第463話 くっころ男騎士とミュリン家使節団
特任外交官モラクス氏の提案はなんともきな臭いものだったが、なにしろ相手は王宮から出向してきた特使だ。「うるせえ! 帰れ!」と追い返すわけにもいかん。僕はモヤモヤとしたものを抱えつつも、次の仕事に取り掛かることになった。つまりは、ミュリン家との講和会議だ。
結局のところ、進むにしても退くにしてもミュリン家との戦争を終わらせないことには話にならない。この一点については、我々もモラクス氏も見解が一致していた。ミュリン軍はもはや壊滅状態だが、しばらくすればまた戦力を再編成してくるかもしれない。正面決戦では負ける気はしないが、ゲリラ化して補給線を狙い始めたら厄介だ。ミュリン側が敗戦のショックから立ち直るまえに講和を押し込み、都合の良い条件を押し付けねばならない。
幸いにも、ミュリン側もこれ以上戦争を継続しようという意思は無いようだった。ジークルーン伯爵は、派遣の翌日にミュリン家の使節を連れてミューリア市から帰還した。なかなか迅速な対応だ。これならば、交渉もスムーズに進むだろう。
「あ、あの、その……お久しぶりです……先日は、す、すみませんでした……」
ところが、ミュリン家からやってきたのはイルメンガルドの婆さんではなかった。よりにもよって、あのアンネリーエ氏である。ミュリン家は交渉をまとめる気がないのかとソニアは憤慨したが、ジークルーン伯爵がそれをとりなした。どうやらイルメンガルド氏は心身ともに衰弱しており、城から出られるような状態ではないらしい。まあ、相手は七十代の老人だからな。実際のところ、あまり無理は言えない。彼女が衰弱した原因の半分以上は、エルフどもに追い回されたことだろうし。
それはさておき、アンネリーエ氏だ。彼女は前回の時とは一転、借りてきた猫のように縮こまっている。特徴的なオオカミ耳はペタリと伏せられ、尻尾は股の内側に巻かれていた。もともとがかなりの跳ねっ返り少女だっただけに、その落差は尋常ではない。前回も大概だったが、今回も逆方向に不安を覚えてしまう状態だ。
もっとも、流石にミュリン家側も年若いアンネリーエ氏一人にすべてを任せる気はないようだった。使節にはミュリン家の家宰も同行しており、実務的な交渉は彼女の方が行うらしい。アンネリーエ氏はあくまでお飾りの責任者だということだ。
「一か月ぶりですね、アンネリーエ殿。先日の一件はすでに謝罪をいただいておりますから、お気になさらず。もう済んだ話です」
僕は努めて穏やかな笑顔でそう答えた。先日の一件というのは、ズューデンベルグ領で開かれた狩猟会で彼女が我々を侮辱した時のことだろう。あの件に関しては、すでに手打ちが済んでいる。僕としても、今さら掘り返す気はなかった。
……まあ、エルフ連中はいまだに恨みを忘れていない様子だが。飢饉が原因で悲惨極まりない内戦をやっていたエルフに対し、食べ物のことで煽るのはそりゃあ不味いよね、ウン。
「い、いえ、その……あた……自分はちゃんと謝っていなかったので……本当に申し訳ございません……」
「……そういうことであれば、承知いたしました。謝罪を受け入れましょう」
なんともすさまじい転身ぶりだな。そんなことを考えつつ、僕は頷いた。勝てそうな相手には強く出て、負けた相手には殊勝な態度を見せる。情けないチンピラかよ、と思わなくもないが、まあ相手は十五、六の子供だものな。あまり目くじらを立てるのも、大人としてどうかと思う。年齢を考えれば、まだ教育で修正のきく範囲だと思うし。
……教育、か。こういう状況になったとはいえ、依然としてミュリンは重要なご近所さんだ。いずれミュリン家の当主となるアンネリーエ氏には、二度とこんな戦争を起こさないためにも成長してもらわねば困る。彼女との付き合い方はある程度しっかり考えていった方がいいかもしれんな。
