第379話 ナンパ王太子と宰相の陰謀
「うう……」
翌朝、余は呻きながら目を覚ました。二日酔い……というほどひどいものではないが、深酒をした翌日特有の気だるさが全身を包み込んでいる。目を開けるのと同時に、ほとんど無意識に自分の腕の中を確認した。そこに、武骨だが美しいあの男が収まっているような気がしたからだ。
「夢、か……」
そう呟いて、一人で赤面する。もちろん、そこにアルベールはいなかった。昨夜はかなりの量の酒を飲んだが、それでも記憶を失うほどではなかった。もちろん、彼を口説き落としてベッドへ連れ込むような真似をした覚えはない。つまり……この腹の奥でくすぶっている熱い感覚は……ああ、恥ずかしい。性を覚えたばかりのガキではあるまいに。
「はぁ……」
ため息をついて、余は毛布をマントのように羽織った。南国とはいえ、朝は流石に寒い。それ以上に、心も寒かった。ああ、彼が欲しい。この懐の中に、あの大柄な男を納めて温まりたい。竜人の本能がそう叫んでいる。認める他なかった……余は、すっかりアルベールに夢中になっている。相手を惚れさせるのは得意だが、自分の方から惚れるのは……初めてかもしれないな。
「……」
従者を呼んで、冷水を持ってくるように命じた。それを待っている間にも、余の頭の中ではやくたいのない思考がグルグルと渦巻いている。昨夜は……よかった。とても良かった。彼を抱けたわけではないし、それどころか口づけすらできなかった。それでも、余の胸の中には確かな満足感がある。
あの男はせいぜい余より一歳か二歳年上な程度だったように思うが、年齢に見合わず老成している。その言葉は聡明で、含蓄があった。貴種としてまだまだ未熟な余などよりも余程ヒトの上に立つ者としての風格がある。母が生きていれば、あのように振舞って余を導いてくれていたのだろうか? そう思うと、なにやら胸の奥底に暖かい感情が灯るようだった。
叶う事ならば、彼を私的な家庭教師として招きたいところだ。アルベールに師事すれば、余はきっと良い王になれるだろう。そう確信していた。……しかし、家庭教師。家庭教師か。甘美な響きのある言葉だ。嫌いではないな。ふふふ……・
「お待たせいたしました」
下らぬ妄想は、冷水入りのカップを手に戻ってきた従者の声で遮られた。余はコホンと咳払いをしてからカップを受け取り、中身を飲み干した。汲んできたばかりの水はたいへんに冷たく、空虚に火照ったカラダを冷やすにはちょうどよかった。
「……おっと、思ったより寝坊してしまったな。情報収集班の連中が、やきもきしているだろう。朝食の前に、彼女らの報告を聞いておくことにしようか」
懐中時計をチラリと確認して、余はそう言った。当然だが、リースベンには少なくない数の本職の諜報員を伴ってやってきていた。彼女らは彼女らで、このリースベンの情勢を調査してもらっている。
本来ならば毎晩夕食前に一日分の報告を受けることになっていたが、昨夜は余が外出していたためそれが叶わなかったのである。早めに昨日の調査についての報告を聞いてやらねば、今日の調査に障りが出てしまう……。
「……」
それから、ニ十分後。身支度を整えた余の前には、数人の諜報員たちが並んでいた。いずれもどこにでもいるような一般人に扮しており、間諜の類にはとても見えない。なにしろ、王家に仕える腕利きの諜報員たちだ。その正体を看破するのは、プロであっても容易ではなかろう。
