第418話 くっころ男騎士と狩猟会
面倒な挨拶祭りもやっと終わり、とうとう狩猟会本番となった。この催しは、一応大会形式となっている。参加者はいくつかのグループに別れて森に入り、仕留めた獲物の種類や重さで優越を付けるのだ。優勝者にはトロフィーと賞品も与えられるので、参加者の中でも狩猟ガチ勢と呼ばれるような連中はずいぶんと気合が入っていた。
僕もまあ狩猟は好きな部類で、王都で宮廷騎士をしていたころはよく猟銃を担いで山野に入り、イノシシや鹿を追い回していたものだ。ところが、リースベンに赴任してからは一度も狩猟に出ていない。なにしろこの半島は激烈な飢饉を経験した土地であり、食べられそうな獣や魚類はほとんど食いつくされて絶滅してしまっているからだ。出来る狩りっぽい遊びと言えば、せいぜいザリガニ釣りくらいだった。
そういうわけだから、この催しは僕の狩猟欲を解消する絶好の機会ではあったのだが……たいへんに残念なことに、僕には狩りに熱中している暇など微塵もなかった。なにしろ、あのミュリン伯爵と接触を持つことが出来たのだ。軍人である僕には、仮想敵の分析をする義務があった。
「なかなか一筋縄ではいかなさそうな手合いだったな、ミュリン伯爵は」
森の中を歩きながら、僕はそう言った。愛用の猟銃は肩に担いだままで、構えることすらしていない。まったく、領主ってヤツはままならないものだよな。久しぶりの狩りだ。本音を言えば、今はミュリン伯爵のことなど考えたくは無かった。今の僕たちは、ソニアやダライヤなどの大勢の部下を連れ、大名行列めいて森の中を練り歩いているだけだ。こんなやり方では、小鳥すら仕留められないだろう。
狩猟は片手間で成功するような容易なゲームではない。獲物の行動パターンを考察し、痕跡を調べ上げ、罠や勢子、猟犬などを駆使して追い詰める……そういう過程を経て、やっと獲物を仕留めることができるのだ。そこが難しくもあり、面白い部分でもある。
「武人としても、かなり有能そうな方でしたね。彼女の立ち振る舞いには、一分の隙もありませんでした。あの歳であれだけの鋭さを維持しているというのは、尋常ではありません。敵には回したくない御仁です」
そう答えるのはジルベルトだ。彼女は獲物にとどめを刺すための槍を持っているが、その穂先はピカピカと輝いている。まだ、一頭の獣の血脂も吸っていないということだ。
「とはいえ、このズューデンベルグを狙っている以上、彼女は紛れもなく敵です。……その割に、ミュリン伯からは敵意らしいものを感じませんでしたが」
腕組みをしながら、ソニアが唸る。……こんなペチャクチャ喋ってたら、どんな獲物だって逃げちまうよ。はぁ、詰まらんなあ。話すなとも言えんものなぁ。狩猟会はあくまで名目に過ぎず、本命は敵情視察だ。そして敵の大将が姿を現したのだから、とうぜんそれに対処するための話し合いが最優先事項なのである。
「挙句、茶会などに誘われる始末。……まあ、この茶会が罠である可能性も無きにしも非ずですが」
「これはワシの個人的な想像じゃが、その可能性は低いのではないかと思うのぉ」
アゴを撫でつつ、ダライヤはソニアの見解を否定した。智謀に関してはあのアデライドすら敵わない、リースベンでもっとも腹黒い女がこのロリババアである。こういう状況下では、僕の家臣の中でも一番頼りになることは間違いない。
「ふむ、してその根拠は?」
「卑劣な手段でいきなりこちらを排除しては、伯爵側の名目が立たぬからじゃよ」
ダライヤ派端的な言葉でそう応え、ヤブの中に落ちていた小枝を疲労。そしてそれを楽団の指揮者のように振るいながら、つづけた。
