第425話 くっころ男騎士と信賞必罰
「はぁ……」
僕はため息をつきつつ、香草茶を一口飲んだ。せっかくの狩猟会なのに猟果はゼロだし、アホな小娘に絡まれて厄介なことになるし、まったく今日は厄日だ。無言でビスケットを口の中に放り込み、かみ砕く。ビスケットといっても、行軍中などによく食べるレンガみたいに硬い保存食ではない。柔らかくて甘い、お菓子としてのビスケットだ。この手の代物はぜいたく品なので、リースベンではなかなか食べる機会がない。
ミュリン家の連中との和解交渉を終えた僕たちはズューデンベルグ城に戻り、談話室でくつろいでいた。室内に居るのは、リースベンの関係者ばかりだ。使用人らは室外で待機しており、呼び鈴を鳴らすとやってくるシステムになっている。内輪の話をしやすいように、という心遣いらしい。何ともありがたい配慮だ。
「いやー、なかなか実りある取引じゃったのー」
憂鬱な僕とは反対に、ホクホク顔をしているのがダライヤだった。彼女は和解交渉において我々の側の交渉人を務めたのだが、そこは御年千歳のロリババア。田舎貴族の交渉人などではとても相手にならない。結局、ミュリン家はシャレにならない額の謝罪金を支払うこととなってしまった。
さらに、和解条件はそれだけではない。アンネリーエ氏の一か月間の蟄居(謹慎の一種。家どころか部屋からも出られない厳しい刑罰)と、イルメンガルド氏本人がリースベンへ直接出向いての改めての謝罪。この二点もだ。とはいっても、これはミュリン家側が持ち出した条件だった。……おそらく、後者に関しては謝罪にかこつけた会談の要請だな。まあ案の定"乗り換え"云々の話は流れてしまったので、ミュリン家側としては埋め合わせをしたいのだろう。厄介な話だ。とはいえ、まあ全体的に見ればこちら側の完全勝訴といっても差し支えのない内容ではあった。
しかし、アレだね。侮辱されてのこととはいえ、先に剣を抜いたのはこちらなんだけどね。十割向こう側が悪い感じに交渉がまとまったの、凄いよね。現代社会ならあり得ない話だろ。なんでそうなったかといえば、ヒトの命よりもメンツや名誉が重い貴族社会特有の事情と、ミュリン家より我々の側が優越した武力を持っている、という点が大きいんだが。なんとも野蛮な話だよな。
「どうせあぶく銭じゃ。ぱーっと使ってしまおうではないか。例えば芋焼酎の工場とか、のぉ? ぬふふふふ」
酒好き幼女は邪悪な笑みを浮かべつつ、ソロバン(に似たアナログ計算機)を弾いている。なるほど、いい考えだ。僕としても大賛成である。……まあ、我が家の金庫番が頷いてくれるかどうかと言えば、結構怪しいのだが。
「別に構わないけど、アデライドを丸め込む手は考えておいてくれよ? 最近やたらと散財に厳しいんだから、あの人……」
少し前まではねだればねだるだけカネを貸してくれたものだが、婚約が決まってからはそうはいかなくなった。釣れた魚には餌をやらないタイプなのか? と遠回しに聞いてみたら、「君の資金運用計画が予想の十倍くらいずさんだったせいなのだがねぇ!?」とキレられてしまった。かなしい。
「まったく、あ奴はカネモチのくせにケチンボでいかんのぉ」
腐っても大国の宰相閣下、アデライドはダライヤからしても容易い相手ではないらしい。彼女はフグのようにほっぺたを膨らませ、何やら思案を始めた。……本気で芋焼酎の工場を作りたいようだな。まあ、気分はわかるが。今のエルフ式芋焼酎はドラム缶よりも一回り小さいサイズの組み立て式蒸留器で作っているので、効率は悪いし風味にも問題がある。呑兵衛としては是非とも改善したいのだろう。
「うんうん、その通りだ……」
無責任な調子でロリババアに同調していると、ふとフェザリアが視界に入る。彼女は難しい表情で何かを思案しているようだった。おそらくは、自分がアンネリーエ氏に切りかかった件について考えているのだろう。さて、何か声をかけておいた方が良いだろうか。そう思ったのだが、僕が何かを言う前にフェザリアの方が口を開いた。
「アルベール。先ほどは申し訳なか。先走ったことをした」
