第423話 くっころ男騎士とお茶会(2)
現在、我がリースベンの食料需要を支えているのはズューデンベルグから供給されるライ麦や燕麦などの雑穀類だった。本来であれば元敵国であるズューデンベルグに食料供給を依存するというのは避けるべきなのだろうが、これは一部致し方のない面があった。ディーゼル家は、これら雑穀類を格安の固定相場で売ってくれるのだ。
リースベンの人口は今なお急増を続けている。彼ら・彼女ら全員が腹いっぱいになるほどの穀物類を通常の市場で購入すると、食料価格の暴騰が起きてしまう可能性が高い。そうなると食料を輸入に頼らざるを得ないリースベンは大損をするし、周辺諸国の領主や一般民衆も我々を恨むだろう。それはよろしくない。
だが、この問題はズューデンベルグが間に挟まることで解決する。かの国は単独でリースベンを支えられるほど耕作面積が広い。おまけに主食が小麦だから、輸入品を燕麦やライ麦に絞れば市民生活への影響も限定的だ(いくら固定相場で取引しても市場に流通する現物が減れば結局同じなのである)。おまけに一度戦争で勝利しているから、足元を見られることもない! なんとも理想的な食料供給地だった。
「売りたいのは、麦さ。ご存じの通り、ミュリン領はズューデンベルグを超える大穀倉地帯でね。しかも今年は、大豊作だ。どうも今年は食料余りになりそうで、困ってるんだよ。たぶんディーゼルの奴らよりも安く麦を提供できると思うんだが、どうだい? 一枚噛んでいかないかね?」
ところが、イルメンガルド氏はどうやらこの関係に首を突っ込みたいらしい。営業用の笑みを浮かべてそんなことをのたまう彼女に、僕は内心眉を潜めた。なるほど、流石は齢七十にしていまだに第一線で領主をしているだけのことはある。相手の弱点を突き止める嗅覚は尋常なものではない。
「ディーゼル家より安く、ですか。それはまた、ずいぶんと大きく出ましたね……」
僕は小さく息を吐きながら、カップに入った香草茶を飲みほした。注文もしていないのに給仕がやってきて、湯気の立つアツアツの香草茶を補充してくれる。孫の教育はアレだが、部下の教育はなかなかに行き届いているようだった。
「ご存じの通り、我々とディーゼル家は水魚の交わりといっても差し支えのない関係でしてね。彼女らの好意のおかげで、我々は"友達価格"で麦を仕入れることができています。……はっきり言いますが、商売になるような取引ではありませんよ。ギリギリ損はしない、それだけです」
なんなら転売したら大儲けできるくらいの底値で仕入れてるからね、ズューデンベルグ産の穀物。まあもちろんそんなことをしたら大迷惑になるから、必要量ギリギリしか買わないけどさ。山を挟んでいるとはいえ隣接している領地同士でこのレベルの価格なのだから、輸送費が余計にかかるミュリン産の麦が価格競争を挑んでくるのはかなり無茶だ。この世界にはトラックも鉄道もコンテナ船も無いのだから、物流コストは尋常ではなく高い。
「別にね、我々としては少しばかり原価割れをしたところでかまわんのさ」
むろん、それがわからぬイルメンガルド氏ではない。彼女は落ち着き払った様子で茶菓子の焼きリンゴを一口食べた。
「取引というのは、カネとモノをやり取りするだけがすべてじゃあない。信用、あるいは好意。そういった目に見えぬモノも行き来してるんだ」
なるほど、一理ある。僕は話を真面目に聞くフリをしながら、ダライヤをチラリと見た。
「これは……我らとディーゼル家の離間工作じゃな? 食料の供給先を、ズューデンベルグからウチに切り替えろと、そう言いたいわけかの」
「だねぇ。確かにこちらがディーゼル家に肩入れしている一番の理由はソレなんだが、その梯子外しを狙ってきたか……」
相手方に聞こえぬよう、僕たちは小声でささやき合う。何が好意、信用だよ。要するに、激安価格で食料を売ってやるからズューデンベルグを見捨てろと言いたいわけだろうが。信用もクソもないじゃないか。
実際問題、我々がズューデンベルグから手を引いた場合、主戦力を失った今のディーゼル家ではミュリン家の侵略には対処しきれない。守りの固い山城であるズューデンベルグ市はなんとか堅持できるだろうが、農業の中心地であるシュワルツァードブルク市の喪失はさけられないだろう。よその国の街一つと、原価割れの格安穀物。なるほど、モノだけみればなかなか美味しい取引ではある。
とはいえなぁ。これだけハッキリと肩入れをアピールしているディーゼル家を見捨てると、我々の信用や体面に傷がついてしまう。割に合うか合わないかで言えば、全然合わないだろ。そもそも、こういう無情なやり口自体僕の趣味ではないしな。
