第381話 くっころ男騎士とお散歩
昼食を終えた僕は、ウルと別れて"正統"の冬営地へと向かった。カルレラ市参事会の要望により、蛮族どもの冬営地はすべて街からやや離れた場所で建設されている。徒歩ならばそれなりに時間がかかってしまう距離だが……馬に乗れば、まあちょっとした散歩くらいの感覚だ。
短時間の移動でも、馬に乗るのは結構な気晴らしになる。僕は心地よい程度に冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでから、ゆっくりと吐き出した。アラスカ州やノール辺境領の過酷に過ぎる冬を知っている身としては、リースベンの冬はまるで天国のように快適だった。
「そちらの進捗のほうはどうだろうか?」
僕は、隣にいるフェザリアへと話しかけた。エルフは乗馬の文化を持たないが、彼女に関して言えば多少のぎこちなさを感じるものの立派に軍馬を乗りこなしている。それについて聞いてみたところ、リースベンへの移住後、手すきの時間を使って乗馬術を学んでいるのだという。流石はフェザリア、勤勉である。
「俺らは引っ越しには慣れちょっでな、問題はないもなかど。貸してもろうた土地も、なかなか良か。近所に灰をまき散らす迷惑な山もなかしな。永住してんよかくれだ」
フェザリアはあっけらかんとした表情でそう言う。……ま、活火山のふもとに比べればどこだって天国か。灰だけならまだしも、結構な大きさの石まで時々噴いてたからなあ、ラナ火山。火山には桜島で慣れている僕ですら、あの山は少々怖い。
「ただ……メシは十分にあっどん、そいを煮炊きすっためん燃料が足らん。生木はいくらでもあっどん、乾燥済みん薪が少なか。これ以上お前らに頼ったぁ心苦しかが、なんとかならんかね?」
「燃料かぁ……」
僕は小さく唸った。薪不足は、"正統"だけの問題ではなかった。リースベン全体で、燃料が足りず価格が高騰している。蛮族どもや商人たちなど、外部から大量の人口が短期間で流入したせいだ。
むろん、リースベンには大量の森林資源があるが、伐採したばかりの木は燃料としては使い物にならない。最低でも数か月は乾燥させておきたいところだ。しかし、燃料需要はひっ迫しており、乾燥を待っている時間はほとんどない……。
「ま、一か月以内には何とかなると思う。それまでは、なんとか倹約して持たせてほしい」
とはいえ、この問題に関してはすでに手は打っていた。なにしろ、リースベンには豊かな地下資源がある。もちろん、石炭も産出するのである。それも、結構良質な石炭が。北部の山岳地帯では、ミスリルの試掘と並行して石炭の採掘も始まっていた。薪の代わりに、これを供給する手はずになっている。
まあ、もちろん石炭をそのまま使う訳ではないがね。なにしろ石炭にはタールをはじめとした有害物質が大量に含まれている。これを取り除かない限り、一般家庭で煮炊き用の燃料として運用するのは厳しい。石炭がまだ民間に供給されていないのは、これらの作業を行っているためだった。
ちなみに、この有害物質は石炭から取り出してしまえばいろいろと使い道がある。フェノールやベンゼンなどの近代化学製品を作るにあたって必須の成分だし、石炭ガスは将来的には肥料や火薬の原料に加工できるようになるだろう。産業革命前夜って感じだな。……ま、肝心かなめの蒸気機関は相変わらず完成していないんだが。
「やはり、すでに対策を進めちょったか。流石はアルベールじゃな」
ほほ笑みながらそんなことを言うフェザリアに、僕は頬を掻いた。彼女のようなとんでもない美人から正面切って褒められるのは、嬉しいを通り越してなんだか面はゆいんだよな。
それからしばらく、僕たちは無言で馬を進めた。護衛の騎士をはじめとしたお供の者たちも、何も言わない。しかし、居心地の悪い沈黙ではなかった。初冬の農道の長閑な風景は、見るものすべての心を穏やかにさせる。気持ちのいい昼下がりだった。
「そういえば……」
やがて、フェザリアが口を開いた。彼女は少し頬を赤くして、こちらをチラチラとみてくる。
「その……ダライヤん奴が、いたらんこっを言うたげなな」
「ああ……」
やっぱり、そういう話題になるよな。僕は思わず小さく息を吐いた。
「結婚の件?」
「そうじゃ。……確かに仲介は頼んだが、余計なこっは言わじくれと頼んじょったんじゃが。ああ、恥ずかしい。こげんこっは、自分自身ん口で伝ゆっべきじゃろうに」
フェザリアはそう言って、唇を尖らせる。その顔は熟れたリンゴのように真っ赤だった。
「まあ、ダライヤはああいう人だから」
「……そうじゃな。ヤツに仲介を頼んだ俺が悪か」
僕たちは、顔を見合わせて笑った。なにしろ、ダライヤである。余計なマネをすることにかけては右に出るものはいない女だった。
「で……」
笑い声の余韻が消えた頃、フェザリアはおずおずといった様子で再び口を開いた。僕は密かに、馬の手綱をきゅっと握り締める。
「その……こげんところで言とも、風情んなか話ではあっどん。アルベール、俺とと結婚してはっれんか」
「いいよ、こんな尻軽男で良いのなら。不束者ですが、よろしくお願いします」
「……えろうあっさりじゃなぁ」
フェザリアは、またまた唇を尖らせた。まあ気分はわかるがね。でも、仕方ないだろ。リースベンの安定を考えたら、実際この縁談を受けないわけにはいかんのだし。フェザリアも、決して悪い女性ではない……というか、僕にはもったいないくらいの人だしな。
