第428話 くっころ男騎士と老狼騎士の来訪(2)
「我々は近々、大きな獲物を狙いに行く。一人では食いきれないような大物さ。……そこで、ご近所さんにも分け前を、と思ってね」
イルメンガルド氏のその言葉に、僕は暗澹たる気分にならざるを得なかった。アガーテ氏の警告通り、やはりミュリンは戦意を失っていないらしい。
「迂遠な言い方をしますね」
僕はあえて、思っていることとは正反対の言葉を口にした。
「己の力量にあった獲物を狙うというのも、ハンターにとっては重要な資質ですよ。身の程を知らない狩人はあっという間に狩られる側へと転落しますからね」
「身の程は知ってるつもりさ。獲物は既に牙を折られている、もはや羊と同じさ。厄介な羊飼いさえいなければ、一方的に食い物にされて終わるだけだ」
深々とため息をついてから、僕は香草茶を飲んだ。緊張からか、口の中が乾いていた。さあて、どうしたものか。戦争はしたくない。ミュリン家に負ける気はまったくないが、その後ろに居る皇帝家の出方次第ではとんでもない大戦争が始まってしまう。大戦の引き金を引くような真似は御免被るんだが……。
「君たちは、その羊飼いに向かって『獲物を共有しよう』だなどと言っているわけだがね。随分と滑稽な真似をするじゃないか」
皮肉げな笑みを浮かべつつ、アデライドが肩をすくめる。
「で……その分け前とやらは一体どのようなシロモノなのかね? 生半可な対価では、むしろ損失の方が多そうな取引だが」
「シュワルツァードブルク市周辺の公有耕作地の地権、そしてそこで働いている農民の賦役権……この二つだ。悪かない取引だと思うよ」
そう言いながら、イルメンガルド氏は従者に視線を送った。従者は無言で頷き、カバンから一枚の羊皮紙を取り出してテーブルの上に置いた。……そこに書かれていた内容は、驚くべきものだった。ミュリン家がシュワルツァードブルク市を制圧した暁には先ほどイルメンガルド氏が言った通りの諸権利を僕に譲渡する、という内容の契約書だ。
公有耕作地とは名前の通り領主が所有する畑だ。農業都市であるシュワルツァードブルク市の周辺には、凄まじい面積の公有耕作地がある。ここで得られる麦こそが、現在のディーゼル家を支える柱なのだ。賦役権……つまり農民を働かせる権利もセットでこれを譲渡するというのは、そのままあの大穀倉地帯の農業利権そのものを手放すに等しい。
「……ずいぶんと太っ腹じゃないか」
さすがのアデライドも、これには額に冷や汗を浮かべた。これだけの権利を放棄してしまったら、ミュリン家が得られるはずだった侵略のうまみなどほとんど消失してしまうだろう。
「これだけの肥沃な麦畑があれば、リースベンの領民たちも小麦のパンが食べられるようになるぞ。どうだね、ブロンダン卿。領民思いのアンタには嬉しいプレゼントだと思うが」
「手元にない商品を売っぱらう気かね? 信用取引といえば聞こえはいいが、一歩間違えば詐欺師だぞ。あまり感心しないやり口だ……なあ、アル」
「その通り」
僕は頷いてから、香草茶を飲みほした。頭の中では、すでにいざ開戦となった場合について考えている。皇帝が介入しなければ……話は簡単だ。ズューデンベルグ領やミュリン領のような平原ではライフル兵や砲兵の火力をいかんなく発揮することができる。
一応、冬のうちから戦争の準備自体は進めていたのだ。大急ぎで火器類を増産したおかげで、蛮族兵以外の歩兵のほとんどにライフルを配備することができた。それに加え、野戦砲や迫撃砲なども定数が揃っている。
対するミュリン軍は槍とクロスボウを主力とする旧態依然とした編制で、怖いのは騎兵くらい。しかもその騎兵隊も、壊滅前のディーゼル軍に劣る水準なのだから、大したことは無い。肝心の兵数も、こちらの二倍とか三倍とかいう無体な数ではないのだ。順当に戦えば順当に勝てる、そういう相手である。
やはり問題は、皇帝家の介入とガレア王家の誤解だ。皇帝が「これは外敵による侵略である」と一声かければ、普段はいがみ合っている帝国諸侯も団結する。万単位の軍が差し向けられれば、さすがのリースベン軍もかなり厳しい。少なくとも、ズューデンベルグ領は間違いなく失陥する。