「重点調査を命じられていた、ブロンダン卿と結婚予定と思われる蛮族の有力者の件ですが……ある程度のことが判明いたしました」
そう語るのは、遍歴騎士の格好をした竜人の若者だった。ブロンダン卿と結婚予定。その言葉を耳に舌と単、余の心臓が跳ねる。
「……流石、仕事が早いじゃないか。それで一体、どういう手合いなのかな? その蛮族は」
「ダライヤ・リンドという女です。今回の一件でブロンダン家に服属した蛮族の中でも最大の勢力、新エルフェニア帝国とやらの皇帝を名乗っておりますが……実態としては、ただのエルフの酋長のようです」
「エルフ、ね。長命種か……」
余は思わず顔をしかめた。長命種というヤツはどいつもこいつも一筋縄ではいかぬ連中ばかりだ。ガレアの領主貴族の中には悠久の時を生きる特殊な種族、吸血鬼もいるが、まあ……とんでもないロクでなしである。エルフもまた、それと似たようなものだろう。数百年という時の流れは、人間の精神など容易に捻じ曲げてしまうのだ。
「で、どういう手合いなんだい? そのダライヤというのは」
余の言葉に、遍歴騎士は少し困った様子で目を逸らした。そして一瞬考え込んだ後、口を開く。
「新エルフェニアのエルフたちに話を聞いたのですが……評判は最悪でした。曰く、誉れよりも策謀を好む悪辣非道なクズ。戦士の風上にもおけぬ外道。死にぞこない。千年も生きていながら男の一人も捕まえることができなかった性格破綻者……」
「じ、自分たちの酋長をそこまで悪しざまにののしるのかい!?」
余はギョッとして叫んだ。
「はい。……そもそもこの女、どうやら新エルフェニアの先代皇帝を謀殺して不当に皇位を手に入れたような輩らしく。下の者からは、たいへんに嫌われているようです」
「さ、簒奪者だと……!?」
余の背筋に、嫌な寒気が走る。……そういえば、『誉れよりも策謀を好む悪逆非道なクズ』……どこかで聞いたことがある文言だ。わが王宮の宰相も、そのように呼ばれることがままある。なにしろあの女は、一度も戦場に出ることなく宰相にまで成り上がったような人間だ。尚武の気風の強い我が国の貴族たちから見れば、貴種の義務を果たしていないようにしか見えないのである。
むろん、余としてもその意見には全面的に賛成だった。男を戦場に立たせ、自分はその影に隠れて下らぬ小銭稼ぎと陰湿な政治工作に励むなど……女の風上にもおけないクズだ。可能であれば、宰相の役職はもちろん宮中伯位もはく奪してやりたいくらいだ。むろん、現状の王家にそのような強権を振るうだけの権威は無いのだが。
「いけない、これはマズいな……」
そんなガレア王国の恥さらしと新エルフェニア帝国とやらの恥さらしが、男を共有しようとしている? なんとも、きな臭い話だ。両者の間では、きっとすでにロクでもない盟約が交わされているに違いない。同じ穴のムジナ同士が、悪だくみをしているのだ。
たしか余の記憶が確かならば、新エルフェニアとやらは烏合の衆で、統制が緩みつつあるという話である。そしてそういう組織をまとめなおす際、もっとも手っ取り早いのは……外部に敵を作る事だろう。
その上、宰相は宰相で南部での足場造りを始めている。この両者が共謀しているというのであれば……彼女らの描こうとしている絵図は、明白だ。つまりは、南部の……独立!
