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第433話 ナンパ王太子の野心

「さて、今頃はアルベールに例の書状が届いている頃かな」


 指揮卓の上で頬杖を突きながら、余、フランセット・ドゥ・ヴァロワはそう呟いた。ここは神聖帝国との国境にほど近い街、ルクス市。その領主屋敷にある、一番上等な客間だ。

 余は王軍を率い、この街に滞在していた。諸侯の軍勢も続々と集結しており、郊外に設営した野営地には様々な旗がたなびいている。なんとも胸躍る光景だった。余の号令一つで、この大軍団が憎き神聖帝国になだれ込むのだ……。


「彼が南部諸侯を押さえてくれるなら、こちらは随分と楽になる。北の方はスオラハティに丸投げすればいいしな……」


 地図を指先でなぞりながら、つぶやく。あえて気だるげに聞こえるように言ったが、内心は少しばかり緊張していた。我がガレア王国と神聖オルト帝国は宿敵同士といって差し支えない関係だったが、少なくともここ数十年は小競り合い程度の小さな紛争しか起きていなかった。

 最後に両国が正面からぶつかり合ったのは、我が祖母……国王陛下がまだ王位を継承する前の話だ。当時の話は、何度も聞かされている。なかなかひどいいくさだったそうだ。結局その戦いでは我々は敗北し、くだんのレーヌ市をはじめとしていくつもの街や権益を失ってしまった。祖母が戦乱を嫌うのは、きっとその敗戦のトラウマのせいなのだろう。


「北部と南部の諸侯がそれぞれ釘付けになっているのであれば、動けるのは皇帝とその周りの諸侯だけ。容易いいくさになりそうですね」


 そう言って笑うのは、フィオレンツァ司教だった。余はこの頃、この胡散臭い女とよく行動を共にするようになっていた。フィオレンツァが信用ならぬ女であることは、余も理解している。だがその洞察力や、星導教のネットワークを生かした情報収集力はたいへんに有用だった。余の目指す目標を達成するためには、このような輩でもうまく活用せねばならない。そう思って、傍に置いている。


「南部の抑えができるようになったのが大きい。あそこはいままで、こちらの方が劣勢な地域だったからね」


 南部地域のパワーバランスに関しては、長年我が国の頭痛のタネになっていた。帝国側は例のミュリン家をはじめとしていくつもの有力諸侯を抱えているというのに、我が国側の南部諸侯は小粒なものばかりしかいない。帝国側が、『肥料もいらぬ肥沃な大地』とも称される黒土地帯を占有しているせいだ。麦の収量の違いが、国力にも露骨に影響を与えている。


「あのミュリン家とやらが極めつけの間抜けでよかったよ。命令を出すまでもなく、リースベン軍は既に臨戦態勢という話じゃないか。南部はあっという間に片がつくかもしれない」


 まさに天祐だ。そんなことを想いながら、余はクスクスと笑った。ブロンダン家とミュリン家の間で起きたいざこざについては、アルベール本人から来た報告書を読んで知っている。敵ながら、ミュリン伯爵とやらには同情するよ。皇帝軍の介入を恐れる必要がなくなった今、アルベールはなんの遠慮もなくかの領邦を蹂躙するだろう。

 そしてその戦果は、見せしめとしても機能する。ミュリン伯爵は南部ではそれなりの大物として扱われているそうだ。それがたちどころにやられてしまったとあれば、帝国の南部諸侯は何かにつけて皇帝からの参戦要求を嫌がるようになることだろう。そうなれば、皇帝軍の戦力は大幅に低下する。


「これもすべては極星のお導きでしょう。殿下の行かれる道は祝福されている、ということです」


 いかにも聖職者らしい言葉を胡散臭い笑みと共に吐き出すフィオレンツァ。余は大きく息を吐いて、視線を彼女から外した。……余もまだまだ未熟だ。この程度の見え透いたお世辞で、浮ついた気分になってしまうとは。


「ふん……このくらいでなければ、むしろ困るというものさ。国王陛下の不興を買ってまで、大急ぎで軍備を整えたんだ。"敵"の態勢が整う前に叩き潰さねば」


 余は持てる限りの政治力をもってして、冬のうちに王軍の改革を進めていた。国庫が目減りするのも厭わず火器類や火薬を増産し、王軍の各部隊に配備した。そしてアルベールのもたらした教本を用いて、必要な教育も施している。戦いの準備は万全と言っていい。

 戦争全般を嫌っている国王陛下からはなんども苦言を呈されてしまったが、構うものか。去年の王都内乱のせいで、陛下の権威はたいへんに低下してしまっている。嘆かわしい話ではあるが、余からすれば好都合であった。祖母は平時の名君ではあったが、時代は既に乱世と化し始めている。そろそろ世代交代が必要だろう。


「それに、レーヌ市奪還など所詮は言い訳。皇帝軍がしばらく行動不能になればそれで良い。調子に乗って深入りして、大やけどなんてした日には大事だ。あまりおだてないで欲しいものだね」