やはり、先ほどの一件か。僕は小さく頷いた。彼女が勝手に剣を抜き、あげく一名を殺害してしまったのは事実だ。例の騎士の献身により最悪の事態は避けられたものの、もしあのままフェザリアがアンネリーエ氏を斬り殺していたら、ミュリン家の間で戦争が起こっていたかもしれない。直系の長子を殺害されたとあれば、ミュリン家もこちらに譲歩はできなくなるからな。
「うん、まあ……その話は、あとで二人っきりでしようと思ってたんだけど……」
僕は周囲を見回しながら、そう言った。褒める時は公衆の面前で、注意をするときは二人っきりで。それが僕の部下に対する向き合い方だ。公の場で相手のメンツを傷つければ、かなりシャレにならない事態が発生することがある。ちょうど、今回のようにな。
「いや、そいには及ばん。身体が勝手に動いてしもたど。すまん、アルベール。許してくれとは言わん。必要ならば腹も切ろう」
神妙な調子で、フェザリアはそう言った。せ、切腹かー。流石にそれはなー、貴重な友人兼幕僚兼蛮族どもの抑え役を、アホなガキの若さゆえの過ち程度で失うのはなー。勘弁願いたいよなー……。
「オルファンさん、流石にソイツは剣呑が過ぎますぜ。ここは穏当にエンコ詰めで……」
慌てた様子で、ゼラがどこからともなくまな板を取り出す。……え、なんで? なんでそんなモノ持ってるの? どこでも指を詰められるように? ええ……。
「命も指もいらないよ、冗談じゃない……」
なぜか普通な顔をしてまな板を受け取ろうとしたフェザリアを押しとどめ、僕はそう言った。
「確かに勝手に人を殺されちゃこまるよ。軍隊の本質は制御された暴力だ。独断、暴走を許すわけにはいかん」
軍隊という組織にあっては、統制こそがもっとも重要な要素と言っても良い。現場の暴走を容認してしまった結果、亡国に繋がるような大事件が発生してしまった例は枚挙にいとまがない。信賞必罰は徹底する必要があった。
ただ、流石に腹を切るのは……ねぇ? ちょっと厳しすぎるっていうか……。いやそういう面では確かにエンコ詰めはいいアイデアかもしれんが、なんとなく嫌。ヤクザみたいで嫌。軍隊はたしかにヤクザな組織だが、ヤクザに染まり切るのはアウトだ。現代軍人としての感覚がそう言っている。
まあ、そんなことを言ったのなら、交渉中にキレて相手側を殺害なんて真似は現代軍隊でやったら最悪銃殺モノだけどな。現代軍と封建軍、それぞれの都合のいい部分をつまみ食いしている自覚はあるよ。むぅぅん……。
「わたしが思うに、刑罰としては謹慎半月程度が適当ではないでしょうか? たしかに許可も得ず攻撃を仕掛けるのは戒められてしかるべき行為ですが、今回の場合は相手の非が大きいわけですし。貴族としては、あのような暴言を放置するわけにはいきません。流血沙汰に至ったのは必然でしょう」
僕とフェザリアを交互に見つつ、ソニアがそう提案する。どうやら、僕の心情を読んでくれたらしい。少し心が軽くなったような気分で、僕は頷いた。
「よし、それで行こう。リースベンに戻り次第、フェザリアは半月の謹慎。オーケイ?」
「……承知いたしもした。寛大な処分、感謝いたしもす」
フェザリアはピシリと姿勢を正し、深々と頭を下げた。まったく、こういう面では本当に真面目な人だよな。どこぞのいい加減なロリババアとは違うよ……。
「ひひ」
などと考えていると、当のロリババアがこちらをチラリと見てあくどい笑みを浮かべた。失礼なことを考えていたのはお見通しだぞ、と言わんばかりの態度である。かわいくねーロリだなあ。そういうとこ好き。
「さて、さて。それはさておきだ。問題は、イルメンガルド氏がこれからどういう手を打ってくるか、だ。孫が盛大に自爆をしてくれたおかげで、彼女の策はほぼ敗れたと見て間違いないだろうが……さりとて、すべて何もかも諦めてくれるとは思えん。何かしら新しい手を打ってくるはずだ。今のうちに、対策を考えておこうじゃないか」
僕は咳払いをしながら、部下たちを見回した。イルメンガルド氏は狩猟会が終わり次第、謝罪という名目でリースベンを訪れることになっている。おそらく、彼女はその場で改めて新しいアクションを仕掛けてくるはずだ。孫はアホだが、あの老狼騎士自身はなかなか手強い部類の相手である。孫というハンデが無い分、次のラウンドではさらに厄介にな策を仕掛けてくるかもしれない。優勢な今のうちに、対処法を考えておかねば……。