「レジーヌ、一つ聞きたい」
余は、商人の格好をしている狼獣人に視線を向けた。彼女は、このリースベンの領主屋敷に潜り込ませてある間諜どもを統括する立場にある、いわゆるスパイマスターだった。
「確か……アデライドの奴は、アルベールを婿入りさせるのではなく、自分が降嫁するほうを選択するのでは、と言っていたな」
「はい、殿下」
外見だけは平凡なスパイマスターは、恭しく頷いた。
「カステヘルミ様と共にそのような話をしているところを、部下が確かに耳にしております」
カステヘルミ。こちらもこちらで、嫌な名前だ。現ノール辺境伯……今のガレア王国で、最大の戦力を持つ領邦領主。彼女自身は、王家に対する翻意をうかがわせる挙動はしていない。だが、この女は妙に雄々しく、意志薄弱なところがある。悪友であるアデライドに、いつそそのかされるか分かったものではない。しかも彼女は彼女で、幼いころのアルベールを"味見"していた疑惑がある……。とてもではないが、信用できるものではなかった。
これはつまり、最悪の場合王家が南北から挟まれることとなることを意味している。二正面作戦だ。内線作戦の優位があるとはいえ、かなりキツい戦いを強いられるのは間違いない。
ましてや、辺境伯軍は王軍よりかなり早く新式軍制を採用している。新型銃……ライフルの量産命令が出たばかりの王軍と違い、辺境伯軍ではすでに雑兵すらライフルを装備しているという話なのだ。真正面から当たれば、同数同士の戦いにおいてすら勝てるか怪しい。
「……つまり、アデライドはブロンダン家を乗っ取り、この南部に己の王国を建てるつもりというわけか」
王家としては、断じて見過ごせぬ事態である。しかもその腹黒どもに利用されているのは……アルベールなのだ。あの気高い男騎士が、下衆どもの策に踊らされて王家に対する反逆の尖兵にされる……? 許せない。絶対に許せないな……。
しかしあの宰相、どこまで恥知らずなのか。あの賢明で美しい男を我が物にしたい、そういう感覚は理解できる。しかし、彼を利用して蛮族を仲間に入れるなど、正気を失っているとしか思えない。男を単なる道具だと思っていなければ、こんな策は思いつかないだろう。なんとおぞましい女か。生かしておけぬ。
「あるいは、これもすべてブロンダン卿の策のうち……という可能性もありますが」
そう言ったのは、遍歴騎士だった。
「蛮族どもをあっという間に服属させてみせた彼の手腕は、尋常ではありませぬ。男だからといって、油断するのはいかがなものかと……」
「違う! 彼は利用されているだけだ!」
余は思わず叫んだ。彼が悪しざまに言われるのは、我慢がならなかった。
「たしかに、世間では彼のことを女を惑わす毒夫だと呼ぶものは多い。しかし、それは誤解だ。彼は、誇り高く清廉な騎士なのだ。余は、余だけは、それを知っている……」
余の言葉に、遍歴騎士は気おされた様子で「さ、左様でしたか。差し出がましい真似をしてしまい、申し訳ありません」と頭を下げる。余はいらだたしさを各紙もせず、頷き返した。
「しかしこれは……早急に対策を立てる必要がありそうだな」
自分が理不尽な真似をしていることは理解している。遍歴騎士は悪くない。この怒りは、彼女に対してのものではないのだ。敵はただ一人、宰相アデライド。男を食い物にする本物の外道……。
だが……今、あの女を討つわけにはいかない。そんなことをすれば間違いなく内戦が起きるし、その内戦に勝てる自身もない。王軍に新式軍制がなじむまでには、まだまだ時間がかかるのだ。従来式の軍と新式の軍がぶつかり合えばどうなるのか……それは、王都内乱で証明されている。
その上、よしんば勝てたとしても……内乱で弱った我が国に、神聖帝国が無干渉を決め込むはずはない。どう考えても、侵略戦争をしかけてくるだろう。現在の両国関係は比較的に穏やかだが、それは両者の軍事力が均衡しているおかげだ。こちらが一方的に弱れば、当然話は変わってくる……。
とにかく、時間を稼がねば。ライフルや大砲を量産し、それを扱うための教練を行い、さらには士官の再教育も必要である。できれば二、三年……最低でも、一年は欲しい。
「王軍の戦力化を急がねば。大至急で王都に戻った方がよさそうだな……」
余はボソリと呟いた。だが、このリースベンでやるべき仕事はまだ残っている。アルベール・ブロンダン。あの気高くも哀れな男を、なんとか宰相の魔の手から救ってやる方法はないものか? 彼と余が戦う運命など、耐えられぬ。あの男はたんなる被害者なのだ……。
そうだ、国王陛下も言っていたではないか。初志を思い出せと。余は、おとぎ話に出てくるような清廉な騎士に憧れていた。そして、悪党の食い物にされている男を見捨てるような輩は、間違いなく騎士ではない。
「……腹を決める時が来たようだ」




