第389話 聖人司教の野心
「はぁ……」
ワタシ、フィオレンツァ・キアルージはため息をついた。場所は、カルレラ市教会の一角にある仮の自室。天窓からは、微かな朝日が差し込んでいる。冬らしい、美しい夜明け。……つまり、昨夜は徹夜だったってコト。フランセットとの会談が長引いてしまったせいだ。流石に、疲労困憊だった。竜人や大型種の獣人と違い、翼人の体力は只人に毛が生えた程度の物でしかない。
「冷た」
やっとの思いでベッドに横になるけど、当然ながらシーツはたいへんに冷たい。はぁ、やんなるね。いまごろ、ソニアのヤツはパパと一緒に同衾中だろうに、ワタシは冷たい寝床で独り寝とは。添い寝は竜人の専売特許じゃないのにね。
「はあ」
また、ため息が出た。パパと同じお布団に入る機会がもうないかもしれないことに気付いたからだ。まあ、あの王女様が動き始めたら、ワタシもネタバラシせざるを得なくなるからね。そうしたら、パパとは敵同士だ。もう、以前のような関係には戻れない。
「……」
王女様、か。とうとう始めちゃったなぁ。いや、正確に言えば、まだ準備段階だけど。まあでも、終幕の準備が整い始めたのは確か。今のところ仕込みは上々なのが、唯一の光明。殿下は明らかにパパにお熱だし、その配下は怪しげな男にドハマリしつつある王太子殿下にドン引き気味。イイ感じで、主従の間に溝ができ始めてる。
一方、パパの陣営はといえば、戦力はかなり充実しつつある。思った以上にたくさんの蛮族たちが、パパの下についたからね。彼女らがリースベン軍に馴染んだら、十分に王軍とも戦える戦力になるハズ。
……最悪王太子殿下が勝っちゃっても、あの人を傀儡にしちゃえばガレア一国はパパのものになるからね。一応、保険にはなってる。とはいえ、所詮は次善の策だけど。ガレア王国単独では、"世界最強の国"には足りない。それに、ソニアらが壊滅すると地力も大幅に低下しちゃう。本当に最低限って感じ。やはり可能な限り無傷に近い状態でガレアを獲り、ついでに近隣の大国も一つばかり併合する。これが至上の結果。
「候補は実質一つか……」
巻き込む相手は、神聖帝国。あそこの先代皇帝は、パパと面識があるからね。リースベン戦争の時はあのアレクシアとかいう女に引っ掻き回されたけど、こんどはこっちが引っ掻き回す側。いい気味……とはちょっといいがたい。またたくさん人が死ぬからね。ごめんねぇ? でも、必要なことだから……。
頭の中で、計画を反芻する。目標はただ一つ。この中央大陸西方に覇権国家を打ち立て、パパをその王にすること。宗教権威にも世俗権威にも足を引っ張られない、まったく新しい巨大国家。いわゆる、超大国というヤツ。
そのためには、最低二つ以上の大国……つまり、ガレアと神聖帝国を併合して、ついでに教会のお偉方も蹴り飛ばす必要がある。なかなか大それた計画だけど、パパならばたぶん前者はイケル。後者は難しいので、ワタシがやらなきゃいけないけど。
「一番の問題は……」
ワタシ、なんだよねぇ……。なにしろ、パパは征服事業なんて目指してないわけだから。やる気のない人間に覇者の道を強いるというのは、なかなかに難しい。アヴァロニアの伝説に出てくる、導きの魔導士でもなきゃムリだと思う。でも、残念ながらワタシは伝説の大魔導士などではなく、たんに人の心が読めるだけの小娘に過ぎない。
ワタシがもっと頭が良ければ、経験があれば、まだ楽なんだろうけど。というか、転生者だったらもっと話は早い。パパには好きなことをやってもらって、ワタシだけが矢面に立てばいい。パパには迷惑をかけないし、これが理想。
けれど、残念ながら能力を使って自分の頭をイジッてみても、ワタシの中に前世の記憶なんてものは湧いてこなかった。極星め、少し配慮しろっての。……まあ、実際のところワタシが転生者だったとしても、パパのようには上手く生かせない気がするけどね。結局、知識って単なる道具だし。肝心なのは、その知識をどう扱うか。そのあたり、ワタシは致命的だしね……。
「パパがやる気になってくれるんなら、楽なんだけどねぇ」
ベッドの中で転げまわりながら、何度目になるのかわからないボヤきを漏らす。読心ひとつしか武器のないワタシと、本物の英傑であるパパ。まあ、差は歴然よね。パパが自ら覇王になる決意をしてくれるのなら、こんなに楽なことは無いんだけど。
