第420話 くっころ男騎士の思案
アンネリーエ氏が去った後、僕たちは微妙な空気のまま森の中をウロついていた。相変わらず、獲物は現れない。まあ当たり前の話だが。普通におしゃべりしながら歩き回っている大所帯の前に、無防備に出てくる野生動物なんかいるわけないだろって感じだ。唯一の例外はたくさんのウサギを仕留めてきたフェザリアだが、彼女はアンネリーエ氏の一件のせいで機嫌が最悪になっていたので喜びもあまりない。
徒労感の最大の要因であるアンネリーエ氏については、カリーナがある程度知っていた。ディーゼル家とミュリン家は宿敵同士と言っても差し支えない間柄だが、それでもお隣さん同士というのは大きい。どうやら、最低限の交流はあるらしい。時間つぶしも兼ね、僕は義妹からアンネリーエ氏の人となりを教えてもらうことにした。
我が義妹曰く、アンネリーエ氏はカリーナと同い年。おまけに、誕生日まで近いらしい。つまり彼女は十五歳、成人したばかりということだ。なるほど、あの調子の乗りっぷりは一人前と認められる歳になった高揚感のせいもあるのかもしれない。
「私と違って、昔からあいつは優秀でね。武芸も軍学はなかなかのものだったらしいよ。子供の頃は、神童なんて呼ばれてた。……ま、性格がアレなものだから、この頃そういう声はまったく聞かなくなったけどさ」
苦々しい様子で、カリーナはそう吐き捨てた。ディーゼル家の現当主、アガーテ氏はミュリン家の連中のことを「当主のイルメンガルド氏以外は大したことがない」と評していたが……まあ、神童だった子供が慢心や環境が原因で挫折してしまうなどというのはよくある話だ。アンネリーエ氏についても、そのたぐいの人間なのだろう。
「少しばかり剣技や軍学が得意でも、性格がアレではね。論外ですよ」
とはソニアの弁である。お前がそれを言うのか、と言わんばかりの目つきでジルベルトに睨まれていたが、本人はどこ吹く風だった。……まあ、うちの副官兼嫁はさておき、問題はアンネリーエ氏である。
「みんなが神童神童と誉めそやしたものだから、アイツってば無限に調子に乗っちゃってね。すっかり慢心して、親の言う事すら聞かなくなっちゃったみたい。唯一、尊敬するおばあちゃんの命令だけは聞くって話だけど」
呆れた様子でそんなことを言うカリーナだが、まあそれは反抗期のせいというのもあるかもしれんね。子供には、多かれ少なかれそういう時期がある。ウチの副官も大概だったよ。……いや、あれに関しては母親のカステヘルミにもそれなりの原因があるので、ソニアばかりも責められないが。
「へえ、祖母の言うことは聞くのですか。ウチの妹と違って扱いやすいですね」
またまた自分のことを棚に上げたソニアが、ため息交じりに感想を述べる。彼女が言っているのは、スオラハティ家の末っ子のことだ。こいつはアンネリーエ氏に負けず劣らず……というか、むしろ上回るレベルの問題児で、能力と性格が完全に反比例している。当然ながら、ソニアはもちろんカステヘルミの言う事すら聞かないし、そのくせアホみたいに優秀なのだから手に負えない。
おまけに常日頃から「わたくし様はノール辺境領だけに収まる女ではなくってよ~!」などと公言して憚らないのだからとんでもない女だった。ノールは王国で最大級の領邦だぞ。これ以上を求めるなら王位の簒奪を狙うか他国の征服を目指すしかなくなるのだが、そのへん理解してるんだろうかね、あいつは……。
そんな姉妹と一緒に幼少期を過ごしたものだから、僕も問題児への対応は慣れている。暴言をぶつけられた怒りもすっかり冷めており、今は落とし前云々よりもアンネリーエ氏の本意が気になっていた。こちらのことが気に入らない、というのは確かなのだろうが、それだけでああいう真似をするものだろうか?
