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第427話 くっころ男騎士と老狼騎士の来訪(1)

 予定通りの日程を終え、僕たちはリースベンに帰還した。アンネリーエ氏の一件以降はトラブルらしいトラブルもなかったのは大変に結構なのだが、まるで嵐の前の静けさのようで却って不気味に感じてしまう。アガーテ氏の確信めいた口ぶりが、耳の奥にこびりついていた。

 しかし、それはそれとして日常の仕事から手を抜くわけにはいかない。一人だけお留守番をさせられたせいで不機嫌になったアデライドに脇腹を突っつかれまくりつつ、僕は溜まりにたまった執務をなんとか消化していった。

 ……むろん、その裏ではアガーテ氏の助言に従い、裏で軍を実戦態勢に移すことも忘れない。冬頃には一通りの戦争計画は立てていたので、そのあたりは大変にスムーズに進んだ。できれば取り越し苦労で終わってほしかった準備ではあるが、どうにもそう都合よくはいかない雰囲気である。マジで勘弁してほしい。

 とはいえ、軍の準備は順調でも政治のほうはそう簡単にはいかない。ディーゼル家とミュリン家がいざ開戦となっても、それは神聖帝国内の話だ。ガレア貴族である僕たちが介入しても大丈夫なのかと言えば、正直だいぶ怪しい。こればかりは、王家の判断待ちである。一応報告も兼ねて王太子殿下に書状を送りはしていたのだが、今のところマトモな返信はない。なしのつぶてという奴だ。こちらもこちらで、何やらきな臭い雰囲気だった。


「お待たせした、ブロンダン卿」


 そして、僕がリースベンに戻ってきた五日後。カルレラ市にミュリン伯イルメンガルド氏がやってきた。最低限の護衛だけを引き連れた、ひっそりとした来訪だった。もちろん、歓迎の式典などもない。なにしろ来訪の理由が孫の不始末の謝罪だ。派手な出迎えなどしては、却って失礼というものだろう。

 ちなみになぜ伯爵の来訪が僕から五日も遅れたからといえば、謝罪金の用意をしていたからだ。今回の謝罪金は結構な額で、いかに大貴族とはいえポケットマネーでポンと出せるようなものではなかったのだ。……よくもまあ、単なる侮辱でそんな額を引っ張れたものだ。ロリババアさまさまである。


「ようこそいらっしゃいました、伯爵閣下。手狭な場所で申し訳ありませんが、精一杯歓迎させていただきます」


 僕はそう言って、イルメンガルド氏を領主屋敷の応接室に案内した。手狭というと謙遜に聞こえるが、マジで手狭なので仕方が無い。なにしろこの自称城な木造建築は、かつての代官屋敷をそのまま流用しているのだ。城伯を名乗る貴族の本拠地としては、あまりにも狭くて素朴すぎる。なんなら、田舎の領主騎士が根城にしている粗末な砦のほうが余程城らしい見た目をしているくらいだ。

 イルメンガルド氏はかなり困惑している様子だったが、流石に口には出さなかった。まあ、孫が舌禍でひどい目に遭ったばかりなのだ。余計なことは言わないだろう。言いたいことは手に取るようにわかるがね。……はあ、いい加減この屋敷も建て替えなりなんなりしなきゃいけないな。


「それでは、改めてご挨拶をしよう。リースベン城伯アルベールの婚約者にして、ガレア王国宮中伯・宰相のアデライド・カスタニエだ」


 僕の隣に座ったアデライドが、尊大な口調で名乗りつつイルメンガルド氏と握手をした。その顔には、社交用の笑顔が張り付いている。しかし笑っているのは顔だけで目には冷徹な光が宿っているものだから、大変に威圧感のある表情だ。意識的にこれやっているのだから、やはり交渉事におけるアデライドは強い。


「王国の重鎮にお目通りできるとは、なんとも光栄な話だね。できればもっとめでたい機会にお会いしたかったよ」


 一方、イルメンガルド氏のほうは苦み走った様子だった。まあ、それも致し方のないことだろう。手ごわい相手の前で、致命的な隙を晒しているのだ。真剣を用いた勝負でなくとも、致命的であることには変わりがない。流石の老練な領主殿も、この状況で形勢の逆転を狙うのは難しかろう。

 型通りの挨拶が終わった後、イルメンガルド氏は謝罪と弁明を始める。これはまあ、予定通り。和解交渉は既に妥結しているのだから、特筆すべきことはない。「うちの孫が申し訳ありませんでした」「子供のやったことですから」……そんなやり取りをして、謝罪金を貰う。それでお終いだった。

 それはいい。問題は、その後だ。当主自らが老骨に鞭打ち、山を越えてまでリースベンにやってきたのにはそれなりの理由があるはずだ。アガーテ氏の警告の件もある。自然と、応接室には濃密な緊張感が漂い始めていた。


「……そういえば」


 僕は、従者がカネを持って部屋を出ていったのを確認してから口を開いた。僕としては、ミュリン家と直接矛を交えるような事態は避けたいのだ。確かにミュリン軍が相手ならば負けるつもりはないが、ガレア王家やら神聖帝国の皇帝家やら、厄介な不確定要素はいくらでもある。そしてそれらを抜きにしても、戦いが始まれば兵は死傷するし戦費もかかる。無駄な戦は厳に慎むべきだ。


「アンネリーエ殿の様子はいかがでしょうか? ずいぶんと憔悴されている様子だったので、心配していたのですが」


 例のオオカミ娘とは、あの一件以降一度も顔を合わせていない。今頃はおそらく、領地に送還され自室に監禁されていることだろう。彼女に課せられた蟄居(ちっきょ)という罰はたいへんに厳しいもので、実質的な監禁刑だ。風呂や排泄のためですら部屋から出ることを許されないのだから、下手な刑務所よりもツライ。自業自得とはいえ、あの娘も可哀想なものだ……。