「ミュリン殿。リースベン城伯もこうおっしゃっておりますし、この件はこれで終わりに致しましょう。それよりも今は、この戦争をどう始末をつけるかの方が両家の未来にとっては肝心です」
モラクス氏が丸眼鏡を光らせながらくちばしを突っ込んでくる。前置きはイイからさっさと本題に入ろうや……と言わんばかりの態度だ。彼女にとっては、対ミュリン戦そのものが前置きにすぎないのかもしれない。確かに、王室の視点で見れば"本題"は対皇帝軍の戦いだ。こんなことはさっさと終わらせて、次の戦いに移ってもらいたいのだろうが……。
「アル様」
隣のソニアが、僕にしか聞こえないような小さな声で耳打ちをしてきた。彼女はチラリとモラクス氏の方を見てから、言葉を続ける。
「"敵"の思惑には極力乗らぬ方が良いかと思われます。ここはあえて交渉を長引かせ、時間を稼ぐというのはいかがでしょうか?」
「ふむ……」
なるほど、一理ある。たしかに、モラクス氏はこの交渉をさっさと終わらせたがっているように見える。一方、僕らの側はそれほど急いで事を進める必要はない。怖いのはゲリラ化した敵軍が我らの補給路を脅かすことだけだが……よく考えれば、停戦にさえ持ち込めばその手の心配はあまりしなくていいからな。交渉自体が少しばかり長引いても、痛くもかゆくもないわけだ。割といいアイデアかもしれんぞ、これは。
ちなみに、既にモラクス氏や王室に対する懸念はソニアやロリババアらにも伝えてあった。彼女らとしても、モラクス氏の挙動には不安を覚えているようだ。まあ、流石に敵呼ばわりするのはどうかと思うが。
「そもそも、今の状況に持ち込めた時点で我らの戦争目標は既に達成されています。今後の戦いは、あくまでオマケのようなもの。本腰を入れる必要性は一切ないわけですから、何かに理由を付けて逃げ回るのがよいかと」
「……」
僕は無言で頷いた。危険極まりない発言だが、一理はある。王室の狙いがリースベン軍の消耗にあるのであれば、確かにモラクス氏の引くレールの上を走るのはやめておいた方が良いだろう。
それに、たとえそれが杞憂であっても、王太子殿下が起こしたこの戦争にはどうにも嫌な気配を感じずにはいられないんだよな。旧領の奪還は確かに大義名分としては申し分ないが……それにしたって開戦が唐突過ぎる。正直、勝てるから起こした戦いという印象はぬぐえない。そんなクソ戦争で部下に死んで来いと命じる羽目になるのは勘弁願いたいからな。文句を言われない程度にサボタージュするというのも悪くない選択肢かもしれない。
「とりあえず、挨拶はこのくらいにしておきましょう。こうしている間にも、戦場では兵たちの命が失われておりますからね。講和交渉のため、いったん停戦するというのはいかがでしょうか?」
まあ、そうは言っても露骨に時間稼ぎなんかした日には王室側の疑念を煽るだけだ。とりあえず真面目に仕事をしているフリくらいはしなくては。僕はコホンと咳払いをして、そう提案した。ミュリン家の家宰が「良い考えです」と頷く。
まあ、停戦といってもすでにほぼ戦闘は終わってるけどな。エルフとヴァルマが残敵の掃討に出ているが、もう敵軍は残党すら残っていない様子だった。ほとんどの敵兵は、どこぞへ逃散するかミューリア市に逃げ込んでいるのだろう。
「停戦の期間は、講和会議が終わるまで。この条件でよろしいでしょうか?」
「大変結構です」
アンネリーエ氏が口を開きかけたが、それを抑えて家宰殿が返事をした。余計なことを言わせないためだろうが、少し可哀想だな。まあ、これまでの経緯を考えれば、仕方のない事だろうが。
