第413話 くっころ男騎士とズューデンベルグ市
手早く準備を整えた僕たちは、狩猟会に出席するためにお隣の領邦ズューデンベルグへと旅立った。お隣と言っても、そこは陸の孤島とも称されるクソ立地のリースベン。ズューデンベルグへたどり着くためには、深い森を越え、さらには極めて峻険な山脈を突破せねばならない。結局、僕たちがズューデンベルグ伯領の首都ズューデンベルグ市へと到着したのは、出立から四日後のことだった。
「ここがズューデンベルグか……」
周囲を見回しながら、僕はそう呟く。小麦の産地ということもあり、ズューデンベルグには平原の国というイメージがあったのだが……その予想に反し、この街は典型的な山岳城塞都市だった。僕たちが"北の山脈"とよぶ険しい山岳地帯に寄り添うように建設され、高低差や城壁を利用して守りやすく攻めがたいように設計されている。
立ち並ぶ家々も豊富に産出される石材を生かした石造りのものばかりで、そこらの民家ですら我が領主屋敷よりも頑丈そうに見える。なんとも武張った印象の強い街だったが、大通りを行きかう人々の数はリースベンの首都カルレラ市などよりも遥かに多い。よく発展した、立派な街だ。
「いい街だろう? 私の自慢だ」
そう言って馬上から胸を張るのは、街の正門で僕たちを待ち構えていた領主アガーテ氏だった。僕は城伯で、彼女は伯爵。貴族の位階としては彼女の方が一段高く、迎えの者だけを寄越して自分は屋敷で待っていても許される立場なのだが……わざわざ、自ら出迎えをしてくれたのである。それだけ、こちらを重視しているということだろう。
「素晴らしいですね。カルレラ市も、この街をお手本に発展させたいものです」
これは決してお世辞などではなかった。このところ発展いちじるしいカルレラ市だが、ズューデンベルグ市と比べれば所詮は月とスッポン。クソ田舎のひなびた集落に過ぎない。領主としては、ぜひともこの街に負けない大都市へと育て上げたいところだった。
……まずは通りの舗装からだな。僕はそんなことを考えながら、馬上から足元を見降ろした。僕たちの歩いている大通りは、丸石によってしっかりと鋪装されている。一方、我らがカルレラ市は街一番の大通りですら土丸出しの未舗装路だ。雨が降るたびにドロドロぐちゃぐちゃになってしまうので、不便なことこの上ない。
「しかし、少々意外でした。カリーナからは、ズューデンベルグは広大な麦畑の広がる土地だと聞いておりましたが……この街は、典型的な山城ですね」
「確かにウチは麦の大産地だがね、畑があるのは北のシュワルツァードブルクという街の周辺さ。そっちのほうは、ご想像の通り見渡す限りの大平原なんだが……なにしろこの辺りは大昔から戦乱の絶えない土地だ。そんな開けた場所に本拠地を構えていたら、あっという間に攻め落とされちまうよ」
アガーテ氏の説明に、僕は納得した。……いや一応、事前にそのあたりは調べていたんだけどね。ただ、やはり所詮は部下からの報告。実物を自分の耳目で確認するのとでは、納得感が違う。たしかに、この街を攻め落とすのは尋常は無くむずかしいだろう。
「政治の中心はズューデンベルグ市、経済の中心がシュワルツァードブルク市。そういう風に聞いておりますね」
僕の隣を固めるようにして進むソニアが、周囲を見回しながら言った。
「さすが、良く調べてあるな。……お望みであれば、後日シュワルツァードブルク市にも案内しよう」
「おお、それは是非ともお願いしたい」
領主という身分だと、気軽に旅行にも行けないからな。いろいろ見聞させてくれるというのならば、こんなに嬉しいことは無い。……それに、いざ戦争となった場合、主戦場となるのはこの街ではなくシュワルツァードブルク市のほうだろうしな。
確かに、この街は守りやすく攻めがたい。大軍に包囲されても、そう簡単に落城はしないだろう。しかし、ミュリン伯の目的は麦畑だという話だ。こちらを無視してシュワルツァード市のほうを落としてしまえば、戦争目的は達成されてしまう。アガーテ氏もそれを理解しているから、シュワルツァード市のほうも案内すると言ってくれているのだろう。
「とはいえ、それはまた後で……だな。この街は、たんなる軍事都市などではないのだ。名物もたくさんある、ぜひとも楽しんでいってくれ」
「ほう、名物ですか」
