第462話 くっころ男騎士と特任外交官
ジークルーン伯爵が降伏勧告のためにミューリア市へと向かった日、我々の陣地に来客があった。六頭もの翼竜だ。それを駆る竜騎士たちは、なんと王家の紋章を帯びていた。王立竜騎士団。その名の通り、ガレア王家によって設立された空中の精鋭である。
残念ながら、彼女らは王軍が寄越してくれた増援などではなかった。王家からの使者を護送してきたのだ。我々が見守る中、ふらつきながら翼竜の鞍から降りてきたのは、丸眼鏡をかけた細身の竜人だった。
「ようこそお越しくださいました、使者殿。リースベン城伯、アルベール・ブロンダンです」
そう言って僕が握手を求めると、丸眼鏡の竜人は疲れ顔に強引に作り笑いを張り付けてそれに応じる。剣ダコの代わりにペンダコをつけた、明らかに年中書類仕事をやっているとわかる手だった。
「初めまして、リースベン城伯殿。王室より派遣されました、特任外交官のジュリエット・ドゥ・モラクス女爵です」
名乗った通り、彼女は王家で外交関連の仕事をしている法衣貴族だ。そんな人物がなぜこんな辺境の戦地へとやって来たかと言えば、南部戦線における和平交渉のためだった。なにしろ、この戦いは我々の私的な戦争ではない。あくまで、王家に命じられた軍役の一環で戦っている……ということになっている。だから、我々が勝手に和平の条件を取りまとめるのはいろいろと問題があった。
まあ、とはいっても対ミュリン戦に参加したのは僕とその配下、ディーゼル軍、そして自主的に参陣してきたヴァルマ一味だけだからな。戦争遂行に当たってはほとんど王家の力は借りていないので、交渉の実質的な主導権は我々が握っている。上げた戦果を無視して勝手に交渉を差配できるほど、王家の権威は強くないのだ。
現代軍人からするとなんだかなぁと思わざるを得ない弱腰っぷりだが、領邦ってのは実質的に半独立国家だからな。諸侯軍というのは自国の軍隊ではなく、どちらかと言えば同盟国の連合に近いのである。いくら王族とはいえ、あまり強権を振るいすぎると諸侯が離反して"裸の王様"になってしまうのだ。そりゃあ、殿下やアーちゃんも中央集権を志向するよなって感じだ。
「参上が遅れてしまい、申し訳ありません。本来であれば、戦端が開かれる前に合流する予定だったのですが……」
まあ、そうは言っても僕たちは王家から要注意扱いされてるわけだからね。あまり勝手な真似をし過ぎて、不信感をさらに増すのは悪手だ。だから、開戦以前から王家の意向を汲むアドバイザーの派遣を要請していた。それがやっと送られてきたわけだな。
「いえいえ、お気になさらず。我々が勇み足に過ぎたのです」
まあ、そうは言っても「対応が遅い!」と王家を責めることはできん。何しろ僕らが王家からの命令を受領したのが、ミュリン領に向けて進軍している最中のことだったからな。王家としても僕たちがここまで早く戦いに取り掛かり、しかも決着までつけてしまうとは思ってもみなかったのだろう。
「それはさておき、モラクス女爵殿も長旅でお疲れでしょう。ささやかながら饗応の準備もしておりますので、どうぞごゆるりとおくつろぎください」
そう言って、僕はモラクス女爵に笑いかけた……。
「しかし、驚きました。ミュリン家やジークルーン家をこれほど素早く攻略してしまうとは、まさに電光石火ですな。リースベン城伯のいくさの手腕は、噂通り……いや、噂以上のものがあるようです」
それから、一時間後。僕たちは、天幕の下でモラクス氏と歓談していた。テーブルの上に並んでいる料理や酒は、敵地のド真ん中とは思えぬほど豪華なものだ。まあ、なにしろ相手は王家からの使者殿だからな。手を抜いたもてなしをするわけにはいかないだろ。
「兵力に大差を付けられておりましたので……素早い奇襲を仕掛け、相手の準備が整わぬうちに始末をつける必要がありました」
戦利品のお高いワインを飲みつつ、僕は答えた。昼間っから飲む酒はサイコーってのが僕のモットーだが、なにしろお仕事の一環で飲んでいるのだからあまり楽しくはない。酒がもったいないなぁ……。
「その甲斐あって、ミュリン軍もジークルーン軍もほぼ壊滅状態です。この有様を見れば、帝国の南部諸侯も及び腰にならざるを得ないでしょう」
僕の言葉をソニアが補足する。実際、僕たちはわざと敵兵が四方八方に逃げ散るように攻撃を仕掛けてきていた。彼女らは、逃げ延びた先でさぞやその悲惨な体験を語ってくれることだろう。それを聞いた敵諸侯の間で厭戦気分がはびこってくれれば占めたものだ。
「なるほど……味方諸侯軍の集結を待たずに攻撃を開始したと聞いた時は、大変に驚いたものですが。なるほど、そのような深謀遠慮があったとは」
感心したような表情で、モラクス氏は何度も頷く。ただ、この人ってば外交屋だからな。少々の腹芸程度ならお手の者だろうし、あんまり表面上の反応を真に受けない方が良いだろう。
「して、この後はどのように差配されるおつもりでしょうか? ミュリン家やジークルーン家の戦後処理に関しては、ある程度お力添えはできますが」
お力添えと言いつつ、その目は油断のならない光を放っていた。この機会に勢力拡大を図ろうとするんじゃないぞ、と言いたげな様子である。ブロンダン家(というか、そのケツモチである宰相)には警戒せよと言い含められているのだろう。たとえば、僕たちがミュリン領の全土併合なんかを図ろうとすれば、モラクス氏はその阻止に動くつもりだと思われる。
