第410話 くっころ男騎士と春
南国リースベンの冬は短い。山積した仕事を処理することに熱中していたら、あっというまに春になっていた。草木は芽吹き(まあリースベンの森に生えている樹木は常緑樹が大半だが)、虫や小動物が冬眠から目覚め始める。なんとも気持ちの良い季節がやってきた。
「まぁーたエルフが勝手に盗賊を討伐して街道でさらし首にしてるって?」
絶好の散歩日和が続く中、僕は領主屋敷の執務室でカンヅメになっていた。リースベン各地から送られてくる報告書や陳情書を読んでは一喜一憂し、ヒトやらモノやらカネやらを差配する。まあ、正直……仕事の内容としては、冬頃と大差ないことをやっていた。
とはいえ、やはり変化もある。蛮族どもの集落は一時的な冬営地から恒常的な村落へと変わり、リースベンの首都カルレラ市も街の拡張工事が進みつつある。暖かくなったことで商人の通行量も増え、景気はますます上向きになりつつあった。……景気が良すぎて、そろそろ規制が必要なんじゃないかというレベルになりつつあるがな。行き過ぎたバブル経済は却って有害なのである。
「またかね!? これでいったい何度目だね……」
そう言って頭を抱えるのは、なんとも疲れた表情のアデライドだった。彼女はここしばらく王都とリースベンを定期的に往復し、王国宰相とリースベンの事務方トップという二足の草鞋を履いていた。正直、僕より忙しそうである。
ちなみに、彼女と共にリースベンで避寒をしていたカステヘルミは、自分の領地であるノール辺境領に帰ってしまった。なにしろ彼女は領主で、春先は特に急がしい時期だ。自領から遠く離れたこの地でノンビリしている余裕は、もうなかったのである。冬の間幾度となく寝所を共にした彼女と離れ離れになるのは寂しかったし、仕事の上でも随分と彼女に頼ってしまっていたので、一時的なこととはいえ別れは大変に辛かった。
おそらく、次に顔を合わせるのは領主業が落ち着き始める夏頃になるだろう。領主を娘(つまりはソニアの妹)に譲ったあとは、リースベンに移住しようかという話になっているのだが……。
「ダライヤくん、なんとかしたまえよ。エルフは君の管轄だろう? 街道の治安維持をしてくれるのは有難いが、報告も無しに勝手に暴れまわったあげく、人目のつく場所に大量の生首を並べられては流石に迷惑だ!」
「ええーっ、ワシにそんなことを言われても困るんじゃが」
唇を尖らせて、アデライドの対面の席で事務仕事をしていたダライヤが文句を言う。もともと頭が良く、さらには豊富な経験のある彼女は軍事に交渉事に事務仕事にと大活躍をしており、すっかりリースベンの柱の一人となりつつあった。もちろん、本人の望んでいる穏やかな隠居生活とは程遠い激務の日々である。ちょっと可哀想だが致し方あるまい。リースベンは人手不足なのだ。
「君はエルフの長だろう。監督責任の義務は君にある」
「下手人はフェザリアの部下じゃよ。ワシは関係ないもーん」
「まだ詳しい捜査も始まってない事件の下手人を何故君が知っているのかね!?」
「……」
ダライヤが無言でニヤッと笑い、アデライドは深々とため息をついた。
「ダライヤくんの管轄外だというのなら、アルくんの方で言ってやってくれ。エルフ連中はまったく私の言うことなど聞いてくれないからねぇ……! 腹立たしい話だ」
エルフの価値観で言えば、戦場に出たことも無ければ剣術の腕もからっきしなアデライドはたいへんに雄々しい女だった。そういうわけだから、アデライドに対するエルフの評価はたいへんに厳しいものがある。当然いうことなど聞いてくれるはずもなかった。
「わかった、一応言っておく。一応……」