「しかし……イルメンガルド氏はどういう腹積もりかね。あんな奴を意図的に僕らにぶつけてきたというのなら、もう完全に戦争のフェイズへ入っていると判断したほうがよさそうだが」
「それはどうでしょうかね」
四本の腕を器用に組みながら、ゼラが異論をはさむ。
「そがいな作戦かもしれんよ。若ェやつにアヤを付けさせといて、あとで白々しゅう謝って見せる。筋者がよう使う交渉術でがんす。仲良うする素振りをみせつつも、お前の下に付くつもりはないぞと。そがいなアピールじゃな」
「なるほどな。粗相をするわけにはいかない相手なら、そもそも下っ端の暴走なんか許すはずもないしな……」
僕は肩に担いだ猟銃の木製銃床を指先で撫でつつ、考え込む。ああ、まったく。せっかくの狩猟なのに、コイツを一発も撃つ機会がないというのが残念過ぎる。何が悲しくて猟場でこんな話をしなきゃならんのやら。
「それにしてもアレはひど過ぎると思いますがね。場合によってはあれだけで刃傷沙汰が起きていますよ」
不満げな様子で、ジルベルトが大きく息を吐く。彼女も、アンネリーエ氏の態度は腹に据えかねている様子だった。
「イルメンガルド殿に交渉をする気があるとすれば、孫のあの態度はこちらに釘を刺すどころか逆効果です。アンネリーエ殿が暴走してやり過ぎたのか、あるいはそもそも指示など受けていないか。そのどちらかでしょうね」
「なんにせよアレは論外じゃ。もはや俺はミュリン家ち言ん葉を交わそうとは思わん。交渉んつもりでアレをやっちょるんじゃとすりゃ、そんた間違いじゃと明白に教えてやらんにゃならんぞ。わかっちょっな、アルベール」
ジルベルトとは比にならないほど憤懣やるかたない様子で、フェザリアがピシャリと言った。極端な言い草だが、貴族というのはメンツ商売だ。ナメられたマネをされたら、キチンと報復しないとマズいというのは確かである。僕はコクリと頷いた。
「しかし、拙速な判断は避けるべきじゃぞ。今回の一件、例えばこうとも考えられる。ブロンダン家とミュリン家の間で交渉が成立されては困る者がおり、馬鹿を煽って両者の離間を狙っているとか……」
口を挟んできたのは我が家の厄介ババアだ。彼女は本人に悟られぬよう、一瞬だけカリーナを見る。……ああ、なるほど。ディーゼル家の差し金ね。確かに僕らとミュリン家が仲良くするような事態は、ディーゼル家としては避けたいだろうよ。ま、宿敵関係のミュリン家の御曹司をどういう手段で煽ったんだ、という問題はあるが。
むろんそんなことはロリババアも承知しているだろうから、あくまで可能性の一つを提示しただけなのだろう。つまり、相手の意図を決めつけて柔軟な思考を失うな、と言いたいらしい。
「確かにな。……ああ、もう。頭痛くなってきたな。戦略、戦術について思考を巡らせるのは好きだが……こういうのは本当に苦手だ。こんなことになるとわかっていたら、アデライドに同行を頼んだものを……」
「そんな事態になっていたら、リースベンの行政機能は崩壊しますよ。ただでさえ、人手不足なのですから」
「…………たしかに」
ソニアの指摘に、僕はガクリとうなだれた。ただでさえ、今回の一件ではブロンダン家臣団の幹部級がほとんど同行してきているのだ。これに加え事務方トップのアデライドまで出張してしまったら、リースベンの日常政務を回す者がいなくなってしまう。困ったものだ……。
……というか、いくらアデライドがとんでもなく優秀な文官だといっても、本当に一人でリースベンを切り盛りできているのだろうか? 忙しすぎて瀕死になっているのでは? いきなり心配になって来たな……彼女のためにも、ズューデンベルグでの仕事はさっさと終わらせてリースベンに戻らねばならない。
「はぁ……。なんだかもう、森の中を無意味にさ迷うのも辛くなってきたな。ちょっと早いが、待機所に戻るか。イルメンガルド殿も戻ってきていたら、さっさと茶会とやらを開くように頼むことにしようじゃないか。アンネリーエ殿の一件をどう落とし前を付けるのかも話し合わにゃならないことだし……」
「……ですね」
ソニアらも頷き、結局僕は猟場を後にすることとなった。
 




