第451話 くっころ男騎士と独断専行
「右翼の敵戦線は崩壊しつつありますね」
指揮卓の地図を見ながら、ソニアが言った。僕は小さく頷き、思案する。右翼の戦線は、フェザリアの指揮するエルフ猟兵隊が主力となっている。案の定というべきか、士気も練度も高いこの部隊はたいへんな猛威を振るい、右翼側の敵は駆逐されつつあった。
与えた任務は、あくまで敵の足止めと包囲運動の阻止だったんだけどね……逆襲して攻勢をかけろとか一言も言ってないのになんでガッツリ攻撃仕掛けちゃうかなぁ。しかもなんか放火とか始めるしさぁ……。なんだか頭が痛くなってきたな。
「ひひひ……この程度で堪えておったら身が持たんぞぉ?」
僕の背中をポンポンと叩きつつそんなことを言うのは、ダライヤだ。フェザリアと同じくエルフたちのリーダー役をしている彼女だったが、今回の戦争では前線には出ていなかった。彼女はどちらかといえば後方勤務で力を発揮するタイプの人材だ。そこで、参謀として指揮本部に引っ張ってきたのである。
「本当にその通りだから困る」
僕は小さく唸って、ため息をついた。まあ、エルフどもはどうやら火災に乗じて進軍してるっぽいからな。おそらく、攻勢は戦場を横切る川のラインで止まるだろう。……しかし、炎なんで誰かれ構わず牙をむくものなのに、よくもまあ火に巻かれながら作戦行動ができるもんだ。エルフどものクソ度胸は他の誰にも真似できないだろうな。
「問題はやはりこの仮称・A川だな」
地図に上書きされたばかりの川を見ながら、僕は言った。作戦開始当初に"発見"された、あの川だ。調査の結果、この川のある程度の情報は集まっていた。どうやらこの川は戦場を横切る形になっており、ミューリア市側に侵攻するには必ずこの川を渡る必要があるようだ。川幅はあまり広くはないが、それでも流石に飛び越えて渡れるほどではない。つまり、場合によっては渡河作戦が必要だということだ。
渡河作戦というのは、あらゆる戦術行動のなかでももっとも困難なものの一つだ。モタモタしていたら対岸の敵から集中攻撃を受けて大被害を被ってしまう。さらに言えば、水を被れば兵たちが携行している火薬類が湿気ってしまうリスクもあった。
もちろんそれは敵側も理解していて、こちらの主攻である中央戦線では明らかに川を盾にするような動きを見せている。一応ちゃんとした橋もかかっていたのだが、すでにミュリン軍の手によって破壊済みだった。ほかにも小さな橋はいくつか確認できているが、主力部隊が通行できるような代物ではなかった。
「川を挟んでの射撃戦ではこちらに分があるが、それでもやはり敵前渡河はキケンだ」
まあこの川は徒歩でもなんとか渡れる程度の深さしかないようなので、損害を無視して強引に突っ込めばなんとか渡河自体はできるだろうがね。ただ、やはり無用な被害は受けたくない。敵も渡河阻止には全力を挙げるだろうしな。窮鼠猫を噛むということわざもある。無意味な力攻めは避けたいところだった。
「優勢な右翼と左翼で同時に渡河を始め、敵の迎撃を分散させるという手もあるが」
ダライヤの指摘に、僕は少し考えこんだ。実際、悪いアイデアではない。特に右翼の敵は、火災から逃れるべく慌てて川を渡っているはずだからな。それに乗じて攻撃を仕掛ければアッサリ渡河に成功する可能性もある。
「……良い作戦だが、単体で採用するには少しばかり危険性が高いな。相手はこちらの倍もの兵員を抱えている。二か所で渡河を始めても、敵から受ける圧力自体はそれほど減らないかもしれない」
「確かにの。……ま、そうは言っても打開策は考えてあるのじゃろ?」
「まあね」
想定外の渡河作戦を強いられる羽目になったが、この川は我が領地のエルフェン河などとは比べ物にならない小さな川だ。従来の作戦に少しばかりアレンジを加えれば、十分攻略可能だろう。
「では、例の作戦を?」