そして後者に関してはもっとマズイ。リースベンが周辺の諸侯を巻き込んで独立国家を作ろうとしている、などと勘違いされたら大事どころでは済まない。我々は反乱軍の烙印を押され、討伐軍を差し向けられることとなるだろう。
「むろん領民にはいいモノを食べてもらいたいですがね。薄汚い手段で得た麦を偉そうに配るのは僕の趣味ではありませんよ」
正直、戦いたくない。めっちゃ戦いたくない。いざ開戦となった時の不確定要素とリスクがあまりにも大きすぎる。ディーゼル軍が独力でミュリン軍を撃退できれば何の問題もないのだが、おそらくそれは難しい。ディーゼル軍はリースベン戦争で基幹戦力を失っている。往時の戦闘力を取り戻すには何年もの時間が必要だろう。
そこを穴埋めするためにアリンコ傭兵団を派遣しているわけだが、あまり多くの兵士を派遣すると実質的に参戦しているようなものになってしまう。それならば最初から堂々と正式参戦したほうがマシなのだが……ううむ。
「それに、あそこは既に我々の庭だからね。我が物顔で荒らしたあげく、恩着せがましく"分け前"だなんだと称するのはやめてもらおう。君たちの行為そのものが私たちには迷惑なんだ」
「ブロンダン家に損害を与えるつもりはない」
その辺りの塩梅がわかっているから、イルメンガルド氏はいまだ希望を捨てていないのだろう。彼女は強い意志の籠った目つきで、僕たちをじっと見つめてくる。
「ディーゼル家の負債は、すべてウチが受け継ごう。関税、通行税の撤廃。安価な固定相場による麦の取引。賠償金の支払い……大変結構だ。ディーゼルの変わりはミュリンが務める。なんなら、もっと良い条件の取引に改定してもいいさ」
「ずいぶんと太っ腹だねぇ。ディーゼル家には、だいぶふっかけた自覚があるんだが。下手をすれば、侵略で得られる利益を食いつぶしてしまうかもしれないぞ」
冗談めかした口調で、アデライドはそう言った。実際、侵略というのはそれほど割りの良い商売ではないのだ。得たばかりの領地はだいたい戦闘によって荒廃しており、おまけに現地民はたいてい非協力的だ。こういう状態の土地はほとんど不良債権のようなもので、持っているだけでは利益どころか損失になるばかりなのである。
「別に構わないよ」
その辺りの事情を、老練なイルメンガルド氏が知らぬはずもない。この程度の反論など想定済みだろう。案の定、彼女はにやりと笑って言い返してくる。
「勘違いされると困るからね、先に言っておく。あたしたちが求めているのは、ズューデンベルグという領地じゃあない。安心さ」
「安心……」
僕は思わず顔をしかめそうになった。やはり、アガーテ氏の想定が当たっていたようだ。厄介な話だ。自存自衛のため、という大義名分ほど崩しにくいものはない。
「いまでこそ哀れな獲物にすぎないディーゼルだが、十年後二十年後となれば話は変わってくるだろう」
そう言って、イルメンガルド氏は目を逸らした。
「ズューデンベルグ市に来るのは十年ぶりだったが……あの頃より、よほど景気がよさそうじゃないか。とても致命的な敗戦を喫した国の街とは思えなかった……。あの調子で領邦が発展してみろ、ディーゼル兵が噂の鉄砲やら大砲やらを装備しはじめる日も遠くないはずだ。そうなれば、今度は我々が奴らの獲物になる……」
「……」
「そうなる前に、ディーゼルを滅ぼす……ミュリンの生き残る道はそれしかない」
堅い口調で、イルメンガルド氏はそう断言する。そんなことはあり得ない、とは断言できなかった。ディーゼル家とて、ミュリン家にはかなりの恨みを持っている様子だった。力関係が露骨に逆転してしまった場合、逆襲に出ないという保証はない。
「頼む、ブロンダン卿。別に、我々の側で参戦してくれと言っているわけじゃあないんだ。ただ、黙認してくれるだけでいい。ディーゼルが助けてくれと言っても耳をふさいで、そっぽを向いていればそれで万事解決さ。取引の相手が、いけ好かない牛女どもからあたしたちにかわるだけ。ただそれだけだ」
