第383話 くっころ男騎士と密使
冬営地の視察が終わって領主屋敷に帰ってくる頃には、すでに日が暮れていた。急いで夕食を取り、ついでにソニアやアデライドらと情報交換や明日以降のタスクの確認などをしておく。忙しいからといって報告・連絡・相談を怠っていると、たいていとんでもない大事故につながるからな。このあたりは、丁寧かつ念入りにやっていく。
そうこうしているうちに、時刻は夜中になっていた。休み明けから、なんともハードな話である。僕はすっかり疲れ切っていた。まあ、健康を害さない程度であれば、ハードワーク自体は嫌いではないがね。充実感があってよろしい。とはいえ、流石に現状は少しばかりオーバーワークな気もするが……エルフやアリンコどもがリースベンに馴染むまでの辛抱だ。
「はぁ……」
自室に戻ってきた僕は、大きく息を吐いた。今すぐベッドに飛び込んでそのまま寝たい気分だったが、そういうわけにもいかん。まだ予定が残っているのだ。……といっても、仕事ではない。ソニアが添い寝に来るのだ。この頃、僕は毎日のように彼女やカステヘルミと同衾していた。
もちろん、イヤらしいことはしない。そういうことは、正式に結婚した後で……ということになっている。いわゆる初夜というヤツだな。ただ、竜人のツガイになった男にとって冬季における同衾は義務である、というのがスオラハティ母娘の主張だった。独りで寝るのは大変に寂しくて寒いらしい。
この辺は只人である僕にはよくわからん習慣ではあるが、美女らと寝床を共にするのは悪い気分ではないからな。断る理由もない。……ま、そこまでするならいっそ食べてくれと思わなくもないがね。
「……おや」
ソニアを待つべくベッドに腰掛けたところで、気付いた。枕の上に、封筒が置かれている。はて、どうしてこんなものがこんなところに。そう思いつつ手に取る。未開封の封筒だ。真ん中に押された真紅の封蝋には、見覚えのある紋章が……
「げぇ!?」
見覚えのある、どころの話ではない。王家の紋章だ。つまりこれはヴァロワ王家からの正式な書状、ということになる。とてつもなく重要な代物だった。よく見れば、差出人の名前はフランセット・ドゥ・ヴァロワ。我らが王太子殿下である。王太子殿下からの手紙が、無造作に僕の寝台に置かれているなどというのは尋常ではない。
むろん、部屋の掃除やベッドメイクなどを担当している使用人が適当に置き捨てていった、などという話はありえない。領主に送られた手紙……しかも、王家から来たような代物をそんなぞんざいな扱い方をしたら、下手をすれば物理的に首が飛ぶからな。そんなウカツな真似をするようなヤツはそうそういない。
「……」
僕は無言で顔をしかめた。つまり、この手紙は意図的に非正規なルートで僕の元にやってきたということになる。たぶん、使用人に混ざっているであろうスパイが持ってきたんだろうな。だが、わざわざこんなやり方で王家が僕に接触してきたというのは……キナ臭いよなあ。勘弁してくれ。
正直こんな手紙は投げ捨てたいくらいだったが、そういうわけにもいかん。僕は机に移って、手紙を開封した。一応毒針や刃物などが仕込まれていないか注意していたが、幸いにも(当然にも?)トラップの類は仕掛けられてはいなかった。
「午前零時、領主屋敷の裏庭で待つ……?」
王侯からの手紙だけあってその文面はひどく形式ばった装飾過多な代物だったが、内容を要約するとそういう意味だった。宰相や辺境伯に知られぬよう、コッソリと出てきてくれ……とも書かれている。
ふーむ……つまりこれは、王家のスパイが密かに接触を求めてきた、ということか。しかも、こちらの上長であるアデライドやカステヘルミに内緒で。うわあ、キナ臭いどころの話じゃないな。ヤバイだろ、これ……。