「ああ。まあ、別に渡河のために用意していた作戦ではないんだが……ようするに、敵を麻痺させるのが目的の作戦なんだ。渡河にだって応用はできるだろうさ」
この戦いは、兵力差一対二という過酷なものだ。装備や兵の質ではこちらが勝っているとはいえ、普通に正面から戦っていたのではやはり不利は免れない。そこで僕は、この兵力差を覆すための作戦を用意していた。
「飛行部隊の準備はどうか?」
僕がそう聞いた相手は、鳥人代表のウルだ。翼竜や鳥人などの飛行部隊はこの作戦の要なのだ。頼もしい事に、彼女はニヤリと笑って頷いてくれた。
「問題あいもはん。皆出陣ん時を今か今かと待ちわびちょりますど」
「流石だな。だが、知っての通りこの戦場の空の主導権は敵が握っている。容易な戦いにはならないだろうから、心して掛かってほしい」
敵はこの戦場に大量の鷲獅子を投入している。対するこちらの"制空戦闘機"である翼竜は僅か六騎のみ。これでは制空権の確保どころか拮抗すら難しい。
まあその代わり向こうには鳥人はいないのだが、残念ながら非力な鳥人では束になっても鷲獅子には勝てない。翼竜にしろ鳥人にしろ不用意に戦場に投入すればシャレにならない被害を受けかねないので、現在は全員が地上で待機していた。
一方、敵は恒常的な制空権を得るためにずっと鷲獅子を上空で待機させている。むろん時間が立てばたつほど鷲獅子も騎手も消耗するので、ローテーションを組んで定期的に交代させているようだった。
つまり、こちらがローテーションを無視した全力出撃をかければ、その瞬間だけは航空優勢を奪い返すことが出来るというわけだ。その間に電撃的な攻撃を仕掛けるというのが、この作戦の本旨だった。
むろん、敵は即座に地上で休憩している鷲獅子をスクランブル出撃させてくるだろうが……そこはもう、こちらの航空部隊に踏ん張ってもらうしかない。まあ、うまくやれば敵鷲獅子部隊の各個撃破も狙えるだろうから、決して分の悪い賭けではないだろう。
「むろんじゃ。全身全霊をかけてアルベールどんに勝利を進呈すっ所存。ご期待くれん」
自信ありげな態度で、ウルは悠々と一礼した。僕は破顔して彼女の肩を叩いた。まったく、僕の部下はどいつもこいつも頼りになる連中ばかりだ。指揮官冥利に尽きるね。
「しかしそうなると、やはり両翼の敵のロックが作戦第一段階の焦点ですね。中央突破を図った瞬間、両翼から攻撃を受けて突出部を切断されるのが一番怖いわけですし」
ソニアの言葉に、僕は視線を地図に戻した。実際、彼女の懸念は杞憂ではない。中央突破は敵のどてっ腹を槍で貫くような派手な作戦だが、槍の穂先(つまりこちらの主力部隊)をへし折られて各個撃破を図られてしまうリスクも大きかった。それを防ぐためには、突破部隊を包囲しようとする敵の動きを阻止せねばならない。僕が両翼の部隊に敵の拘束を命じているのはこのためだ。
「右翼の敵はフェザリアの火計を受けて壊乱状態だ、しばらくは無力化できたとみて間違いない。……と、なるとやはり問題は左翼か。こちらには明らかに敵の主力がいる。この連中の拘束はなかなか骨が折れそうだぞ」
左翼が受けている圧力は尋常ではない。現状維持が精いっぱいで、敵の完全拘束は難しいのではないかという懸念は強かった。……それに、この戦線にはカリーナもいる。部下の手前表立って口にはしていないが、正直かなり心配だった。
「……いっそ、予備部隊を左翼の救援に回そうか」
予備部隊は中央突破の際の補助に使うつもりではあったが、突破自体が阻止されてしまえば元も子もない。実際、左翼からは増援の要請も来てるしな。戦略予備の投入は悪い選択肢ではないだろう。……うん、別に義妹が心配で援軍を寄越すわけじゃない。あくまで作戦成功を確実にするための保険だ。えこひいきじゃないぞ。
「左翼にはヴァルマがいます。心配すべきは彼女が暴れ過ぎることであって、作戦目標の未達成ではありませんよ」
ところが、我が副官は僕とは違う意見を持っているらしい。その言葉に、僕は指先で自分の額を撫でた。
