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第460話 不肖の孫と老狼騎士

 アタシ、アンネリーエ・フォン・ミュリンは退屈なる日々を過ごしていた。なにしろ、アタシはブロンダン卿に対する粗相(・・)が原因で一か月もの蟄居(ちっきょ)を命じられているのだ。この蟄居という刑罰はなかなかに厳しいもので、期間中は延々と自室に閉じ込められることになる。風呂や便所へ行くことすら許されないのだから大概だ。実質的な監禁と言っても過言ではない。

 そういう訳で、ミューリア市に帰ってきて以降アタシの生活は灰色一色になっていた。部屋の中では日課だったランニングも剣の鍛錬もできず、軍学書を読んだり屋内でもできるちょっとしたトレーニングくらいしかやることがない。それもじきに飽きて、侍従を呼んでテーブルゲームに興じるような始末だった。本当に無意味極まりない日々だ。こんなんじゃ身体がなまっちまう。

 そうして腐っていたアタシのもとに、朗報(・・)が飛び込んできた。どうやら、リースベンとの戦争がほぼ確定的になったらしい。どうやら連中はディーゼル軍の残党と連合を組んでいるようだが、所詮は辺境の小領主と主力を欠いた敗残兵どもの野合。恐ろしいことなど何もない。うちのばぁちゃんなら、英傑・イルメンガルド・フォン・ミュリンならば、赤子の手をひねるように蹴散らしてくれるだろう。あのお高く留まった男騎士が泣きながら土下座をする姿を想像して、アタシは無聊を慰めた。


「ミュリン軍が……負けた?」


 だが、事態は予想だにしない方向に転がっていく。ミュリン家を盟主とした諸侯連合軍はリースベン・ディーゼル連合軍に大敗を喫し、壊滅状態に陥ったのだという。それを聞いた時、アタシはタチの悪い冗談だと思った。でも……それは現実だった。ばぁちゃんが僅かな手勢と共に落ち伸びてきたと聞いて、アタシはとうとういてもたってもいられなくなった。使用人たちの制止を振り払い、部屋を飛び出してばぁちゃんの元へと急ぐ。

 ばぁちゃんたちは、ミューリア城の大ホールに居た。祝いの席ではパーティー会場としても使われるその部屋の真ん中では、十数名ほどの騎士や兵士たち倒れ込むようにして体を休めている。その周囲を家臣や召使いなどが取り囲み、あれこれ話し合っていた。

 戦場から帰還したばかりだという彼女らの姿はひどい有様だった。磨き上げられていた武具は埃と煤で真っ黒になり、体のあちこちに生傷やら火傷やらを作っている。どこからどう見ても、落ち武者だった。勝利の栄光からは程遠い姿だ。それを見たアタシは心が締め上げられるような心地になって、「おかえり」の一言すらいえなくなってしまう。


「おおっと、アンタまで来たのかい。蟄居が明けるにゃちぃと早い気がするが、まあいいや」


 椅子にどっかりと腰掛けたばぁちゃんは、そういって力なく笑う。尊大な、というよりは精も根も尽き果てて姿勢を正す余裕もない、という風に見えるような座り方だった。


「……ちょっとこっちに来な。ちょっとばかり足元が怪しくてね」


 アタシはぐっと歯を食いしばりながら、ばぁちゃんに歩み寄った。ばぁちゃんは何も言わずに、アタシの体をぎゅっと抱きしめる。


「……また、アンタをこうして抱きしめられるとは思わなかった。すまないね、アンネ。ばぁちゃん、負けちまったよ」


「ど、どうして……」


 アタシの喉から飛び出した声は、ひどく震えていた。そして、周囲を見回す。城に戻ってきた者たちの中に母の姿がないことを、アタシは気付いていた。


「か、かぁさんは……?」


「……」


 ばぁちゃんは、無言で首を左右に振った。何もかもをあきらめてしまったような、虚無的な表情をしている。こんな顔をしたばぁちゃんを見たのは、生れて初めてだった。


「わからん……戦死報告は聞いていないから、運が良ければ生きているかもしれん。だが……今は、死んだものとして扱うほかない。だからアンネ、今のアンタは次期ミュリン伯だ。そんな顔をしていないで、シャッキリしな」


