第340話 くっころ男騎士と降伏交渉
二度目の軍使は、一度目ほど邪険には扱われなかった。流石にいきなり降伏を受諾したりはしなかったが、守備兵の総指揮をとっているイルメンガルド氏の三女殿みずからこちらと話し合いの場を持ちたいと提案があったのだ。短期間でずいぶんな手のひらの返しようだが、それだけ市壁の崩落と騎兵隊の壊滅がショッキングだったのだろう。こちらの思惑通り、というわけだ。
「こちらの要求は、ただ一つ。レンブルク市の明け渡しです」
軍使が連れ帰ってきたミュリン側の使節に向かって、僕はそう言い切った。使節は何名かいるが、大物は二人だ。片やレンブルク市防衛の責任者、エーファ・フォン・ミュリン氏。そしてもう片方は、レンブルク市の市長だというオオカミ獣人の中年女性だった。
「むろん、ミュリン軍が"名誉ある退却"を選択してくれるのであれば、こちらとしてもこれ以上の攻撃は致しません」
名誉ある退却というのは、武装解除をしないまま城や街を明け渡すことだ。当然、退去する守備兵を攻撃側が追撃することもない。余計な被害を受けない分再起の目が大きいので、防御側も飲みやすい条件だと言える。
「淑女的な条件ですな。いや、貴殿は男性ですが」
エーファ氏は、青い顔に不敵な笑みを張り付けてそう言った。あきらかに虚勢を張っているとわかる態度だった。
「ええ、当然のことです。なにしろ、こちらは今のところ一滴の血も流しておりませんのでね?」
僕はちらりと、レンブルク市へと向かう道に目をやった。そこには、我々の猛射撃を浴びて絶命したミュリン騎兵の骸が折り重なるようにして倒れている。なんともひどい有様だ。血なまぐさい臭いが、こちらまで漂ってきている。しかも今は晩春……気温が高い。血や臓物の臭いに腐臭が混じり始めるのも時間の問題だった。遺体が傷み始める前に弔ってやりたいところだが、戦いが終わらないことには手が出せない。
「……」
「……」
僕と同じものを見たエーファ氏と市長は、ますます顔色を悪くした。騎兵隊の遺骸の向こうには、完全に崩落してガレキの山と化したレンブルク市の正門がある。
「悪い夢を見ているようだ」
市長がボソリと呟いた。一度も落城したことのない無敵の城塞都市の市壁が、一時間も立たないうちに完膚なきまでに破壊されてしまったのだ。確かに、彼女らからすれば悪夢以外の何者でもないだろう。しかもミュリン側の反撃はまったく効果を発揮せず、こちらの兵士は一人たりとも倒れていないのだ。
このままさっさと折れちまえ、僕は内心そう思った。彼女らが意固地になり、街中に籠って徹底抗戦を始めるのが一番困るのである。無駄な時間も浪費するし、少なからず損害も出るだろう。しかも、敵国とはいえ市民の犠牲も出る。まったくもって僕の趣味ではない。
「戦争なんてものはえてしてそういうものです。名誉と興奮に満ちた美しいだけの戦場など、物語の中にしか存在しない」
「男性とは思えない発言ですね。……いえ、貴殿をバカにしているわけではないのですが」
エーファ氏がコホンと咳払いをし、香草茶を一口飲んだ。カップを持つその手は、かすかに震えている。相当に動揺が激しいようだった。こちらの狙い通りだ。冷静に考えれば、彼女はここで退くわけにはいかない。とにかく徹底抗戦をして、本隊が戦力を増強するための時間を稼ぐのがエーファ氏の仕事なのだ。"名誉ある退去"などしてはその任務は果たせない。
だから、僕たちはわざとショッキングな真似をして、彼女らから冷静さを奪う作戦に出たわけだ。もはや頼みの綱の市壁は崩れ去っている。リースベン・ディーゼル連合軍は市内への突入を待つばかりだ。一方的に蹂躙されるくらいなら、被害の少ないうちに撤退しておいたほうがマシ……そう思ってくれれば、こちらの勝ちである。
「良く言われますよ、お気になさらず」
僕は余裕たっぷりにウィンクをして、自分も香草茶を飲んだ。馬鹿くさい演技だなぁと自分も思うが、こういう時は大物ぶってるくらいがちょうどいいんだよ。
「余力のあるうちに矛を収めた方が、お互いのためにもなるだろう。戦いが長引くようであれば、こちらとしても戦費の回収に躍起にならざるを得ないからな」
冷たい目つきをしたソニアが、そう言い放った。市長が露骨に顔を引きつらせる。戦費の回収、というのは要するに略奪のことだ。この世界では、まだ軍隊による狼藉を禁じる法はない。むしろ、敵地を荒廃させる目的であえて略奪を許可することすら珍しくはなかった。さらに、都市籠城戦ともなれば市民も戦闘の参加者とみなされる。その街を攻め落とすためにかかった費用を、市民らから回収するのは当然の権利だとみなされていた。
「今ならば、かかった費用は糧秣と弾薬のみ。略奪などせずとも、ちょっとした賠償金があれば補填できる額です。現状を落としどころにするのであれば、こちらとしても譲歩しやすいのですが」
