第390話 くっころ男騎士と帰還報告
王太子殿下の一件から、半月が経過した。幸いにも、その間に事件などは起きなかった。久しぶりの、平穏な日々である。……まあ、領内では相変わらず大小のトラブルが起こりまくり、僕はその火消しに四苦八苦する羽目になっていたが、こればっかりは領主の仕事なので仕方が無い。
そして、この期間の間に変わったことが一つ。我が副官ソニアがアデライドと共に王都に飛び立ったのだ。有能な副官の不在は、執務にたいへんな支障をきたす。
もちろん我が領には"避寒"という名目でカステヘルミが滞在しているので、ソニアが抜けた穴は彼女は埋めてくれはしたのだが……やはり、長年共に仕事をしてきた相棒のようにはいかない。カステヘルミの手際が悪いという訳ではなく(むしろ現役辺境伯なのだから、平時の政務に関しては僕より遥かに有能だ)、単純に呼吸が合わないというのが大きかった。
それでもなんとか仕事をこなし、阿吽の呼吸とは言わずともそれなりの連携が確立されはじめた頃……やっとのことで、ソニア・アデライド組が帰って来た。予定よりもだいぶ遅れての帰還であり、ずいぶんとヤキモキさせられたが、幸いにも二人とも無事であった。
「お帰り、二人とも。お疲れ様だ」
カルレラ市郊外のリースベン軍駐屯地。その竜舎の前で二人を出迎えた僕は、用意してあった暖かい飲み物を手渡した。ソニアにはショウガ湯、アデライドにはホットワインだ。南国とはいえ、冬の空の旅は過酷そのもの。二人ともガタガタと震え顔色が真っ白になっていた。風防すらない吹きさらしの座席で、電熱服も着ずに長距離飛行をしたのだ。そりゃあ冷えるに決まっている。
受け取ったショウガ湯を一息で飲み干したソニアは、無言で僕に抱き着いてくる。滅茶苦茶冷たい。ヒエッヒエだ。彼女の手やほっぺたをさすり、僕の体温で温めてやる。
「むぅ、ベタベタくっつくのは竜人の特権ではないんだぞキミィ……」
すると今度は、アデライド宰相までくっついてくるのだからたまらない。僕はまるでサンドイッチの具のような有様になりながら、体温を奪われまくった。なにしろ二人とも氷のように冷えている。冬着の上からでもその冷たさは伝わってくるので、僕はあっという間に極寒地獄に叩き落された。
「温まりたいなら人間より火に当たろう! なっ!」
このままでは、風邪を引く。そう直感した僕は、彼女らを竜舎横の竜騎士用休憩所に引っ張っていった。休憩所には囲炉裏が設置されており、屋外よりもはるかに暖かい。とりあえずここで暖を取りつつ、旅の土産話を聞くことにしよう……。
それから、二時間後。二人と共に食事と休憩をとった僕は、駐屯地の会議室を訪れていた。アデライドらは、王都に遊びに行っていたわけではない。我々が王家に翻意を抱いていないことを、国王陛下に説明しに言っていたのだ。その報告を聞かねばならなかった。
会議室にはジルベルトとカステヘルミ、そしてエルフ代表のダライヤとフェザリア、アリンコ代表のゼラがいた。現在のリースベンの最高幹部たちだ。王家との関係の維持はたいへんな重大事であり、その報告会議は密室で行うわけにはいかない。そう判断して、蛮族たちも招集したのである。彼女らも、すでにリースベンの一員なのだ。外様として扱うわけにはいかない。
「えー、こほん」
お立ち台の上に立ったアデライドが、咳払いをする。……床から一段高い場所に上がっても、やはり彼女は小さい。となりにやたらとクソデカいソニアがいるのだから、なおさら小柄に見えた。
「今回の王都行だが、それなりの収穫はあった。少々手間取ったが、国王陛下からの信認はある程度得られた……と思う」
アデライドの言葉に、僕はホッと胸を撫でおろした。そこが一番肝心な部分だ。王家と事を構えるなんて、冗談じゃない。
「まあ、かなりのお小言は貰ったがねぇ? 妙な動きをして、これまでに積み上げていた信用を毀損するようなマネはよせ、とかなんとかねぇ」
「今回、我々は内側の理屈で動きすぎたな。このデリケートな時期に、己の権益拡大を第一に行動していると思われるような真似をするのは避けるべきだったかもしれない……」
腕組みをしながら、カステヘルミがそう呟いた。
「そうは言っても、我々も貴族だからねぇ。単に好いた男と結婚したいという理由だけで、新興の城伯家に我々自ら輿入れというのは、いろいろとカドが立つ。やはり、派閥のものたち向けの言い訳は必要だった。実際、内部からは今回の婚約に関しての異論はほとんど出ていないわけだし……」
言い訳じみた口調でそんなことを言いながら、アデライドは唇を尖らせる。好いた男、などと正面から言われてしまった僕は、少しばかり赤面して顔を逸らした。こういうストレートな物言いは、やはり恥ずかしい。
「事情がよう呑み込めとらんのですが、要するにアレですか。外様の幹部が直属のシマにコナをかけて、組長がそれに苦言を呈したと。そがいな感じですかのぉ」
ワケのわからんたとえ話を持ち出してきたのは、グンタイアリ虫人のゼラだ。普段は上半身裸の彼女だが、流石に冬本番ともなると見栄を張り続けるのも厳しいらしく上着を羽織っている。まあ、それでもモコモコに着込んでいる竜人勢などと比べればはるかに軽装だが。
「う、うん、まあ……たぶんそんな感じ……かねぇ?」
よくわかんないよー! とでも言いたげな様子で、アデライドが頷いた。そんな適当な返答でもゼラは満足したらしく、四本の腕を器用に組んでウンウンと頷く。
