第445話 義妹騎士の奮戦(1)
私、カリーナ・ブロンダンは、一度は落伍した軍人としてのキャリアを再び詰みつつあった。冬の間まで見習い騎士として過ごしていた私は、新春早々に正式な騎士へと任官された。いよいよここまで来たかと、私の胸は一杯だった。……けれど私が貰った役職は、騎士位だけではなかった。リースベン軍第一ライフル兵大隊、C中隊所属の小隊長。それが私が軍人として初めて就いたポストだった。
この人事を聞いた時、私は胃が痛くなった、お兄様の従者から、いきなり三十人ばかりの部下を率いる立場になったわけだからね。責任の重さが違いすぎる。騎士隊の末席にでも座らせてもらえばそれで満足だとも伝えたのだけれども、お兄様は頷かなかった。
というのも、リースベン軍では士官の数が不足しており、猫の手も借りたいような状況なのだという。従来の軍制では中隊一つに付き二、三名の士官が居れば上等とされていたのに、お兄様の方式では中隊一つに十名以上の士官を配置することになっているのだ。そりゃあ、人手不足も当然のこと。そこで白羽の矢が立ったのが、ディーゼル家で一応士官としての教育を受けていた私だったのだという。
エルフ内戦が終わった直後から、私はやたらと座学を受けさせられていたのだが……まさかこんなことになるとは。正直私には荷が重い感が凄いので、今すぐ小隊長なんて辞任したい気分だった。けれども、そういうわけにはいかない。お兄様の期待を裏切るような女に、お兄様の妻は務まらないだろうからだ。気は重いが、とにかく私は頑張ってみることにした。
「カリーナ少尉、あの丘を奪取して来い」
そうしてイチ軍人としてこの戦争に従軍した私に、直属の上官であるヴァレリー隊長は無茶な命令を寄越してきた。私は顔を引きつらせながら、彼女の指さす方向を見る。
「あ、あの……丘って、アレですか」
そこにある丘は登っても腹ごなしにならない程度の小さなものであったが、何しろこの辺りの地形はびっくりするほど平坦なのでたいへんに目立つ。とうぜん、そんな目立つ場所を制圧しようとすれば敵からの集中攻撃を浴びることになる。子供でも分かることだ。
「ああ、アレだ」
ところが、ヴァレリー隊長は平気な顔で頷きやがるのである。彼女はリースベン戦争の頃からお兄様の下で働いている元傭兵隊長で、今は第一ライフル兵大隊C中隊の隊長サマだった。正直、私からすれば悪魔よりコワイ相手だ。お兄様から「カリーナへの特別扱いはしないように」と厳命されているせいか、むしろわざわざ過酷な任務ばかりを投げてくるのだ。
「見ての通り、あんな丘でもこの辺りでは一番高い。あそこに監視哨を置けば、この辺り一帯が見渡せるようになる。戦術的に考えればあそこを放置する手は無い」
ヴァレリー中隊長はそう言ってから、視線を丘から前線の方へと逸らした。そこでは、私の同僚たちが盛んにライフルを発砲していた。銃声が響くたびに悲鳴が上がり、敵がバタバタと倒れている。しかし、戦況は良好とは言い難かった。
単純に、敵の数が凄まじく多いのだ。戦力差は一対二という話だが、この場所に限って言えば一対四はある気がする。いくら敵を撃ち殺しても焼け石に水の感が強かった。敵軍は粗末な装備の民兵を盾にして、強引な攻撃を続けている。
「敵の主攻は、明らかに我々の持ち場……左翼側にある。中央も右翼も防備が硬いんで、一番手薄な左翼を狙ってるんだ。とはいえ、我々も退くわけにはいかん。左翼側からの敵の包囲運動を阻止するのが、我々に課せられた任務だからな。……で、限られた戦力で十全に防御を行うためには、十分な情報収集は必須だ。だから、あの丘は何としても取っておきたい。ここまではオーケイ? じゃ、わかったらさっさと取ってこい」
「ぴゃあ……了解しました」
懇切丁寧に現状を説明されてしまったが、そんなことは言われずともわかっている。もちろん言い返したりはせずに、大人しく頷いたけど。軍隊において上官の命令は絶対だし、おまけに私はお兄様の義妹だ。言い訳なんかして情けない所を見せたら、お兄様の顔に泥を塗ることになっちゃう。
とはいえ、正直この命令は拒否したかった。たしかに奪取を命じられた丘は戦術上とても重要な場所だけど、それは敵軍にとっても同じこと。望遠鏡で確かめてみれば、案の定守備兵らしき姿がチラホラと。ここに攻撃を仕掛ければ、当然熾烈な反撃が返ってくるだろう。
「ところで、その……あの丘を狙うのであれば、中隊砲の火力支援をいただきたいのですが……」
中隊砲というのは、中隊ごとに配備されている大砲のことだ。中隊長の一存で使用できる使い勝手の良い火力として、わがC中隊には三門の六〇ミリ迫撃砲が配備されている。その火力を我々の支援に振り向けてくれるのならば、任務の難易度は遥かに低下するはずだ。
「そんな余裕がこちらにあると思うか?」
