第437話 くっころ男騎士と市街地戦
ヴァルマの警告を受け僕の不安は増すばかりだったが、だからといって「やっぱ作戦中止!」などといって領地に戻るわけにはいかない。進軍準備を急ピッチで終わらせ、我々はミュリン領へと進撃を開始した。
この辺りの地域には広大な平原が広がっており、越境攻撃とはいっても視覚的には何の変化もない。目に入るものと言えば海のように広がる麦の刈田(刈畑?)とちょっとした丘や川くらいだった。これほど部隊を動かしやすい地形もあまりない。
ただ、僕としても数千人規模の部隊を指揮するのは初めてのことだ。ただ進撃を命じているだけなのに、大小のトラブルが頻発した。たとえば"停止"と"出発"の合図がごちゃ混ぜになって部隊同士が物理的に衝突したり、野営地の設営場所が被って喧嘩が発生したり……とにかく大変だった。
これらの問題の解決に僕は死ぬほど神経をすり減らすことになったが、それでも進軍自体はスムーズに進んだ。無論、ミュリン軍も我々の進撃を指をくわえて見ていたわけではない。軽騎兵や猟兵などを用いて強行偵察や補給路への攻撃などを仕掛けてきたが、大した規模ではなかったため容易に撃退することができた。
「敵の動きが鈍いな……」
街道の端に設営した天幕の下で、僕はそう呟いた。現在、部隊には大休止を命じている。視線を天幕の外へ移せば、豆茶や香草茶などを片手に体を休めている兵士たちが何人もいた。敵地でなんと悠長な、と思われるかもしれないが、兵士だって人間だからな。定期的に心身を休ませてやらねば、あっという間に消耗して戦闘力が低下してしまう。兵にキチンと休息を取らせるのも、指揮官の仕事だった。
とはいえ、それはあくまで兵士の話。頭脳労働者たる指揮官には、ゆっくりピクニックを楽しんでいる余裕などなかった。指揮卓の上にはこの辺りの地図がデンとおかれ、参謀たちが斥候隊や偵察隊の報告をもとにアレコレ情報を書き加えている。
「敵の主力はいまだにミュリン領首都ミューリア市にいるようですね。相変わらず、諸侯軍の受け入れを続けているようです。ギリギリまで戦力の増強を続ける構えですね」
「農村部は見殺しか……」
ソニアの考察に、僕は腕組みをしながら唸った。なにしろこの辺りは麦畑ばかりだから、農村の数も多い。すでに我々は複数の村を制圧下においていた。正直なところ農村など捨て置いて敵の重要拠点を叩きたいのだが、補給路の維持を考えればそういうわけにもいかない。農民の中に敵のゲリラ部隊が混ざっていたら大事になるからな。
そういうこちらの事情が分かっているから、あえてミュリン家は農村の守りを放棄しているのだろう。こちらが農村部をチマチマ制圧しているうちに、軍の体勢を整える算段なのだ。その証拠に、農村部の穀物庫は軒並み焼き払われてしまっていた。おかげで食料の現地調達もままならない有様だ。焦土戦術というほど苛烈ではないにしろ、やはり厄介である。
収穫したばかりの麦を燃やされてしまった農民たちの怒りはたいへんなもので、その慰撫にも時間が奪われた。敵国の農民なんか放置でいいだろ、と言われそうだが、そういうわけにもいかん。ミュリン領の農民が野盗化してズューデンベルグ領になだれ込んだら大事だ。なにしろ今は軍の主力が出征中だからな。どうしても、ズューデンベルグ本土の守りは薄くなっている。食い詰め農民程度でも結構な脅威だった。
「能動的に迎撃するつもりはないと見える。これじゃ、オオカミどころかカメだな」
アガーテ氏が露骨に揶揄する口調で言った。確かにその通りだが、馬鹿にしてばかりもいられない。ミュリン家にとってはこの戦いは存亡をかけた決戦だろうが、我々にとっては皇帝軍と本格的にぶつかる前の前哨戦だ。この一戦だけに全リソースをぶち込むわけにはいかなかった。
おそらく、イルメンガルド氏は我々のその弱点を理解している。作戦をズューデンベルグ領への侵攻から自国での防衛に切り替えたのがその証拠だ。以前の作戦のままノコノコと国境付近まで主力を進出させてくれば、話はもっと簡単だったんだがな。どうやらそういうわけにはいかないらしい。やはり一筋縄ではいかない婆さんだ。
「おそらく、ミュリン軍が最初の防衛線を張るのはここだ」
そういってアガーテ氏は地図上の一点を指さした。敵首都ミューリア市の手前にある街、レンブルク市だ。平原ばかりのこの地域には珍しく、レンブルク市の周辺は丘陵が多い。攻めがたく守りがたい地形、というわけだ。典型的な防御拠点だな。
