第417話 くっころ男騎士と老狼騎士
二日後。ズューデンベルグ市郊外に広がる森で、いよいよ狩猟会が始まった。主催者のディーゼル家は神聖帝国南部の顔役の一つにも数えられる名家であり、狩猟会自体も三代前から定期的に開催されているという伝統あるものだ。周辺諸邦からは、少なくない数の参加者が集まっていた。
「こちらは、ヴァレンシュタイン伯爵の姪に当たられます、ポラーク子爵殿です。ポラーク子爵、こちらはリースベン城伯のアルベール・ブロンダン殿」
「お初にお目にかかります、城伯閣下。ヴァレンシュタイン伯家で禄を食んでおります、ポラーク・フォン・ヴァレンシュタインと申します。以後お見知りおきを」
「ご丁寧にありがとうございます、ポラーク子爵殿。こちらこそよろしくお願いします」
ルネ氏に紹介され、にこやかな表情で一礼するキツネ獣人貴族と僕は握手を交わした。狩猟会に先立ち、森の手前に設営された待機所では集まってきた貴族たちの挨拶会が開かれていた。もちろんディーゼル家は神聖帝国に属する領主なので、当然招待された貴族たちも神聖帝国側の者ばかり。ガレア貴族である僕としては完全にアウェイの環境ではあるのだが、針の筵に晒されているかといえばそうでもなかった。
露骨に嫌味を言って来たり、あるいは侮ったような態度を取ってくるような者は、ほとんどいない。どうやら、僕がリースベン戦争でディーゼル家に打ち勝ったという部分が大きいようだ。なにしろここに集まった貴族の大半が、このズューデンベルグの近所に領地を持つ貴族やその縁者だ。いざ戦争ともなれば、僕と矛を交える機会もあるかもしれない。ヘタに舐めた態度を取って恨みを買うような真似は避けたいのだろう。
「これはこれは、ブロンダン卿! 一目お会いしたいと思っておりました。噂通り……いや、噂以上にお美しい。……ああ、申し遅れました。それがしはヒンデミット騎士領を治めております、騎士ヴィクトーリア・フォン・ヒンデミットであります」
ポラーク子爵との挨拶が終わったと思えば、即座に新手が現れる。今度はクマ獣人の騎士だ。挨拶者は彼女で十五人目。会は始まったばかりだというのにこの数字だ、忙しいことこの上ない。いちいち対応せねばならない僕も、そして仲介者として僕たちに同行してくれているルネ氏も大忙しだった。
いやほんと、ここまで僕に会いに来る人が多いとは思わなかったよ。露骨に排斥されるような真似は流石に無いにしても、村八分状態くらいにはなるんじゃないかと思ってたんだけどな。蓋を開けてみれば大盛況だ。なんなら、わざわざ手土産まで持ってきてくれる人も少なくないのだから驚きだった。
「そちらは、ソニア・スオラハティ殿ですな。貴女の噂も耳にしております。なんでも、王国で一番の剣士だとか。お会いできて光栄であります」
「まだまだ修行中の身だ。あまりおだてないでいただきたい、ヒンデミット卿。わたしのような若造が調子に乗ったら、あっという間に身を持ち崩してしまうからな」
大人気なのは、ソニアも同じだった。というか、何ならまとわりついてくる人数で言えば彼女のほうが上ですらあった。ノール辺境伯の長女という立場は、辺境領から遠く離れたこの南の地でもたいへんに有効らしい。自己紹介をする必要もなく、彼女の名前は周囲に知れ渡っていた。
「なんのなんの、ご謙遜することもありますまい。それがしも剣士の端くれ、目の前の相手の技量はそれなりにわかり申す……」
ソニアがヒンデミット卿の相手をしているうちに、周囲をうかがう。僕たちの周りには、完全に人垣ができていた。このクマ獣人騎士の相手が終わっても、即座に新手が現れるだろう。この挨拶祭りがいつになったら終わるのか、全く予想が出来ない。大盛況にもほどがあるだろ。これでは敵情視察どころではないので、たいへんに困ってしまった。
僕たちの"標的"であるミュリン伯は、どうやらこの狩猟会に参加するらしい。もちろんディーゼル家と犬猿の仲(まあディーゼル家は猿ではなく牛だが)であるミュリン伯が、そのディーゼル家主催の狩猟会に参加するのは異例中の異例である。完全に、こちらの誘いに乗ってきた形だろう。予想通り、ミュリン伯はなかなかにガッツのある手合いのようだ。
そういう油断ならぬ相手だから、できればこちらから先制攻撃(もちろん比喩的な意味だ。平和的な催し物の最中に奇襲を仕掛けたらエラいことになる)を加えたかったのだが、どうやらそれどころではない様子である。ヤンナルネ。