肩をすくめながら、ソニアの言葉を補足する。つまり、これ以上抵抗するようならケツの毛までむしってやるぞという脅しだ。ヤクザの強請りみたいなやり口だよな。まあ、封建貴族なんて実態はヤクザと大差ないんだが。
「……うう」
露骨な脅しに、市長は顔色がさらに悪化した。青というよりはほとんど土気色だ。こちらの隙を伺っては、いまだ砲列を成したままの砲兵隊をチラチラ見ている。自慢の壁をあっという間に破壊したあの兵器が、今度は市街に向かって放たれる……そういう想像をしているのかもしれない。
「エーファ殿、ここはブロンダン殿の案に乗られた方が良いかと思います。これ以上の戦いは無意味でしょう。余計な流血は厳に慎むべきですぞ」
「市長殿! それは……私は母上からレンブルク市の維持を命じられた身。戦端を開いてから僅か一日で撤退など……」
エーファ氏は即座に市長の提案を否定したが、その態度は及び腰だ。うちのカルレラ市もそうだが、都市の有力者の権威ってのは結構デカいんだよな。領主やその一族でも、アゴで使うことはできない。むしろ、一定の配慮は必要なのだ。彼女としても、あまり市長に対しては強く出られないようだった。まあ、市民の協力なしに籠城戦なんかできないしな。当然と言えば当然だ。
「確かにそれはその通りでありましょうが、状況が変わりました。自分も市民兵を率いて幾度となく従軍した身、いくさのイロハはそれなりに心得ております。その経験から言わせてもらえば……城壁を破られれば、どのような堅城も保持は難しい! 軍事的な常識で考えても、レンブルクに固執するのは被害ばかり増える悪手ですぞ」
市長は恐ろしい形相でそう言った。自分の街が廃墟と化すかどうかの瀬戸際なのだ。彼女も必死だった。
「一理ある……だが」
エーファ氏は難しい表情で首を左右に振る。こちらに対してはロクでもない態度を見せた彼女だが、軍人として最低限の義務感はあるらしい。まあ、わずか一日で都市を落とされたとあれば、自分の立場が怪しくなってしまう、という部分も多々あるのだろうが。
「はっきり言いますが、この戦いはミュリン家側から仕掛けてきたものです。当然ですが、リースベ……ブロンダン家としては、領土的野心など全くありません」
とはいえ、こっちは時間稼ぎなんかされちゃ困る立場なんだよな。だから僕は、エーファ氏の背中を押すことにした。
「もちろん、この街を我がものにしようという気持ちもありません。飛び地の統治には難儀しますからね。しかし、この街を手に入れたいと思っている人間も、こちらにはいます」
僕はちらりと、後ろを振り返った。我々が交渉をしている指揮本部の後方では、フル武装をしたディーゼル軍の兵士たちがズラリと整列していた。……ま、ディーゼル軍からしたら、この街は是非とも欲しいだろうね。ここを手に入れれば、ミュリンの喉元に常にナイフを突きつけ続けることができるようになる。
「現状で停戦となれば、レンブルク市の戦いにおける戦果はリースベン軍の総取り。ディーゼル家が口を挟む権利はありません。しかし、都市内部に進撃するとなると……そうはいきません。彼女らの力も借りざるを得ないでしょう」
「……つまり逆に言えば、現状で幕引きすれば後々レンブルクは帰ってくる可能性があると?」
光明を得た表情で、エーファ氏が聞いてきた。彼女も、本音を言えばわれわれとはこれ以上戦いたくはないのだろう。
「ええ。むろん、和平交渉の内容次第ですが」
僕は頷いた。実際、僕としてはレンブルクを延々と占領し続けるつもりはなかった。レンブルク市はあくまでミュリン家の本拠地ミューリア市の盾となるべく建設された都市だ。それ以外の価値などない。ミュリン家が相応の対価を出してくるのならば、返還したって別に構わないのだ。
ま、ディーゼル家としちゃ面白くない決着だろうがね。しかしさきほども言ったことだが、ディーゼル軍は今のところこの戦いにはまったく関与していないのだ。レンブルク市の占領はあくまでリースベン軍の戦果であり、ディーゼル家が口を挟む権利は一切ない。
「……承知いたしました。レンブルクの今後について交渉に応じるつもりがある、ということを書面で確約してくれるのであれば、撤退に応じましょう」
レンブルク市がディーゼル家のモノになる事態だけは避けたいのだろう。結局、しばらく逡巡した後エーファ氏は頷いた。よーし、よし。その程度の条件で決着なら上々だ。守備兵を無傷のまま逃がすのは少々痛いが、ここで時間を浪費する方がもっとマズイ。僕はにっこりと笑って、エーファ氏と握手をした。
結局のところ、所詮はレンブルク市の戦いなど前哨戦に過ぎないのだ。さっさと終わらせるのが第一で、その他のことは気にする必要はない。謝罪や賠償などを求めるのは全部が終わってからでも遅くはないだろう。




