第436話 くっころ男騎士と覇王系妹
その後、僕たちはミュリン領へ侵攻するための最終準備を行った。もともと味方領内での迎撃戦を想定して準備をしていたというのに、いきなり敵領内に侵攻することになったわけだからな。どうしても、多少の混乱は発生する。特に食料や弾薬などの補給関連は破綻するとマジでシャレにならないからな。急いでいるとはいえ、疎かにはできなかった。
「はぁ……」
それでもなんとか昼のうちに仕事を終わらせ、僕は野営地の片隅でため息をついていた。すでに日は沈み、あたりは真っ暗になっている。もう一度ため息をついてから、木製のジョッキに満杯入ったビールを一気に飲み干した。ビールといっても、リースベンで作られている燕麦ビールとはまったく味が違う。大麦麦芽とホップで作られた、馴染みのある風味のものだ。疲れた体によく染みる、うまいビールだった。
「お疲れですわね~、いたわって差し上げましょうか? ベッドで」
などとのたまうのは、対面の席に座ったヴァルマだった。普段であればこのような発言には即座にソニアによる鉄拳制裁が返ってくるのだが、残念なことにこの場には彼女はいなかった。ディーゼル軍の幹部たちとの打ち合わせがまだ終わっていないのだ。
だが、ソニアがいなくても僕には大変に頼りになる専属護衛がいる。背後を振り返って、控えていたネェルに目配せをした。ひと家族が一週間以上をかけて食べるようなバカでかいパン塊を小脇に抱えてムシャムシャしていた彼女は、ぐいと体を乗り出してヴァルマを威圧する。
「お触り、セクハラ、厳禁です。おーけい?」
「けちんぼ~」
常人であればネェルにひと睨みされただけで腰を抜かすほどビビるのが普通なのだが、残念ながらヴァルマは常人ではなかった。顔色も変えず唇を尖らせ、子供のような文句を吐く始末。ヴァルマの辞書に恐怖や怯えなどという文字はないのである。
「駄姉の姿が見えないので大喜びしてたのに、まさかもっと厄介な手合いがついてくるとは思いませんでしたわ~」
「お前とサシ飲みなんて勘弁願いたいからね……」
昔から事あるごとに僕を手籠めにしようとしてきたのがこのヴァルマという女だった。ソニアによる庇護が無ければ、僕の貞操はとっくにこのアホに奪われていたことだろう。警戒するなというほうが無理があった。
……まあ実際のところ、僕個人としてはコイツのことを嫌っているわけではないんだがな。手籠めにされかけたとは言っても、怖い思いをしたことはないし。責任を取る気もあったみたいだし。やりたい放題の傍若無人女に見えて、意外と筋は通す女なのだ、こいつは。
「ひどいコト言いますわねぇ~、未来の旦那様に向かって」
「僕はソニアとアデライドの二人と結婚する予定なんだけど……」
まあその二人だけでは済まなくなってるけどね、実際。どうしてこうなった。
「姉の物はわたくし様のモノ。わたくし様のモノはわたくし様のモノですわ~。駄姉の夫はわたくし様の夫でもありましてよ~」
どこのガキ大将だよお前は。呆れながら、二杯目のビールをゴクゴクと飲む。そして、つまみの茹でたソーセージを一口食べた。
「おいしそう、ですね。ネェルにも、一口、ください」
「あいよ」
我が家のカマキリちゃんがニュッと首を伸ばしてきたので、フォークに刺さったままの残りのソーセージを食わせてやる。一口と言っても、なにしろネェルの口はデカいので一本まるまる消失してしまった。しかし、当人は悪びれもせず「おいしー」とご満悦である。
「仲良しでうらやましいですわね~、わたくし様にもソーセージくださいまし~……あ、下についてる方のソーセージでもよろしくってよ~」
イヤらしい視線を僕の下半身に向けつつ、ヴァルマはそんなことをのたまう。アデライドも大概だがこいつも相当なセクハラ気質である。ネェルが無言でアホの頭をシバいた。パコンといい音がして、ヴァルマはテーブル上で撃沈する。
「い、いってぇ~ですわ~、駄姉の三割増しでいってぇ~ですわ~。パワーがダンチですわ~……」
そりゃあね、体格が違うからね。いくら怪力自慢の竜人でも、体重が十倍以上あるような相手では抗しようがない。僕は苦笑しながら、うつ伏せに倒れ込んだヴァルマの前にヒョイとソーセージを差し出してやった。彼女は顔をあげてそれにかぶりつき、ビールで喉奥に流し込む。
「はぁ~、うんめぇ~ですわ~、やっぱり愛する男と飲む酒が一番うんめぇ~ですわ~」
……こういうセリフをナチュラルに吐いてくるのが、ヴァルマという女である。僕は少しばかり赤面して、顔を逸らした。いかんいかん、僕はもうすぐ人夫になる立場なのだ。こんなことで動揺していては、ソニアらに申し訳が立たない。
「しっかし、アレですわね~」
そんなこちらのことなどお構いなしの様子で、ヴァルマはビールをがぶがぶと飲んだ。スオラハティ家の人間は酒が弱い者が多いのだが、こいつだけは例外的に大酒のみなのである。
「二年ばかり見ないうちにまあ、アルのところも人材豊富になっちゃって。そんな強そうな護衛まで引き連れてるし」
そういって、アホはネェルのほうをチラリと見た。
「正直めっちゃ羨ましいですわ~。アルの部下じゃなきゃ引き抜きをかけてるところですわ~」
「おや。お誘い、してくれないのですか? 案外、コロッと、鞍替え、するかも、しれませんよ?」
ニヤッと笑って、ネェルが鎌を掲げて見せる。やめてください、君が引き抜かれたら僕は泣いちゃいます。
