第464話 くっころ男騎士と子犬騎士(1)
ミュリン家の使節団をマルガ氏が収容されている野戦病院に案内した後、僕や陣地の一角で一人思案に暮れていた。考えているのはもちろん、王家の思惑と今後の方針についてだ。
王家の特使たるモラクス氏は、僕に諸侯らを率いて更なる進撃をせよと言っている。僕としては、勘弁願いたいというのが正直なところである。僕が指揮権を預かっている諸侯らの数を考えると、最終的に僕の指揮下の兵力は一万を超えるかもしれない。こんな大兵力をポンと投げ渡されても、マジで困るんだよな。
一番不安なのは、補給の問題だ。兵隊だけで一万人。それに加えて酒保商人やら日用品・武具類の職人やら、物資輸送のため作業員やらの補助人員などを勘案すると、部隊の総人数はちょっとした大都市並みになる。これだけの数になると、存在するだけでとんでもない量の物資が消費されるからな。食料を調達するだけでも大仕事だ。
鉄道もない時代だから、食料などはできるだけ現地調達で賄う必要があるのだが、あまり長い事同じ場所に滞在していると、その地域の食料を食いつくしてしまうことになる。こうなると軍民問わずに飢える羽目になるので、大軍団は一か所に滞在し続けることができず延々とさ迷い続けるのが普通だった。やっていることはほとんどイナゴの大群と同じだよな。
「参っちゃうよなぁ……」
自分にしか聞こえない声で、僕はそう呟いた。食料問題だけでも厄介なのに、わが軍に関しては弾薬の補給問題もある。食料は現地調達できるが、弾薬に関しては根拠地から直接運び込むしかない。一応ご近所であるミュリン領ならまだしも、それよりも遠方で戦うとなると補給線の維持がだいぶ怪しくなってくる。
さらに、弾薬の量自体も問題だった。リースベンでは去年の冬から急ピッチで弾薬の増産に励んでいるが、やはり限度はある。先の会戦のような調子で鉄砲を撃ちまくっていたら、あっという間に弾薬備蓄など使い果たしてしまうだろう。そして弾薬のないライフル兵なぞそこらの槍兵未満の存在だ。
「……」
つまりモラクス氏の要望に愚直に従っていたら、わが軍は大幅に弱体化してしまうということだ。これが意図的なものなら、もうリースベン(というか僕)は叛徒予備軍としてロックオンされている可能性がある。まあ、単純に出る杭を打ってるだけな可能性はあるけどな。配下の諸侯が力を付け過ぎないよう、わざと無益に消耗させる策は古今東西で使用されている。例えば、徳川幕府の参勤交代とか。
ううーん。やっぱり、王家側がどこまでやるつもりなのかわからんことには判断がつけづらいな。僕としては、王家とは絶対に事を構えたくはないのだが。僕が逆臣などになった日には、両親がどれほど心を痛めるか分かったものではない。いや、そもそも父母は王都に住んでいるのだ。僕が王家と戦うことになれば、どう考えても人質として利用されてしまう。
最悪の状況になる前に両親を王都から逃がさねばならんが、それをやった時点でたぶん僕は叛徒認定されるだろう。状況だけ見ると割と詰み気味だな。つまり、王家からいくら無茶ぶりされようが、黙って従うほかないという事か? いや、しかしリースベンの領主としては、領民の安全と財産を守ることを第一に行動すべきで、それを損なう可能性のある命令には従えない……ううーん、うううううーん……。
「むぅうううん……」
自軍や諸侯軍の補給問題、王家との関係性、今後の身の振り方……容易には解決できない問題が、いくつも僕の前に立ちふさがっている。ミュリン戦は快勝したというのに、どうしてここまで頭を悩ませなければならないのか。僕は強い酒でも一気飲みして布団に籠りたい衝動にかられたが、責任ある立場としてはそのような逃避は許されない。ああ、まったく。偉い立場になんかなるもんじゃないな、マジで。
なにはともあれ、この諸問題を一人で解決するのはムリそうだ。できるだけミュリンやジークルーンとの和平交渉を長引かせ、稼いだ時間で部下たちとよく相談することにしよう。三人寄れば文殊の知恵なんていうしな。……まあ、このやり方でも諸侯軍の食料問題は棚上げできないのだが。ヤンナルネ……。
「あ、あの……」
僕が一人でウンウン唸っていると、突然背後から声をかけられた。振り返ってみると、そこに居たのは憔悴した様子のオオカミ少女だった。実母と久方ぶりの再会をしていたはずの、アンネリーエ氏である。
……はて、もう面会が終わったのだろうか? 僕は一瞬混乱した。彼女が野戦病院に入ってから、まだ三十分と立っていないのだ。時間稼ぎが目的なので当たり前だが、面会時間には制限を儲けていない。いくらでも、満足するまで親子の会話を楽しんでくれと伝えたはずなのだが……。
「おや、アンネリーエ殿。お母君のほうはもうよろしいのですか?」
「はい。その……あまり長々と話していては、身体に障るとおもいましたので。ご配慮、感謝いたします。ありがとうございました」
そういって、アンネリーエ氏はペコリと頭を下げる。……しっかし、初対面の時とはまるで別人のような態度だな。実は影武者だったりしない?
