第394話 くっころ男騎士の悩み
ゼラ邸での一夜は無事に過ぎた。実のところ夜這いくらいされるのではないかと不安に思っていたのだが、幸いにも(残念ながら?)そういうイベントは発生しなかった。ネェルの刺してくれた釘が効果を発揮したのだろうか? ……まあ、あれは釘というよりほとんど杭なのだが。
朝食は早朝の内にゼラ邸で取り、そのままカルレラ市への帰路につく。なにしろ今日も仕事はたくさん詰まっているのだ。ゆっくりしている余裕などほとんどなかった。年末年始くらいノンビリしたいからな。今のうちにやれる仕事はおおむね終わらせておかねばならない。
「なかなか一筋縄ではいかなさそうな人たちだったね……まあ、蛮族というのは得てしてそういう者ではあるけども」
カルレラ市へと向かう道すがら、僕の隣を進むカステヘルミがため息交じりにそう言った。僕も彼女も、馬に乗っている。僕らを先導しているのはネェルで、さらにその周囲を護衛の騎士たちが固めている。大名行列……とまではいかないが、なかなか物々しい移動風景には違いない。
正直、腹ごなしの散歩にもならない短距離の移動でこれほどの護衛を投入するというのは、僕の趣味ではないんだけどな。だが、大貴族であるカステヘルミはもちろん、この頃は僕ですら要人にカウントされる地位になりつつあるわけだし……万一のことを考えれば、護衛に手を抜くわけにはいかないだろ。もし何かあって僕らが死んだり大怪我をしたりすれば、部下たちに大迷惑をかけてしまうからな。
「表面上は従順だけど、ウラで何をやっててもおかしくない雰囲気があったね。薬物の製造ノウハウを持っているのもいろいろとマズイし……警察や諜報の機能を強化して、監視に努めたほうが良さそうだ」
反社会勢力みたいな連中が体制側にいるんだから、いろいろヤバいよな。麻薬カルテルが政府の一機関に収まっちゃったようなものだ。権力を使って後ろ暗い商売を始める可能性もあるから、とにかく監視は怠れない。
領主屋敷に王室のスパイが潜り込んでいた一件もあるしな。正規軍の整備と並行して、防諜組織も作った方がいいかもしれない。……そうなると、エルフ忍者が壊滅しちゃったのが本当に痛いなぁ。彼女らが生き残り、こちらに着いてくれていたのなら……いろいろと便利だっただろうに。
「一応、ネェルが、にらみを、効かせ、ますけどね。でも、一人じゃ、限界が、ありますから。要注意、的な?」
こちらを振り返りながら、ネェルが言う。ネェルはエルフにもアリンコにも強く出られる稀有な人材だが、エルフとアリンコは合計で三千名ちかくいるのだ。強いとはいえたった一人の人間が統制するのは無理があるだろう。ネェル本人の負担も大きくなるしな。彼女にあまり頼りすぎるのも申し訳ない。
「そうだね……しかし、あの連中はなかなかに一筋縄ではいかない雰囲気だな。我が領地にも蛮族と呼ばれる者たちはいるが、あそこまで厄介ではないぞ。むろん、北の蛮族どもも決して御しやすい連中ではないんだが……」
ため息をつきつつ、カステヘルミは視線を宙にさ迷わせた。
「……正直、あのゼラとかいう酋長は苦手だな。根っからの荒くれものだ。正直……怖い」
僕にしか聞こえないよう声を潜めながら、カステヘルミはそう言った。
「まあ、蛮族全般そういう感じではあるが。要するに、私が臆病なだけだ……」
そういえば、カステヘルミはゼラの前では言葉数が少なくなっていたが……なるほど、そういう理由だったか。経験豊かな大貴族とは思えぬ怯懦ぶり! と、批判する気にはなれない。そりゃあ人間、怖いものは怖いし苦手なものは苦手なのだ。肝心なのは恐怖を忘れることではなく、それに立ち向かう勇気を持つことだろう。
そしてカステヘルミは、勇気を持たぬ真の臆病者ではない。なにしろ、僕が生まれる前から軍役のために幾度となく戦場にでている方だからな。必要であれば、陣頭指揮も厭わない。そういう勇気ある人間だ。そうでなければ、敵国や蛮族と常に相対し続ける最前線国家、辺境領の領主は務まらない。
「勇者とは恐怖を知らぬ者にあらず、恐怖に立ち向かうすべを知るものなり……だよ、カステヘルミ。あなたは勇者で、僕のあこがれの人の一人だ。どうか、胸を張っていてほしい」
「相変わらずだなぁ、君は」
カステヘルミはクスクスと笑った。
「しかし、勇者か。その称号は、ネェルにふさわしい物だろうな。まったく、このような辺境に素晴らしい人材がいたものだ。アルの部下でなければ、仕官の誘いをしていたところだよ」
「おや、ネェルが、ご所望、ですか?」
突然話題に出されたネェルが、こちらを一瞥してニヤッと笑った。
