第409話 義妹騎士の決意
「うへ、うへへへへ」
その夜、私は焚き火に当たりながら情けのない笑い声を漏らしていた。事情を知らないヤツに見られたら即座に衛兵を呼ばれそうなほど怪しいことをしている自覚はあったけど、抑えようったってムリ。だって、まさかお兄様とキチンと結ばれることが出来るなんて! やっぱり、愛人と正式な妻では大違いだからね。そりゃあ嬉しいに決まっている。
「嬉しいのは分かるがな……あまり気を緩めるのは感心しないぞ」
私を抱きしめながら、ソニアが言った。……なんでお兄様じゃなくてコイツが私に抱き着いてるんだろう? 寒いのはわかるけど、いますぐチェンジしてもらいたい。いや、まあ、そもそも当のお兄様自体、この場にいないんだけどね。どこにいるかといえば、もちろん自室。今日はジルベルトさんと添い寝の日らしく、二人して寝室に入ってそれっきり。
……なんでよ! せっかくの機会なんだから私に代わってよ! 竜人ばっかりズルいよ! って、正直思うけどね。まあでも、ジルベルトさんにはお世話になってるし、なんとか自分を納得させる。これがソニアだったりしたら、たぶんキレてたけど。
「まあ、いいじゃないかソニア。我々だって似たようなものだったじゃないか。ハレの日くらい、浮かれたってかまわないだろう」
ショウガ湯で割ったホットワインを飲みつつ、カステヘルミ様がソニアをたしなめる。私たちは今、領主屋敷の中庭の片隅に集まっていた。なんでこのクソ寒い中わざわざ外に出ているかと言えば、もちろんメンツの中にネェルが混ざっているせい。彼女はとんでもない巨体だから、屋内に入ることができないのよね。
普段の彼女は、厩舎を改造した専用の自室で待機してる。けど、この人ってば結構寂しがりだから、一人で放置しておくのも気が咎める。そこで、ちょくちょくこうして中庭に集まってるってワケ。……初めて会った時は物凄く面食らったけど、今ではこの人もすっかり普通のお友達になってるわね。
「そうですよ。 念願が、叶ったのですから、羨ましくも、めでたい、話ですよ。飲んで、騒いで、祝うのが、友達という、ものです」
ニコニコ顔でそんなことを言うネェルの手には、ひと家族が半月は食いつなげるような巨大な塊パンが掴まれている。それをそのままバリムシャ食べてるんだから、とんでもない迫力だった。
「ネェルなんて、まだ、専属護衛止まり、ですからね。負けて、られませんよ。うふふ」
「そ、そうだな……ウン」
ちょっと引きながら、ソニアが頷いた。自分の婚約者が多数の女から狙われていて、しかもそれを阻止する方法がないというのは……なかなか複雑でしょうねぇ。いやまあ、私も正直納得しがたい部分はあるけどさ。騒いでもどうしようもないことだから、黙ってるけど。
とはいえ……一番大変なのはお兄様か。いったい、何人の女を相手にしなきゃいけないのやら。可哀想というか、なんというか。まあ、考えなしに誰かれ構わず誘惑しちゃったお兄様にも、多少の責任はあると思うけどさ。
「いやはや……しかし。ありがとうございました、カステヘルミ様。今回の件で私を推薦してくれたのは、カステヘルミ様でしょう? まったく、なんとお礼を言っていい物やら」
そう言って私はカステヘルミ様に深々と頭を下げた。お兄様は、私との結婚を政略によるものだと言っていた。とはいえ、私はなかなか微妙な立場だからね。ディーゼル家のほうから勘当の解除を言い出したとはちょっと思えないし、そうなるとリースベン陣営の誰かが私を推薦してくれたとしか思えないんだけど……そういうことをしてくれそうな乗って、カステヘルミ様くらいだろうし。
「なに、大したことはしていないよ。実際、ディーゼル家はぜひともこちらに取り込みたい勢力だからね。そのついでに君が本懐を遂げられるというのなら、まさに一挙両得だ。狙わない手は無いだろう」
ニコリと笑って、カステヘルミ様は肩をすくめる。ううーん、なんて仕え甲斐のある上司なんだろう! これがガレア王国最大の領主貴族の人心掌握術か……。
「おい、カリーナ。たしかにこの案を思いついたのは母上だが、アル様とアデライドを説得したのはこのわたしなんだぞ? 少しばかり、こちらにも感謝を向けるべきじゃないのか」
ムッスリとした口調でそう言ったソニアが、私の頭をアゴでぐりぐりとする。
「え、本当ですか!?」
「ああ、そうだ。ただでさえ、アル様は我々や蛮族連中の相手もせねばならんのだ。これ以上、ご負担を増やすのは避けたい……。これがアデライドの考えだ。説得するのは容易ではなかったぞ」
「そ、それはそうでしょうが……なら、どうしてソニア様は私を認めてくださったのですか?」
「可愛い義妹の幸せを願わぬ姉がどこに居る……」
ふいと目をそらしながら、ソニアはそう言った。私はジーンとなって、思わず身震いした。お、お姉さま……!
