第461話 不肖の孫と降伏勧告
それから数日間、辛く重苦しい期間が続いた。ばぁちゃんはすっかり衰弱してベッドから起き上がることすら難儀するような有様で、おまけにミューリア市には戦場から逃れてきた敗残兵たちが五月雨式に集まってくる。捨て置くこともできないので保護をするのだが、最低限しか配置していなかった城の守備兵だけでは手が足りない。アタシまで手当や炊き出しに駆けずりまわる羽目になった。これでは、降伏の軍使を送ることすらままならない。
降伏……そう、降伏せねばならない。もともと、ばぁちゃんはこの戦いに全力を出していた。常備兵はもちろん、傭兵も可能な限り雇った。軍役義務をもつ平民たちもすべて招集した。その上で大敗を喫してしまったのだから、挽回をする余裕などない。アタシのような若造にだってわかることだ。結局のところ、こうなってしまった以上は降伏するほかないんだ。
……どうしてこうなってしまったんだろう。聞いた話では、戦力差は六千対三千だったそうだ。どう考えても前者が勝たねばおかしい。けれども、現実はそうはならなかった。それどころか、単なる敗北どころか大敗といっていい有様だった。
戦場から逃げ帰ってきた者たちは、将や兵の区別なくすっかり心が折れてしまっていた。反撃しよう、などという意気のある者など一人もいない。誰もかれもが「もうお終いだ」と呟いている。どうにも戦場は尋常なものではなかった様子だ。身も心もズタボロになった彼女らを見るたびに、アタシの心は膿んだような痛みを発するのだった。戦前の己の言動が、頭の中でグルグルする。
そんな中、事態に動きがあった。ミューリア市に、ジークルーン家の家紋を掲げた一団がやってきたのだ。ジークルーンはこのいくさでも共に轡を並べて戦った仲だ。これにはほとんど寝たきりになっていたばぁちゃんも喜び、ベッドから起き上がってきた。
「ジークルーン伯爵! 生きていたのか!」
「恥ずかしながらな」
ミュリンとジークルーンの両伯爵は、再会するなり抱き合って喜んだ。戦前はギスギスした関係だったというのに、まるで生き別れていた旧友と再会したような態度だった。
「ヴァルマ・スオラハティに追い回された時は、いよいよ私もこれまでかと覚悟したがね。小さなエルフとカマキリ虫人に庇われて、なんとか事なきを得た」
「エルフ!? カマキリ!? ヒトを庇うような良心があるのか、あいつらに……。いや、今はそんなことはどうだっていい。つまり、今のアンタは……」
「ああ、お察しの通りだ」
そう言ってため息をつくジークルーン伯爵の表情は、なんとも痛ましいものだった。
「今の私は、虜囚の身だ。ブロンダン卿から降伏の特使を頼まれて、ここへやってきた」
……それから、三十分後。アタシたちは、ミューリア城の一角にある小さな談話室に移動していた。部屋の中に居るのはばぁちゃんとジークルーン伯爵、そしてアタシの三人だけだ。その他には、御用聞きの召使いの姿すらない。家臣や使用人にすら聞かせられない話をするためだった。
正直に言えば、アタシも退室したいくらいの気分だ。しかし、それはばぁちゃんが止めた。こういうことになったからには、お前も責任者としてミュリン家を差配する義務がある……とのことだった。
「最初に一つ、良いニュースを教えておこう」
黒々とした豆茶を啜ってから、ジークルーン伯爵は口を開いた。
「貴殿の長子、マルガ・フォン・ミュリン殿は生きている。私と同じく、捕虜の身だがな」
「本当かい!?」
「か、かあさん……! よかった……」
あたしとばぁちゃんは、そろって椅子から身を乗り出した。今の今まで、かあさんの安否情報はまったく入ってきていなかったのだ。おかげで、アタシたちはもちろん家臣らもひどくピリピリしていた。ミュリン家はもう終わりだとかほざいて、街から逃げ出してしまう者まで出る始末だったのだ。
「とはいえ、あまり良い状態ではない。収容された直後は生死の境をさまよっていたそうで、意識を取り戻したのも私がリースベン軍の野営地から発つ直前の話だ」
「……そうかい」
神妙な表情で、ばぁちゃんは頷いた。……意識を取り戻したということは、峠は越してるんだろうが。それでも、やはりこういう話を聞くと心配になってしまう。アタシはぎゅっと拳を握り締めた。
「マルガ殿は最後まで降伏を拒否して立派に戦い抜いたそうだ。直接マルガ殿の部隊と矛を交えたプレヴォ卿は、騎士の鑑と褒めたたえていたぞ。自分の名においてマルガ殿の治療には手を尽くすので、安心してほしいそうだ」
「良かった」
ばぁちゃんはほっと安堵のため息をついた。アタシも全くの同感だった。
「プレヴォ卿というと……」
聞き覚えのある名前だ。私が小さな声で呟くと、ジークルーン伯爵は小さく頷いて見せた。
「ブロンダン卿の腹心だな。ジルベルト・プレヴォ子爵。領地を持たぬ法衣貴族だが、かつてはかの高名なパレア第三連隊を指揮していたほどの人物だ」
「スオラハティ姉妹といい、プレヴォ卿といい、いち城伯の幕下とは思えぬ家臣団だな。今さらながら、なんという手合いと戦っていたんだ、我々は」