でも悲しいかな、パパは人に使われる立場であり続けることを容認してしまっている。ワタシと違って、オトナだからだ。責任やら倫理観やらに縛られて、過大な夢は見られなくなってしまっている。
それ自体は、良い事なんだろうけどね。すくなくとも、ワタシがやっていることに比べれば何倍も正しい。……まあいいよ。正しい人と間違った人を分離できるのは、いろいろと優位なことも多いし。手を汚すような真似は、すべてワタシがやればいい。パパには清いままで覇王になってもらおう。
「あー、ヤダヤダ……」
首を左右に振って、ため息をつく。そんなことを考えていても気が重くなるばかりなので、思考を実務的な方向に切り替える。王太子殿下が実際に動き始めるまでが、最後の準備期間だ。いまのうちに、しっかり仕込みをしておかねば。
とりあえずガレアで王太子殿下の悪評を流して、神聖帝国の革新派に渡りをつけて、星導国の色ボケ坊主どもをひとところに集めて……ああ、やることが、やることが多い! パパはよく人手不足を嘆いているけど、こっちはその何倍も人手が足りないわ。五人くらいに分裂したい気分。……でも、無能が五人に増えたところで何の役に立つのかなぁ? ウェッ、ちょっと泣きそう……。
「まったく」
考えても仕方のないことだ。まあ、完全に一人だけという訳でもない。星導国の方では、少なくない数の枢機卿が操り人形になっている。星導教の力うちの何割かが、すでにワタシの手中にあるってコト。唯一ではあるけども、強力な武器であることには変わりない。せいぜい、活用させてもらおう。使い潰しても問題ない勢力だしね、星導教。
でも、使い潰すにしても、パパの迷惑になる形で崩壊されちゃ困るしねぇ。再びまとまるための入れ物くらいは用意しておかなくちゃ。ああ、面倒くさい。世界征服なんて、狙うもんじゃないわね。本当にバカみたい。
いや世界征服は言い過ぎか。実際問題、世界どころか中央大陸統一ですらたぶん無理だし。超大国ひとつが生まれれば、それで御の字か。それくらいハードルを下げても、ワタシの器量ではかなり難しいんだけど……。
「ンミィ……」
辛すぎて、口から死にかけのセミめいた声が漏れだした。あー、パパに癒してもらいたい。けど、さすがにこれから死ぬほど迷惑をかけるわけだからね、のうのうと甘えに行けるほど、ワタシの面の皮は厚くない。
はぁ、ほんっとうに……パパ、今からでも方針転換して、世界征服とか目指してくれないかなぁ。無理だよねぇ……。"世界最強の軍隊の総司令官"……素晴らしい夢じゃないの。普通にそれを目指してくれたら、ワタシがわざわざ一人で滑稽に踊り狂う必要はない。身の程を知るというのは大切だけど、自分を過小評価しちゃダメよ。
あの夢を諦めちゃったのが、パパ最大の誤りだ。難儀はするだろうけど実現可能だし、パパの器量であればその責任にも耐えられるだろうに。にもかかわらず、パパは小さくまとまる事を選んでしまった。ああ、なんと残念なことだろうか。一殺多生こそが成すべき道だとワタシに教えてくれたのは、ほかならぬアルベール・ブロンダン、あなただというのに。
「ワタシやソニアだけに手を差し伸べて満足してちゃだめなんだよ、パパ。あなたの手は、もっと遠くまで届くんだからさぁ……」
軍制改革? 大変結構。でも、それで満足されちゃあ困るんだよね。せっかく、パパの頭には未来の素晴らしい技術が詰まっているのに、それが活用されないまま朽ちていくのはあまりにも勿体ない。ヒト、モノ、カネ、あらゆるリソースを集結して、一つでも多くの技術や思想を残してもらわなくては。
「蒸気機関の実用化手前で足踏みしているようじゃあ、いつまでたっても"|空気からパンを作る技術《空中窒素固定法》"にはたどり着けないからね……」
パパが王様になれば、パパは夢がかなってハッピー。上飢えたる衆生たちも、腹を満たせてハッピー。一挙両得の、すばらしい結末だと思うのだけれど。残念ながらこんな絵図を描いているのはワタシだけだった。ああ、まったく。アバズレが産んだ愚かな小娘にはあまりにも荷が重い大事業だ。