「レンブルク市はなかなかの堅城だ。守備兵が少なくても、十分な防御力を発揮できる。過去のディーゼル軍による侵攻でも、このレンブルク市は一度たりとも陥落していないくらいだからな」
「そうして稼いだ時間で大軍を組織し、改めて決戦を挑む……そういう策じゃな?」
ロリババアの問いに、アガーテ氏は頷いた。
「明らかに、あのババアは現有戦力ではリースベン軍には勝てないと判断している。なら、こういう作戦に出るしか無かろうよ」
「迂回は?」
わざわざ敵の作戦に乗る必要はない。通過しにくいポイントは回避すればよいだけだ。しかし、アガーテ氏は渋い顔で首を左右に振った。
「それができるなら、ミューリア市には今頃ディーゼルの旗が翻ってるよ。ズューデンベルグ側からミューリア市へ向かおうとすれば、かならずこのレンブルクを通らなくてはならない。街道がそういう風に整備されてるんだ。迂回路が無いわけではないが……道が狭くて、とてもじゃないが大軍勢は通行できない。まさか、畑の中を突っ切っていくわけにはいかないからな」
兵士だけならば畑だろうが森だろうが踏破できるが、輸送を担う荷馬車隊の方はそれに追従することができない。軍隊の進軍ルートは、物流の枷によってどうしても限定されてしまうのだ。
「ふぅむ……長年ディーゼル軍と戦い続けてきただけはありますね。レンブルクでの一戦は避けられないということですか」
ソニアが小さく唸った。こちらとしてはさっさとミュリン家をシバき倒して屈服させたいのだが、なかなかそういうわけにはいかないようだ。
「街で一戦、か……都市戦なんぞには付き合いたくないな。兵士も物資も時間も食いつぶされてしまう」
僕の脳裏に、中東やアフリカの街中で武装組織とドンパチやらかした時の記憶がよみがえる。どれほど装備や練度で優越していても、都市部での戦闘ではおびただしい損害を被るのだ。好き好んでやるものではない。
「実際、こいつは厄介な問題だぞ。レンブルク市の市壁は抗魔付呪が施された立派な代物だ。うちのご先祖様が攻城魔法をブチこんでも、ビクともしなかったという逸話が残っている。まともに攻略しようと思えば、一か月や二か月の攻囲は覚悟しなきゃならん」
皮肉気な様子で、アガーテ氏がそう言った。抗魔付呪というのは、魔力を拡散させて魔法の効き目を減衰させる技術のことだ。魔装甲冑のように物理的な強度が上がる訳ではないが、代わりに壁や城などの大型建造物にも施術可能というメリットがある。石壁などはもともと頑丈なので、攻城魔法にのみ絞った対策でも十分に効果を発揮する。
まあ、我々には関係のない話だがね。物理的な強度が上がっていない以上、大砲に対しては普通の石壁と同じ程度の防御力しか発揮できない訳だからな。こういう事態に備えて、僕は攻城砲としても使える大型の野砲を持ってきている。壁そのものは、大した脅威にはならない……。
「あっ」
そこで、ふと気づいた。僕とアガーテ氏の間には、随分と認識の差がある。僕が言っている都市戦とは、街中で実施されるゲリラ戦のことだ。そしてアガーテ氏の想像しているのは、城や街を大軍で取り囲む典型的な攻囲戦の方だろう。戦闘の形態としては、両者はまったく異なる代物だ。
考えてみれば当然のことだ。強力な火砲が生まれる前の攻城戦というのは、数か月以上もの期間包囲を続けるのが一般的という凄まじく辛い持久戦である。とうぜん壁を突破される頃には守備兵側も消耗しきっており、ここからさらに組織的な反撃を続けるのは困難を極める。市内に敵がなだれ込んできた時点ですでに実質的な決着がついている場合がほとんどだということだ。
思い返してみれば、去年の王都内乱も彼我共にずいぶんとぎこちない戦い方になってしまっていた。大軍同士が都市内で戦い合うという状況そのものが珍しいため、戦術のノウハウが蓄積されていなかったせいだ。
「ふむ……」
今回の戦いでは、時間は我々の敵だ。出来るだけ早く進撃し、敵の本丸を叩かねばならない。そして敵もそれを理解しているから、籠城での持久戦を選ぼうとしている。その選択自体は、なんの間違いもない。だが、僕と一般的なこの世界の指揮官では、市街地戦の捉え方に大きな差がある。もしかしたら、ここに事態を打開する鍵があるかもしれない……。
「ソニア、砲兵隊の隊長を呼んでくれ。少しばかり、試してみたい作戦があるんだ」