「初めまして、だ。ブロンダン卿」
などと考えていたら、案の定新手が出てくる。反射的にそちらを見ると、そこに居たのはいかにもやり手そうな雰囲気を漂わせたオオカミ獣人の老女だった。老女といっても、弱々しい雰囲気はいっさいない。白髪頭で顔は皺くちゃだが、背筋はピンと伸びており表情にも覇気が満ちている。一目で只者ではないとわかる婆さんだった。……おや、コイツは……。
「ミュリン伯です、ブロンダン殿」
仲介役のルネ氏が耳打ちしてくる。なるほど、彼女がミュリン伯か。僕は一礼しつつ、相手方を観察する。年のころは七十と聞いているが、その割に体格は良い。一目で武人とわかるしなやかな体つきで、革製の実用的な狩猟服が良く似合っていた。腰には使い込まれた片手半剣を差している。これはなかなか手ごわそうだ。
「ミュリン伯領の頭領、イルメンガルド・フォン・ミュリンだ。まあ、よろしく頼むよ」
「どうもよろしくおねがいします、ミュリン伯爵閣下。アルベール・ブロンダンです。……こちらからご挨拶に出向こうと思っておりましたが、先を越されてしまいましたね。申し訳ありません」
そう言って、ミュリン伯爵は皮肉げな笑みと共に握手を求めてきた。僕は彼女の手を握り返しつつ、内心息を吐く。先制攻撃を仕掛けるどころか、逆に仕掛けられてしまったな。大物ぶってこちらが挨拶に向かうまで待っているのではないかと思ったのだが……なかなかフットワークの軽い御仁だ。厄介な相手だぞ、これは。
「そう気を使う必要はないさ。噂が確かなら、近々伯爵に昇爵するって話だろ? そうなりゃあたしらは同格だ。ため口で構わないさね」
そんなことを言いながら、ミュリン伯爵は親しげに僕の肩を叩いてくる。言いようによってはたいへんにイヤミになるような発言だが、彼女の口調には一切の屈託がなかった。
「そういう訳にはいきませんよ。人生の先達には敬意を払えと母から教えられておりますので」
「なるほど、すばらしい教育だ。良い御母堂に恵まれたと見える」
ミュリン伯爵の口調には、敵意がない。古なじみの友人と話すときのような気安さだ。なんの前情報も持っていなかったら、付き合いやすそうな相手だなと判断していたかもしれん。うーむ、彼女の思惑が読めんな。ヤクザめいてさや当てを仕掛けてくるのかと思えば、そういう様子もない。純粋に挨拶をしに来た、という風情である。
とはいえ、油断はできん。まだ確定的な証拠は挙がっていないとはいえ、彼女の手の者らしき連中がズューデンベルグで暴れまわっているのはほぼ確実なんだ。腹の底ではいったいどんな思惑がうずまいているのやら分かったものではない。
「……できれば長々話し込みたいところなんだが、後ろがつっかえていてね。チンタラしていたら、背中を刺されそうだ」
後ろをチラリと振り返って、ミュリン伯爵は肩をすくめる。
「よければ、狩猟会が終わった後に時間を作ってもらってもいいかい? お互い積もる話もあるだろうからさ。茶でもしばきながら、ゆっくりやろうや」
「おや、お茶会ですか。貴女のような立派な騎士殿に誘われてしまうと、ドキドキしてしまいますね」
うわ、なかなか突っ込んでくるじゃないの、このババア。何かの罠か? 一瞬考え込んでいると、誰かが僕の背中を優しく叩いた。ダライヤだ。彼女は無言で小さく頷いている。……ふーむ、ここはこちらもおばあちゃんの知恵袋で対抗するとするか。ババアにはババアをぶつけるんだよ。
「……見ての通り、婚約者がいる身の上でして。浮気を疑われてはいけませんから、妻同伴でもよろしいでしょうか?」
「こんなババア相手に何を言ってんだい、お前さんは。まあ、私があと五十若けりゃ一も二もなく本気で口説いてただろうがね。……ソニア・スオラハティ殿もご一緒か、そいつは願ったりかなったりさ。もちろん、歓迎させてもらうよ」
カラカラと笑いながら、ミュリン伯爵は僕の提案を飲んだ。ふーむ、さて。彼女はどう出てくるつもりかね? ノコノコ茶会に出向いたら、怖いお姉様がたに囲まれて誘拐されちゃいました、などという事態になったりしたら最悪だが。……ま、なるようにしかならんか。幸いにも、ここは敵地ではなく味方の勢力圏。地の利はこちらにある。大規模な伏兵を仕掛けるなどというのは不可能だ。少々荒っぽい事態になっても、ソニアとネェルがいれば大概の事態はなんとかなるだろうし。