得手勝手なことを言ってくれる。僕は強い酒を飲みたい気分になった。しかし、重要な交渉中に酔っぱらうわけにもいかない。仕方なく、口に茶菓子の干し芋をねじ込んだ。
「ディーゼルはおそらく、ブロンダン家への臣従を求めているだろう? ディーゼル滅亡の暁には、代わりにミュリンがそちらに臣従したってかまわない。これはあくまで、生き残るための戦争だ。勢力を拡大したいわけじゃあない。身の程はわきまえるさ。ディーゼルの代わりに靴や尻を舐めろってんなら、従うまでさ……」
「ほう、そこまで言いますか」
胃と頭が痛くなってきたが、我慢して顔に不敵な笑みを張り付ける。戦争も交渉も、気圧されたら負けだ。
「たいへんな覚悟だ。感服いたしました。……しかし、あなたの娘や孫はどう思うでしょうか? 戦って負けたのならまだしも、ただ傍観していただけの我々に頭を垂れて尻尾を振る? いくらなんでも弱気が過ぎる。そう思うのが自然です。ましてや、あのアンネリーエ殿はずいぶんと反骨心の強いお方のようですからね。不平等な関係を是正すべく、戦争を挑んでくる可能性は実に高いでしょう」
「……」
イルメンガルド氏は無表情に僕の言葉を受け止めた。やはりそこを突いてくるか、とでも考えているのだろう。
「こちらはディーゼル家前当主の娘まで貰ってるんです、今頃ミュリンに乗り換えなどできませんよ。……ディーゼル家には、ミュリン領を攻めぬよう念押ししておきます。それでなんとか、矛を収めていただきたい」
「……信用できないね。そちらがウチの孫を信用できないのと同じくらいには」
「だろうね。しかし、信用できない相手との握手も時には必要だ。違うかね? ミュリン殿」
アデライドが眉間にしわを寄せながらそう言った。頭の固いババアめ、と内心ののしっている表情だ。
「相手がディーゼルのことでなければ、頷けたがね」
お互いの主張は平行線だ。これはもう駄目そうだな。戦争は避けられない。いや、そもそもズューデンベルグ領を経済圏に組み込んでしまった時点で、回避不能な戦争だったのかもしれない。まったく、勘弁してほしいだろ……。
「いいかい、ブロンダン卿、カスタニエ殿。アンタたちが何と言おうと、我々はディーゼルを滅ぼす。邪魔だてするのなら、どんな手段を用いてでも皇帝家を戦争に巻き込んでやる。いかにリースベン軍でも、万単位の軍勢と戦うのは荷が重いだろう? 皇帝軍が到着する頃にはミュリン家は滅んでいるだろうが、構うことは無い。死なば諸共、という奴さ」
やはり、そこを突いてくるか。今度はこちらがそう思う番だった。僕とアデライドは顔を見合わせ、揃ってため息をつく。
「とにかく、リースベン軍は動かさないでくれ。この一点さえ守ってくれるなら、こちらも約束は果たす。ディーゼルから得られるはずだった利益は、すべてミュリンが肩代わりする。広い麦畑だってくれてやる。番犬にだってなってやる。そうとう良い条件だと思うがね、コイツは」
不味そうに香草茶を飲み干して、イルメンガルド氏は乱暴な手つきでカップをテーブルに置いた。
「だいたいからして、ディーゼルの連中はアンタたちに対しても理不尽な戦争を仕掛けてきた相手なんだよ。義理立てする必要はない。あたしからいわせりゃ、ミュリンのほうがよほど信用できる家だと思うがね」
いや、それはどうかな……どっちもどっちじゃないかな……。僕は出会った当初のカリーナとアンネリーエ氏を思い出し、比べてみた。たぶん、後者の方がひどかったように思う。
「伯爵閣下、我々は……」
とにかく何か言い返そうと口を開いたが、イルメンガルド氏は首を左右に振ってそれを押しとどめた。
「もはや、言葉は不要だ。あんたらがどういう選択をしても、我々がやることは何も変わらないからね。あたしゃもう帰るよ。出陣の準備をしなきゃいけない。あたしの最後のいくさだ。せいぜい、華々しい戦いぶりをみせてやるさ」
それだけ言い捨てて、イルメンガルド氏は応接室から去って行ってしまった。残された僕たちは、揃ってため息をつくことしかできなかった。……ああ、戦争だ。また戦争が始まる。




