第408話 義妹騎士とお風呂
「ぴゃああああっ!」
私、カリーナ・ブロンダンは、渾身の力を込めて木剣を丸太に打ち付けた。時刻は、早朝。私は毎日朝晩にこの立木打ちという訓練をやっている。これは素振りなどよりもはるかに厳しい鍛錬法で、始めた当初はあっという間に剣を握れないほど手首が痛んだものだった。けれど、そんな習慣も半年以上続けば慣れるもの。私はすでに、一日一万回丸太を打っても平気なカラダになっていた。まあ、一万回も木剣を振ってたらそれだけで一日が終わっちゃうから、めったにそんなことはしないんだけど。
「ぴゃああああっ!」
叩きすぎて砂時計みたいな形に削れた丸太に、また木剣を打ち付ける。そして残心をして、木剣を腰に戻した。これでキッチリ二千回、朝のノルマは終了。もう年末の寒い時期だというのに、全身すっかり汗まみれになっていた。全身を包むなんとも心地よい疲労感に、私は息を整えながら身をゆだねる。やっぱり朝から大声を出して体を動かすのは気持ちがいいわね。
「お疲れさん」
そう言って声をかけてくるのは、私よりも少し早めに立木打ちを終わらせたお兄様。私と同じく全身汗まみれで、なんともいい香りを放っている。朝からスケベねぇ……。
「お疲れ様でした! ……あ、お兄様。実は手ぬぐいを持ってくるの忘れちゃってさ。貸してもらっていい?」
「またか? まったく、お前ってやつは……」
お兄様はため息をつきながら、首にかけていた手ぬぐいを差し出してくる。私はお兄様の汗と匂いをタップリ吸い込んだそれを受け取り、自分の顔を拭いた。そしてこっそり深呼吸する。ああ、たまらない。最っ高!……うひひ、もちろん自前の手ぬぐいを忘れたなんてのはウソ。わざと持ってきてないだけ。
「ありがとう!」
できればこの手ぬぐいは持って帰ってオカズにしたいところだけど、流石にそんなことはできない。内心残念がりつつ、わたしは手ぬぐいをお兄様に返した。お兄様は小さくため息をついてから、私の方をちらりと見る。
「……カリーナ。少しばかり大事な話がある。風呂が終わったら、執務室に来なさい」
「大事な話? ……うん、わかった」
何やら真剣な様子でそんなことを言うお兄様に、私は頷いて見せた。なにか、マズいことでもやっちゃったかな? 覗きがバレた? いや、そんなはずは……。内心の動揺を誤魔化すため、私は顔に笑みを張り付けた。
「……もしかして、内緒話?」
「んー。まあ、そうだな」
お兄様は、珍しく歯切れの悪い様子だった。少しだけ目をそらして、曖昧な答えを寄越してくる。……なんだろう、この態度。怒られたりする感じじゃなさそうだけど……。
「じゃ、じゃあ、お風呂の中で話す? あそこなら内緒話し放題だいだよ」
なんとも変な空気なので、それを払拭すべく私は冗談を口にした。何を馬鹿なことを言ってるんだ、そうツッコまれるのを期待してのことだけど……お兄様の反応は、完全に予想外のものだった。ツッコむどころか、少しだけ考え込んでから頷いてしまったのだ。
「……ン、そうだな。たまには裸の付き合いというのも悪くないだろう」
「え、マジ……?」
それから、ニ十分後。私たちは二人して湯船に漬かっていた。ここは私が普段使っている大浴場ではなくお兄様専用の小さな浴場だから、本当に近い。手を伸ばせば触れ合えるほどの距離に全裸のお兄様がいる。ヤバい。すごくヤバイ。流石に肝心なところは見えないけど、よく鍛えられた腕も胸も見放題。ヤッバ、鼻血出そう……。
「それで話というのはだ」
真面目腐った声で、お兄様はそう言った。
「ハイ」
「実は昨夜、ロスヴィータ殿やアガーテ殿といろいろ話し合いをしたんだが」
「ハイ」
「お前が正式な騎士に任官したら……おいコラ、カリーナ。どこを見てるんだお前は。僕の目鼻口は胸にくっ付いてるのか? ええっ!?」
お兄様は、怒った様子で私の顔を睨みつけた。……くそぅ、真面目に話を聞くふりしつつチラ見してたのに、やっぱりバレちゃった! こういうところ、やたら鋭いのよねぇ……。
「ごめんなさぁい!」
いや仕方ないのよ。お兄様がスケベすぎるのがいけないのよ! ハダカのエロ男が目の前に居たら、普通の女なら真面目に話を聞くとかムリでしょ! むしろ、襲い掛かったりしない自分の理性を褒めてやりたいくらいだわ! 押し倒そうとしてもたぶんムリだけど!
「まったく、お前ってやつは……」
お兄様は深々とため息をついた。でも、こんなことをしても本気で失望したり軽蔑したりしないってのが、本当に優しいよね。
「それでだ。お前はおそらく来年の春くらいには正式な騎士になれる手はずになっているんだが」
「ハイ」
今の私の身分はあくまで騎士見習いで、正式な騎士じゃない。とはいえ私も何度か実戦に出ているし、そろそろ見習いを卒業させてもいいんじゃないか、という話になりつつあった。正式な騎士になれば専属の従者も雇えるし、お給金もかなり上がる。正直、かなり楽しみなのよね。
「それと同時に、ディーゼル家からの勘当が解かれることになった」
「……えっ!?」
予想もしなかった言葉に、私は唖然とする。勘当が解かれる? え、どういうこと……?
