第386話 くっころ男騎士と女の勘
すでに夜半ということもあり、会議は短時間で終わった。僕は眠気をこらえながら自室に戻り、ベッドで横になる。……ソニアと共に。もともと、今夜は彼女との同衾の日だったのだ。この頃の僕は、一人で寝る機会がほとんどなかった。本当に竜人は添い寝が好きな種族である。
「しかし……参ったね」
胸元に抱き寄せた幼馴染の頭をゆっくりと撫でながら、僕はそう言った。夜のソニアは甘えん坊だ。よく懐いた大型犬のように、ベタベタとくっ付いてくる。その感覚は、けっして不快ではなかった。まあ、相変わらず夫婦云々の部分には違和感を覚えているが……それもいずれは慣れるだろう。
「あのチャラ女のことですか」
僕の胸に頬擦りをしながら、ソニアは言う。男の胸なんぞにくっついて何が楽しいのだろうか。僕にはさっぱりわからないが、ソニアはよくこういう真似をする。
「チャラ女……」
おそらくは、フランセット殿下のことだろう。僕は思わず苦笑してしまった。確かに殿下はいかにも遊び慣れた風情の洒落者だ。チャラいといえば、チャラいのだろうが。とはいえひどい言い草である。
「婚約者がいるというのにあちこちの男に声をかけて回っているようなナンパな輩は、チャラ女で十分でしょう」
「まぁ……そうかも」
童貞百人斬りだものなぁ……あれ、百人斬りはデマだっけ? あんまり興味がないので忘れてしまった。
「僕にコナをかけてきたのも、その一環かね。みんなにああいうことをしているのなら、そりゃあ男泣かせとも呼ばれるか……」
仕事の一環とはいえこんな辺境まで追いかけて、婚約破棄をするとまで言って口説いてくる……ううーん、強い。僕もこういう立場じゃなかったらコロッと行っちゃってるかもな。
「……それは、どうでしょうね?」
ソニアは頬擦りを止め、僕のほうをチラリと見た。……といっても、部屋は真っ暗いのでそういう気配しかわからないが。
「というと?」
「これは女のカンですが……あのチャラ女、本気だったんじゃないでしょうか?」
「本気? どういうことだ」
アレは、僕を自陣営に取り込むための工作だろう。僕は諜報戦に関して言えば前世から専門外だが、防諜対策の研修は受けている。男女の情に訴えかけてくるやり口は、この手の状況ではもはや鉄板だ。殿下のアレも、そういう流れの一環ではないのだろうか?
「これはまあ、ヒトからの受け売りなのですが。ああいう軽いタイプの女が、本気で人を好きになったら……却って、激しく燃え上がります。既にいる婚約者を捨てて新しい男に走ろうとしたりね」
「なんだ、ソニア。つまり君は、殿下が本気で僕に好意を抱いているとでもいいたいのか?」
僕は幼馴染に顔を近づけ、そう聞いた。天窓から差し込む微かな星光に照らされた彼女は、コクリと頷く。
「遠くから盗み聞きしていただけの身ですが、確かにそういう風に感じました」
「まさかぁ……」
フランセット殿下とは、何度か一緒に酒を飲んだだけの仲である。しかも、僕は相手が殿下だとは知らなかったものだから、結構失礼な態度を取っていた。女に飢えた童貞……もとい、男に飢えた処女じゃあるまいに、そんな薄い付き合いで相手が好きになるものかね? まあ、もともと彼女はあちこちの男に声をかけているので、単純に惚れっぽいタチである可能性もあるが……。
「よしんばそれが事実でも、惚れやすは飽きやすと相場が決まってる。放置してたらすぐ醒めるだろ」
「さて、どうだか……」
小さく肩をすくめてから、ソニアはまた僕にぎゅーっと抱き着いた。
「こんないい男、飽きるとは思えませんが」
「あんまりおだてるんじゃない、調子に乗り始めたらどうするんだ」
大型犬を撫でまわすような手つきで彼女の髪を滅茶苦茶にしながら、僕は笑った。しかし、ソニアは笑わなかった。
「いいですか、アル様」
「はい」
「恋というものは、困難であればあるほど却って燃え上がるモノです」
「はい」
「そして、恋に狂った竜人はわりととんでもないことをしでかします」
「とんでもないことって……」
いったい何だよ? そう思いながら幼馴染の方を見ると、彼女は皮肉げに笑った。
「例えば……国内屈指の大貴族の次期当主だったのに、一方的に実家と絶縁してヒラの宮廷騎士の家に転がり込んだり」
「……」
いやお前やんけ! 僕は彼女のほっぺたを両手で包んでもみもみした。ソニアは「んへへ」と笑って顔をぐいぐいと押し付けてくる。
「……こほん。とにかく、油断するべきではありませんよ。あの女、きっと思いもよらぬマネをしてきます」
「さあてねぇ……まあ、警戒するに越したことは無いだろうが」
恋の達人みたいな人が、僕のような男らしさのカケラもない野卑な人間に惹かれるものかね? やっぱり、アレはあくまで演技だと思うんだが。……まあ、僕という人間は軍事面以外では何の頼りにもならないポンコツだ。ソニアの分析の方が、正確かもしれんな……。
……だとしたら、あの断り方は不味かったかもしれん。アデライドに対して、一方的に敵愾心を抱いちゃうかも……。ううーん、マズったな。僕は宰相が大好きなので問題ないデース、とでも言っておいた方が良かったのか? いや、いやいやいや。恥ずかしすぎるだろ……勘弁してくれ。
「……アル様は、少し自己評価が低すぎると思います」
唇を尖らせたソニアは、今度は僕の方を抱き寄せてきた。そのあまりにも豊満な胸に包まれていると、大変に心地が良い。
「あなたのことを好いている女は、たくさんいるんですよ。そのあたり、わかっているんですか?」
だが、そんな天国のような状況にもかかわらず、ソニアの声には非難の色がある。
「……」
確かに……現状を考えれば、自分は愛されていない、などという言葉は口が裂けても言えない。ただ、なぁ。僕ってば、両親や弟を残してわざわざ死にやすい任務に突っ込んで言って、案の定命を失ったような馬鹿だからなぁ……。また現世も、空っぽの棺で葬式をせねばならんような終わり方になるかもしれん。そういう人間は……本当に愛されるに足る価値があるのだろうか?
