第392話 くっころ男騎士とアリンコ視察
書類仕事は山のようにあるが、書類仕事以外も山のようにあるのだからたまったものではない。ロリババアとともに半泣きになりながら執務室での仕事を終わらせた僕は、副官代理のカステヘルミを伴って外出した。……現役辺境伯が副官ってちょっとおかしいよな、冷静に考えて。相手はリースベンの十倍以上の国力を持った大領邦の領主だぞ……。まあ、本人が「一人だけ手持無沙汰をしているのは嫌だ」というので、秘書めいた仕事をお願いしているだけなのだが。
目的地は、アリンコどもの冬営地だ。彼女らの集落は蛮族野営地の中でももっともカルレラ市に近い場所に築かれている。これは長年リースベン領民と対立してきたエルフたちと違い、新参者のアリンコたちはそれほど嫌われていなかったせいだ。アリンコたちは、元の領民からは『少し変わった種族の新しい入植者』くらいの感覚で扱われているのである。
「兄貴、それに姉貴がた。お疲れ様でがんす」
野営地に入ったとたん、アリンコたちの代表者であるゼラが、満面の笑みを浮かべながら出迎えてくれた。その後ろには彼女の部下がズラリと並び、一糸乱れぬ動作で頭を下げている。グンタイアリ虫人はみな竜人に負けないほど体格が良いので、その威圧感は大変なものだ。
「やあ、出迎えご苦労」
まあ、圧倒されてばかりもいられない。僕は努めて平静に彼女へ微笑み返し、握手をした。そして肩を叩き、両手を広げて抱擁を求める。ゼラはその褐色の肌を赤く染め、ちょっと照れた様子でそれに応じてくれた。
……実のところ、僕は彼女との婚約も先日内定していた。なにしろエルフの長であるダライヤやフェザリア、それに鳥人の長であるウルとも結婚するのである。アリンコだけ何もしないというのは、あまり宜しくない。バランスを取る必要があった。
仕方ないとはいえ、すっかり繁殖種馬だなあ、僕。これほどお相手が多いと、一人当たりに割ける時間はどうしても少なくなるからな。結婚などと言っても、夫婦らしいことはあまりできないだろう。恋愛結婚でもなし、このあたりは仕方ないと言えば仕方ないのだが、なんだか申し訳ない気分になってくるんだよな。
「しかし君たち、相変わらず……その、なんだ。涼しげな恰好をしているな。寒くはないのか?」
一通りのあいさつが終わった後、カステヘルミがおずおずといった様子でそう聞いた。彼女の指摘通り、アリンコ共はなんとも寒そうな服装だった。真冬が近いということもあり、流石に上半身裸ではないのだが……この季節に薄い上着一枚を羽織っただけというその格好は、見ているこちらまで寒々しい心地になってくる。
「そうおっしゃるカステヘルミの姐さんは、なかなか暖かそうな格好で」
ゼラは苦笑しながら、カステヘルミのつま先から頭まで眺めまわした。彼女は毛皮で裏打ちされた厚手のコートをしっかりと着込み、耳当て付きの毛皮帽まで被っている。正直、南国リースベンの冬着としては明らかにオーバースペックな防寒装備だろう。寒いとは言っても、王都などよりは遥かに暖かいのだ。
「正直、ワシもそちらに着替えたいくらいなんじゃがね。まぁ、見栄いうヤツよ。下っ端共の前で殊更にさむがるなぁ、恥ずかしいんでね」
「なるほどなぁ」
周囲をはばかりながら小さな声でそう言うゼラに、ガレア最北端の領邦を治める領主は、神妙な顔で頷いた。南国暮らしも楽じゃないな、という表情だ。なにしろ彼女の治める辺境領はとんでもない極寒の地だから、そんな見栄を張っていたら半時間で凍死する。だから、暖かい格好をするのに躊躇をするものなど一人もいなかった。
「我慢は、身体に、悪いですよ」
そう指摘するのは、先日僕の専属護衛に任命されたネェルだ。彼女は人型の上半身にはしっかりとした外套を羽織り、カマキリ型の下半身にも馬用の防寒着を参考に特注した羊毛製の上着を着ていた。お針子の腕が良かったのか、なかなか洒落た服装だ。
「な、なぁに。やせ我慢も上に立つ者の仕事の一つですわ」