「当然のことをしたまでです、お気になさらず」
僕はそう言って薄く笑った。まあ、実際こちらとしても思惑あっての配慮だしな。
「そう言えば、家宰殿はどうされたのですか? お姿が見えませんが」
アンネリーエ氏は護衛の騎士数名を連れただけの身軽な状態だ。一緒に野戦病院に入っていたハズの家宰殿はついてきていない。
「ノーラ……家宰は、まだかあさ、じゃない。母上のところに居ます。話があるとかなんとかで」
ああ、追いだされちゃったのね。マジで影武者なのかも。……いや、どうだろう? 単純にこの子が信用されていないという可能性も十分にあるな。アンネリーエ氏が戦前に起こしたあの事件は、いずれ家のすべてを背負って立つ人間としてはわりと致命的な代物だったし。
「なるほど」
曖昧な態度で頷いてから、僕は一瞬思案した。なんだかんだいっても、彼女の持つミュリン家の継承席次は高いままだ。年齢を考えればマルガ氏が当主で居続ける期間はそう長くはないだろうから、そう遠くない未来にはアンネリーエ氏がミュリン家の当主になることになる。
つまり、僕がリースベンの領主で居続ける限りは、長々とご近所付き合いをしなくてはならない相手というわけだな。今回のような戦争がまた怒らないようにするためにも、ある程度相互理解の機会は作っておいた方がいいかもしれん。
「実は僕の方も副官らが不在にしておりましてね。手持無沙汰にしているところなのですよ。よろしければ、お茶の一杯でも飲んでいかれませんか?」
ソニアとダライヤは今頃、モラクス氏とちょっとした茶会をしているはずだ。要するに、王室側の腹を探っているわけだな。政治関連に関しては僕はまったく役に立たないので、この手の仕事は二人にブン投げている。
「あ、う……」
お茶という言葉に、アンネリーエ氏は少し顔色を悪くした。どうやら、先日の茶会の出来事を思い出してしまったようだ。こりゃ、どうも本物っぽいな。僕は申し訳ない気分になった。トラウマの原因は自業自得とはいえ、他人の傷口をあえてほじくり返すような趣味は持ち合わせていない。
「ああ、申し訳ない。もちろん、他意はありません。暇つぶしに付き合っていただければな、と思っただけですので……」
暇つぶしというか、気分転換だが。いい加減、僕の頭もだいぶ煮えてきている。喫緊の課題は早めに何とかすべきだが、根を詰めすぎるのもよくないからな。とりあえずちょっとくらいリフレッシュしとくか、みたいな感覚だった。
「あっ、い、いえ……すいません。喜んでご一緒させていただきます」
オオカミ耳をペタリと伏せながら、アンネリーエ氏は頷いた。目尻には涙まで浮いている。まるで怯える子犬のような態度だ。なんだか無理やり強要したみたいで申し訳ない気分になるな、これは……。