「もともと、お前が勘当されたのは敵前逃亡の一件が大きい。まあ、一騎討ちの妨害も大概だが……。まあ、とにかく、敵に背中を見せるような女は、騎士にふさわしくない。そう判断されたわけだ」
「ハイ」
「だが、今のお前はもう昔の臆病なお前ではない。実戦の空気を吸い、実際に敵兵と切り結びもした。もうあんな醜態をさらすことは無いだろう」
「ハ、ハイ」
そう言われると、ちょっと不安になる。確かに私は敵から逃げ出すようなことはしなくなったけど、それはあくまで近くにお兄様がいたから。オトコを捨てて逃げるような真似は、流石にできないからね。でも、相変わらず私はビビりのままだ。正直、変わった気はあんまりしない。
「というようなことをアガーテ殿に説明したところ、納得してくれてな。正式な騎士に任官されるということは、一人前の女と認められるのと同じだ。そして一人前になることができたのならば、再びディーゼル姓を名乗ることを許しても良い、とのことだ」
「ハ、ハイ」
「……なんだ、思ったより反応が悪いな。嬉しくはないのか?」
小首をかしげながら、お兄様が聞いてくる。う、うん……いや、別に嬉しくない訳じゃないんだけど、うううーん。なんとも微妙な心境。ディーゼル家にまた認めてもらえるってのは、すごく喜ばしいんだけどね。でもなぁ……。
「いや、その……私はもう、カリーナ・ブロンダンだから……またカリーナ・フォン・ディーゼルに戻りたいかと言われると、ちょっと。……ねえ、お兄様。勘当が解かれたら、私はお兄様の妹じゃなくなっちゃうの?」
「……まったく可愛い奴だよ、お前は」
少し笑って、お兄様は私の頭を乱暴に撫でた。
「なあ、カリーナ。知ってるだろ? いくら養子になっても、いちど勘当娘の烙印を押された人間は、いろいろと面倒が付きまとう。結婚相手を探すのも大変だ」
「う、うん……」
いや、私は結婚する気はないっていうか。お兄様の愛人になる気満々って言うか……。
「だから、な? その……勘当が解かれたら、キチンとした結婚ができるようになるってことだ。……お前が望むのならば、僕とだって」
「……えっ?」
「なぁ、カリーナ。僕はお前が裏でアレコレ妙な策を回していたことを知っている。だから、これはこっ恥ずかしい勘違いなんかじゃないと思うんだが……養子は養子でも、嫁養子としてウチにこないか? と言ってるわけだな、ウン」
顔を真っ赤にしながら、お兄様はそっぽを向く。一瞬、私はお兄様が何を言っているのかわからなかった。嫁養子? 私が!? え、え、えっ!?
「……申し訳ないが、お前だけの僕になることはできない。すまないが、これが僕に出来る精一杯の誠意なんだ。……それでもいいというのなら、僕を貰ってくれないか」
「う、うん! もちろんだよ! お兄様!」
私は思わず、お兄様に抱き着いた。バシャリとお湯が跳ね上がって、周囲を濡らす。
「いいの? 本当にいいの?」
「いいよ……」
顔を逸らしつつ頷くお兄様。その顔を強引に抑え込んで、私はその唇を奪った。お兄様はそれを嫌がらず、受け入れる。 ウソぉ、夢じゃないよね? いいいやったぁ!!
「しょ、正直にゲロるとな。これはその、いわゆる政略結婚というやつで……ディーゼル家の抱き込みを……」
「知らないよそんなのは!」
私は大声で叫んだ。
「政略結婚? 何でもいいんだよそんなことは! 好きな男とくっつけるなら理由なんてどうでも良し!」
「みょ、妙なところで女らしいね、君は」
「えっへへへ。そうでも……ないよ? うへへへ……ね、ねえねえ、お兄様。正式な夫婦になれるってことはさ、いろいろやっちゃっていいワケ? ソニアとか宰相とかに気兼ねなく、ヤッちゃっていいんだよね?」
お兄様の身体を抱きしめながら、私は言った。お兄様の身体は大きくて筋肉質だけど、それでも男は男。良く触ってみると、女のカラダよりも遥かに華奢だった。このどエロい身体を抱いていいと思うと、思わずヨダレが……。
「なんで結婚の話から一気にシモの方へ話が飛ぶんだこのエロガキがぁ!」
そんなことを叫ぶお兄様だけど、私はお構いなしにお兄様の胸板に頬擦りをした。そして、肝心な部分に手を伸ばそうとし……。
「おっと、狼藉はそこまでだ」
風呂場の戸が開け放たれる大きな音に、思わず動きを止める。そこにいたのは……仁王立ちをしたソニア!
「げえ、ソニア!」
「覗きや撮影までは許すが、お触りは流石にやりすぎだな。性根を叩きなおしてやるから来い!」
鬼の形相をしたソニアによって、私は強引にお兄様から引きはがされた。ひ、ひどい……こんなのってないよ……普通に美人局じゃないの、コレ……?