とはいえ、従わないワケにはいかない。なにしろ王家の紋章付きの手紙だ。意図的に無視すれば大変なことになる。まあ、王家以外の勢力が出してきた擬装の手紙……という可能性もあるが。だが、ホンモノである可能性がある以上、やはりスルーはできないんだよな。あー、ヤダヤダ。
「勘弁しろよな……」
僕はため息をつきつつ、立ち上がった。時刻は既に零時近く。チンタラしているわけには行かなかった……。
三十分後。僕は寝巻の上からコートを羽織っただけの簡単な格好で、領主屋敷の裏にいた。供の者はひとりもいない。手紙には一応、宰相らに知られぬように出てこい……と指定があったからな。秘密を共有する者は少なければ少ないほど良いだろう。護衛を大名行列めいて引き連れるわけにはいかなかった。
「おや、ひとりで出てきたのかい? さすがは勇猛で鳴らすブロンダン卿だ」
闇の中から誰かがヌッと出てきて、そんなことを言った。暗くてわかりづらいが、見覚えのある姿だ。
「やっぱり貴女でしたか、騎士様」
そう、"騎士様"。昨夜も酒場で一緒に痛飲した、あの女性である。やっぱりこの人、スパイだったんだな、そうだろうと思ってたよ。怪しすぎるもの。
「驚いてはくれないか。残念だな」
「王都で一度会っただけの女性と、こんな辺境の地で再会するなんて……偶然だと思う方がどうかしてますよ、普通」
「そりゃあそうか。ハハハ……」
騎士様は空虚な笑い声をあげて、僕の方に歩み寄ってきた。僕は、いつでも口笛が吹けるように密かに身構える。この呼び出しが、僕を亡き者にするための罠である可能性に備えているのだ。一応、僕にだって自分が要人である自覚はある。
口笛を一つ吹けば、死ぬほど頼りになる護衛が文字通り飛んでくる手はずになっている。ガレア最強の騎士とリースベン最強種のコンビだ。ライフル兵一個小隊程度なら鼻歌交じりに殲滅できるレベルの戦力だろう。怖いのは、狙撃くらいだが……それも、この暗闇ではうまくいくまい。今夜は新月なのだ。
「それで、その……」
僕は、少しどもりながら言った。幸いにも、騎士様は今のところ怪しい素振りは見せていない。まっとうな話し合いが通じそうな雰囲気だ。
「封筒には、随分と見覚えのある紋章がついておりましたが。申し訳ありませんが、一応証拠などがあれば見せて頂いてもよろしいでしょうか? あれが偽書だったりすれば、シャレになりませんのでね……」
「ああ、もちろん。紋章一つで信用してもらえるとは、余も思っていないさ……」
僕のすぐ前にまでやってきた彼女は、そういってニコリと笑った。いくら暗くとも、これだけ近づけば顔もしっかり確認できる。やはり、あの騎士様だ。怪しいとは思っていたが、まさか王家からの使者だったとは……。
そう思った瞬間である。騎士様はゆっくりと胸につけたブローチを握った。すると、異常な現象が起きる。騎士様の顔が、瞬時に切り替わったのだ。まるで、CG合成された映像のような早変わりだった。
「うぇっ!?」
そして、変貌後の顔の方にも、僕には見覚えがあった。優美で不敵な、伊達女。我が国の王太子、フランセット・ドゥ・ヴァロワその人である。
「そう驚くことは無い。手紙だって、フランセットの名前で出していただろう?」
悪戯が成功したような表情で、仮称・フランセット殿下はそんなことを言う。僕は、ほとんど腰が抜けそうになっていた。
「……げ、幻術の類ですか? もしかして」
「ああ。このブローチのおかげさ。王家の秘宝でね……」
ニコリと笑ったフランセット殿下は、胸元のブローチをいじる。すると、また例の没個性な竜人騎士の顔に戻ってしまった。もう一度弄ると、またフランセット殿下の顔に戻る。頭がどうにかなってしまいそうな、極めて非常識な光景だった。なにこれ、チートアイテムじゃん! 剣と魔法の世界はこれだから……。
