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第415話 くっころ男騎士と撒き餌

「ああ。あの血に飢えた狼。卑劣で執念深いババアさ……」


 アガーテ氏はひどく憎々しげな声でそう呟いた。彼女が罵倒した相手はミュリン伯。一連の騒動で幾度となく耳にした名前の貴族である。僕はジョッキのビールをチビチビと飲みながら、思案する。ミュリン伯についての調査は進めているが、分かっていることはそう多くない。この機会を利用して、彼女の情報を出来るだけ集めておくべきだろう。


「今さらですが、ミュリン伯とその周辺について詳しく教えてもらってよろしいでしょうか? なにしろ我々はよそ者、付け焼刃ていどの知識しかありませんので……」


「もちろんだ」


 頷いてから、アガーテ氏は塩漬け発酵キャベツ(ザワークラウト)を巻きつけた太いソーセージに豪快にかぶりついた。相変わらず、貴種とは思えぬ豪快な所作である。まあ、田舎の地方領主なんてのはだいたいこんな感じだが。


「今のミュリン伯は、イルメンガルド・フォン・ミュリンというオオカミ獣人の女さ。もう七十歳を超えたババアでな、本来ならとうに隠居してるような年齢だが……敵ながらなかなかの傑物で、当主の座に居座ってる」


「なにやら親近感を覚える経歴ですのぉ」


 ニヤッと笑うダライヤの脇腹を、僕は人差し指で突いた。アンタが出てくると話がややこしくなるから今は黙ってなさい。


「娘の方は?」


 などと聞くのはソニアだ。確かに、七十歳ともなるといかに強靭な亜人とはいえ前線に立つのは難しかろう。万一戦争になった場合、前線で実際に相対するのはその娘や孫である可能性が高い。


「良く言って凡骨、という感じだ。さっさとこいつに当主の座を譲ってしまっていたら、話は楽だったんだが」


「ふぅむ……」


 後継者に恵まれなかった、という訳か。それこそ、ロリババアと同じような状況にあるわけだな。


「娘や孫の方は、まあそこまで恐れる必要もない。私も何度か顔を合わせたことがあるがね、馬鹿とは言わんがせいぜい山賊団の頭領程度の器量だ。……つまり、私らと大差ないってことだが」


 皮肉げに笑い、アガーテ氏は僕たちにしか聞こえないような声で小さく付け足した。なかなか厳しい自己評価だな。これまでの立ち振る舞いを見るに、彼女にズューデンベルグの領主としての器がないとは思えないのだが。


「しかし、ババアのほうはなかなかに厄介だ。もともとの地頭がいい上に、そこに長年の経験まで加わっている。陰謀めいた寝技から正面決戦まで、柔軟に動ける女さ」


「なるほど、確かにババアは厄介ですね」


 僕は我が家のロリババアをチラリと見ながら言った。彼女は小さく頬を膨らませ、子フグのような顔になる。


「七十ならまだまだ若造(にせ)じゃ。恐るっに足らん」


 腕組みをしながらそんなことを言うのはフェザリアだ。……ロリババアの陰に隠れがちだが、彼女もすでに数百歳だからなあ。まあ、七十歳は小童としか思えないだろうね。でもそれを口に出すのはどうかと思う。

 ……などと考えていたら、夢中でソーセージを食べていたハズのネェルがフェザリアの肩をチョンチョンと叩き、口の前で鎌を立てて「シーッ」と小さく言った。エルフ皇女様はこれまたプクッと頬を膨らませつつも、小さく頷く。エルフには不満を覚えるとフグみたいになる習性でもあるのだろうか?


「それに加え、ミュリン領自体の国力も油断ならん。こちらの領地は山際だが、向こうは完全な平野部だ。畑が広い分麦の収穫量も多く、資金力も兵力も我が国をやや上回っている。こちらはそのぶん、精鋭の比率を多くすることで対抗してたんだが……その精鋭は、もういないからな」


 そう語るアガーテ氏の表情は、やや恨みがましい様子だった。ま、こればっかりは仕方ないね。ディーゼル家の精鋭部隊を壊滅させたのは僕だし。でも、あれはあくまで防衛戦争だったので最終的な責任はそっちにあると思う。……本人もそれがわかっているから、それ以上言わないんだろうけど。

 まー、何にせよだ。この発言は、要するにもしミュリン伯が戦争をおっぱじめた場合、ディーゼル家独力で対処するのは難しいと暗に認めているということだ。当然と言えば当然だろうな。独力で何とかできるなら、これほどリースベン側にベッタリとくっつく必要はないし。