本当に一応、なんだよな。エルフどもは僕の言うことは聞いてくれるが、逆に真剣に受け止めすぎるきらいがある。あまり強い言い方をすると切腹する者が出るので、たしなめる程度しかできないというのが実情だった。ほんとうに極端すぎてこまるんだよな、あいつら。そりゃあダライヤも匙を投げたがるはずだよ。喉元まで上がってきたため息を冷めた香草茶で飲み下しつつ、僕は次の報告書に目をやった。
「ええと……アリンコ連中が違法賭博を仕切ってるって? またか……」
「そちらもそちらでいったい何回目だね! あの連中には順法意識というものがないのか!」
「あるわけないじゃんそんなの……」
蛮族連中がそんなお行儀のよい奴らだったら、僕はこんなに苦労していないのである。ため息をつき、詳しく捜査するように衛兵隊へと命令書を出す。その衛兵隊からは『完全に業務がパンク状態なので人員と予算を追加で都合してくれ』という悲鳴のような報告書が上がってきていた。まったく、難儀なものである。
「はあ、まったくあの連中は……ゲッ」
頭を抱えつつゴソゴソと何かをやっていたアデライドだが、突然奇妙な声を上げる。そちらに目を向けてみれば、彼女は一通の手紙を手に嫌悪の表情を浮かべていた。
「クロウン傭兵団のクロウン氏からお手紙が来ているよ、アルくん。はぁ、あいつも懲りないねぇ……人の夫に妙な手紙を送りつけてくるんじゃあないよ。読まずに焼き捨ててやろうか」
「ハハハ、また彼奴の手紙か。今回は一体どんな美辞麗句が並んでおるやら楽しみじゃのぅ」
苦々しい様子のアデライドとは反対に、ダライヤは愉快そうな表情だ。……クロウン氏といえば、もちろんあの神聖帝国先代皇帝、アーちゃんことアレクシアだった。彼女は定期的に、僕にラブレターめいた手紙を送りつけてくるのである。
「読もうか?」
まあ、一応は貴人からの手紙だ。無視するわけにもいかん。僕がアデライドのほうに手を伸ばすと、彼女は首を左右に振った。
「だめだめ、こんな汚らわしいものをアルくんの目に触れさせるわけにはいかん。私が読もう」
そう言って彼女は、ナイフで封筒を開けた。すると、中からいくつかの金貨がこぼれ落ちてくる。
「飽きもせずにまた金貨を同封か。ヤツは男の心をカネで買えるなどと勘違いしているのではないかね?」
「オヌシにだけはそんなことは言われたくないじゃろうなぁ、クロウン何某も」
「キミはいちいち一言多いねぇ……アルくん、一応聞いておくがこのカネはどうする?」
「前と一緒の処理で」
「じゃあ、またニコラウス・ヴァルツァーくんに送り返すんだな。はぁ、なんて不毛なカネのやり取りなんだ……」
アーちゃんは毎度のように手紙に金貨を仕込んでくるが、よその国の偉い人からカネを貰うのは大変にマズいからな。もちろん、僕は一度としてその金に手を付けたことは無かった。代わりに、そのアーちゃんの部下であり、男権拡大運動の活動家でもあるニコラウス君にその金を送り付けているのだ。
正直僕としては男権拡大運動などには大して興味は無いのだが、敵国の潜在的な不穏分子をコッソリと援助するのはこちらの国益にもかなうからな。扱いに困る微妙な金の使い道としては、まあ悪くは無かろう。
「まあ、いいじゃないか。所詮はあぶく銭だし」
「まあ、確かにそうだが……。ええと、なになに。うわあ、気持ちの悪い前口上だな。よく見たらこれコレ、流行りのロマンス小説の主人公のセリフ、ほぼ丸写しじゃないか。口説き文句としても及第点未満だぞ、こんなの。口説き文句くらい自分で考えるべきだろうに」
「アーちゃんロマンス小説とか読むの……」
あの背も高ければ胸もデカい獅子獣人美女の顔を思い出しながら、僕は苦笑した。
「まあ、前口上は読み飛ばしていいよ。問題はズューデンベルグの方だけど……仲裁の件について、何か書いてある?」
冬から引き続き、ディーゼル家の治めるズューデンベルグ領ではきな臭い空気が漂っている。国外の領主である僕たちが直接ズューデンベルグに介入するのは避けたいため、皇帝家による仲裁ができないかアーちゃんに問い合わせをしていたのだが……。