「ふふ、確かにその通りですね。殿下が目指しているのは、あくまで国家と民草の安寧。覇道などはお望みではないでしょう」


「当たり前だ。あのスオラハティのバカ娘などと一緒にされは困るよ」


 王家の使者が襲撃された先日の忌まわしい事件を思い出し、余は思わず顔をしかめた。ヴァルマ・スオラハティがろくでもない輩だというのは知っていたが、あそこまでひどいとは。やはり、宰相一派は王家の風下に立つ気などさらさらないと見える。


「我が国最大の敵は内側に巣食う寄生虫どもなのだ、優先すべきは領土拡大などではない。しかし、内憂を先に除こうとすれば外患がちょっかいを出してくる。だから、仕方なく外患を先に斬る……それだけさ」


「各個撃破、というわけですね」


「そうだ。万が一宰相派と神聖帝国が手を結べば、王家単独で対抗するのはまず不可能だからね。手始めに神聖帝国を懲罰し、ついでに宰相派諸侯の戦力も削る。一石二鳥の策だ」


 フィオレンツァの言葉に、余は頷く。脳裏に浮かぶのは、あの忌まわしい守銭奴宰相の顔だ。カネの力で貴族に成り上がり、高貴なる者の義務ノブリス・オブリージュも果たさぬ我が国の面汚し。かの女は今やリースベンに居座り、主人のようにふるまっていると聞く。

 自分の力で平定したわけでもない国を婚姻で奪い取るとは、なんたる悪党だろうか。アルベールという男を骨の髄までしゃぶる気がなければ、このような恥知らずな真似はすまい。とても許せるようなものではなかった。

 そして、我が王家の現状はよろしくない。北部はスオラハティの庭だし、南部では宰相一派が地盤を固めつつある。さらに言えば、宮廷政治もオレアン公が失脚したせいで宰相派が主流になりつつあるのだから目も当てられない。

 何もかもが宰相の思い通りに動いている。こうなるともう、オレアン公爵家の暴走すら宰相の差し金だったのではないかと思えてくるから恐ろしい。ヴァロワ王家は余の代で滅ぶのではないか。そう思わずにはいられない状況だった。


「とにかく、宰相一派の排除が一番の急務だ。少なくともこの点で、我々の利害は一致している。そうだね?」


「ええ。わたくしとしても、あのような輩に大切なアルベールさんが汚されるのは許せぬことですから。王太子殿下には、なんとしても宰相閣下を止めて頂きたい。そのためならば、どのような苦労も厭うつもりはございません」


 胸に手を当てながら、司教は一礼する。胡散臭い女だが、アルベールを想う気持ちだけはホンモノのように思える。だからこそ、余は彼女を重用するようになったのだ。……余とて、あの男は少ないのだから。我が求婚を断るアルベールの声を思い出し、余は心がきゅっと締め付けられるような気分になった。彼を宰相の呪縛から解き放ってやらねばならぬ。


「よろしい。利害が一致している限りは、そちらの思惑にも乗ってやろう。だが、仕事だけはきちんと果してもらうぞ」


 司教には、いくつかの仕事を任せていた。たとえば、帝国領内の情報収集だ。星導教は国境を越えた情報ネットワークをもっており、この手の仕事はお手のものだった。


「お任せあれ、殿下。……ああ、そうそう。仕事と言えば、スオラハティ家内部の調略のほうも順調ですよ。ご安心ください」


「へぇ? それは朗報だね。駄目で元々の作戦だが、上手くいきそうなのかな」


 その言葉に、余は目を丸くした。宰相のカスタニエ家は文民であり、独自の戦力を保有していない。彼女の武力の源泉はスオラハティ家とブロンダン家だ。その一角を崩せるのならば、作戦は遥かにスムーズになる。


「カステヘルミ様の次女、マリッタ様はアルベールさんを嫌っておりますからね。とうぜん、彼を重用する宰相閣下のことも良くは思っておりません。味方に引き入れるのは容易い事でした」


「マリッタ・スオラハティか……」


 ソニアがブロンダン家に嫁ぐことが決まった今、次期ノール辺境伯と目されるようになった人物のことを思い出し、余は視線をさ迷わせる。


「アルベールに姉を取られた、と思っているという話だったな」


「はい。彼女はソニアをたいへんに慕っておりますからね。母と姉をたぶらかし、スオラハティ家を滅茶苦茶にした悪男。アルベールさんのことをそうののしっておりましたよ」


「……まあ、そう言いたくなる気持ちはわかるが」


 余はあの素朴な男のことを思い出しながら、ため息をつく。勘違いされやすい男だ。マリッタが判断を誤るのも致し方のない話だろう。だが、黒幕は彼ではなく宰相なのだ。


「アルベールを救うために、アルベールを嫌うものの力を借りる……か。なんとも皮肉なものだ……」

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