 うーむ、しかしこっちとしても気軽に「オウ任せとけ!」と言ってやるわけにもいかないんだよな。ディーゼル家がガレア王国の貴族ならば話が早いんだが、実際は歴史的な宿敵とも呼べるような国家(と呼んでいいのかも怪しい諸領邦同盟)、神聖帝国の領主なわけだし。下手に介入すると、むしろリースベン側からの侵攻と受け取られて皇帝家が出てくる可能性がある。


「とはいえ、ミュリン伯側も我々がディーゼル家のバックについていることは理解しているハズ。交易路に嫌がらせ攻撃を仕掛ける程度ならまだしも、全軍を出撃させて正面決戦を狙ってくるような真似をしてくるでしょうか?」


 ソニアの指摘に、僕は頷いた。アガーテ氏の話では、ミュリン伯本人はなかなかの人物である様子だ。酸いも甘いもかみ分けた熟練の武人が、あえて博打めいた戦争をしかけてくるだろうか? ミュリン伯とて、リースベン戦争の顛末は知っているはず。あえて同じわだちを踏みに来るとは思えないんだが……。


「さあてね、それはわからん。ただ、ミュリン伯家とウチは因縁の相手だ。あの連中とのいくさでウチの親類は何人も戦死している。私の婆様だってその一人だ。連中を滅ぼすチャンスが目の前に転がってきたら、少々危なくとも飛びつくだろうな。……そしてそれは、向こうも全く同じことだろうさ」


「因縁の宿敵、というわけですな。厄介な」


 地豪同士の因縁というのは、かなりシャレにならないんだよな。百年とか二百年とかいう単位で殺し合いを続けていたら、そりゃあ恨みを忘れるなんてムリだろう。むーん、厄介な……。正直、関わりたくないなぁ。領地に籠って内政してるほうがよっぽど楽しいよ。でも、そういうわけにはいかんのだよな。ズューデンベルグはリースベンの弁当箱だ。因縁の相手だろうが何だろうが、奪われるわけにはいかん。

 ……とはいえ、話が確かならミュリン伯はそれなりに頭の回る人物のようだ。実際に話し合ってみれば、意外となんとかなる可能性も無くはない。七十になるまで前線に立ち続けた武人であれば、無意味な殺し合いの馬鹿らしさも知っていることだろうし。


「とはいえこういう場合は、僕のような無関係なよそ者が間に入った方が、却って落ち着いて話ができるかもしれません。やはり、ミュリン伯とは一度直接顔を合わせておきたいところですね。……まあ、そのためにわざわざこれだけのメンツを引き連れてズューデンベルグにやってきたわけですが」


 僕はそういって、自分の配下たちを見回した。この場には、リースベンの幹部陣がほぼ勢ぞろいしている。そしてその情報は、意図的に周囲へ漏らしていた。いわば、撒き餌だ。


「これだけの餌を並べたわけですから、ミュリン伯も無視はできんでしょう。なんなら、狩猟会をご一緒できるやもしれませんな」


「アイツがウチの狩猟会に、か」


 露骨に嫌そうな顔をして、アガーテ氏は目を逸らした。ミュリン家そのものを憎んでいる、という彼女の言葉はどうやら嘘ではない様子だった。


「……こんな見え透いた罠に引っかかるかね? ミュリン伯は」


 懸念というよりは願望に近いその口調に、僕は意識して自分の顔に獰猛な笑みを張り付けた。……気分はわかるがね、まあ我慢してほしい。こっちだって慈善事業でディーゼル家に協力しているのではない訳だし。


「虎穴に入らずんば虎子を得ず。罠とわかってもいてなお踏み込む程度の勇気もない手合いであれば、それこそ恐れるに足りませんよ」


 実際、ここでビビッてイモを引くような相手ならば、却って話は簡単になる。ディーゼル家への干渉を強め、露骨に守りを固める姿勢を見せれば良いのだ。それだけで、向こうは直接的に手を出せなくなってしまうだろう。

 つまりは、ここが一つの分水嶺。ミュリン伯は、一体どういう手を使ってくるだろうか。選択肢は三つ。無視をするか、狩猟会に出席して僕のツラを見に来るか、あるいはいきなり武力を行使してこちらの一網打尽を狙うか……。


「……」


 最悪なのは三つ目の選択肢だが、こちらにはソニアとネェルがいる。まあ、何とかなるだろう。そう思いながら、僕はビールでソーセージを喉奥に流し込んだ。

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