第400話 くっころ男騎士と宴の後
お偉方との歓談(という名の会談)は、夕方になるまで続いた。その中で交わされた話題は些事から重大事まで様々だが、その玉石混交の会話の中から自分の必要とする情報をより分けねばらない作業もあるのだから大変だ。政治関連のお仕事が苦手な僕としてはなかなかに辛いひと時ではあったが、逃げるわけにもいかない。ネットも電話もないこの世界では、こうした雑談こそが重要な情報源になるのだ。
しかし、やはりメシもマトモに食わないままやくたいのない話を延々と続けるのは苦痛だった。軍事向きの話題ならばまだ楽しく話せるのだが、なぜか僕に振られる話題は流行のファッションやら甘味やらのものばかり。そして僕が望んでいるような実務的な話題は、ソニアやアデライドのほうへ流れてしまうのだ。
これはおそらく男である僕に配慮してくれた結果なのだろうが、なんだかなぁって感じだ。しかも旦那(つまり女性)のほうが興味深い話題を話し始めても、奥方(つまり男性)のほうが「男性にそのような無骨な話題を振るのは無作法ですよ」などと"助け舟"を出してしまうのだからたまらない。いらぬ配慮は差別と変わらないなぁ……。
「はぁ……」
やっと政治談議が終わったころ、僕は深々とため息をついた。お偉方たちはすでに会場を辞し、宿へ向かっている。……宿といってもまぁ田舎のことだ。上流階級の泊まるような高級な宿はないので、高位の方々には我が領主屋敷の一室をお貸ししている。とはいえ城伯の屋敷としてもやたら手狭な我が家の事、お偉方全員を収容することはできない。仕方が無いので、領主騎士や地豪などの微妙なご身分の方はカルレラ市内の宿にご案内するほかなかった。
……いやほんと、屋敷が手狭でマジで困ってるんだよな。ブロンダン家の家臣団も大所帯になりつつあるし、こういったイベントが無くても屋敷は慢性的に容量不足になっている。まぁ、もとはと言えばド田舎の代官屋敷だ。最低限の面積と機能しかないのは仕方が無いが、いい加減増築なり建て替えなりをしたいところである。
そもそも木造二階建ての狭い屋敷をもって"城"伯を名乗るのもだいぶ恥ずかしいしな! 鉄筋コンクリートの近代要塞……とはいわないので、せめて石造りかレンガ造りの頑丈な城砦を本拠としたいものである。まあそんなものを新築する余裕はいまのところないが。
「お疲れの様子だねぇ、アルくん」
などと考えていると、僕の尻がむんずと掴まれた。アデライド宰相である。久しぶりの尻揉みだなぁなどとくだらないことを思いつつ、僕は「慣れてないもので」と返した。……尻を揉まれるのはいつものことなので、もうツッコミはいれない。
「いろいろと予習はしていたつもりだけど、所詮は付け焼刃だね。奥様がたに阻まれて、あまり有意義な話はできなかったよ」
「まぁ、君は宮廷騎士の家の出身だろうしねぇ。この手の仕事に関しては初めてだろうから、致し方のない話さ」
そういってアデライドは僕の尻を揉む手を止め、肉やらボイル野菜やらの乗った皿を渡してきた。"歓談"中は案の定ほとんど料理をつまむことはできなかったので、すでに僕のお腹はペコペコだった。なんとも有難い差し入れである。
「ああ、助かるよ。ありがとう」
僕はアデライドと共に、手近にあった椅子へ座った。一仕事終えた後だ。流石に立ち食いをするような気力は残っていなかった。すこしばかりゆっくりしたい気分になっていた。
「先ほどの話の続きだがね」
冷え切ってしまったローストポークを口に運びつつ、アデライドが言う。せっかく作ったのに残念だなぁ、などと思いながら、僕も残り物を食べた。うまい。うまいが、やはり味は落ちている。ううーむ。こう言った場では所詮料理は添え物だから、仕方のない話なのだろうが……。
