第448話 義妹騎士の奮戦(4)
私は冷や汗をかきながら、内心うめいた。せっかく丘に布陣していた守備兵をアッサリ退けることができたというのに、まさかそこへ間髪入れずに騎兵が襲い掛かってくるとは。まったく、なんたる不運だろうか。
……いや、単なる不運ではないかもしれない。この丘は単なる寄せ餌で、我々がここを奪取すべく攻撃を仕掛けてきたら、すぐさまカウンターとして騎兵隊を出撃させる手はずになっていた可能性もある。守備兵がアッサリこの丘を明け渡したのは、騎兵の攻撃の邪魔にならないようにするためだったということ……?
「小隊長殿! ご命令を!」
先任軍曹の声が、私の意識を現実に引き戻した。いけない、今はそんなことを考えている場合じゃない。どうにしかして、敵騎兵の魔の手から逃れなくては。私は頭をブンブンと振って、敵騎兵の方を見た。幸いにも、敵はまだ突撃陣形を形成している最中で、本格的な突撃に移るまでにはまだ猶予がある。
「逃げましょうよ、隊長!」
「あんな数の騎兵とぶつかって勝てるわけがない! もうおしまいだ!」
部下たちは明らかに浮き足立っている。騎兵は歩兵の天敵だ。準備万端に待ち構えていれば逆襲することも不可能ではないが、今のような状況で騎兵突撃を喰らえばひとたまりもない。まして、相手の数はこちらの頭数よりも多い五十騎だ。私たちは僅か一撃でズタボロにされてしまうだろう。
「馬鹿言え! 相手は騎兵だぞ。尻尾巻いて逃げたところで、ケツに槍をぶっ刺されて死ぬだけだぞ!」
ベテラン下士官たちが、動揺する兵たちを叱咤している。けれど効果は薄く、動揺は収まらない。突撃を受ける前に士気崩壊を起こしてしまいそうな、なんとも危険な雰囲気だ。このままでは、今度は私たちがさっきの守備兵どものように諸手を上げて逃げ出す羽目になってしまう……。
「……」
ああ、怖い。手の震えが止まらない。私はぐっと手を握り締め、脳裏にお兄様の姿を思い浮かべた。お兄様は、どんな危機的状況でも悠然としている。この人には恐怖という感情がないのか、そう思ったこともあるくらいだ。
けれども、お兄様は言っていた。本当は自分だって怖いのだと。やせ我慢をしているだけだと。だったら、私にだってその真似事くらいはできるはずだ。歯を食いしばり、思考を巡らせる。私の肩には三十人の部下たちの命が乗っている。
うう、どうしようか。馬防柵や塹壕のない状態で騎兵と相対する場合、方陣を組むのが最適解だと教本には書いていた。方陣は四角い密集陣形で、極めて防御力が高い。けれども、こちらの兵力は僅か一個小隊に過ぎず、五十騎の騎兵の突撃を受け止めるには圧倒的に頭数と火力が足りない……。
「……アレを使おう!」
私は、敵が放棄した二基のオルガン砲を指さして言った。この兵器は、小さな砲弾を大量に同時発射する代物だ。普通の一粒弾よりは、対集団戦に向いた性能をしている。騎兵とはいえ、突撃陣形のド真ん中に撃ち込まれればタダでは済まないはず。
「いけません、小隊長殿!」
だが、先任軍曹はこのアイデアには反対のようだった。彼女は血相を変え、首をブンブンと振る。
「この土壇場で敵が遺棄していった兵器を使うなど、危険すぎます。我々は砲兵ではありません、暴発させてしまうやも……。それに罠が仕掛けられている可能性もあります!」
……確かに、それはその通り。あの神様みたいな先任軍曹がこう言ってるんだ、このアイデアは駄目だ……。そんな考えが、頭の中を駆け巡る。でも、他に冴えたアイデアなんか湧いてこない。そしてそれは、先任軍曹も同じだろう。いい作戦があるのなら、さっさと献策してくるはずだし。
「そりゃあ危険はキケンだろうけど、このまま無策に敵騎兵とぶつかるのとどっちが危ないの!?」
私はそう叫んだ。先任軍曹はウッと呻いて、逡巡する。実際、このまま敵の突撃を受ければ全滅は避けられないからね。オルガン砲を使おうが使うまいが、実際のところのリスクは大差ないような気がする。
「逃げても死ぬ! 立ち向かっても死ぬ! ならば私はせいぜいあがいてから死にたい!」
私はそう叫んで、もう一度オルガン砲を指さした。
「私はカリーナ・ブロンダン! リースベン城伯アルベールの義妹! お兄様仕込みの砲術を見せてあげる! ついてきなさい」
言い切ってから、私は部下たちの返事も聞かずにズンズンとオルガン砲に向かって走り出した。部下たちはざわついたが、やがて私の背中を追いかけ始める。内心、私はほっとした。
オルガン砲は、丘の中腹でそのまま放置されている。気合を入れて丘を駆け上がり、にわか作りの砲兵陣地へとたどり着いた。慎重にオルガン砲へと近寄り、ブービートラップの類が仕掛けられていないか確認する。……よかった、大丈夫そう!
