第434話 くっころ男騎士と謝罪
「ばぁちゃん。やっぱりこいつら、取引に値する連中じゃないようだぜ。燕麦やらライ麦やらなんぞ、家畜の餌じゃねえか。そんなモノを食ってるような奴らは、ニンゲンじゃなくて畜生さ。恐れる必要なんざ……」
アンネリーエ氏の発した言葉は、たいへんにマズイものだった。他人の日常的な食べ物を罵倒するのは、親や子供を罵倒するのとほぼ同じような効果がある。ましてや家畜の餌呼ばわりともなれば、キレない方がおかしい。
そして僕たちの誰よりも早く、フェザリアはブチギレた。おそらく、これまでの経緯でずいぶんとフラストレーションが溜まっていたのだろう。彼女の行動は迅速だった。目にもとまらぬ速度で木剣を抜刀し、椅子を蹴倒して突撃する。ほとんど砲弾のような勢いの攻撃であり、気付いた時にはもう遅かった。
「……ッ!」
フェザリアは進路上のテーブルを薙ぎ払い、一直線にアンネリーエ氏へと襲い掛かる。当の愚かなオオカミ娘は、この突撃にロクな反応が出来なかった。己の剣の柄を握ることすらできず、目を見開いてフェザリアを見るばかり。それもまあ、致し方のないだろう。彼女は成人したばかりの若武者だ。経験が圧倒的に足りない。ウン百年を戦いに費やしてきたエルフの戦士からすれば、カカシと大差ない存在だった。
「お嬢様!」
ふがいない小娘の代わりに反応したのは、彼女の傍に侍っていた壮年のオオカミ獣人騎士だった。騎士は長剣を抜き、アンネリーエ氏を庇って前に出る。見事な反応速度ではあったが、遅きに失していた。彼女が剣を構えるより早く、フェザリアの木剣が騎士の身体を一刀両断にしていた。血しぶきが舞い、悲鳴が上がる。フェザリアは路傍の石でも蹴り飛ばすような様子で騎士の死体を跳ね飛ばし、本命への攻撃を継続しようとする……!
「とまれ、フェザリア!」
そこで、僕は大慌てでそう叫んだ。その時にはもうフェザリアは剣を振っていたが、なんとか間に合った。木剣はアンネリーエ氏の首を斬り飛ばすギリギリのところで停止する。側面に打ち込まれた黒曜石の刃はオオカミ娘の首筋へとわずかに食い込み、微かに血を流させていた。
「ひいっ、あっ……」
こんな目に遭ったのは生まれて初めてなのだろう。アンネリーエ氏は自分の首に食い込みかかった木剣をチラリと見て顔色を失い、腰を抜かした。その時になってやっとミュリン家の他の護衛騎士たちも動き始め、剣を抜く。それを見たソニアやジルベルトなども、対抗するように剣を構えた。一触即発の気配だ。
「フェザリア、戻れ。この件の責任を取るべき人間はそんな小娘ではない」
僕は意識して殺気立った表情を作り、イルメンガルド氏を睨みつけつつ言った。先に剣を抜いたのはこちら側だが、謝るつもりは毛頭なかった。なにしろ、当主の孫から直接「リースベン人は家畜の餌を食べている畜生だ」と言われてしまったのだ。甘い対応はとれない。
この世界の貴族社会では己の名誉は己の力で守るべし、とされている。公衆の面前で罵倒されたような場合、たとえ武力を用いてでも名誉を回復せよ、というのが普通の考え方だ。それができねば貴族たる資格は無いのである。フェザリアの反応はいささか過敏だったが、それでも決して誤ったものではない。僕は彼女を叱責するつもりはさらさら無かった。
ただ、このまま彼女がアンネリーエ氏をぶっ殺しちゃった場合、ミュリン家との間で戦争が起きる可能性がかなり高いからな。流石にそれは勘弁してもらいたいんだよ。今回の場合はほぼ完全にミュリン家側に責があるので、いざ開戦となっても皇帝家は介入してこないだろうが……だからと言ってそのまま開戦に突っ走るのは僕の趣味ではなかった。
「……承知」
フェザリアは僕の指示に従い、ゆっくりとこちらへ戻ってきた。その表情には不満らしき色はない。彼女はいささか直情的なところはあるが、頭の回転自体は大変に早いのだ。どうやら、僕の方の意図に気づいてくれたようだった。
「ぶ、ブロンダン卿。どうか落ち着いてくれ。あたしは……」
顔に脂汗を浮かべながら、イルメンガルド氏は弁明らしき言葉を絞り出そうとしていた。だが僕は彼女の言葉を無視し、口笛を吹いた。場違い甚だしい間抜けな音色が周囲に響き渡り……森の方から、重苦しい羽音が聞こえてくる。ミュリン家側の騎士が慌てて天幕の外へと飛び出し、悲鳴じみた声を上げた。
「ご、ご当主様! 化け物が!」
「はぁ!? バカヤロウ、こんな時に面白くもない冗談を言うんじゃないよ!」