「あなたの提案を飲んだ場合、むしろ我々は信用を失うのではないかと思うのですがね。なにしろ僕たちとディーゼル家はお友達だ。友の苦境は見逃せませんよ」
「そりゃ確かだね。気の置けない友人ほど大切なものはない。……だが、相手はディーゼルだぞ?」
こちらの反応は予想済みだったのだろう。イルメンガルド氏の反応は落ち着いたものだった。
「そもそも、ディーゼル家は何の非もないアンタらを侵略しようとしていたロクデナシ共だよ? 友達にするにはちぃと難があると思わんかね。あたしらのほうが、よほどオトモダチにはふさわしいと思うが」
「さぁてね。戦いの中で育まれる友情というのもあると思いますが」
育まれたのは友情ではなく上下関係だがな。すくなくともしばらくの間、ディーゼル家は僕たちの影響下からは逃れられない。とうぜん、交渉の類も有利に進められる。これはミュリン家にはないメリットだ。
「ディーゼル家云々はさておき、確かにミュリン伯爵閣下とはお友達にはなりたいと思っておりますよ。そちらさえ良ければね」
僕はふてくされてそっぽをむくアンネリーエ氏を見ながら、薄く笑った。ズューデンベルグへの野心さえ捨ててくれるのなら、ミュリンと仲良くすること自体は頷いても良い。だが、ミュリン伯爵は高齢だ。じき、代替わりが起きるだろう。
次の伯爵になるのは彼女の娘だろうが……調べによれば、当の長女はもう五十歳だ。こちらの治世も決して長くはないだろう。この世界では貴族は戦場に立ってナンボという考え方があり、体力が衰えてくれば引退せざるを得なくなってしまう。三十代後半には、もう代替わりの話が出始めてくるのだ。ましてや五十歳ともなると……。
「……まだ時間的な余裕はあるさ。教育次第でなんとでもなる」
次世代の不安を突かれると、流石のイルメンガルド氏も言いよどまざるを得ないようだった。露骨に顔をしかめ、ため息をつく。話題に出されたアンネリーエ氏は、口をへの字に曲げる。
「教育なら十分足りてるよ。ばぁちゃんはいろいろ教えてくれたからな。……でも、その教えの中にはこういうものもある。自分の損になるような取引はするな……ってね」
「アンネ。あたしゃお前に黙ってろと命じたハズだがね。年寄りのあたしより先に耳が遠くなっちまったのかい?」
ヤブをつついたら案の定ヘビが出てきたような顔で、イルメンガルド氏は言い捨てた。だがそれでも、アンネリーエ氏は止まらない。
「いーや、黙ってらんねぇ。麦の取引はうちの生命線だ。北の連中に売りつければ、金色の麦穂が本物の黄金に代わるんだぞ? 何が悲しくてクソ値で売らなきゃならねぇんだよ。大損じゃねえか」
それで街一つ手に入るならむしろ大儲けだろ。……まあ、アンネリーエ氏の頭の中では、こちらに譲歩などせずともシュワルツァードブルク市など手に入ると考えているのだろうが。
「馬鹿ぁ言え、そりゃ小麦の話だ。雑穀類なら、少しばかり安売りしたところでこちらの懐は痛まん。……ああいや、むろんリースベン側が望むのであれば、小麦も安く売る用意はあるがね」
イルメンガルド氏がこちらを見ながら、聞いてくる。だが、僕にとって小麦はそれほど魅力的な穀物ではなかった。小麦と燕麦を比べれば、後者は同じ価格で倍以上の量を買うことができるである。蛮族の服属により激増したリースベンの人口を支えるには、質より量を重視するほかなかった。すくなくとも、エルフの芋畑が軌道に乗るまでは小麦などを買っている余裕などない。
「仮にあなた方と取引を始めたとしても、おそらくは燕麦やライ麦しか注文しないでしょうね。領主ともども、粗食には慣れておりますので」
燕麦パンはたしかにろくでもない食い物だが、スープやお湯でふやかせばまあ食える。引き割りにしてそのまま粥にするのも良い。とにかく、食えないことは無いのだ。それよりも、飢える者を出さないという事の方が大切だった。
「燕麦ぅ? ライ麦ぃ?」
ところが、アンネリーエ氏はそうとは思わないようだった。彼女は明らかに馬鹿にしたような目つきでこちらを眺めまわし、肩をすくめる。
「ばぁちゃん。やっぱりこいつら、取引に値する連中じゃないようだぜ。燕麦やらライ麦やらなんぞ、家畜の餌じゃねえか。そんなモノを食ってるような奴らは、ニンゲンじゃなくて畜生さ。恐れる必要なんざ……」
あ、ヤバイ。メシ関連の罵倒はヤバイ。そう思った瞬間の出来事だった。無言でブチ切れたフェザリアが、神速で抜刀しつつ地面を蹴る。大砲を発砲したような大音響を響かせて急加速したエルフの皇女様は、砲弾のような勢いで愚かなオオカミ娘に襲い掛かり……