などと言うゼラだが、その額には冷や汗が浮かんでいる。彼女もリースベンの原住民だ。カマキリ虫人に対する本能的な恐怖はぬぐいがたいものがあるようだ。
「フゥン。ネェルは、ガマンとか、したくない、ですけどね。……ところで、お腹が、すきました。今、言ったように、ネェルは、ガマンが……じゅるり」
「ヒィッ!?」
捕食者めいた目つきで、ネェルがアリンコ御一行を一瞥する。その威圧的な視線に、ゼラのみならずアリンコどもが一斉に一歩下がった。ネェルは彼女らを見回して、満足そうな様子で頷いた。
「冗談ですよ、ジョーダン。うふ、マンティスジョーク」
「心臓に悪いんでやめてつかぁさい……」
胸を押さえながら、ゼラが言う。ネェルはニマニマと笑うばかりで、それには答えなかった。思わずカステヘルミと顔を見合わせ、お互いに肩をすくめる。ネェルは相変わらず冗談の趣味が悪い。
「それはさておき、視察だ視察。あんまり遊んでたら、市民たちから後ろ指を指されるぞ」
虫人たちの心温まる交流は愉快だが、時間は有限だ。あまりゆっくりしている余裕はない。なにしろ冬場だ、グズグズしていたらあっという間に日が暮れてしまう。
「す、すいやせん兄貴。今ご案内いたしますんで」
笑顔を取り繕い、ゼラは集落の方を指さした。さて、さて。村づくりのほうの進捗はどんなもんかね。資材や物資軟化が不足していたら、すぐに手配してやらねばならんが……。
「ふーむ。立派なものだな」
それから半時間後。僕たちはアリンコ冬営地の正面通りを歩いていた。僕の言葉は、決してお世辞ではない。周囲には土と木でできたしっかりとした家が立ち並び、商店まで軒を連ねていた。竪穴式住居ばかりのエルフの集落に比べれば、圧倒的に発展している。冬営地どころか、そのまま恒常的な村として使えそうな状態だ。
その発展を支えているのが、アリンコ労働者たちである。グンタイアリ虫人よりやや小柄で赤銅色の肌を持ったアリ虫人たちが、素晴らしいチームワークで家をくみ上げている。王都の熟練大工に負けず劣らずの手際だ。そしてその周囲では、褐色肌のグンタイアリ虫人たちが荷運びなどの力仕事をしている。どうやら、しっかりとした分業体制を敷いているようだ。
「こがいな作業となりゃあ、ハキリ共の右に出るもなぁおらんけぇのぉ。ぶち助かっとりますわ」
赤銅色のアリ虫人たちを見ながら、ゼラが笑う。彼女らは、グンタイアリ虫人と協力関係にある別種、ハキリアリ虫人たちだ。時折見かける異様に大柄な者を除けばおおむねグンタイアリ虫人よりも小柄で非力な彼女らだが、土木作業にかけては本当に天下一品のようだ。村づくりがひと段落したら、リースベン軍の工兵として雇用するのも悪くないかもしれない。
「この様子ならば、冬越えは余裕だな。安心したよ」
「ハコモノは今月中に工事が終わりそうじゃな。連中が手すきになったら、お街のほうで出稼ぎさしちゃりたいんじゃが、よろしいかね? なんでもカルレラ市では大工が足りとらんいう話じゃけぇ、ハキリどもは役に立つよ。グンタイアリも、荷物運びや用心棒ならこなせるし」
「ああ、問題ない。カルレラ市参事会も、君たちであれば無制限に街へ出入りして構わないと言っているからな。気兼ねせずにやってくれ」
存外、アリ虫人たちはリースベン領民と良好な関係を築いていた。参事会など、エルフに対して否定的な勢力も彼女らには友好的だ。働きぶりが真面目で、きっぷが良いのがウケているらしい。……実際のところ、根っこの暴力性はそこまでエルフに劣るモノじゃないんだけどな。
「助かりますわ」
ニコニコと笑うゼラを見ながら、僕は気合を入れなおした。アリンコ共は陽気で気さくだが、それはそれとして初対面でいきなり麻薬を送り付けてこようとしたような連中だ。過信しすぎず、それでいて疑いすぎず。そういうバランス感覚を持って付き合うべきだろう。僕はまだ、領主になって一年もたっていないのだ。ウカウカしていたら、足元をすくわれかねない……。