「……さあてね、よくわからん」


 難しい表情で、イルメンガルド氏は首を左右に振った。香草茶で口を湿らせ、ため息をつく。


「しょげかえってるのは確かだがね。あれほど泣いているあの子を見たのは、赤ん坊の時以来だ。家人に聞いた話では、寝ションベンまでするようになってしまったとか。あのエルフとカマキリ虫人が、よほど怖かったらしい。まあ、あの子は明らかに増長していたからね。いい薬さ……」


 あの小生意気なガキが、そこまで弱ってるのか。流石に可哀想になって来たな。厳しくやり過ぎたか? とはいえ、こちらもナメられるわけにもいかんからな。あまり甘い態度も取れないし……。


「とはいえ、ああいう子だからね。それが反省に繋がってくれるのかは、正直わからん。とにかく、ブロンダン卿を逆恨みしたりはするなと言い聞かせてあるが。……これ以上そちらにご迷惑をかけるようなことは無いよう徹底するから、安心してほしいね」


 老騎士はそう言ってまたため息をつく。この時ばかりは、やり手の老領主ではなく跳ねっかえりの孫に心を痛める祖母という風情の表情だった。流石に少し哀れになって、僕はアデライドと顔を見合わせた。僕らも領主貴族だ。他人事ではない。まかり間違えば、十数年後には僕らが彼女と同じ立場になっている可能性もある。


「まあ、成人したとはいえ十五ではまだ子供と変わらないからねぇ。今後の成長に期待しようじゃないか」


 手をひらひらと振りながら、アデライドは鷹揚な口調で言う。たしかにそれはその通りで、十五歳といえば反抗期の真っ最中だろう。このくらいの年齢の子供が暴走して馬鹿な真似をするなどというのは、前世でもよくある話だった。甘すぎる対応を取るのは本人のためにもならないだろうが、さりとて目くじらを立てすぎるのも大人げない。

 ……まあ実際はめくじらを立てるどころか一人ぶっ殺しちゃってるんだけど、こっちは。とはいえ、それについて謝る気はない。貴族の名誉は命より重いのだ。公衆の面前であんなことを言い放ったら、エルフならずとも流血沙汰になる。フェザリアの問題点は、下命を待たず実力行使をしたというその一点だけだ。


「謝罪を受けた以上、こちらとしてもこれ以上彼女を責める気はありません。僕はミュリン家からの謝罪を受け入れ、アンネリーエ殿を許しました。これでこの話はお終いです。そのことについては、アンネリーエ殿にきちんとお伝えしておいていただきたい」


「もちろんだ。ブロンダン家の寛大な処置に感謝する」


 そう言って、イルメンガルド氏は深々と頭を下げた。本音か皮肉かは、いまいちわからん。こっちはミュリン家の有力な騎士を一人殺害しちゃってるわけだからな。むこうとしても、思うところはそりゃああるだろ。


「ま、済んだ話さ。頭を上げてくれたまえ」


 僕は微妙な気分になっていたが、アデライドのほうはどこ吹く風だ。あくまで自分は被害者ですよ、という態度を崩さないまま偉そうな口調でそう言ってのける。現場にいたわけでもないのにこの態度はだいぶ凄い。これくらい面の皮が厚くないと、宮廷で政治家などやってられないのかもしれない。


「所詮は終わった話だ。それよりも、あの有名なミュリン伯どのと縁を持てた幸運のほうが喜ばしい。あなたの御高名は、とおくガレア王宮にまで届いているからね。一度お会いしたいと思っていたんだ」


 アデライドはニコニコ顔でそんなことを言うが、これはリップサービスだ。実際のところ、彼女がイルメンガルド氏の名前を知ったのは、リースベン周辺の諸侯について調べていた時だった。僕も隣に居たのでよく覚えている。


「そうかいそうかい。あの(・・)カスタニエ宰相閣下に名前を憶えられていたとは、なんとも光栄な話だ」


 若いものであれば天狗になりそうなヨイショぶりだったが、そこは老練な領主どの。皮肉げな表情で受け流し、肩をすくめる。その手には乗らないぞ、という雰囲気だ。いやあ、怖いね。政治屋同士のさや当てってやつは……。僕は暴力一辺倒の人間なので、この辺りは全くついていけない。


「雨降って地固まる、というコトワザもある。あたしとしても、そちらとは建設的な関係を築きたいと思ってるのさ。……そういうわけで、一つ手土産代わりの儲け話を持ってきた。お気に召してもらえると嬉しいがね」


「儲け話」


 アデライドが弾んだ声を上げた。……が、声音とは裏腹に、その目つきは冷徹だ。自然な動きでこちらに目配せし、無言で「本題が来たぞ、気合を入れろ」と促してくる。


「そいつは素敵だ、ぜひお聞きしたいところだね」


 アデライドの実家、カスタニエ家は戦働きではなくカネの力で貴族に成り上がった家だ。……自然と、その当主であるアデライドには金の亡者だの守銭奴だのといった悪評が湧いて出てくる。イルメンガルド氏も、その辺りを勘案して作戦を立ててきたのだろう。


「我々は近々、大きな獲物を狙いに行く。一人では食いきれないような大物さ。……そこで、ご近所さんにも分け前を、と思ってね」


 ……大きな獲物、ね。考えるまでもない、ズューデンベルグ領のことだ。えらく直球で来たな、この婆さんは。それだけ焦っているということだろうか……。僕は目を細めながら、老狼騎士を一瞥する。彼女は、大一番に臨む博徒の表情で、僕の視線を傲然と受け止めた。

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