ばぁちゃんの言葉に、アタシの心はズキリと痛む。アタシがさんざんに馬鹿にした相手に、ばぁちゃんはこれほどひどい目にあわされてしまったのだ。アタシが、アタシが余計なことをしたばかりに……。
「今さらそんなことを言っても仕方がない。覆水は盆に返らぬのだからな。とにかく、肝心なのはこれからどうするかということだ」
そう言って、ジークルーン伯爵は腹立たしげに茶菓子のビスケットをかみ砕いた。
「これはブロンダン卿から聞いた話だが、リースベンには数千人のエルフがいるらしいな?」
「ああ、そういう話は聞いてるね。蛮族どもの内戦を終結させ、今は小さな街を作っている最中だとか」
ばぁちゃんは頷いてから、それが? と聞き返した。
「そのエルフの大半が、我々が交戦したあの連中と変わらぬ練度をもった戦士だそうだ。……考えてみれば、当然のことだな。なにしろ連中は長命種だ。老人も子供も少ないのだから、人口の大半が兵役適齢期だ」
「あっ……!」
その言葉に、ばぁちゃんの顔がさっと青くなる。劇的な反応だった。
「そうか、よく考えりゃあ当たり前だ! 畜生、あたしはなんでこんな簡単なことに気付かなかったんだ……!」
「つまり、彼が敗北してリースベンが崩壊した場合、食料を求めて数千のエルフが南部に流れ込んでくる可能性があるということだ。リースベンは開けてはならぬ禁断の箱だったんだ」
そう語るジークルーン伯爵の表情は、まるで苦虫をかみつぶしたようなものだ。アタシの脳裏に、あの恐ろしいエルフの戦士の姿がフラッシュバックする。あんな連中が……数千人? 領邦がいくつも滅んでしまう!
「……あたしがガキの時分は、南の山脈は絶対に越えてはならない禁足地とされていたんだ。それが、ディーゼルのクソボケが街道なんか整備しちまって……クソッ、先人の教えってやつは存外正しいもんだねぇ!」
ばぁちゃんは苛立たしげに応接机を殴りつけ、めまいを起こしてソファに身を預けた。慌てて、あたしはばぁちゃんの肩を撫でる。ジークルーン伯爵は、そんなアタシたちを気遣わしい目つきで見ていた。
「ブロンダン卿が、なぜズューデンベルグに領土割譲要求をしなかったか理解した。そんなことをしている余裕がなかったんだ。ブロンダン家は、エルフどもの蓋だ。刺激してはならん。食料でもカネでもくれてやって、大人しくしてもらった方がいい」
「……ああ、ああ。今さらながらに理解した。ああ、ったく冗談じゃねえ。くそエルフどもめ……」
そう語るばぁちゃんの手は小さく震えていた。武者震い……などではない。恐怖からくるものであるのは明らかだった。その姿に、アタシはショックを受ける。ばぁちゃんは、いつだって強くて格好いいアタシの目標とする人だった。それが、これほど憔悴してしまうなんて。あの戦場は、いったいどれほどひどいものだったのだろうか?
「ハッキリ言うが、我がジークルーン家はこの一件からは手を引く。皇帝は文句を言うだろうが、構う事か。役にも立たぬリヒトホーフェン家の猫どもに義理立てして、家や領地を滅ぼすような愚は犯せん」
強い口調で言い切ってから、ジークルーン伯爵はアタシたちを眺めまわした。先ほどから一転、品定めをするかのような目つきだ。
「……願わくば、ミュリン伯。あなたにもそれに続いてもらいたい。幸いにも、ブロンダン卿は講和の際には貴殿の首は求めぬと確約してくれたからな。安心してほしい」
「あたしの首の行方なんか、どうだっていい話さ。今まで降伏できなかったのは、白旗を上げる余裕すらなかったってだけだ」
「流石はミュリン伯だ」
目を伏せながら、ジークルーン伯爵は頷く。こんなことになってしまったのは、彼女にとっても不本意なものだったのだろう。
「ジークルーン伯爵が仲介してくれるってんなら、話は早い。ブロンダン卿に直談判させてもらおうじゃないか。この老骨最後の仕事だ、腕が鳴るね……」
そう言ってばぁちゃんは立ち上がろうとしたが、足が立たずにソファへと倒れ込む。ばぁちゃんは盛大に舌打ちをしてもう一度立ち上がろうとしたけど、うまくいかない。慌てたジークルーン伯爵が手を差し伸べようとしたが、アタシがそれを遮った。
「ば、ばぁちゃん。一つ……頼みがあるんだ」
「……なんだい、藪から棒に」
こんな状態でも強い意志の籠ったままの目で、ばぁちゃんはアタシを睨みつけた。
「アタシが、ブロンダン卿に直接詫びを入れてくる。だから、ばぁちゃんは城で待っていてくれないか」
「アンタぁ……自分がブロンダン卿に何をやったか忘れたのかい? ウンと頷くわけにはいかないね……」
「いや、だからこそだ。この件は、アタシがけじめを付けなきゃなんねぇ。必要なら、ブロンダン卿の靴でもケツでも舐めてくる。だから……ばぁちゃんは少し休んでいてくれ」
そういって、アタシはばぁちゃんを押しとどめた。そうだ……こんなことになっちまったのは、アタシのせいなんだ。その責任をばぁちゃんにおっかぶせるわけにはいかねぇ。どんな屈辱に耐えてでも、ブロンダンに許しを請う必要がある……。




