いろいろな選択肢を検討したうえで今回の判断に至ったものと思われます。その過程について考えてみましょう」


 これは僕の想像だが、アンネリーエ氏は地頭そのものはそれなりに良いタイプのように思える。にもかかわらずあのような失敗をしたのは、短絡的で視野が狭かったから……つまりは、自分で考える能力に欠けていたから、だ。改めて自分の頭で考える訓練をすれば、意外と化けるかもしれんぞ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 誤字を発見しました!! >>部コツ極まりない代物→無骨極まりない代物
[一言] これで人心掌握術に長けてたら そいつ洗脳しちゃわねえ? 師匠・先生程度ならともかく崇拝しださないか不安なんだが
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