「駄目だな。『内戦を避けたいのはこちらとしても山々なのですが、貴国と違い我が国の皇帝と諸侯の関係は主君と臣下ではなく盟主と同盟者に過ぎません。地方領主同士の紛争に対し、皇帝がこれを強引に調停することはできないのです』だ、そうだ」
「役に立たぬ皇帝じゃのぅ。お飾り程度の権能しか持っておらんではないか」
新エルフェニア皇帝ダライヤ・リンド陛下は半笑いになりながら手厳しい意見をお述べになられた。お前も大概お飾り皇帝だろうがこの野郎。
「うーん、困ったね。皇帝家の仲裁が期待できないとなると、選択肢が……」
「まあ、まだ実際に戦端が開かれたわけではないからな。歯がゆいけど、今は様子をうかがうしかないだろう。……おや」
そんなことを言いながら報告書を流し読みしていた僕だったが、北の山脈に建設中の鉱山都市(といっても、まだ山村程度の規模だ)から送られてきた書類に目を止める。そこに書かれていたのは、待望の報告だった。
「こっちは朗報だ。試作型転炉の安定稼働に成功だってさ」
「転炉というと、あれか。銑鉄を鋼に変えるという……」
アデライドの言葉に、僕は頷く。転炉というのは溶鉱炉から供給されるドロドロに溶けた銑鉄(炭素含有量の極めて高い脆くて硬い鉄)から炭素を抜き、強靭で扱いやすい鋼へと変えるための施設だ。これがあれば、従来の方式よりも遥かに安価で大量の鋼を製造することができる。将来のリースベンの基幹産業になること間違いなしの大事業であった。
「そうそう、コイツがあれば鋼材が滅茶苦茶安く手に入るよ。よし、さっそく鋼鉄製野砲の試作を」
「何を言っているんだ君は! 大砲ならこの間やっと定数が揃ったばかりじゃないか! この上さらに新しい大砲を増やすなんて、認められるわけないだろう」
「あれは従来型の青銅砲だよ。鋼鉄砲なら重量と耐久性をはるかに改善することが……」
「大砲は大砲だろう。一緒だ、一緒」
腕組みをしながらそんなことを言うアデライドは、新型砲の製造を頑として認めない構えだ。領主は僕なんだからこれくらい強行したっていいだろうと思わなくもないのだが、リースベンの財政は冬の間に完全にアデライドによって掌握されてしまった。そのため、彼女の許可なしにはビタ一文たりとも予算は降りないのである。
「だいたい君はねぇ、少しばかり金遣いが荒すぎるのだよ。私のことを、無限にカネが湧き出す貯金箱かか何かのように思っているのではないかね?」
「そ、そげなことは……」
そう言って僕がふいと目を逸らした先には、ダライヤがいた。彼女はニヤリと笑い、一枚の書類を掲げて見せる。
「のう領主殿、蒸留所から新式蒸留器の試作がしたいから予算を寄越せと要望がはいっておるぞ」
「えっ、本当? もう設計が終わったのか、早いね。もちろん許可を……」
「君ねぇ! 蒸留器ならもう大きいのがあるじゃないか! 注意している端から無駄遣いしようとはいい度胸だな!」
「いや、いやいやいや。アレは単式蒸留器だから。今回のは連続式蒸留器で、前のヤツとは全然効率が違うんだよ。ただ単に酒が安く作れるというだけではなく、消毒液やら雷酸水銀の製造コストも下げる効果が……」
「蒸留器には違いがないだろう!? 今回ばかりは堪忍袋の緒が切れたぞ、そろそろ折檻のひとつやふたつ……」
激怒したアデライドが、両手をワキワキとさせながら立ち上がった瞬間だった。タイミングよく執務室の扉がノックされ、アデライドは出鼻をくじかれた顔で席に腰を下ろし、深々とため息をつく。僕はほっと安堵しつつ、視線を出入り口へ向けた。
「カリーナです。ズューデンベルグから手紙が来たので、持ってまいりましたー」
聞こえてきたのは、我が義妹カリーナの声だ。兄の窮地を救うとは、なんとも出来た義妹である。後で甘やかしまくってやろうと決意しつつ、僕はコホンと咳払いをした。
「入りなさい」