「大砲なんぞ触ったこともないんですが、大丈夫ですか」
追いついてきた先任軍曹が渋い表情で聞く。偉そうな啖呵を切っておいてなんだけど、私だって大砲のことなんか座学でしか知らない。けれど、そんな事情はおくびにも出さず自信ありげに頷いた。
「たぶんね。大砲なんて、小銃をそのままでっかくしただけのシロモノよ。何とでもなる」
そう言って私は接近する騎兵のほうをちらりと確認した。彼我の距離はすでに五百メートルを切っている。騎兵の足なら、接敵まではもう猶予がない。はやく迎撃準備を整えなくては。
「小銃の再装填が終わってないものは装填を急いで! 終わってるヤツは操砲を手伝って!」
兵士たちに指示を出し、私はオルガン砲の砲口を坂の下へと向けさせた。そしてポーチからカートリッジを二つ出して噛み切り、その中身を大砲の根本にある火門という穴に流し込む。オルガン砲は大量の砲身を束ねた構造になっているけど、火門は一つのみであり、これに着火すればすべての砲を同時に斉射することができる構造になっていた。もう一つの砲も、ロッテに命じて発射準備を整えさせる。
「こ、これ、装填終わってるんですかね」
兵士の一人が、そのたくさんある砲身を指さしながら言った。このオルガン砲は一基につき十門もの砲身がついている。一つ一つに弾を装填していたら、迎撃が間に合わない。
「大丈夫よ。あの砲兵どもは私たちの方に向けてこれを撃とうとしていたもの。とっくに装填は終わってるはずよ」
などと私は胸を張って言うが、本当のところは自信はない。なにしろ、砲兵どもが実際に装填作業をしている姿は確認していないのだ。内心ドキドキしつつ、私は兵士に命じて地面に落ちていた棒を持ってこさせた。その棒の先端には、着火済みの火縄がくっついている。私の知識が確かなら、従来型の大砲はこういう棒を使って撃発させる仕組みだった。
「総員着剣!」
全員が小銃の再装填を終えたようなので、銃剣を付けるように命じる。私の作戦が万事うまくいったところで射撃だけで敵を撃退できる可能性は毛ほどもない。最後は白兵戦になるだろう。
「敵騎兵、距離三百!」
見張り兵が叫ぶ。私はねばついたツバを飲み込んだ。三百メートルと言えば、歩兵銃の有効射程内。そして軍馬の全力疾走が可能な距離でもある。敵の騎兵たちは愛馬に鞭を入れ、猛烈な加速を始めていた。
それを見た私はもう一度ツバを飲み下して、「大砲の発射は私とロッテがやる! みんなは射撃隊形に!」と叫ぶ。本当ならば最後まで照準の微調整なんかをやらなきゃならないんだろうけど、そもそもこの大砲にはマトモな照準器がついていないように見える。それっぽい方向に適当に発砲するしかない。
私の命令に従い、部下たちは大砲の両脇に扇形に展開して小銃を構えた。彼我の距離は残り二百。騎兵たちは丘のふもとにまで接近してきていた。軍馬は既に最高速度だ。敵はほとんどが重装の槍騎兵で立派な甲冑と長大な槍が太陽の光を受けてギラギラと輝いている。
密集隊形を取った彼女らは、ほとんど高速で前進する要塞のようなものだった。そんなものがこっちに向かってぐいぐいと加速してきているのだから、本当に恐ろしい。蹄が地面を蹴る振動が足元から伝わってくる。いや、恐怖のあまり前後不覚になってふらついているだけかもしれない。とにかく、おしっこを漏らしてしまいそうなほど怖かった。
「じっくり引き付けろ! まだ撃つなよ!」
さすがに焦りの見える声で先任軍曹が命じた。私は火縄つきの棒をぎゅっと握り締める。冷や汗が背中を伝う感触が気持ちが悪かった。
「あと百二十メートル!」
見張りの声に、私は手に持つ棒を震わせた。鉄砲隊には百メートルで発砲を命じる腹積もりだった。そろそろ大砲を打った方がいいかもしれない。
「ロッテ! 大砲発射!」
そう命じた瞬間だった。敵騎兵と一団がぱっと散開し、二方向に分かれた。敵は最初からオルガン砲の発砲を予測していたのだ! あっと思って火縄を火門に押し込むがもう遅い。派手な発砲音とともに発射された砲弾は、すべて空を切った。私の大砲もロッテの大砲も、一発たりとも命中しなかったのだ。その発砲音で敵の軍馬が驚き、隊列を乱れさせたが、二基の大砲の戦果はそれだけだった。
「ひっ」と、引きつったような声が喉奥から出る。ああ、駄目だった。けれど、最後まであきらめてはならない。「小銃、撃て!」と大声で命じる。部下たちが一斉に歩兵銃を撃った。それと同時に五騎ばかりの騎兵が落馬したり馬ごと倒れたりして隊列から落伍するが、突撃の勢いは減じるどころか増すばかりだった。鋭い馬上槍の穂先が我々に迫る。
「……ッ!」
万事休すか。そう思った瞬間、私はふとあることに気付いた。遠くから、音楽が聞こえてくる。聞き馴染みのない音色だ。少なくとも、軍隊でよく使われている軍鼓や信号ラッパの類ではない。もっと柔らかくも勇壮な、木管の音……。こんな危機的状況だというのに、私はそれが妙に気になった。
「バグ……パイプ?」
竜人たちの生まれ故郷と言われる西の島国、アヴァロニアに伝わる伝統楽器バグパイプ。ガレア王国ではすでに廃れているはずのその楽器が、なぜこんな戦場のド真ん中で? そう思った瞬間、今度は鋭い発砲音が私の耳朶を叩いた。それと同時に、最終加速に入っていた敵騎兵がバタバタと倒れ始める……。