「え、あ……」


 アタシが、次のミュリン伯? どうして……いや、母さんが死んだのなら、確かにそうなるが。でも……そんな。


「……ごめん。ごめんなぁ、アンネ。ばあちゃんが情けないばっかりにこんなことになっちまって」


 湿った声でそう言って、ばぁちゃんはアタシを抱く手に力を込めた。堪えているのにボロボロと零れていく涙を隠すように、アタシはばぁちゃんの胸に顔を押し付けた。


「ふ、復仇を。かたき討ちを……しないと……」


「駄目だ、アンネ」


 首を左右に振ってから、ばぁちゃんはアタシの身体を放す。


「ミュリンにそんな力はこれっぽっちも残っちゃいない。今は、すでに失ってしまったモノを惜しんでいる余裕なんかないんだ。これから失われていくものを、出来るだけ少なくしなきゃならない。負けるってのは、そういうことだ」


「ば、ばぁちゃん! 何言ってんだ! アタシらにはまだこのミューリア市があるじゃねぇか! 一回野戦で負けたからなんだってんだ! 次は籠城戦で対抗すりゃいいだけだろっ! ちょうど、麦刈りも終わったばかりだ。糧食には困らねぇ。このミューリア市なら、何か月だって持ちこたえられるはずだっ!」


「レンブルクだって一日で落ちたんたッ! ミューリアだって大して持ちやしねぇよッ!」


 ばぁちゃんの声は、ほとんど絶叫と言っていい代物だった。それまで好き勝手喋っていた家臣たちがピタリと黙り込み、周囲の注目がアタシたちに集まる。ばぁちゃんは自分の行いにショックを受けた様子で、思わず口を押えた。


「ああっ、くそっ! メッキが剝がれちまってまぁ……耄碌婆がっ!」


 頭をガシガシと掻きむしるばぁちゃん。深いため息をついて、視線をアタシの方に戻す。


「もはや戦いは終わったんだ、アンネ。受け入れろ。レンブルクは濡れ紙みてぇに破られたし、六千の野戦軍はタンポポの綿帽子みてぇに吹き散らされた。いまアタシの手元にある戦力は、心の折れた敗残兵が少しばかりとこの城の守衛兵だけだ。こんなんじゃ戦にはならねぇ、下手すりゃちょいと大規模な盗賊団にすら負けちまう」


「どうして、そんな……」


 あんまりだ、あんまりすぎる。どうしてそんなことになってしまったのだろうか? 敵の戦力はそこまで多かったのか? 戦前の資産では、兵力差はせいぜい二対一という話だったじゃないか……。


「とにかく、これ以上いくさを続ければミュリン領そのものが滅びることになる。いや、もう手遅れかもしれんがね……」


 そう言って皮肉げに笑ったばぁちゃんは、アタシの肩をポンと叩いた。


「とにかく、一回ブロンダン卿と交渉してみようと思っている。ここまでくればいっそ幸いといっていいくらいだが、わが軍は敵方にまったく損害を与えられなかったからな。却ってそれがいい方に働くかもしれん」


「ば、馬鹿なこと言うなよ、ばぁちゃん! ここまでされて、今さら降参なんて出来るかよ! いっそ、死ぬまで徹底抗戦を……」


「守るべきものが名誉だけになったら、あたしだってそうするけどね。まだばぁちゃんには守りたいものがあるのさ。すまないが、堪えておくれよ」


 薄く笑ったばぁちゃんは、アタシの頭を優しく撫でた。


「ウチから出せるものなんか、家財とこのあたしの首くらいしかないがね。なんとか、それで手打ちにしてもらってくるさ。……あたしの身がどうなろうと、あんたはかたき討ちなんて考えるんじゃないよ? あたしは、ミュリン家当主としての仕事を果たすだけだ。あんたが私情でそれをぶち壊そうってんなら、あたしは地獄からよみがえってあんたをたたり殺してやる。分かったな?」


 そう語るばぁちゃんの顔は真剣そのもので……あたしは、反論することができなかった。


「……うん」


「良い子だ」


 力なく笑って、またばぁちゃんはまたアタシの頭を撫でた。いくら歯を食いしばっても、目からこぼれる涙の量は減りやしない。アタシはとうとうこらえきれず、声を上げて泣き出した。……ああ、どうして。どうしてこんなことになったんだ? なんで、どうして……ブロンダン卿と戦争になったばっかりに? じゃあ、じゃあ、じゃあ……アタシが、ブロンダン卿に喧嘩を売ったのが悪かったの……か?


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[良い点] ただ一個だけの常識だけを教えられて、それを疑ってみることを考えた事も無い子供の純粋さが、 婆ちゃんの指導者としての矜持を痛めつけるのが辛い。
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