「その優しさを、実の妹たちにも向けてやればよいものを」
ちょっと呆れた様子で、カステヘルミ様がボソリと呟いた。ソニアのほうは若干身を固くしながら、唇を尖らせて「あいつら全然かわいくないもん……」と呟く。
「それはさておきだ。カリーナ、本当に油断だけはするなよ。我々の状況は、決して楽観できるものではない。ガレア王室からの疑念もいまだ鎮火したとは言い難いし、貴様の実家のほうも今にも火の手が上がりそうな気配だ。来年も、平和な年にはならない可能性が高い……」
「王室はよくわかんないですけど、ディーゼル家のほうは……たぶん一戦あるんじゃないかなって、私も思いますよ。なにしろ相手がミュリンじゃあ……」
あのいけ好かないお隣さんの憎たらしいツラを思い出しながら、私はそう吐き捨てた。もちろん私も元はディーゼル家の本家筋の人間だから、あの連中とは一度ならず顔を合わせたことがある。あの貴族というよりは山賊と言った方が正しそうな連中のことだ、ディーゼル伯爵軍の戦力がかなり落ちている現状を座視するとはとても思えない。
「また、戦争ですか。勘弁、してほしい、ですね。いくさは嫌でございます、的な?」
深々としたため息をつき、ネェルが肩をすくめる。
「たいていの人間はそうだ。戦争なんかしたら、人も金も物も減る。ロクなことはない」
「ええ。新鮮な、お肉が、いっぱい、無駄に、なりますしね。もったいない」
「……」
「……」
「……」
私もソニアもカステヘルミ様も、しらーっとした視線をネェルに向けた。彼女はちょっと慌てた様子で、首をぶんぶんと振る。
「もちろん、冗談です。マンティスジョークは、お嫌い、ですか?」
「……ノーコメントで」
ソニアは目をそらしながらそう言った。私も同感だった。ネェルはいいヤツだけど、それはそれとして冗談のセンスは最悪だと思う……。いやそもそも本当に冗談なのだろうか? 本気だったとしても、全然おどろかないんだけど。
「まあ、何にせよ……嫌でも、なんでも、時には、避けられぬ、モノですからね、戦いって。準備は、しておかねば。アルベールくんも、言ってましたよ。汝平和を欲さば、戦への備えをせよ、とかなんとか」
「ああ、当然だ。冬のうちに、リースベン軍を強化しておかねばならん。とりあえず、従来のリースベン兵と蛮族兵の合同訓練からだな……」
「いいですね。弱い、人たちは、集まって、連携してこそ、真価を、発揮します。訓練の、相手が、ご所望なら、ネェルに、お任せを」
バカでかいパンを片手に、ネェルは鎌を掲げて見せる。……あのエルフやアリンコを弱者扱いできるのはネェルだけだよ!!
「たしかにお前は王軍の精鋭より恐ろしいがな……」
ちょっと呆れた様子で、ソニアは肩をすくめる。ネェルが訓練の相手じゃ、どんな古強者も自信を喪失しちゃいそうね……。
「とりあえずは、基礎訓練からだね。彼女らと我々とでは、戦闘教義からして大きく異なっている。すり合わせが必要だ」
ホットワインを飲みつつ、カステヘルミ様は軽く笑った。戦闘教義というのは、軍隊の編制や作戦の組み方に関する基礎的な考え方のことだ。これの大幅な転換が、新式軍制の大きな強みになっている……と、お兄様は言っていた。
「まあ、ノール辺境領と違って、こちらは温暖だ。冬の間も、訓練がしやすいのはありがたいね」
「そうですね。流石に外征は難しいですが、領内で演習をするぶんにはそれほど問題はありませんから。いくらでもしごけますよ」
ニヤリと笑って、ソニアが私の頭に手を置いた。思わず、背中がブルリと震える。訓練中のソニアは、まるで本物の悪魔か悪鬼みたいに恐ろしいのよね……。
「とくにお前は重点して鍛えてやる。覚悟しておくことだ」
「ひぇ……お手柔らかにお願いします」
私はそう言ったが、ソニアはため息をついて首を左右に振る。
「駄目に決まっているだろうが。来春になれば、お前も騎士だ。多くは無いとはいえ、部下を持つようになる。その前に、将校らしい振る舞いを教えておかねばならん」
「……」
その言葉に、私は思わず黙り込む。騎士は、一人につき必ず数名の従者がついている。騎士と従者は一蓮托生だ。騎士が失敗すれば、従者も死ぬ。たしかに、これは責任重大よね……。
「いいか、カリーナ。部下を持つというのは、たいへんな責任が伴うものだ。ましてや、お前はアル様の義妹。軽い立場ではない。そして、責任や立場にはそれ相応の振る舞いが求められる。そうだろう?」
「……はい、お姉さま。ブロンダン家の者として、お兄様の義妹として、妻として……ふさわしい女としてふるまうことを誓います」
私はそういってぐっと拳を握り締めた。……私は、一度は敵前逃亡をしてしまった身だ。下手をすれば、死罪になっていてもおかしくない。こんな私に再起の機会が与えられたのは、ブロンダン家やスオラハティ家、そして実家の母様や姉様のおかげだ。この期待と信頼を裏切るわけにはいかない。
「よし、よく言った。それでこそ私とアル様の妹だ」
そう言って、ソニアは私の頭をぐりぐりと撫でた。……この人をお姉さまって呼ぶのも、悪くはないな。うん、全然悪くない。へへ……。