「奥方には奥方の情報網があるものだ。一見役に立たないような話でも、存外に貴重な情報が隠れていたりする。そしてこの情報網に、我々女が立ち入るのはなかなか難しいものだ。ハッキリ言って君には苦痛なだけだろうが、これも仕事のうち。彼らと話を合わせる練習もしておいたほうがいいだろうねぇ……」
「耳が痛くなるようなことを言うね……」
奥方むきの話など、政治むきの話以上にわけがわからんのだけど。なにしろこちとらガキの時分から木剣を振り回していた手の付けられないオテンバ息子である。いまさら普通の令息のようなことをしろと言われても、なかなか難しいものがある。
とはいえ、アデライドの言っていることも理解はできるんだよな。このあたりのネットワークを疎かにすると、密かに村八分にされてしまったりするからな。世界が時代が変わっても、人の陰湿さに変化はない。多少苦痛であっても、周囲と協調する努力を疎かにするわけにはいかないのだ。
「すまないね、君にばかり負担をかけて。埋め合わせと言ってはなんだが、愚痴くらいならいくらでも聞くさ」
そう言ってから、アデライドは水代わりのワインをぐいっと飲んだ。そしてこちらをチラリと見て悪戯っぽく笑う。
「なんなら、たまには立場を逆転して、私の尻でも揉んでみるかね? いいうっぷん晴らしになるかもしれないぞぉ」
「……」
僕は即座にツッコミを入れようとして、ふと動きを止めた。僕は彼女に今までさんざんセクハラの限りをつくされているのだ。少しくらいやり返したってバチは当たらないだろう。なにしろ我々は婚約者だ。……こういうのも、一つの甘えの形かもしれんな、うん。
「じゃ、お言葉に甘えて」
僕の言葉を聞いたアデライドは、思いっきりワインを噴き出した。イケナイところに入ってしまったらしく、なんども咳き込む。慌ててハンカチをダシ、まき散らされたワインを拭いてやる。飲んでたのが白ワインで良かったね、赤だったら大惨事になってたよコレ。
「うっ、ゴホッ、ゲホッ」
「す、すいません。冗談が過ぎました」
思わず上司・部下時代の口調に戻って謝罪すると、彼女は咳き込みつつ何度も僕の肩を叩いた。
「い、いや、謝る必要はない。少しばかり面食らっただけだ。ゴホゴホ……しかし珍しいねぇ、君がそういう冗談を言うとは」
半分くらいは冗談じゃないんだけどな。アデライドは長い黒髪とサファイアのような碧眼の持ち主で、華奢かつ小柄な美女だ。しかも、出るところはわりと出ている。正直、黙っていればかなり魅力的である。……口を開けばあっという間にセクハラ悪徳残念美女に早変わりだが。まあ、とはいえ正直に言えば揉ませてくれるってんなら揉みたいだろ、宰相の尻は。
「たまには反撃を、と思って……」
「言うようになったな、こいつめ」
アデライドは楽しげにわらいながら、僕のほっぺたをつつく。ところが、そこへ真上からヌッと何かが現れた。ニンゲンの顔だ。
「面白い、話を、してますね」
「ウワーッ!?」
「ウワーッ!?」
僕とアデライドは揃って椅子から転げ落ちた。よく見れば、ネェルである。どうやら知らぬうちに背後に立っていたらしい。あいかわらず尋常ではない隠密能力だ。このデカくて強いヤツが音もなく背後に現れるのだから、心臓に悪いどころの話ではない。
「アデライドちゃんの、お尻を、揉ませて、くれるん、ですね? この、ネェルに、お任せを」
そんなことを言って、ネェルはその物騒な形状の鎌をギャリギャリと鳴らした。言われた方のアデライドは小便をチビリそうな顔色で「ひぇぇ」と声を漏らす。あんな恐ろしい"腕"で揉まれたら、人間の尻などあっというまにミンチよりひどい有様になってしまうだろう。
「あ、あんまり驚かさないでくれよ、ネェル。心臓が口から飛び出すかと思った」
