第429話 くっころ男騎士の決断
イルメンガルド氏は、僕たちの返答も聞かずに帰路についた。リースベン・ミュリン間の旅路は山越えを含む過酷なルートだ。カルレラ市で一泊もせずにとんぼ返りというのは、かなりの急行軍といっていい。七十の老人がとるような旅程ではなかった。
それでもあえてイルメンガルド氏が強引にカルレラ市から離れたのは、これ以上我々と交渉をする気はないという決意表明だろう。リースベン軍が参戦しようがするまいが、ミュリン家はズューデンベルグに侵攻する。僕たちが皇帝軍の介入を恐れてこの戦争に参戦しなければ彼女の勝ち、すれば負け。そういう博打なのだ。覚悟ガンギマリにもほどがあるだろ。
まあ、何にせよ際は投げられてしまった。状況の主導権はイルメンガルド氏が握っており、我々はそれに対応することしかできない。僕は急いでリースベンの幹部たちを招集し、緊急会議を開くことにした。
「ミュリン軍のズューデンベルグ侵攻が確定的になった」
並み居る部下たちを見回しながら、僕は努めて落ち着いた口調でそう言った。内心は頭を抱えたいような気分だったが、指揮官が本音を露わにするわけにはいかない。既定路線ですよ、みたいな顔をして胸を張る。
「去年は敵国だったズューデンベルグだが、今や我々の友邦だ。見捨てることはできない」
そんなことを言いつつ、ちらりと会議室の端に座るカリーナを盗み見る。故郷が戦場になるのだ。落ち着いてはいられまい。そう思ったのだが……カリーナは口を一文字に結び、真剣な表情でこちらを見ている。少なくとも外見上、うろたえている様子は一切なかった。……まったく、この子も強くなったものだ。心が少しだけ軽くなった気分で、僕は視線を彼女から外した。
「状況は急を要す。とはいえ、あまり派手に動いてガレア王家や神聖帝国の皇帝家を刺激することは避けたい。そこで予定通り、作戦は青色計画を採用しようと思うが……皆の意見を聞きたい」
「青色計画……防衛主体の限定戦争プランですね」
ソニアが僕の言葉を補足した。僕たちはミュリン家との戦争のためにいくつかの戦争計画書を作成していたが、青色計画はその中でも最も穏当な作戦計画だ。
「そうだ。戦場をズューデンベルグ領内に限定し、防衛のみを行う。ミュリン領内には一歩も踏み込まない。追撃もナシだ。下手な動きをすれば侵略行動と取られ、皇帝軍の出陣を誘発しかねないからな」
神聖帝国は国を名乗っているが、実態は対外防衛同盟である。普段は諸侯がバラバラに動いて皇帝すら統制を取れないような状況だが、一たび外敵からの侵略があれば皇帝の号令一下諸侯が集結し、強大な皇帝軍が編制される。この皇帝軍は我々王国軍と真正面からぶつかり合えるだけの戦力を持っており、いかなリースベン軍でもマトモに戦えば勝ち目はないのだ。僕としては、絶対に戦いたくない相手である。
「つまり一度ん戦いで相手を殲滅せねばならんちゅうことじゃな。面白か」
グッと手を握り締めながらそんなことを言うのはフェザリアである。どうにもアンネリーエ氏の件がいまだに尾を引いているらしく、彼女の戦意は旺盛どころの話ではなかった。僕の隣に座ったロリババアが、半目になりながら「そこまでしろとは言っとらんじゃろうが……」などと呟いている。
「しかしそれで皇帝家は納得してくれるのかね? 外部勢力が神聖帝国領域内で戦闘をしていることには変わりないわけだが……それに、ミュリン家はそれなりに歴史のある家だ。皇帝家や選定侯家にもそれなりのツテがあるはず。そんな家が全力で皇帝軍の出陣を要請するんだ。まったく無視される、ということは考えづらいやもしれん」
引きつった表情で、アデライドが指摘する。本気で勘弁してくれと思っている様子だ。とはいえ、ここでディーゼルを見捨てるわけにもいかんのよな。イルメンガルド氏の取引に乗るのは論外だ。たしかにそれによって得られる利益は少なくないが、裏切りの代償は高くつくと相場が決まっている。リスクを冒しても、ここは救援を出すべきだと僕は判断していた。
いや、本音で言えばかなりイヤだけどな。マジでリスクが大きすぎる。下手すりゃリースベンが滅ぶかもしれん。ただ、事態は急激に進行している。「どうしよう、どうしよう」とワアワア騒いでいては肝心な機を逃してしまう。とりあえず方針を定め、あとは腹を据えてそれを実行していくのが最適解だ。