ところが、ヴァレリー中隊長はニヤッと笑って、後方の迫撃砲陣地を指さした。そこでは三門の迫撃砲がひっきりなしに発砲しており、その独特な発射音がうるさいくらいに響きまくっている。もちろん、その砲口が向けられた先は例の丘ではなく、前方にうごめく無数の敵兵集団だった。
……うん、まあ、無理よね。いくら迫撃砲が強力だからって、たった三門しかないわけだし。敵の無茶苦茶な突撃を押しとどめるだけで精いっぱいって感じ。うえぇ、吐きそう。たった三十人で火力支援も無しにあの緊要地形を制圧しなきゃいけないの? ムチャでしょ……
「わかりました……」
とはいえ、一たび下令されたからには抗弁が許されないというのが軍隊という組織だ。私はヴァレリー中隊長に敬礼して、その場を後にした。向かう先は、当然部下たちの元。私の指揮する第三小隊は中隊の予備戦力であり、やや後方に配置されていた。
「ええーっ! ムチャですよ!」
それから五分後。中隊長からの命令を部下たちに伝えた私にかけられたのは、そんな言葉だった。言われなくてもわかってるわよそんなことぉ! と思いつつ、私は部下たちを睨みつける。
私の下についている兵士たちは、ガレアの王都で募兵に応じた新米が半分と、昔からヴァレリー中隊長の下で働いていたベテランが半分ずつだ。文句を言ってきたのは、新米の方。ベテランたちの方は、「仕方ねぇなぁ」と言わんばかりの表情で準備を始めている。
「ムチャでもなんでもこなすのが軍人の仕事だろうがボケ!」
そんな新米どもに、辛辣な怒鳴り声がぶつけられる。もちろん、声の主は私じゃない。新品少尉の私がそんな偉そうなことを言ったら、裏でなんていわれるか分かったもんじゃない。士官などと言っても所詮は若造で、とうぜん部下たちはナメてくる。肩書が偉ければそれだけで従ってくれるほど、人間は単純じゃないからね。
そんな情けない私の代わりに部下たちを叱責してくれたのは、小隊の最先任軍曹……つまり、私の副官のような人だ。とても恰幅の良い中年の竜人で、ヴァレリー中隊長が傭兵団を旗揚げした当時から下士官として勤めていた古株だった。
彼女は兵隊たちからすれば神様のような存在で、我が小隊の人間で彼女の逆らえるものは誰一人いなかった。……もちろん、私を含めてね。ぶっちゃけ新品少尉より最先任下士官の方が偉いのよ、実際の立場では。悲しいね。
「とにかく、中隊長殿はあの丘がご所望なんだ。全員おっ死んでもあそこに軍旗を立ててくるのがあたしらの役割ってもんだ! わかったかボケカスが!!」
「う、ういっす!」
文句を垂れた新兵はピシリと姿勢を正し、敬礼をした。先任軍曹は腕組みをして鷹揚に頷く。その態度は総指揮官であるお兄様より偉そうだ。
「……小隊長殿、これでよろしいですな?」
冷静な顔になって、先任軍曹は私の方を見る。彼女の罵声で自分の方まで背筋が伸びていた私は、慌て頷いた。
「は、はい。大丈夫です」
「ああ、大丈夫だ。……ですよ、小隊長殿。士官がオドオドしていたら、部下はナメてかかります。ご注意を。……まあ、偉そうにしすぎるのも問題ですがね」
「うっす……」
小声でそんなことを囁いてくる軍曹に、私はさっきの新兵と同じような返事をした。本当に、彼女には頭が上がらない。
「それはさておき、進撃の準備です。必要なものはございますか? 小隊長殿」
「ええと……中隊行李(中隊の補給を担う部署の俗称)の所へ行って、擬装用の迷彩布とドーランを人数分持ってきて。正攻法で近寄ったらひどい目に遭いそうだし、こっそり忍び寄る感じで行くから」
「よし、聞いたな? 三班、小隊長殿の仰せのままにしろ! あとついでに弾薬も多めにかっぱらってこい! 他の連中は草刈りだ! 擬装用の枝葉はいくらあっても足りんからな、たっぷり刈ってくるんだ!」
「うぃーす」
兵士たちは私ではなく先任軍曹のほうに一礼し、各々の仕事を始めるのだった。軍曹は肩をすくめ、私はため息をつく。あー、もー。仕方が無いけどイライラするなぁ……。
「ロッテ、アンタは通信班の所に行って、携帯電信機とその運用要員を借りてきなさい。監視哨を作るなら通信設備は絶対に必要よ」」
そんな私にも、一応キチンと従ってくれる部下がいる。従者として私個人が雇用することになったリス獣人の少女、ロッテだ。こいつとは一年くらいの付き合いになるから、一応きちんとこちらの言うことを聞いてくれるのだ。小隊の中で私をまともに信用してくれているのは、コイツを含む少しばかりの友人たちだけだった。地味に辛い。
「了解っすー」
元気よく返事をしたロッテは、トテトテと通信班の方へ走っていった。その背中を目で追いつつ、私は内心ため息をつく。一応指揮官という立場にはなったものの、お兄様の居る場所まで追いつくのはまだまだ時間がかかりそうだ。……一生かかっても追いつけない気がするなぁ。はぁ……。