「ああ。なんでも、前回の戦いでは大軍を相手に孤軍奮闘したらしいじゃないか。大軍をたった一人で相手にできるほど勇猛で、腕っぷしも強く、おまけに頭も良い。騎士としては、理想的だな。我が領地に来ても、大活躍間違いなしだ」
「残念、ネェルは、もう、アルベール君、専属、なのです。あと、寒いの、苦手なので、北には、いけません」
「アハハ、寒いのが苦手か。それは駄目だな……」
自分も寒いのが苦手なのにガレア王国の最北端を治めている大領主様は、苦笑しながら頷いた。実際、ノール辺境領はいわゆる"試される大地"としか言いようのない場所なので、南国出身のネェルがあそこで暮らすのはさぞやつらかろう。
「それに、ネェルは、あくまで、種族的に、滅茶苦茶、とても、びっくりするくらい、強い、だけの、普通の、ニンゲン、なので。あまり、買いかぶられても、困ります」
ネェルはそういって、肩をすくめる。……謙遜するにしても、強いという部分はまったくもって妥協しないのが彼女らしいな。まあ、実際めちゃくちゃ強いのだから過大評価ではない。あの強靭なエルフやアリンコの軍団を蹴散らし、ガレア最強の騎士であるソニアを一方的に叩きのめした腕前は尋常ではないのだ。……まあ、この娘たぶん体重は千キロオーバーだからね。一般的な体格の人類が生身で挑もうというのがまず無理な話だろ。
「そうかな? 私から見れば、尊敬に値する戦士のように思えるが。少なくとも、ただ強いだけの兵器のような存在ではない」
「兵器じゃなくて、ニンゲン、ですからね。そりゃあ、怖いところ、弱いところ、ありますよ。皆さんと、同じ」
とてもまじめな口調で、ネェルはそう言う。どうやら、謙遜ではなく本気の発言のようだ。
「一人は、怖いし、腹ペコも、怖いです。人質とか、取られたら、たぶん、戦えません。欠点、いろいろ、ありますよ」
「君だって、僕と同じ一人の人間だからね。そりゃあ、完璧な存在にはなれないだろうさ」
実際、ネェルはたいへんに有能だが過大な期待を背負わせては彼女の負担になってしまう。僕は手綱を握りなおしつつ、ネェルにそう語り掛けた。
「おや、私の知る限り、もっとも完璧に近い人間が何か言っているね。ふふ、アナタにも怖いものがあるのかな」
「そりゃあもちろん」
カステヘルミの冗談めかした問いに、僕は思わず苦笑した。
「怖いことだって、欠点だって、いっぱいあるさ。それが人間ってものだろ?」
ええ!? と言わんばかりの様子で、護衛の騎士たちが僕の方を見た。顔なじみの騎士の中には、「アル様がそれを言う?」などと呟いている者もいた。おい、なんだその態度は。僕だって、怖いものくらいたくさんあるぞ。
……と、想ったが、これはどう考えても僕が悪いな。戦場では、『怖いものなど何もない!』という風な態度を装ってるし。指揮官の恐怖はかならず部下に伝染する。それ故に、将はいつでも泰然自若としていなければならない。そして"恐れを知らぬ豪傑"を演じている以上、こういう誤解を受けるのは当然のことだ。僕にはそれを責める権利などない。
ううーん。部下と上官という関係なら、今のままで全然問題がないわけだけど。しかし、家族となるといろいろと問題が出るかもしれない。過大に評価されたままでは、いずれ僕の方がダメになってしまうやも……。むぅん、この辺りは、ロリババアの指摘が正しいんだろうな。参ったね……。
「アル?」
心配そうな目をして、カステヘルミが聞いてくる。僕は反射的に、「いや、何でもない」と返そうとした。だが、ふと思い直して口をつぐむ。彼女はリースベンにやってきて以降、明らかに今までとは違う態度を僕に向けている。具体的に言えば、弱味を良く見せるようになった。かつての彼女ならば、自分のことを臆病だなどと評することはあり得なかったからな。
つまり彼女は、僕に対して弱味を見せても良いと思っているということだ。それは決して、不快な感覚ではない。いわば、信頼の証だからな。これがロリババアの言うところの、甘えなのだろう。
で、あるなら……歩み寄られた分、こちらも歩み寄るべきだ。虚勢を張って相手を近づけないというのは、家族に向ける態度ではないよな。こちらから甘え返してみるというのも、ひとつの選択肢だ。それに、彼女はそれなりの年上だ(まあ魂年齢で言えば人生二周目の僕の方がオッサンだが)。同世代のソニアやジルベルトらよりは、甘えるための心理的なハードルも低いし。
「……カステヘルミ。良かったら今晩、一献付き合ってもらってもいいかな?」
僕の言葉に、カステヘルミはニコリと笑って返してきた。
「一献と言わず、何献でも」
……カステヘルミはソニアと同じく下戸だから、そんなに飲んだら酔いつぶれちゃうんじゃないかな……。