イルメンガルド氏は青い顔でそう叫んだが、それとほぼ同時に重苦しい地響きと共に巨大な何かが天幕の隣に落ちてきた。……そう、ネェルである。彼女は剣を構えるミュリン騎士を視線だけで威圧しつつ、器用に巨体をかがめて天幕の下に入ってくる。
よく見れば、彼女の鎌には血塗れの牝鹿が挟まれていた。口元にも血が付着している。どうやら、お食事の途中だったようだ。……鹿って生で食べて大丈夫なのか? 寄生虫とか病原菌的に。誰かに頼んで焼いてもらえば良かったのに……。
「ネェルを、および、ですか?」
小首をかしげながらそんなことを聞いてくるネェルた大変に可愛らしいが、全身血塗れな上に悲惨な状態の鹿まで持っているのだから恐ろしいことこの上ない。ミュリン家の連中は明らかに浮き足立った様子で、我が家のカマキリちゃんに恐怖の目を向けている。
「……ああ、なるほど。デザートを、食べさせてくれる、わけですね。うれしー」
僕が何かを答える前に、ネェルはミュリン家の皆様がたを一瞥しながら恐ろしい笑みを浮かべた。どうやら、状況を見て自分がなぜ呼ばれたのか気付いたのだろう。彼女は殊更に見せつけるようにして、牝鹿の前脚にかぶりつく。鹿の骨はとても頑丈だが、カマキリ虫人のアゴの力には抗しきれない。バリボリとひどく猟奇的な音を立てながら、大ぶりな前脚はネェルの口の中に消えていく……。
「さあてね。君がデザートを食べられるかどうかは、ミュリン家の皆様方の判断次第だ」
僕はそういって、視線をイルメンガルド氏に向けた。彼女は脂汗まみれの真っ青な顔をしているが、それでも気丈に僕の視線を受け止める。他の若い騎士たちは軒並み浮き足立っているというのに、流石は当主殿。肝が据わっている。
「ミュリン伯爵閣下。自分といたしましては、先ほどのお孫様の発言は看過できません。家畜の餌だの畜生だのと言われて引き下がっては、領民たちに申し訳が立ちませんので」
などと口では言ってるが、僕は内心少しだけほっとしていた。このイルメンガルド氏の策は、なかなかに狡猾だ。友好ヅラをしてこちらに接近しつつ、ディーゼル家との間にくさびを打って離間を図る、というのが彼女の作戦だろう。直接こちらと敵対するわけではないので、なかなかに対策しづらく難しい立ち回りを要求されてしまう。
だが、こうして正面から中指をおったててくれるなら話は簡単だ。これ見よがしに態度を硬化させつつ、こちら側の戦力を見せびらかして相手の軍事行動を掣肘することができる。まったく、孫がアホで助かったよ。
そもそも、彼女の策に乗ること自体が論外だしな。仮に万事がイルメンガルド氏の思惑通りに進んだとしても、ミュリン家が代替わりをしたら何もかもが滅茶苦茶になってしまう可能性が極めて高い。なにしろ跡取りがこの有様だ……僕は腰を抜かしたまま固まっているアンネリーエ氏を見ながら、そう考えた。いずれ敵対するのが確定しているのなら、こちらの優位な方向で態勢を固めてしまった方が良い。アンネリーエ氏のチョンボはむしろ渡りに船ですらあった。
「僕には、先ほどの発言の撤回と謝罪を求める義務があります。それが受け入れられない場合、残念ながら宣戦を布告されたと判断せざるを得ません」
前世の感覚を残した僕としてはいまだに馴染めないのだが、この世界では"名誉の回復"は正統な開戦自由として認められる。そしてこの場合はどう考えてもミュリン伯側に責があると考えられる状況なので、彼女らは主君である皇帝家の力を借りることができず、独力で我々と戦うほかないのだ。
僕の発言はあくまで脅しだが、万一向こうが「おう受けて立とうじゃねえか!」となっても勝つ自信は十分にあった。というか、勝つ自信もないのにこの手の脅しを使うのは論外だ。実行できない内容の脅迫ほど無意味で空虚なものはない。
「違う、ブロンダン卿! こちらには貴殿らと敵対する意思は毛頭ない! 落ち着いてくれ!」
哀れなイルメンガルド氏は悲壮な声でそう叫び、呆然としたままの孫のほうへ視線を移す。
「……アンネ! アンネ! 何を腑抜けているんだい、アンタは! ヒルトラウトがその身を犠牲にして、アンタの命を救ったんだよ! 命を拾ったのなら、やるべきことがあるんじゃないのかい!」
「あ……そ、そうだ。ヒルトが、ああ……」
アンネリーエ氏は自分の前で真っ二つになった騎士の死体に目を向け、悲惨な顔色になった。そして、ぷるぷると震えながら、腰の剣に手をやろうとする。祖母の叱責を、部下の復仇をせよ、という風に受け取ったのだろう。
