第435話 くっころ男騎士と軍議
言うまでもない話だが、戦争が起きると土地が荒れる。田畑は軍靴でめちゃくちゃに踏み荒らされ、戦死者の遺体は汚染源となって疫病の類をまき散らす。さらに何の生産活動にも寄与しない大集団が滞在することにより、地域の食料品が食いつくされてしまうという問題も無視はできない。鉄道もトラックも無いような状況では、食料品の多くは現地調達に頼らざるを得ないからだ。産業革命以前の軍隊というものは、ほとんどイナゴの集団のようなものだった。
そういうわけで、土地に根付いた存在である領邦領主からすれば自分の領地を戦場にするなどとんでもないことである。戦争の惨禍はできることならば敵国へ押し付けたい、そう思うのが普通だ。残酷な話だが、僕としてもそれは同感だった。リースベンの食料庫であるズューデンベルグ領が荒廃してしまっては困るのだ。
「ミュリン軍はどう出てきますかね。どうやら動きが鈍いようですが」
夕刻。張られたばかりの天幕の下で、僕はそう聞いた。ズューデンベルグ市を発って二日、我々はシュワルツァードブルク市郊外に陣を張っていた。
ディーゼル家自慢の農業都市の近郊だけあって、周囲には地平線の彼方まで続く広大な麦畑が広がっている。まあ麦畑といっても、今は冬麦の収穫が終わったばかりの時期なのであまりそれらしい光景ではないが。
本来の作戦計画、|青色計画では、この都市の間近で防衛線を張ってミュリン軍を迎撃だった。結局青色計画は廃案になってしまったわけだが。政治上の不都合がないのならば、わざわざ味方の領地を戦火に晒す意味はない。まあ、ミュリン軍の進撃が早かった場合は、そうはいかないのだが。
ところが、イルメンガルドの婆さんが慌てて帰還したにも関わらず、当のミュリン軍の動きは鈍かった。今のところズューデンベルグ領内に敵軍が侵入したという報告は入っていない。これは少しばかり意外だった。自国領を戦場にしたくないのは、向こうも同じだと思うのだが……。
「我々と同様に、ミュリン家にも皇帝軍への参加命令が来ていることだろう。おそらく、状況を利用して自軍の戦力を増やしているものと思われる」
そう答えるのは軍装姿のアガーテ氏だった。なにやら面倒なことになってしまったとはいえ、この戦いの本質はディーゼル家の防衛戦争だ。我々はディーゼル家と連合軍を形成し、戦いの準備を進めていた。
少しばかり視線を逸らせば、天幕の外ではブロンダン家の旗とディーゼル家の旗が並んではためいている。一年前のちょうど今頃、両家は全力でぶつかり合っていた。それがこうして連合を組んでいるのだから、なんとも感慨深い話だ。
……ちなみに、その隣には〇に十字の紋章、いわゆる轡十字紋の旗も掲揚されている。僕としては、リースベン軍はブロンダン家の私兵ではないという意識がある(ブロンダン軍と名乗っていないのはそのためだ)。そのため、ブロンダン家の家紋である青薔薇をそのままリースベン軍の軍旗として使うのにも抵抗があった。そこで、エルフ内戦への介入時に使ったこのマークをそのままリースベン軍の紋章として採用したのだ。
「前も話したが、ミュリン家が独力で動かせる戦力は民兵や傭兵などを加えても千六百がせいぜい。リースベン軍が全軍出撃をした以上、これでは兵力上圧倒的に劣勢だ」
「リースベン軍だけで千二百名ですからね。それにディーゼル軍とヴァルマの騎兵隊を加えれば三千名近くなる」
「……なんだかやたらと頭数が多いなと思っていたが、そんなに居るのかリースベン軍」
「ええ、なんか……気付いたらめちゃくちゃ増えてて。まあ、半分くらいはエルフ兵、アリンコ兵、鳥人兵です」
なんで常備軍だけでそんなに抱えてるんだろうね、ウチは。城伯が保有していい兵力じゃねえぞ。そんなんだから王家から怪しまれるし、食料自給率も上がらないんだ。反省したいところだったが、状況を考えればこれ以上の軍縮もできない。難しい所だ。
「……ネズミじゃあるまいに、兵隊がそんな勢いで増えるのはなんかおかしいだろ」
アガーテ氏は小さく呟いて、首を左右に振った。僕もそう思う。
「出来ることならば、頭数の多さを生かして圧殺したいところじゃがの。そうはいかんのじゃろ?」