「だめだめ。わたくし様はたしかにチョー優良上官ですけれども、こんなドスケベ男騎士と並んだら流石に分が悪いですわ~。わたくし様がアナタの立場だったら、一も二もなくこのドエロ男の方を選びますわ~」
「真理、ですね」
ウンウンと頷くのはやめなさい、ネェルさん。誰がドスケベ男騎士ですか。
「ま、わたくし様はわたくし様の方で頑張らなきゃダメですわね~。国ひとつ作ろうと思えば、優秀な人材はナンボ居てもたりませんわ~」
「まーたお前はそんなことを言う……」
昔からこいつはこうなのだ。自分は王になるのだと言ってはばからない。乱世ならまだしも、今は太平の世。はっきり言ってコイツの考え方は危険思想だ。……まあ、この頃はどうにもコイツに時代が追い付きつつあるような気がして怖いがね。嫌な感じだよ、まったく。
「他人事みたいな顔してますけど、現状アルのほうがよほどわたくし様より国獲りっぽいムーブしてますわよ~? 人にアレコレ言う資格はないんじゃなくって~?」
「……」
痛い所ついてくるね、君は。僕には全くそういう気はないのだが、どうにも王家はそういう感じで僕たちを見ているような風情がある。困るよね、マジで。
「だからこそ、わたくしも負けてられませんわ~。アルよりでっかい国を作るなり獲るなりして、二人で連合王国を築きますの。素敵ですわよね~、国がわたくし様たちの結婚指輪ですわ~」
「おっそろしいこと言うんじゃないよ」
僕は思わず顔をしかめた。ひどい冗談だと笑い飛ばしたいところなのだが、コイツの場合は明らかに本気なんだよな。
「……わざわざ南部までやってきたのも、国獲りの一環か?」
ノール辺境領は、厳しい土地だ。冬になれば何もかもが凍り付いてしまうし、夏になってもそれほど気温は上がらないので作物の育ちも悪い。自分の国を作ろうと思っているのならば、その矛先を豊かな南部に向けるというのも自然な流れだろう。
「んー、まあそういう下心がないとは言いませんけど」
ところが、ヴァルマの反応は鈍かった。フォークの先端でソーセージをいじりつつ、こちらを見てニヤリと笑う。
「今回の場合は、我が夫たるアルの援護……という部分が一番大きいですわ~。なにしろ、これから始まるのはとんでもない大戦ですもの。旦那様としては、愛する夫の安全を優先するというのは当然のことですわ~」
「…………旦那様云々はさておき、まあ確かにお前の助勢は有難いよ。助かる」
騎兵戦力の不足は、リースベン軍最大の泣き所だったのだ。ヴァルマの騎兵隊がいれば、そのあたりの諸問題は完全に解決できる。対ミュリン戦に限って言えば、もはやほとんど不安はないといっても差支えがないほどだ。
「実際、神聖帝国は大国だからな。王太子殿下が何を考えているのかは知らないが、戦いは彼女の思うほど容易には進まないだろうね」
「ですわ~。あの王太子、明らかに戦争をナメてますもの」
不敬極まりない発言をしてから、ヴァルマはジョッキのビールを一気に飲み干した。
「ぷはっ、あーおいし……。それに、苦労して神聖帝国を倒したら、すぐに対ガレア戦が始まりますわ。今のうちにしっかり準備しておかないと、いくらアルでも足元をすくわれますわよ~?」
「……ッ!?」
ヴァルマの発言に、僕は思わずジョッキを取り落としそうになった。
「なぁにを驚いてますの。戦略と戦術は満点なのに、政略がだめだめなのは相変わらずですわねぇ」
眉を跳ね上げながら、ヴァルマは呆れたような口調でそう言う。……実際僕は政治面はダメダメなので、反論はしづらいな。
「いいですの? アル。あのフランセットという女は、腹心の反乱で国がひっくり返りかける光景を間近で見た人間ですわ~。そしてそれを、力で強引に鎮圧するところも見ている……。あの女もわたくし様には言われたくはないでしょうけれども、真っ当な経験を積む前にこんな成功体験をしてしまった人間はキケンでしてよ~」
「むぅ……」
僕は思わず腕組みをした。ヴァルマの言わんとしていることは理解できるが……。
「世の中には、暴力で、解決できない、ことは、たくさん、あります。でも、王太子殿下とやらは、それを理解できていない。そういうこと、ですか?」
いつの間にかパン塊を食べ終わり、タルから直接ビールを飲んでいたネェルが質問した。感心した様子で、ヴァルマが頷く。
「その通りですわ~。この無駄な戦争も、おそらくはその一環。これが終わったら、次の矛先はアルやわたくし様の方向に向きますわよ~。なにしろあの女は、"腹心の裏切り"には大変に敏感になっていると思いますし~。スオラハティ家やらカスタニエ家やらを信頼できるはずがありませんわ~」
「一理ある……」
僕は暗澹たる気分になってため息をついた。もし本当に殿下がそんな危険な思想に染まっているとすれば、王国の未来は決して明るくはないだろう。
「ま、杞憂で終わったらその時はその時ですわ~。とりあえず危機には備える、これが肝心でしてよ~」
ニッコリ笑って、ヴァルマはそう言った。僕としては、頷くしかない。最悪の事態に備えるのが軍人の責務だからだ。
「そういう状況だからこそ得られるものもありますしね? わたくし様としては、結構楽しみですわ~。ワンチャン、ガレアの王冠が転がって来たりしないかしら~」
……やっぱこいつ危険人物だわ。僕は呆れながら、ビールのお代わりを自分のジョッキに注いだ。