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第422話 くっころ男騎士とお茶会(1)

 猟場から戻れば、いよいよミュリン伯イルメンガルド氏との茶会である。僕たちはミュリン家の試射に案内され、猟場近くの草原に設営された会場へと招かれた。会場と言っても凝ったものではなく、草地に毛織物の敷物をかぶせ、その上から野戦中の軍議などでよく使われるタイプの大天幕を張っただけの簡素なものだ。

 これまた軍用として良く用いられる折り畳み式の大型テーブルの上には茶器や茶菓子などが並べられ、会場の隅におかれた携帯コンロ(ブリキ板で作られた四角い七輪のような道具だ)の上では、大ぶりな鉄瓶が湯気を上げていた。

 茶会は茶会でも、どちらかというと行軍中の休憩時間にやるような質実剛健なものだな、と僕は思った。すくなくとも、ガレア王宮で定期的に開かれている典雅なお茶会とは程遠い。武骨で野趣あふれた雰囲気だ。とはいえ、僕は前世も現世もずっと軍隊の飯を食い続けている人間だ。下手にお上品ぶった集まりよりも、こういった質実剛健な会場の方が落ち着くくらいだった。


「……」


「……」


 ところが、大テーブルを挟んで向かい合うブロンダン家一行とミュリン家のお歴々の間に漂う雰囲気は、落ち着くどころかひどく腰の据わりの悪いものだった。なにしろ、我々はさきほどミュリン伯爵のお孫さんから盛大な煽りを喰らったばかりである。顔には社交用の笑顔を張り付けてはいても、態度は硬くならざるを得ないだろう。お互いに社交辞令を交わした後は、何とも居心地の悪い沈黙が漂っていた。


「……いろいろと積もる話はあるのだが、まずは謝罪させていただこう。愚孫から話は聞いている。どうやら、この若造が随分と失礼な真似をしたようだな」


 そんな居心地の悪い雰囲気の中、会話の口火を切ったのはイルメンガルド氏だった。彼女は隣に座ったアンネリーエ氏を一瞥し、大きなため息をつく。そして、こちらに向けて深々と頭を下げた。


「当然のことながら、こちらには貴卿らと争う意図はない。政治というものを理解せぬ若造が暴走しただけなのだ。大変に申し訳ない」


 頭を下げたまま謝罪の言葉を口にするイルメンガルド氏だが、当のアンネリーエ氏はふてくされた表情でそっぽを向いている。その顔には明らかにブン殴られたような痕があり、しかもどうやら鼻血まで流したらしく鼻には巻いた布切れが突っ込まれていた。なかなか強烈な折檻を喰らったようだ。


「なんでばぁちゃんが頭下げなきゃいけないんだよ。堂々としてろよ」


「だぁれのせいで頭下げる羽目になってると思ってんだいこのダボがぁ!」


 そんなアンネリーエ氏に怒声を飛ばしたイルメンガルド氏は、彼女の頭に鉄拳を落とした。「いでぇ!」と叫ぶ狼少女の髪をむんずと掴み、おでこがテーブルの天板へブチあたる勢いで強引に頭を下げさせる。ば、バイオレンスババア……!

 反射的に「ま、まあ、そのくらいで……」と口走りそうになったが、隣に座ったうちのババアが袖をチョンチョンと引っ張ってそれを阻止する。


「こういう場では、考えなしに言葉を発するべきではないぞ。真に迫った演技かもしれん訳じゃし」


「う……」


 確かに言われてみればその通りである。相手は半世紀以上にもわたって大領地を治めてきた老練な領主貴族だ。一見弱り切っているように見えても、なんらかの策略の布石である可能性は十分にある。

 とはいえ、ここでイルメンガルド氏の謝罪を突っぱねても益は無い。そもそも、僕たちが受けた被害もあくまで暴言だけだしな。過剰にゴネて利益を引き出そうとすれば、却って損をしてしまいかねない。後々のことを考えれば、あくまで鷹揚に謝罪を受け入れて見せるのがベストだろう。


「……謝罪を受け入れましょう、ミュリン伯爵閣下。しかし、以後このような事は無いようにお願いします。こちらにもメンツというものがありますから」


 僕は仏頂面で香草茶をすするフェザリアのほうをチラリと見ながらそう言った。下手なことをすれば、このニトログリセリンより敏感で危険な女が大爆発してしまいかねない。そうなったら大惨事である。……とはいえ、フェザリアでなくても今回の一件は反発して当然のモノだった。封建貴族にとって、メンツというのは命より大切なものである。たとえ伯爵という格上の貴族が相手でも、こちらのメンツを潰すような真似を許すわけにはいかないのだ。


「むろんだ。この愚孫はしばらく謹慎させる」


 ため息をつきながら、イルメンガルド氏は孫の頭から手を離した。アンネリーエ氏は涙目になりつつ、「うー……」と小さく呻いておでこを押さえる。なかなか痛かった様子だ。


「なんでだよー。ばあちゃんは伯爵でそいつは城伯だろうに、なんでばあちゃんの方が頭下げてるんだよぉ……」


 この期に及んでそんなことをいうものだから、イルメンガルド氏はまたも鉄拳を孫の頭に堕とした。ガツンとかなりいい音がして、アンネリーエ氏は涙目でうずくまる。本当にバイオレンスだなこの人……いやまあ、この世界の場合、体罰に忌避感を覚えている人間の方が少ないのだが。こればかりは、人が悪いというより時代が悪い。