「神聖帝国というのは、国を名乗ってはいても実態は外敵に対する相互防衛同盟なのじゃろう? で、あれば……毒殺やら、伏兵による奇襲やら、そういう手段をつかっていきなりこちらに攻撃を仕掛けても、神聖帝国は巻き込めぬ。これでは美味しくない」
「ミュリン伯爵は、単独でわたしたちと戦う気は無いと?」
ソニアが眉を跳ね上げると、ダライヤはコクリと頷いた。
「かの狼女にその気があるのならば、もっと早い段階で仕掛けて来ておるはずじゃ。ミュリン伯爵にとって、時間は敵じゃからのぅ。ディーゼル家は我らの支援を受けておるから、時間を与えれば与えるほど防備は固くなってしまう。まっとうな指揮官なら、速攻を狙うのが常道。そうじゃろ?」
腐っても皇帝閣下、この辺りの戦略眼はたいへんに性格だ。僕はダライヤに頷いて見せた。
「いくら冬が自然休戦期間といっても、この辺りの地域の豊かさは尋常ではない。戦場をズューデンベルグに絞れば、冬季であっても戦争は可能なハズじゃ。……逆に言えば、それをしていないという時点で伯爵の腹のうちはある程度読める。あの狼女は、自国単独でズューデンベルグ・リースベン連合軍を撃破するのは難しいと考えておるようじゃな」
「なるほどな」
僕は小さく唸りながら、チラリとソニア・ジルベルトの両名を見た。彼女らは、揃って頷きダライヤの言葉を肯定する。
「その……発言、いいですか?」
そこへ、カリーナが小さく手を上げながらそう言った。我が義妹はこの頃、軍議の最中も積極的に発言するようになっていた。たいへんに良い傾向である。もちろん拒否する理由は無いので、僕は頷く。
「ミュリン伯家は、ディーゼル家とは長年のライバル……なんだよね。昔から、幾度となく矛を交えてる間柄っていうか……。つまり、ミュリン伯爵家は、ディーゼル家の戦力や戦いぶりにはかなり詳しいハズ。そのブロンダン家を一戦で倒して見せたブロンダン家を特別警戒するのは、当然じゃないかなって」
「うん、道理だな。そうか、格付けはすでに終わっているのか……。そうすると、さっきの伯爵の態度も自然なものに思えてきたな」
ライバル関係といえば聞こえは良いが、つまりそれはミュリン家ではディーゼル家を倒しきれなかったということだ。それに対し、我々は外征部隊とはいえディーゼル軍を一度完全に撃破している。我々とミュリン伯爵軍の戦力差は明白だった。あの老騎士は、そのあたりの戦力差をキチンと認識しているのだろう。
「つまり、ミュリン伯爵はわれわれとは戦いたくない。どうしても戦わねばならないなら、神聖帝国の助力が欲しい。そう考えているわけですね」
ジルベルトの言葉に、ダライヤは手の中で小枝を弄びつつ頷いた。
「現状、そう判断するのが適当じゃろう」
「ふむ……」
僕は少し考えこみ、視線を周囲にさ迷わせた。ズューデンベルグの森は、リースベンに負けないほど鬱蒼としている。だが、あちこちから動物の声が聞こえてくる点が、リースベンとの最大の違いだった。つまり、狩りの獲物が沢山いるということだ。
はぁ、なんでこんな楽しげな森の中で、いつも通りの軍議をせにゃならんのだろうね。帰ってからでよくない? ……そういう訳にもいかんだろうなぁ。向こうの出方がわからない以上、こちらの方針は早めに決めておいたほうが良い。いざという時の計画をしっかり立てておかねばならないのだ。
「カリーナ、この状況下でミュリン伯が取れる選択肢を予想してみろ」
「えっ!?」
カリーナは少し面食らった様子で声を上げた。しかし、僕がこの手の質問を投げつけるのはよくあることだ。彼女は困惑もせずに、思案顔で自分の頬を撫でた。
「ええと……リースベンの参戦を防ぎつつディーゼル家とだけ戦うか、あるいは……リースベンが侵略してきたという名目で、神聖帝国からの援軍を受けるか……?」