僕は立ち上がりながら、カマキリ娘の鎌をぽんぽんと叩いた。ネェルは肩をすくめ「失礼、しました」と謝る。
「護衛の、お仕事に、戻ろうかと、思いましてね? ネェルは、働き者の、ニンゲン、なので」
僕の専属護衛に任命されている彼女だが、今回に関しては連れて行かなかった。なんといっても彼女は見た目がひどく恐ろしいので、お偉方の前に出すと威圧していると勘違いされそうだったからだ。
「あ、そう……そりゃ結構」
コホンと咳払いをしつつ、アデライドは服についたホコリを払った。彼女がこうしてネェルに驚かされるのは、初めての経験ではない。もうだいぶ慣れている様子だった。なにしろネェルは本人の言う通りなかなか仕事熱心で、アデライドが妙なことをしようとするたびにこうやって威圧していくのである。宰相にとっては天敵のような手合いであった。
「しかしだねぇ。我々はもはや夫婦なのだから、ある程度融通を効かせてくれてもいいんじゃないかね?」
「親しき、仲にも、礼儀あり。文明人の、常識、ですよ?」
「ぐぬぅ……」
正論である。アデライドは黙り込むしかなかった。……まあ、今回に関してはセクハラをカマしたのはむしろ僕の方なのだが。
「それはさておきだ。ネェル、今回のイベントはどうだった? 腹いっぱい食えたか?」
話を逸らすべく、僕はちいさく咳払いをしてそう聞いた。今日一日、彼女には休暇を与えていたのである。せっかくの機会だから、ネェルにもバーベキューを楽しんでもらおうと思ったのだ。見た目の通り彼女はたいへんな大喰らいで、普段は粗末なパン(と言っても、僕らが普段食べている燕麦パンと同じものだ)や粥の類をメインに配給している。流石に、彼女が満腹になるだけの肉はなかなか用意できるものではないからだ。
しかし、カマキリの姿をしているだけあって、カマキリ虫人は本来肉食傾向が強い種族である。ネェル本人も文句こそ言わないが、やはりパンより肉の方を好んでいる様子だ。だからこそ、こういう催しの時くらいは肉だけで腹を満たしてもらいたかったのだ。
「ええ、おかげさまで。一生分の、お肉を、食べた、気がします」
「じゃあ明日の食事は肉抜きにするかい?」
「……嘘です。マンティスジョークです。明日も、お肉は、食べます」
「ははは、だろうね」
僕は笑いながら、彼女の足を叩いた。しかし、残念だな。人がウマそうにメシを食っている姿ほど、ストレス解消になることはない。ネェルのことだから、さぞや豪快に肉を食べてくれたことだろうに、その姿を直接見ることができなかった。せっかく苦労して肉を焼いたのになぁ……。
「……これほど大きいイベントは、一年に一回が限度だろうな。しかし、私的な小さなものであれば私のポケットマネーでなんとかなる。新年にでも牛なり豚なりを丸ごと買い付けてくるというのはどうかね? 身内同士で楽しむなら、それくらいで十分だと思うが」
そこへ、ニヤッと笑いながらアデライドがそんなことを言ってくる。付き合いが長いだけあって、こちらの考えていることなどお見通しのようだ。僕は思わず、彼女に抱き着いた。
「アデライドのそういうとこ、好き」
「んっぐ、ぐへへへ……まあ、それほどのこともないがねぇ? グヘヘ、まあカネのことなら私に任せておきなさい」
照れたように笑うアデライド。……しかし、その邪悪な笑い方はなんとかならないのだろうか? そんなんだから、いろいろと勘違いされるのではなかろうか……。
「あ、ネェルは、子牛や、子豚なら、一人で、ペロリ、ですので。そのへん、よろしく、お願い、しますね? お肉が、足りないと、みんな、悲しむ、でしょうし」
「君は一人で何人前食べる気かね!?」
アデライドは思わずといった調子でそう叫んだが、何しろネェルはデカいのだ。食べる量が多くなるのは、まあ致し方のない話だろう。僕は思わず、くすくすと笑った。