まあ、何にせよ両軍の指揮官が同意したので停戦は成立だ。僕は通信士官を呼び、各部隊にすべての戦闘行動を停止するよう命じる。アンネリーエ氏も同様の命令を配下に下す。まあ、実際には既にほとんどの戦闘は集結しているが、儀式のようなものだ。
「さて、停戦も発布されたことですし、和平の条件を詰めていきましょう。僭越ながら、このジュリエット・ドゥ・モラクス、和平案の用意をしてまいりました。双方ご納得いただける内容と自負しておりますので、どうぞご確認ください」
にっこりと笑って、モラクス氏がそう提案する。ちなみに、当然ながらこの"和平案"とやらの中身は我々も既に確認済みだ。実際の内容としては、賠償金を主軸とした比較的控えめな代物である。大勝したわりにはしょっぱいなあ、という感じだが、まあそれは別に構わない。過大な要求はしない、というのは最初から決めていたことだからな。この内容で妥結することになっても、僕は納得するつもりでいる。
ただ、問題は和平の内容じゃないんだよな。要求が軽いだけに、スパッと話がまとまってしまう可能性は割と高い。それじゃあ困るんだよな。モラクス氏のことだから、交渉が妥結したとたん「ミュリン戦は終わりましたね? じゃ、次はこの辺りに進軍しましょう」などと言い出してもおかしくない。とにかく時間を稼がねば。僕は隙を見てロリババアに目配せした。
「……」
目が合ったのは一瞬だけ。僕はそのまま視線をモラクス氏の方へと移した。相手は海千山千の古老だ。この程度でも十分こちらの意図は伝わる。僕がアンネリーエ氏とモラクス氏に順番に視線を送ると、彼女は微かに頷き返してくれた。こういう状況では、ダライヤほど頼りになる人間もそうはいない。
「あいや待たれよ!」
「……なにか?」
突然に芝居がかった口調でそんなことを叫んだダライヤを、モラクス氏は眉根にしわを寄せながら一瞥する。邪魔するんじゃないよ、野蛮人め。そう言いたげな目つきだ。ミュリン家の連中もそうだが、こいつら基本的に蛮族を舐めてるよね。ロリババアからしたら軒並みカモに見えてるんじゃなかろうか?
「たしかに和平の交渉も重要でありましょうが、その前にひとつ肝心なことを忘れておりますぞ」
「はて、なにも忘れているつもりはありませんが」
鬱陶しさを隠しもしない口調で、モラクス氏は反論した。ところが、ダライヤは半笑いでため息をつき、やれやれという調子で肩をすくめる。
「そこにおられるアンネリーエ殿は、我らの軍で保護しているマルガ殿の実の娘という話ではありませぬか。御母堂の容体が気になっては、和平交渉どころではありますまい。まずは母子の再開を手配してやるのが人情というものでは?」
「えっ」
突然話題に出されたアンネリーエ氏の耳がピョコンと立ち上がった。
「い、良いんですか!?」
「お嬢様……!」
すかさず、家宰が止めに入る。……ふむふむ、なるほど。そういう手で来たか。流石はロリババア、頭が回る。
「なるほど、言われてみればその通りだ。アンネリーエ殿、申し訳ない。気が回りませんでした。今すぐ、お母君の所に案内いたしましょう」
「リースベン城伯殿!」
案の定、モラクス氏はお冠だ。僕は殊更にバツの悪そうな顔をして、彼女に軽く頭を下げる。
「お許しを、モラクス殿。このままでは、僕は人質を盾に交渉を有利に進めようとしている卑怯者というそしりを受けてしまいます。僕自身の名誉などはどうでも良い話ですが、王太子殿下からお借りした代紋を傷つけるわけにはいかぬでしょう」
「……くっ、致し方ありませんね。認めましょう」
王太子殿下の信認を裏切るな、などと言い出したのはモラクス氏のほうだからな。王太子殿下の顔に泥を塗らないようにするためという理屈で攻めれば、認めるほかないだろう。よしよし、この調子で牛歩戦術を展開していくことにしようか。