「上出来だ。……あとはズューデンベルグから手を引く、というのも一つの手だろうが」
「それはないよ。簡単にあきらめがつく程度の野心なら、ウチとミュリンはとうに和解してるはずだよ」
「そりゃそうか」
僕は笑ったが、内心は全く面白くなかった。結局、戦争は不可避ってことじゃねえか。あー、ヤダヤダ。
「では、ミュリン伯爵は一体どういう手段でそんな自分に優位な状況に持ち込もうと考えているのか、という部分が肝心なんだが……」
おそらく、茶会の誘いはその布石を打つためだな。だとすれば、こちらの取るべき手は……
「アルベール」
僕の思案は、涼やかな声で邪魔された。振り向けば、そこに居たのはフェザリアだった。この頃僕を呼び捨てるようになった彼女は、何やら重そうな袋を背負っている。
「とりあえずウサギを二十羽ほど狩ってきたど、今日ん夕飯はウサギ鍋じゃ」
「おお、ありがとう。助かるよ。あっという間に二十羽か、流石はエルフだな」
当然じゃ! と言わんばかりの様子で、フェザリアはフンスと鼻息荒く頷いた。そして、獲物がタップリ入った袋をこちらの従者に手渡す。……この狩猟会への参加はあくまで名目上のものだが、獲物が一匹も取れませんでしたでは流石に格好がつかない。そこで狩りを得手とするエルフ衆に"言い訳"用の獲物を狩ってくるように頼んでいたのだ。
しかし一度にウサギを二十も狩ってくるとは、尋常な猟果ではないな。こんな化け物じみた猟師が山のようにいたのだから、そりゃあリースベンの獣も絶滅して当然だ。……おかげで後世の僕たちが難儀しているわけだが。
「それと、こんた猟んほうとは別件なんじゃが……ここから少し進んだ先で、二十名ほどのオオカミ獣人の一団がたむろししちょる。ご下命ただくれば直ちに殲滅すっどん、どうする?」
「オオカミ獣人の一団? ……たんに別グループが近くにいるだけじゃないのか」
僕は希望的観測を口にした。狩猟会の参加者は多いが、この森は広大だ。その上それぞれのグループには案内人がついているから、なかなか他のグループと出くわすことはないのだが、まあそれでも偶然というものはあるからな。……相手がオオカミ獣人の集団という時点で、偶然にしてはできすぎな気もするのだが。
「なにやら、アルベールん噂話をしちょったようやったぞ。偶然ちゅうこっは無かとじゃなかか? おそらく敵じゃち思うど」
「待ち伏せですか」
ジルベルトが眉を跳ね上げ、腰の剣に手を添えた。護衛の騎士たちの間にも、剣呑な雰囲気が流れ始める。
「待ち伏せちょっちゅうより、待ち構えちょっちゅうほうが正しかじゃろ。隠るっつもりはなさそうやったぞ。数は多かが、弱そうやった。ご下命いただくれば一分以内に皆殺しにすっどん、どうすっ?」
いやなんでそんなに殺意が高いんだよ、フェザリア。僕は困惑しつつ、少しばかり質問をすることにした。
「噂話がどうとか言ってたね? そいつらはいったい、どんな愉快な話をしてたんだ」
「リースベンの調子に乗ったバカ牡に身の程を教えてやる、などとふざけたことを抜かしちょったぞ」
「バカ牡」
僕は思わず吹き出しそうになり、口を押えた。面白い事を言う手合いだな。興味がわいてきた。
「バカ牡、バカ牡ねぇ……ふっ、くくく……言いたくなる気持ちはわるよ、ウン」
男だてらに横紙破りの出世をして、あげく大勢の女を嫁にしようとしている人間だ。世間から見れば、僕は相当なロクデナシだろう。罵倒されても仕方のないような真似をしている自覚は僕にもあった。とはいえ、流石にバカ牡呼ばわりは流石にひど過ぎるだろ。逆に面白いわ。