「じゃ、じゃあ、つまり、僕は昨夜、王太子殿下とご一緒していた……ということですか」
「ああ、その通り。昨夜は楽しかったよ、ありがとう」
「さ、左様ですか……それは重畳にございますな……」
うわ、うわ、うわあ……やべえよ……なんか偉そうなこと一杯言っちゃったよ……うわあ……。マジか……? このフランセット殿下の顔も幻術で、実は偽物だったりしないかな? ……可能性は無くはないけど、流石に薄いなぁ。そんな真似ができるなら、王家の名誉なんか毀損し放題になってしまう。
しかし、そういう話はトンと聞かないからな。つまりこの謎のブローチは王家かその直下の組織の持ち物で、目の前の彼女も王太子殿下本人か、あるいはその信を受けた影武者。どちらにせよ、王太子殿下本人として扱うべき相手だろう。
「し、しかし……王太子殿下が、このような最果ての地にどのような御用で? いえ、もちろん、王家の御懸念は理解しているつもりですが……」
アデライド宰相は、王国南部での影響力を伸ばそうとしている。そりゃあ、王家だって憂慮するだろうさ。ほんの半年前に大貴族が王都で反乱を起こしたばかりだしな。宰相がオレアン公爵家と同じような真似をするのではないかと不安になるのも致し方あるまい。
とはいえ、普通そんな調査は子飼いの情報機関にやらせるものだろ。王太子殿下ご本人が現場に出るとか、聞いたこともない。いったいこれはどういう事態なのか、僕には理解しがたかった。
「君という人間を、余自身の目で確かめる。そのために、余はリースベンまでやって来たのさ」
「僕、ですか……」
「ああ。今や、アルベール・ブロンダンは宰相派閥の要石だからね。捨て置けるような人間ではない」
「さ、左様で……」
僕は額に浮かぶ冷や汗を拭いながら、頷いた。ヤバイなあ……王家はそこまで疑念を強めてたのか。まあ、当然と言えば当然だろうが。うむむむ……勘弁してほしいなあ。内乱なんて、冗談じゃない。ガレアをエルフェニアみたいにするわけにはいかんだろ。
「それで、その……御査定の方の結果は、いかがだったでしょうか? 自分といた
しましてはもちろん、王家に翻意など抱いてはおらぬのですが……」
「ああ、わかっているさ」
そう言ってフランセット殿下は笑い、僕の肩を優しく叩いた。
「君は誇り高い騎士だ。王家に牙をむこうなどという気は、さらさらない。そうだろ?」
「ええ、ええ。もちろんです」
僕はコクコクと頷いた。裏切り者予備軍扱いされるなんて、冗談じゃない。
「そんな君だからこそ……提案したいことがある。こんな時間に君を呼び出したのは、そのためなんだ」
「提案、ですか」
宰相派閥から王家派閥に乗り換えろ、みたいな感じかな? だとすれば、王家は随分と僕を買ってくれているみたいだな。まあ、有難迷惑だが。政治とか、正直まったく関わりたくないんだよなぁ。そういう方面の適性、全然ないし。軍人は軍人、政治家は政治家だろ。まあ地方行政の真似事くらいは、頑張ってやってるけどさぁ……。
「そう、提案」
王太子殿下はコホンと頷き、しばし躊躇してから口を開いた。
「頼む、アルベール・ブロンダン。余と結婚してくれ……!」
は? いや、マジかよ。僕は試しに自分の頬にビンタをしてみた。痛い。どうやら、これは夢ではないようだ。
「公認愛人の件でしたら、以前にお断りしているはずですが……」
「違う、違うんだ」
頭をブンブンと左右に振って、フランセット殿下は僕の言葉を否定する。
「公認愛人などではない。正式な夫婦に……王配になってほしいんだ、君には」
「は?」
……僕は反射的にもう一度自分の頬をシバいた。やっぱ痛ぇわ。夢じゃないわ。え、は? どういうこと!?