「……それもそうか」
相手はヴァルマだもんなあ……常識は通じないか。あの女はと一見自信過剰に見えるが、負ける勝負にはそもそも最初から乗らないという判断ができる冷静も持ち合わせている。その彼女が普通に作戦を継続しているのだから、負ける心配は皆無とみて間違いない。
「ヴァルマ様より連絡!」
噂をすればなんとやら。ソニアと顔を見合わせて苦笑していると、通信兵がそんな報告を上げてきた。
「左翼にて敵の主力と思わしき一個連隊の半包囲に成功。これより殲滅に入る」
「……」
半包囲って言ったか今。……なんで兵力劣勢の我が方が包囲してんの? えっなんで? 包囲しようとしてたのは向こうだよね? ええ……。
「なお、敵指揮官は既に一騎討で斬首済み。中央軍は安心して攻勢を開始されたし。……以上です」
「……」
思わず黙り込むと、ソニアがひどく苦い笑みを顔に張り付けながら肩をすくめた。
「ね? 言った通りでしょう。暴れ過ぎることの方が心配だって」
「ホントだよ」
lくそ、フェザリアにしろヴァルマにしろやりすぎだ。誰がそこまでやれと言ったよ腐れ独断専行女どもめ。両翼の作戦テンポが早すぎて、砲兵なんかの足の遅い部隊がついていけてない。軽便な山砲はまだいいが、重野戦砲にいたってはまだ射撃予定地点にすらたどりついていないんだぞ……。
「両翼に配置してた部隊が揃って敵の駆逐を始めてるの、一体何なの? 僕が命じたのはあくまで拘束だったはずだぞ……」
「ひひっ、狂犬二頭を飼い主の目の届かぬ場所に放すからこうなるんじゃ。オヌシの采配ミスじゃの」
「確かにその通りだな。暴れ馬には老練なトレーナーを付けねば……ダライヤ、君にヴァルマのお目付け役をお願いしてもいいかな?」
「それだけは堪忍してもらえんか!?」
性悪メスガキババアは首をブンブンと左右に振った。無茶ぶりされたくなければ余計なこと言わなきゃいいのに……。いやまあ、今はうちのババアとじゃれ合っている余裕はない。むこうのババアの逃げ道を塞がなくては。
「まあいい。ヴァルマやフェザリアにお説教するのは後回しだ。ジルベルトとアガーテ殿に渡河開始を命じろ! 作戦を第二段階に移行する」
重砲隊からはいまだに射撃予定地点に到着したという報告は来ないが、まあ仕方が無いだろう。彼女らの配置完了を待っていたら作戦のテンポを損なってしまう。幸いにも主力である山砲隊のほうの準備にはそれほど時間がかからないので、いっそこのまま作戦を次へと進めてしまおう。……それに、このまま二人の狂犬を放置していたら、あいつらだけで敵の本陣に突撃していきかねないしな。
「はっ!」
通信兵が元気の良い声で返事をし、打鍵をし始める。いやはや、やっぱ電信機は便利だね。命令の伝達のためにいちいち伝令を出していたら、作戦のテンポがめちゃくちゃに遅くなってしまうからな。
「それから、ウル。君も麾下の鳥人隊を率いて翼竜騎兵たちと共に出撃してくれ。任務は事前に説明した通りだ。困難な戦いになるだろうが、この仕事を任せられるのは君たちを置いて他に居ない。よろしく頼んだぞ」
「承知いたした。我らにお任せあれ」
「良い返事だ。流石は我らの切り札だな」
実際、彼女らは本当の切り札だった。空陸直協攻撃こそ、わが軍の戦闘教義の真髄だからな。いよいよそれが実戦でお披露目されると思うと、不謹慎ながらワクワクしてくるね。頭上を我が物顔で飛びまわる鷲獅子どもにうんざりするのもこれで最後になるだろう。アレの地上襲撃はなかなか強烈で、前線部隊も少なくない被害を受けていた。彼女らの犠牲を無駄にしないためにも、ウルらには頑張ってもらわねば。
……さて、さて。それはさておき、そろそろ詰めの準備を始めることにしようか。我々の切り札は、鳥人・翼竜部隊のほかにももう一枚ある。強烈な最後の一撃をぶち込んで、敵の継戦意欲を折ってやろうじゃないか。