「そりゃあ怒られても仕方ないですのぉ。お小言だけで済んだのが幸いじゃわ」
「ウムムム……」
まあ、正論である。アデライドは難しい表情で唸った。
「まあ、国王陛下には釘を刺されるだけで済んだわけですが……懸念点が一つ。そうだな? アデライド」
「ああ」
ソニアの指摘にアデライドは頷き、彼女の差し出した資料を受け取った。そこに目を通し、ため息をつく。
「このところ、王都周辺で鉄、銅、鉛、硝石、硫黄などが暴騰しつつある。大規模な買占めが発生しているようだ」
「わあ」
僕は思わず声を漏らした。金属だけならまだしも、硝石だの硫黄だのが高騰しているとなると……火薬の需要が突然高まったとしか思えない。これは、なかなかにキナ臭い動きだった。火薬には使用期限があり、長期間の保存にはいろいろとリスクもある。だから、平時には最低限のぶんだけ備蓄しておいて、有事の際に増産する……というのがベターだ。そして、実際に火薬の大増産が始まっているというのなら……。
「そして買い占められたこれらの物資が流れ込んでいるのは、王軍御用達の工房だ。つまり、王軍は大規模な軍備増強を始めている、ということになる」
「まさか、我々を仮想敵にしていると?」
ジルベルトが、その形の良い眉を跳ね上げながら聞いた。しかしアデライドは、首を左右に振るばかりだ。
「わからん、そこまでは掴めなかった。もしかしたら、ライフルなどの新兵器をガレアが独占しているうちに、どこぞの国に攻め込んで一方的に打ち破ってやろう……などと考えている可能性もあるが」
「ロクでもないなぁ……」
僕は思わずそう呟いた。そんな雑な理由で戦争を始められちゃ、たまったもんじゃない。動員される兵と巻き込まれる市民があまりにも哀れだ。……まあ、なにはともあれ火薬を集めている以上、実戦を意識しているのは間違いない。その矛先が我々に向いているのなら最悪だし、他所を向いているにしても火の粉が飛んでくる可能性は十分にある。
「国王陛下は、国内の安定に腐心されてきたお方だ。自ら戦乱を起こすとは考えづらいが……」
アゴを撫でつつ、アデライドが唸る。これに関しては、僕も同感だった。賢明な穏健派、それが国王陛下に対する印象である。
「王太子あたりが暴走しているのやも」
そう指摘するのは、ソニアだった。
「穏健派の後継者が極端な過激派になる、というのはよくある話ですから。これから、また荒れた時代になるやもしれませんよ」
「ふーむ。勘弁してほしいのぉ……。ワシは穏やかな老後を過ごしたいんじゃが」
ダライヤがため息をついた。そして、隣のフェザリアに視線を移す。
「穏健派の後継者は得てして過激派、のぅ。オヌシの母はそれなりの穏健派じゃったが、オヌシはどうなのかのぉ? 過激派か? 穏健派か?」
「ないをたわけたことをゆちょっど。俺はどっからどう見てん穏健派じゃろうが」
どこの世界に嬉々として火炎放射器をぶっ放す穏健派が居るんだ。僕はそうツッコミかけたが、なんとか耐えた。……王太子殿下は、賢明な方だ。少なくとも、フェザリアよりは穏健だと思うのだが。
「わたしとしては、どうにもあの王太子は信用なりません。アル様目当てに、こちらに攻撃を仕掛けて来るやも……」
「まさかぁ」
男目当てに戦争を仕掛けるバカが、どこの世界にいるというのか。……あれ、でもよく考えたら、サッカーの試合が原因で起きた戦争とか実在するんだよなあ。戦争ってやつは、終わらせるのは死ぬほど難儀だが起こすのはわりあいカンタンだ。そういう理由で戦争をおっぱじめる極めつけのバカも、実在するやもしれん。とはいえ、あのフランセット殿下がそこまでたわけているとは思えんが……。
とはいえ、僕も王太子殿下との接見でチョンボをやらかしているからな。アレのせいで、アデライドに対する心証が非常に悪くなっている可能性はある。そういう意味では、ちょっとマズいかもしれんね。機会を作って誤解を解きに行ければ良いのだが……。
「何はともあれ、王都に戦争の臭いが漂い始めているのは事実なのでしょう? こちらもしっかりと備えをしておくに越したことは無いと思われますが……」
「ジルベルトどんの言ういう通りじゃ。後悔はあと先に立たん。冬ん間にいくさ支度は整えちょくべきじゃ」
ジルベルトとフェザリアの主張に、僕は思わず顔をしかめた。今年は、戦争ばかりの年だった。だから、来年こそは平和に過ごしたかったのだが……。
「いくさと言やあ、南のズューデンベルグとやらでも何やら動きがあるらしいじゃないの。そっちの備えもしとかにゃあならんのじゃないですか」
ゼラのほうからも指摘が飛んだ。そうだ、カリーナの元実家の方もなにやらきな臭い様子になっているんだ。一応アリンコ傭兵団を送り込んで、本格的な武力衝突は抑止する予定だが……上手くいくかどうかは不透明なんだよな。ああ、まったく。どこもかしこも火種ばかりだ。僕はため息をつき、手元に資料を引き寄せた。
まあ、おそらく冬の間は平穏が続くだろう。冬場の戦争は、さまざまな困難が伴う。自動車も鉄道も近代的な暖房器具もないこの世界ではなおさらだ。そのため、戦争中も冬季は自然休戦になるのが普通だった。つまり、この期間を利用して次なる戦争準備を整えておかねばならぬということだ。まったく……いつになったらリースベンには平和が訪れるのだろうか?