「ナメねまったクソ犬め。生きたままモツ抜いて代わりに生ゴミ詰めて丸焼きにして豚に食わせてやっど……」
僕は大変に愉快な気分になっていたが、フェザリアは完全にブチギレモードだ。額に青筋を浮かべ、腰の木剣の柄をぎゅっと握っている。いかんいかん、これはヤバイ。笑ってる場合じゃないな。
「ありがとう、フェザリア。僕のために怒ってくれて。だが、いきなりブチ殺すのは流石にマズイ。少しばかり堪えてほしい」
エルフの気の短さを考えれば、身内がけなされているのを聞いた時点でブチ殺しにかかっていてもおかしくないからな。そこを堪えて、キチンと報告しに来てくれたのは大変にありがたい。
「盗賊ん一件ではでぶ絞られたでな……」
頬をフグのように膨らませながら、フェザリアはそっぽを向いた。僕はくすりと笑いつつ、部下たちを見回す。
「さて、さて。相手方は何かを仕掛けてくるようだが、こちらはどうするね? 安牌ねらいなら、このまま知らぬ顔をして来た道を戻るのが一番だが。しかしそれでは面白く無かろう」
「相手が何であれ、こちらをナメているのであればブチ殺すのが貴族の流儀と母に習いました。クズどもに身の程を教えてやりましょう」
怒りに燃える目でそんなことを言うのはソニアだ。同調するように、フェザリアがウンウンと頷く。
「……カステヘルミがそんなこと言ってるの、見たことないんだけど」
「デジレお義母様にならいました」
「……ああ、僕の方の母上か。確かにそんなこと言ってたね……」
僕はため息をついた。だから、こっちから仕掛けるのは論外だっての。
「おそらく戦力ではこちらの方が上でしょうから、いざ戦いとなってもそれほど恐れる必要はありません。とりあえず手を出してくるのを待って、反撃で叩き潰してからその思惑を聞きだすというのが鉄板でしょう」
腕組みをしたジルベルトがそう提案する。こちらはなかなかに現実的な案だ。そもそもの話、待ち構えている連中とやらの目的自体今のところ不明なわけだからな。姿も隠していないというのであれば、攻撃を仕掛けてくる可能性はかなり低いように思える。せいぜい、因縁をつけて来るとか嫌味をいってくるとか、その程度の可愛らしい嫌がらせをしようとしているだけかもしれない。もしそうなら、いきなり先制攻撃というのは選択肢として剣呑すぎる。
そして万一戦闘になった場合も、この案であれば十分に対処可能だ。我々の仲間には森林戦でおおいに力を発揮するエルフ連中が居るし、ソニアやジルベルト、ゼラも一流の戦士だ。さらに、この場にはいないがネェルも密かにバックアップに入っている。口笛を吹けば即座に最強カマキリ娘がデリバリーされる仕組みだった。たとえ敵集団が全員
一人前の騎士でも、勝利する自信は十分にある。
「たぁいえ所詮は使い捨ての小物じゃろうけぇのぉ。どれほど情報を持っとるやら……」
ゼラが肩をすくめながらそんなことを言う。まあ、こちらも一理ある意見だ。とはいえ、まあ小物なら小物で使い道もある。僕は、ジルベルトの案を採用することにした。
「どうだろう、案外大物がかかるかもしれんぞ? ま、とりあえず敵がどう出てくるかを見極めようじゃないか」
僕はそう言って、獣道の先を見据えた。 相手はオオカミ獣人ということなので、十中八九ミュリン伯の手の者だろうが……別の陣営がかく乱を図ろうとしている可能性もある。当のミュリン伯は、先ほど僕を穏やかな物腰で茶会に誘ったばかりなのだ。その直後に何かしらネガティブなアクションを投げてくるというのは、行動として一貫性がないように思える。……ううーむ、完全に情報不足だな。こういう時は、腹をくくって前進するしかあるまい。
作者体調不良のため明日(R4/11/24)の投稿はお休みします