「一種の策略じゃないか思うとったが、こりゃあ本気で若いのが暴走しただけの様子じゃのぉ……」


 同情した目つきでイルメンガルド氏を見ながら、ゼラがそう呟いた。ダライヤがため息をついて、彼女に同調する。


「若いのはすぐ暴走するからのぉ……困ったもんじゃ」


 年齢四桁のあんたから見たら全人類の九割九分くらいは"若いの"だろ! というかお前も大概暴走癖あるだろ! 相談もせずにエルフェニアの統治を投げつけてきた件についてはいまだに恨んでるんだからな!


「……ま、このような話を長々続けても、益はありません。今回の一件は、これで終わりということで」


 香草茶を一口飲んでから、僕はそう言った。伯爵閣下直々の謝罪を貰ったわけだからな。これ以上アレコレ言う必要はない。……ま、当のアンネリーエ氏はまったく納得も反省もしていない様子だが。とはいえ、まあ所詮は子供の言う事である。気にする必要はない。


「そう言ってもらえると助かるよ。すまないね……」


 深々とため息をついて、イルメンガルド氏は頷いた。そして一瞬思案顔になって、涙目になっている孫の方を見る。


「……今すぐ宿に帰して反省文でも書かせたいところなんだが、悲しいかなこの馬鹿孫は長子なんだ。領主としての仕事を教えてやらねばならん。ブロンダン卿、この場にコイツが居座るのを許してやってくれまいか」


 なるほどな。イルメンガルド氏は、自分の仕事を見せるためにこの跳ねっ帰りを連れ歩いているわけか。難儀な話だなぁ。後継者に恵まれないというのも、なかなかに不幸な話である。……いや、僕も他人事ではいられないな。いずれはブロンダン家とリースベン領を、己の娘なり息子なりに継承させなきゃいけないわけだし。


「ええ。承知いたしました」


「すまないね……アンネ! つぎ余計なことを言ってみな、ブロンダン卿の前で裸にヒン剥いて、泣くまでナマ尻をブッ叩いてやるからね」


「うぇっ!?」


 アンネリーエ氏は面食らった様子で奇妙な叫び声を上げた。ぜ、全裸お尻ペンペンかー……。


「閣下、それは流石に……。ブロンダン卿も、そのようなものは見たくないでしょうし」


 そこへ、イルメンガルド氏の副官らしき騎士が苦言を呈する。老狼騎士はあちゃあと言わんばかりの様子で自分の額をペチンと叩いた。


「そりゃあそうだね。汚いガキのハダカなんか見せたら、男騎士殿の目が汚れちまうよ。ハッハッハ……」


 いや普通に見たいですけど……などということは、流石に言えない。僕はあいまいに笑いながら肩をすくめた。


「……ところで、ミュリン伯」


 赤面するアンネリーエ氏を一瞥しながら、ソニアが口を開いた。場の雰囲気は少しだけ和らいだが、彼女の目つきは相変わらず冷え切っている。


「そろそろ、なぜ我々をお茶会に誘ったのか教えて頂いてもよろしいでしょうか? まさか、御高名なミュリン伯爵閣下に突然名指しで呼び出されるとは思っておらず、少しばかり戦々恐々としているのですが。もしや、『お前たち、最近調子に乗っているんじゃないか?』などと言ってヤキを入れられてしまうのではないかと……」


 とんでもなく強烈な皮肉だ。イルメンガルド氏は顔をしかめ、首を左右に振った。


「もちろん、そんな馬鹿な真似はしない。貴卿らを呼び出したのは、あくまで新しいご近所さんと親睦を深めるためさ。リースベン領とミュリン領は、ズューデンベルグを挟んですぐ近くだ。これから長い付き合いになるだろうと思ってね、あたし自ら挨拶に来たってワケだ」


 そう言ってから、イルメンガルド氏は茶菓子のハチミツ入りビスケットを一枚、口の中に放り込んだ。バリバリと咀嚼してから、それを香草茶で飲み下す。


「あとは、そう……少しばかり、商売の話も持ってきたよ」


「ほう、ご商談ですか。お伺いしましょう」


 なるほどな。……やっぱり、今回の旅はアデライドについてきてもらうべきだったなあ。今さら言っても仕方が無いが。


「売りたいのは、麦さ。ご存じの通り、ミュリン領はズューデンベルグを超える大穀倉地帯でね。しかも今年は、大豊作だ。どうも今年は食料余りになりそうで、困ってるんだよ。たぶんディーゼルの奴らよりも安く麦を提供できると思うんだが、どうだい? 一枚噛んでいかないかね?」


 ……おや、おやおやおや。はぁん、なるほど。そういうハラか……。僕は、イルメンガルド氏の描いている絵図を理解した。これは少しばかり厄介なことになるかもしれんな…。

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