勇敢で、思慮深く、配下の為なら自ら詰め腹を斬ることを厭わぬほどに高潔。なんとも素晴らしい人格だ。まあ、火炎放射器の扱い方に関しては、少々思うところがないわけではないが。
「ほんの先日まで、婿の貰い手がさっぱり見つからなかったような武骨な男なものでね。あなたのような素晴らしい女性からのお誘いを断れるほど、贅沢な身分ではないんだよ」
「ガレアんおなごは見っ目が無かね」
くすりと笑って、フェザリアは肩をすくめた。
「まあよか、こいで俺とお前は本当ん身内じゃ。俺のこん余生はお前とリースベンのために使わせてもらうで、せいぜい期待しちょってくれ」
「あなたの助力があれば百人力だ。有難い話だよ」
実際問題、この縁談はメリットがデカい。乱暴者ぞろいの"正統"も、これで少しは大人しくなるだろう。頼むから大人しくなってくれ。……ま、それにしても、やっぱり貴族同士の結婚ってやつは、無味乾燥だねぇ。家同士のつながりが、とか。メリットが、とか。まるで商売の取引をしているみたいだ。立場を考えれば、それも仕方のない話だがね。
「おぅ、まかしちょけ」
「……」
「……」
「……やはり、こう……風情が足らんのぉ。もうちょっとこう、夫婦らしい話をしよごたっもんじゃが」
何やら不満げな様子で、フェザリアが言う。意外と、シチュエーションとかを重視するタイプなのかもしれない。
「夫婦らしい話といってもねぇ」
こちとら艶っぽい話とは一切無縁に生きてきた生まれながらの非モテである。男女らしい会話のレパートリーなど、持ち合わせてはいない。
「……ええと、じゃあ、ご趣味とかは?」
これじゃお見合いだよ、などと思いながら、僕はそう言った。色気もクソもあったもんじゃないが、僕の頭ではこれが限界である。
「趣味、趣味ねぇ……詩集を読んだりすったぁ、好いちょっが」
「詩集」
僕は思わず面食らった。エルフの口から出るには明らかに不釣り合いな単語である。こちらの反応を見て、エルフの皇女様は何とも言えない目つきで苦笑した。自分たちが周囲からどういう風に見られているのか、というのは理解しているのだろう。
「少し前までは、エルフにも詩歌を愛ずっ文化はあったんじゃ。まあ、あん噴火のせいでだいもかれもがそれどころじゃなくなってしもたが……」
「なるほど」
確かに、僕が知っているのはラナ火山の噴火以降のエルフだけだ。これはいわばポストアポカリプスであり、人心が乱れるのも致し方のない話である。それ以前のエルフには、確かに高度な文化と文明があったはずなのだ。
「いくさん役に立たん物は、ほとんど焼かれてしもたが。そいじゃっどん、わずかに残ったもんなあっ。今となっては、貴重な本たちじゃ。子供が出来たや、受け継がせてやらんにゃならん……」
しみじみとした口調で、フェザリアは言う。エルフ文化の継承か……確かに重要だよな。リースベン領民との同化も重要だが、民族アイデンティティが消滅してしまうのはよろしくない。文化の保護・復興も、領主たる僕の仕事のうちか……。
「まあ、そんたさておき。趣味といえば……アルベール、お前んほうはどうなんじゃ? そう言えばわい、何日か休みを取っちょったらしかじゃらせんか。そん間、どげん風に過ごしちょったんじゃ?」
「そう聞かれると困るんだけども」
僕は思わず目を逸らした。僕の休日は、フェザリアよりもよほど非文化的なものだった。昼間で寝床でごろごろして、酒場に繰り出して、名も知らぬ騎士様とくだらない話をして……。いやいや、この辺りの話はしない方がいいな。ウン。
「コレクションの手入れとか、かな?」
「コレクション?」
「ああ、武具類のね。主君から下賜されたヤツとか、君に貰ったあのエルフ剣とか……」
嘘は言っていない。確かに、コレクションの手入れはやった。実際、武具の収集は僕の数少ない趣味の一つである。もっとも、貧乏なので数も質も大したことは無いがね。フランセット王太子殿下から下賜された王家伝来のサーベルなどは例外の部類で、大半は数打ちの量産品である。
「ほーう? 良か趣味じゃ」
ニコリと笑って、フェザリアは馬を寄せてきた。
「武具の募集は、俺もやっちょっぞ。流石はアルベール、おなごんロマンを理解しちょっな」
「へぇ?」
その言葉に、僕は興味を引かれた。数百年を生きる長命種、しかもその皇族のコレクションだ。レアものが眠ってそうだよな。
「それは興味深い。今度、拝見させてもらってもいいかな」
「おう、もちろんじゃ。……そういえば、お前ん国……ガレア王国に由来ん剣も、持っちょっぞ。ダレヤからんもらい物じゃが」
「ガレアに縁のある剣? なんでダライヤがそんなものを……」
やはり謎の多いロリババアである。僕は思わずうなった。
「あん婆は、なんどか諸国漫遊ん旅をしちょっでな。外国ん変わったモノも、たくさん持っちょっど」
「へぇ……ちなみに、その剣とやら。どういった由来なのかわかる?」
「確か……路銀を稼ぐために傭兵をしちょった時に、ヴィルジニー・ヴァロワちゅう貴族に下賜されたもんとかなんとか」
「……それ、いつ頃の話?」
「三百年くれ前じゃったかな。まだ、俺も生まれちょらん時分じゃ」
「……け、建国王だそれ!?」
僕は衝撃のあまり落馬しそうになった。マジでなんなんだあのロリババア。