「王太子殿下の御命令は、あくまで帝国南部諸侯の動きを掣肘せよとのことでしたからね。この状態に持ち込めた時点で、戦略目標は達成したも同然です。和平条件などはおまけも同然ですから……賠償金での手打ちでどうか、と考えております」
「なるほど、よいご判断です」
モラクス氏はそう言ってにっこり笑った。どうやら、僕の返答をお気に召してくれたようだ。
「そういうことであれば、このモラクスにお任せあれ。必ずや、リースベン城伯にもご満足いただける内容で妥結させて見せましょう」
ふむ、つまり和平交渉自体にもしゃしゃり出てくる気というわけか。まあ、いいけどね。僕たちの戦争目的は、あくまでミュリンによるズューデンベルグ侵攻の阻止だ。現状それはほぼ達成できているので、和平条件などは本当にオマケ程度のものである。最低限戦費さえ回収できればそれでヨシだ。まあ実際にはこちらにもメンツがあるので、あんまり舐めた条件で妥結するわけにもいかんが。
「ミュリン軍やジークルーン軍はそれでよいとして、そのほかのまだ参戦していない敵諸侯はどうされますか? 神聖帝国南部は豊かな地、まだまだ力ある諸侯は残っていますが」
「際限なく戦火を拡大するような真似は避けるべきだと考えております。皇帝からの参戦要請に応じない、という条件で停戦を模索してはどうかと」
わが軍はまだまだ戦闘を継続する余力を残しているが、ぶっちゃけこれ以上戦争を継続しても僕たちに利はないからな。さっさと戦争から足抜けしたい、というのが正直なところだ。まあ流石にそんな真似は王家が許さないだろうが。
とはいえ、だからこそ敵の厭戦気分をあおるような作戦に出ているわけだけどな。要するに南部の敵軍を釘付けにして、皇帝軍に参加できないようにしてやればよいのだ。戦略的に見れば、それだけで十分に王太子殿下への援護になる。
「なるほど、なるほど。ですが、帝国の諸侯らが実際にリースベン城伯の策に乗ってくれるかというと、少々怪しいやもしれません。矛を収めるのは少しばかり早いでしょう」
ところが、モラクス氏は少しばかり不満げな様子だ。王家的には、我々にはもっと戦闘を継続してほしいのかもしれない。……戦争を使って僕らを消耗させようとか企んでないよな? 王家。マジで勘弁してほしいんだが……。
「それに、諸侯と言えば我が方の問題もあります。王国側の南部諸侯にも、すでに軍役を命じておりますのでね。もう少しすれば、南部方面軍司令たるリースベン城伯の元にも少なくない数の諸侯たちが集まってくるでしょう……」
そう言ってから、モラクス氏はワインを一口飲んだ。そしれ丸眼鏡を光らせつつ、言葉を続ける。
「そうして集まってきた彼女らを、そのままとんぼ返りさせるのですか? 説明するまでもないでしょうが、軍は招集して目的地へ移動させるだけで少なくない費用が掛かります。軍役は手弁当が基本とはいえ、流石にまったくの手ぶらで返すのは不義理というものです。それなりの益を与えてやらねばなりません」
「……ええ、もちろんそれは承知しております」
モラクス氏は、なかなかに痛い部分を突いてきた。僕はいちおう方面軍司令ということになっており、諸侯らの指揮権も与えられている。ところが、この部下たちは定額使いたい放題の都合の良い存在などではなく、各々に事情と思惑を持った領邦領主たちなのだ。しかも彼女らの大半がリースベンの近隣に領地を持っている貴族なのだからなおさら厄介だった。ご近所関係を疎かにすると、下手をすれば村八分にされてしまう。
それを防ぐためには、彼女らにもそれなりの利益を与えねばならん。具体的に言うと……略奪だ。軍役は基本的に無報酬なのだが、流石にそれでは臣下の側もやってられないからな。かかった戦費は現地からの略奪で賄うのが普通だったし、君主の方もそれを認めて当然なのだ。まあ個人的に言わせてもらえば、クソ喰らえって感じの風習だけどな。
まあ、僕の趣味を抜きにしても、ミュリン領からの収奪のみで各諸侯の懐を潤してやるのは非現実的だ。当然ながら、略奪で得られる利益には物理的な限度があるからな。一か所だけを荒らしまわったところで利益は限定的なのだ。つまり、戦線を拡大して行く先々を荒らしまわるしかないということである。いわば、イナゴの大群みたいなものだな。
「敵領内のさらに奥深くへと切り込み、もう一戦二戦されるのがよろしいでしょう。王太子殿下の御命令、そして諸侯らの利益……この二つを両立するためには、それが一番かと思われます」
寄越してくれと頼んだわけでもない部下のために、なぜ我々がそこまで手取り足取り世話をしてやらねばならないのか。僕はため息はため息をつきたい心地になったが、もちろんそれは心の中にとどめていた。
とはいえ、事実として我々の作戦がこれほどうまくいったのは、王国軍が皇帝の目を引き付けてくれたおかげなのは確かだ。この段階で僕らだけ戦争から離脱した場合、王室からすれば火事場泥棒にしか思えないだろう。もっと働けと尻を叩いてくるのは、まあ致し方のない話なのかもしれないが……。
「王太子殿下は、城伯殿に期待をされていらっしゃいます。その信頼を裏切るような真似だけはされぬよう、お気を付けください……」
しかし、そう語るモラクス氏の眼つきは外交官というより政治将校のそれに近かった。何とも嫌な感じだなと、僕は目を細める。……早めにソニアやロリババアと今後の身の振り方について話し合っておいた方がいいかもしれないな。