そんな指摘をするのはダライヤだ。彼女は片手にハチミツのタップリかかった白パンを持っており、口の周りはべたべただった。行軍中とはいえ、ここは大穀倉地帯ズューデンベルグ。食料事情はリースベン本土よりも遥かに改善していた。それをいいことに、このロリババアは飽食の限りを尽くしているのである。
「ああ。千六百という数は、あくまでミュリン家独自の戦力だ。実際の兵数は、リースベンに対して危機感を持つ領主なんかを抱き込んでさらに膨れ上がっている。それに加え、王国の侵攻と皇帝軍の結成だ。王国軍の南部からの進行を防ぐため、という名目で更なる戦力増強を行っているようだな。ミュリン領の首都、ミューリア市の近くには四千だか五千だかの兵士が集まっている、という話を聞いている」
名目とはいうが、実際ガレア貴族である我々が南部から侵攻しようとしているのだから何も間違ってはいない。僕は苦い笑みを浮かべ、香草茶を一口飲んだ。
「兵力的に見ればこちらは劣勢なまま、というわけですね」
面倒だな、と言わんばかりの様子でソニアが肩をすくめた。相手よりも多くの兵力を集める、これが戦いの基本だ。いくらこちらの方が兵士や兵器の質で優越しているとはいえ、やはり出来ることならば兵力的にも互角以上の状態で戦いたいものだが。
「一応、名目という点ならばこちらにも使える手はあります。主様は、王太子殿下直々に南部方面軍司令に任命されているわけですからね。指揮権を預けられた南部諸侯らの力を借り、ミュリン伯の軍勢を正面から打ち砕く……そういうプランはいかがでしょうか」
ジルベルトの指摘に、僕は頷いた。実際、フランセット殿下の命令を考えれば、そちらのプランのほうが正攻法と言える。ミュリン伯を倒す云々は我々とディーゼル家の事情であって、王家から下された命令はあくまで帝国側南部諸侯に対する陽動なのだ。
「確かに、そういう手もある。……ただ、時間がかかりすぎるのが難点だな。ガレア側の諸侯軍の集結を待っていたら、おそらくは半月近くはこちらも行動を起こせなくなってしまう。こちらの体勢が整うのはいいが、相手側も万全の状態になってしまうだろう」
ジルベルトのプランの場合、おそらく戦いは万単位の軍勢同士がぶつかり合うような大規模会戦になる。個人的には、ちょっと美味しくない展開だ。彼我の兵力が増えれば増えるほど、我々の戦力の中核であるライフル兵や砲兵と言った火力部隊の仕事が増えていくからな。最悪の場合、一度の戦いで弾薬を使い果たしてしまう可能性すらある。
事態は既に、ミュリン家を屈服させればそれでお終い……などという単純な話ではなくなっている。対ミュリン戦が終わった後も、戦いは続くだろう。弾薬はできるだけ温存する必要があった。
「僕としては、現有戦力で今のミュリン家を全力で叩くプランのほうが有効だと思う。確かに兵力的に見れば敵の方が上だが、まだミュリン軍は戦力の集結が終わっていないんだ。足並みをそろえるための最低限の訓練すらまだ実施できていないはず。現有戦力だけで進撃し、いまだ態勢の整わぬ敵野戦軍に決戦を強いるのが上策ではないかと僕は考える」
連携の取れない大集団などというものは、実際のところ大した脅威ではない。無数の諸侯の寄り合い所帯となればなおさらだ。一方こちらは僅か三軍の連合だ。意思決定にかかる時間は向こうの比ではなく早い。これは結構なアドバンテージだろう
「ま、たかだか四千だか五千だかの烏合の衆だ。諸君らにかかれば、前菜にもならん程度の敵だろう?」
あえて挑発的な口調で言ってやると、リースベン軍の面々はニヤッと笑って頷いてくれた。それを見たアガーテ氏が、苦笑しながら肩をすくめる。
「ま、リースベン戦争の時よりはいくぶんマシな兵力差だな、アンタならなんとかしちまうだろうさ。安心して勝ち馬に乗らせてもらおうじゃないか」
ま、実際あの時よりは兵力差は少ないがね。とはいえ、状況は予断を許さない。ミュリン軍など、本当にたんなる前菜に過ぎないのだ。この後には更なる大物も控えている。この程度の戦いなど、危なげなく勝てるようでなければ先が思いやられるだろう。まったく、困ったものだ……。