「馬鹿、違う!」
もちろんイルメンガルド氏の意図はそうではない。彼女は顔色を土気色にしながらそう叫んだ。アンネリーエ氏はびくりとして動きを止める。
「柔らかくて、美味しそうですね、アレ。デザートに、ぴったり、的な?」
適切なタイミングで、ネェルがそう言いながらアンネリーエ氏を見て笑う。そして、これ見よがしに牝鹿の頭に噛みついた。草食獣の頭蓋骨はとてつもなく頑強にできているから、そうそうのことでは潰れない。しかしネェルはそんな牝鹿の頭を、くるみ割り人形めいてかみ砕いてしまった。飛び散る血と脳漿を目にして、アンネリーエ氏は腰を抜かしたまま本物の子犬のような悲鳴を漏らしつつ失禁した。彼女の腰の下から、敷物の上に黒いシミが広がっていく。
……当たり前だが、普段のネェルはこのような品のない真似はしない。自分の役割がミュリン家への威圧だと心得ているから、あえて残虐にふるまっているのだ。なんとも素晴らしい役者ぶりである。賞賛をこめて彼女に微笑みかけると、ネェルは口角を上げてそれに応えた。強いうえに賢い、まったく素晴らしいカマキリちゃんである。あとでご褒美をあげなきゃならないな。
「アンネェ! これ以上醜態をさらすようなら、ソイツに食われちまう前にあたしがお前の首を叩き落すぞ! お前は言ってはならないことを口にしたんだ! こういう時にどういう風にすべきか、母親からは習わなかったのかい!」
ほとんど悲鳴のような声音で、イルメンガルド氏はそう叫ぶ。物騒な発言とは裏腹に、その表情は孫をひどく案じているような色が強かった。アンネリーエ氏が本気でネェルに食われてしまうのではないかと心配しているのだ。……どう見ても、ネェルはヤバイ相手だからな。彼女が本気で暴れだしたら、ミュリン家の騎士だけでは抑えられないのは明白だ。即座に白旗を上げるというのは正しい判断だろう。
「ば、ばぁちゃん。アタシは、アタシは……」
ぷるぷると震えつつ、すがるような目つきでアンネリーエ氏は祖母を見た。彼女の目には大粒の涙が浮かんでいる。イルメンガルド氏はとうとうブチ切れてしまった様子で、早足で孫に近寄った。そしてその頭をむんずと掴むと、力づくで敷物の敷かれた地面へと強引に押し付ける。そして自分自身も、ほとんど土下座のような勢いで僕たちに頭を下げた。……敷物はアンネリーエ氏の漏らした尿でぐちゃぐちゃになっている。そんなものへ頭を付けるのは大変に不快だろうが、お構いなしだ。
「申し訳ない、ブロンダン卿。孫がたいへんな粗相をしでかした……! この通りだ、どうか許してくれ……! 十分な償いはする、だからこいつの命ばかりは……!」
僕はそっと息を吐き、ソニアとダライヤを交互に見る。前者は仕方が無さそうに、後者は苦笑しながら頷いてくれた。……ソニア以外にも不満げな部下は多いが、僕としてはこれ以上ことを荒立てたくないんだよな。なにしろすでに一人死んでるわけだし……。
部下たちの気分はわかる。よくわかる。特にフェザリアらエルフ勢は、つらい飢饉で人口の大半を失った部族だ。食い物関連の侮蔑に対しては、たいへんに腹立たしいものがあるだろう。彼女らの上司として、僕は甘い態度はとれない。だが、僕たちは軍人なのだ。軍人の仕事は市民の安全と財産を守る事であって、身の程知らずの哀れな子供をボコボコにシバくことではない。
「……かの忠勇なる騎士殿の見事な献身に免じて、謝罪を受け入れましょう」
真っ二つになったミュリン家の騎士をチラリと見ながら、僕はそう言った。誰もかれもが唖然とする中、唯一フェザリアに立ち向かった騎士だ。一撃でやられてしまったとはいえ、一流の技量を持った剣士だったことは間違いない。
「みな、剣を納めろ。これ以上の流血はディーゼル伯爵の迷惑にもなる。主人に客分をもてなす義務があるように、客分には主人の顔を立てる義務がある。それが貴族の常識というものだ。……そうですね? ミュリン伯爵閣下」
露骨な皮肉に、イルメンガルド氏は真っ青な顔で頷いた。彼女はまだ、尿まみれの敷物に孫の頭を押し付けたままだった。馬鹿な真似をしでかした小娘は、その情けない格好のままくぐもった泣き声を漏らしている。
この場にカリーナを連れてこなくてよかった。僕は内心、そんなことを考えた。同年代の少女がこんな目にあっている姿は、あの可愛い義妹には見せたくない。反面教師にはなるかもしれないが、すこしばかり刺激が強すぎるだろう。