「それにガレア王室の件もある……。この頃、どうにも王宮ではきな臭い空気が漂っているんだ。なにやら、戦の準備としか思えない動きも観測されている。もしかしたら、こちらの一連の出来事を我々が南部で独立国家を作ろうとしている、と判断しているのかもしれん」
「我々に対する討伐軍を組織している、と? ……考えたくありませんね」
ソニアが吐き捨てるような口調で言った。僕も同感だったが、軍人が思考停止するわけにもいかん。一応、本当に最悪な状況に陥った場合の計画も準備しているが……王国軍と皇帝軍が同時に敵にまわるような事態になれば、まず勝ち目はない。本当に参ったな。
「こういうことは言いたくないが、事態を静観するのが一番リスクの少ない選択かもしれない。ミュリン家が一切約束を守らなかった場合でも、少なくともリースベンが滅ぶような事態は起こらないからね」
カリーナの方を見ながら、アデライドは消極策を口にする。こういうことは言いたくない、というのは本音だろう。彼女の顔には悲痛な色があった。
「それに、ディーゼル軍にはアリ虫人たちの傭兵団が参加している。彼女らは優秀な兵士たちだよ。ミュリン軍の騎士にも見劣りしないだろう。まだ負けると決まったわけでは……」
アデライドの言葉には言い訳じみた色があった。確かにアリンコ兵は優秀だが、劣勢をひっくり返せるほどの数は派遣していない。あまり多くの兵士を派遣しすぎると、リースベン軍本隊が出兵していると判断されかねないからだった。
……僕としては、敗色濃厚な戦いに自軍の兵士を突っ込みたくはない。もしディーゼル家に手を貸さないということになれば、アリンコ傭兵団には撤収を命じるほかないということだ。中途半端な増援などは送らない方がはるかにマシだからな。
「わ……私のことは、気にしないでください。私は、カリーナ・ブロンダンですから……一番大切なのは、ディーゼルではなく、ブロンダンです。どちらか一方を選ばねばならないというなら、後者を選びます」
カリーナは、心が締め付けられるような声音でそう言った。僕は思わず奥歯をかみしめ、彼女から視線を外してしまう。嫌だねぇ。本当に嫌だ。己の前途を投げ捨ててまで母を守った少女に、家族を見捨てるような言葉を吐かせてしまうとは。こういうことにならないよう、戦争を回避すべく動いていたのに……あの婆さんのせいで滅茶苦茶だ。
「良う言うた。カリーナ、お前はもう一人前のぼっけもんじゃ」
そんな彼女の肩を、フェザリアが叩いた。
「アデライドどん、今さらごちゃごちゃ抜かすたぁ雄々しか。ミュリンは生意気にもこちらを試そうとしちょる。ここで引いたや永遠に舐めらるっ羽目になっど!」
「……」
滅ぼされるくらいならナメられたほうがマシだろこの野蛮人が! などと言いたそうな様子で、アデライドはそっぽを向いた。まあ、アデライド的にはそうだろうね。僕としては、どっちの意見も理解できる。自分が討ち死にするのは構わないが、意固地になって領民を危険にさらすのは軍人の本分にももとるしな。難しい問題だ……。
「アデライド、アナタの懸念も理解できる。だが、そのための青色計画だ。それに、幸いにもこちらにも皇帝家へのツテがある。一方的にミュリン家の思惑通りに事が進むことはないだろう」
そんなアデライドを、ソニアが窘めた。僕は彼女に便乗して頷く。神聖帝国の先代皇帝、アレクシアことアーちゃんとは定期的に文通を交わす仲だ。彼女とて浮世の義理は無視できまいが、交渉の窓口としてはかなり役に立つ。しかも彼女は、リースベン軍の実力をその身をもって知っているのだ。好き好んで僕たちと戦おうとは思わないだろう。
「それに、ミュリン家がこちらとの約束を守らなかった場合、穀物の輸入が途絶える事態も考えられるしな。そうなればこの半島は飢餓の時代に逆戻りだ。それだけは容認できないね。食料はこちらの命綱、そんな生命線を不信感を抱いている相手に握らせたくはない」
「……確かにその通りだな。致し方あるまい、ズューデンベルグ出兵を認めよう。政治面ではできるだけのことはするから、軍事のことは任せたぞ」
アデライドの言葉に、僕は深く頷いた。
「よし、決まりだな。予定通り、リースベン軍は最低限の守備部隊を残して全軍を出撃させる! 今頃ミュリン軍はすでに行動を開始しているはずだ。一秒たりとも無駄にはできないぞ、急げ!」