「ああ。例えば、そう……アレとか」
ニヤリと笑い、アガーテ氏は視線を大通りの脇へと向けた。そこにはいくつもの商店や露店が軒を連ねており、なんともにぎわっている様子だった。その中でも目立つのが、食べ物を扱う店である。つながった状態のソーセージがカーテンのように垂れ下がった店もあれば、チーズの塊を山のように積んでいる店もある。
それらから放たれる香りは食欲を刺激することこの上なく、気を抜くと腹の虫が鳴いてしまいそうだった。正直、こういう状況でなければ即座に茹でソーセージの露天にでも立ち寄り、買い食いを楽しんでいるところだ。
「この街は畜産が盛んでね。とくに、その肉で作ったソーセージは絶品としかいいようがない」
「ほう……それは楽しみですな」
農地も狭ければ牧草地にも乏しいリースベンでは肉類も貴重だ。領主である僕ですら、腹いっぱいになるまで肉を食べたのは去年の星降祭でやったバーベキュー会が最後だったりする。安くてうまい肉が食えるのなら、こんなに嬉しいことは無い。
「それは、それは。お味の方が、気になりますね?」
そして、肉の話になれば僕よりもよほど食いつきの良い人間が、一行には混ざっていた。僕の専属護衛、ネェルである。規格外の巨体をブロンダン家の家紋入りの上着に収めた彼女は、ディーゼル家の護衛や通行人からむけられるぶしつけな視線を跳ね返しつつ肉食獣めいた目つきで周囲の店を眺めまわしている。
僕の専属護衛としてこの旅に同行したネェルではあったが、当然ながらたいへんに目立っていた。なにしろ図体が図体なので仕方が無いが、好奇や恐怖の目で見られるのはあまり精神衛生上よろしくなかろう。……などと心配していたのだが、本人はまったくどこ吹く風。物見遊山を楽しんでいる様子だった。
「は、はは……興味を持ってもらえたようで何より」
いかにも勇猛果敢な若武者という風情のアガーテ氏だが、そんな彼女でも流石にネェルは恐ろしく感じるらしい。思いっきり顔を引きつらせながら、震える声で答える。
「美味しそうな、お肉が、たくさん、あるので……じゅるり」
ネェルは背筋が凍り付きそうな笑みを浮かべつつ、アガーテ氏の周囲を固めるディーゼル家の騎士たちを眺めまわした。彼女らはみな体格の良いウシ獣人ばかりで……たしかに、彼女からすれば"美味しそう"に見えるかもしれない。自分たちが捕食対象として見られていることに気付いたのだろう、騎士らはみな一瞬にして顔色を失った。
「そろそろ、我慢が、限界です。お行儀が、悪い、ですが、この場で、食べても、よろしい、ですか?」
「昼食前のオヤツか。まあ、控えめにね」
とはいえ、そんな恐ろしいカマキリ虫人も、僕たちにとってはすっかり日常の一部だ。従者を呼んで銀貨を手渡し、ネェルの望みの物を買ってくるように命じる。……アガーテ氏の屋敷では饗応の準備が整っているらしいが、このカマキリ娘の食欲は無尽蔵だからな。少しくらい間食をしたって問題は無かろう。
そうして従者が買ってきた山のようなソーセージやチーズを、ネェルはニコニコ顔で食べ始める。なかなかにお気に召す味だったらしく「うま、うま」などと声を漏らしていた。その派手で恐ろしい喰らいぶりに、遠巻きにこちらを眺めていた民衆からは恐怖の声が上がる。
「う、噂以上の豪胆ぶりだな、ブロンダン卿。あのような者を傍に置くとは……。」
恐怖を感じているのはアガーテ氏も同じらしい。彼女はチラチラとネェルの方を見ながら、小さく息を吐いた。
「食われそうになった時にはチビりかけましたがね、友人になってしまえばこんなに頼りになる戦士はそうそういませんよ」
「く、喰われそうになった!?」
「ええ、まあ。……あ、別に頭からバリバリと喰われかけたわけではないですよ。腹減ったから腕一本くれって頼まれただけで……しかも御覧の通り無事に五体満足で生還できているので、それほど怖がる必要はありません」
「……」
露骨に顔を青くしながら、アガーテ氏は僕とネェルを交互に見た。そして首を小さく左右に振り、ため息をつく。
「そんな相手を、自らの護衛に据えてしまうとは。私も人から恐れを知らぬ戦士だと称されたことはあるが、ブロンダン卿に比べれば所詮は匹婦にすぎんな。本物の勇士とは、貴殿のような人間のことを言うのかもしれん……」