「たとえば、ジルベルト。……彼女も、いい加減に添い寝がしたそうにしていましたよ。よろしければ、わたしが王都に発つ前に三人で寝てあげてもよろしいでしょうか? いきなり二人っきりというのも、アル様にしろジルベルトにしろキビシイでしょうから……」
「あぁい」
ジルベルトは慎み深い性格なので、ソニアやダライヤのようにベタベタとくっ付いてくるようなことはない。しかし、やはり彼女も竜人。相方の体温を求める本能はあるらしい。……本当にお相手が多くて困惑するね、異常事態だ。
「それから、ネェルも。先ほどなんて『小柄な、方々は、添い寝とか、デートとか、しやすくて、羨ましいですね?』なんてイヤミを言われたんですよ? まさか自分が、巨人ども以外から小柄扱いされる日が来るとは……」
「ハハ……まあ種族差はね、仕方ないから」
ネェルは今のところ、郊外のリースベン軍駐屯地にある馬小屋を改造した家で暮らしている。なにしろ規格外の巨体だから、普通の家には入ることすらできないのだ。……ただ、一応領主屋敷の方に居を移すという計画もある。彼女を僕専属の護衛に任じよう、という動きがあるのだ。
そうなると、あまり離れた場所で寝起きされるといろいろ不都合がある。今回の一件でも、寝ぼけ眼の鳥人伝令を駐屯地まで飛ばしてたたき起こしてもらったのだ。彼女の戦力は大変に頼もしいので、やはり必要とあらば即招集できるようにしておきたい。領主屋敷に工作員が浸透していることが明らかになったのだから、なおさらだ。
「彼女にも随分と世話になっているからな。近いうちに、何かしら埋め合わせをしてやらねば」
「『独り寝が、寂しいのは、竜人の、専売特許では、ありません』などと言っていましたよ。あの子も添い寝がご所望のようです」
「いよいよ僕を狙っていることを隠さなくなってきたな……」
いや、最初からか。
「まあ、いいではありませんか。彼女は、良い女ですよ。単純な武力はもちろん、頭は回るし気も回ります。アル様とも十分につり合いが取れると思いますが……アル様は、彼女がお嫌いですか?」
「嫌いか好きかでいえば、だいぶ好きの部類だが」
いろんな意味でいい性格してるもんな、ネェル。ああいう一筋縄ではいかないタイプは、けっこう好みだ。……ダライヤといい、僕の女の趣味ってだいぶねじ曲がってないか?
「しかし……いいのか? ソニア。僕が彼女と関係を持つのは……」
「心許せる友人と夫を共有するというのは、素晴らしい事ですよ。アル様が嫌がられないのであれば、首を横に振る理由は一切ありません。ジルベルト義姉上や、ネェル……それから、ついでにカリーナあたりであればね」
「……」
そこでカリーナの名前が出るのか……。むぅーん。そういえば以前、カステヘルミからも似たような話題を出されたな。もしかしてあの義妹、密かに僕の外堀の攻略に取り掛かってるんじゃなかろうな? いや、まさか……な。カリーナはロスヴィータ氏から預かった大事な妹分だ。出来れば、立派な令息を見つけてきて、婿にしてやろうと考えていたのだが……。一度、本人の要望を聞いておいた方が良いかもしれん。
「……なんだかなぁ」
しかし、アレだね。こっちの世界の女性、わりとハーレム容認派ばかりだね。むしろ、僕の方が違和感を抱いている始末。転生者ゆえ仕方ないとはいえ、なんだろうねぇ。一人の女に生涯をささげる! みたいなの、割と憧れてたんだけど。どうやら、そのおぼろげな憧れは叶うことなく終わりそうだ。……ま、実際に僕が生涯をささげてるのは、女ではなく軍隊なのだが。




