第375話 くっころ男騎士の陥落
それからしばらくの間、僕の意識は睡眠と覚醒の間をさ迷っていた。その間ずっとダライヤ氏は僕の頭を撫で続け、時には子守唄代わりにエルフの民謡なども歌ってくれたりした。仮眠を兼ねて午睡をすることはこれまでにもたまにあったが、これほど心地の良いものは生まれて初めてかもしれない。なるほど、幼馴染連中が競うようにして"寝かしつけ"を求めてくるはずである。今になってやっと、僕は本当の意味で彼女らの気持ちを理解することができていた。
「……」
僕は小さく息を吐いてから、薄く目を開けた。それに気づいたダライヤ氏が、こちらに微笑みかけてくる。ああ、いいなあ。すごくいい。こういうの好きだなあ……定期的にやってくれるのなら、無限にいくらでも頑張り続けられる気すらする。萎えていた気力も、いつの間にかすっかり充実していた。
……でも、気力が回復したのならば、やらなきゃならないことがあるんだよなあ。気が重いが、仕方あるまい。なにしろダライヤ氏は僕に初めて求婚してくれた人で、僕は今の今まで返事を保留してもらっている立場なのである。いい加減決着を付けねば、腑抜けのヘタレ呼ばわりをされても文句は言えないだろ。
「ダライヤ殿」
「殿、はいらぬぞ、アルベール。で、どうした?」
優しく微笑みながら、ダライヤ氏……もといダライヤは、顔を近づけてそう囁きかけてくる。完全に、恋人や夫婦の距離感だ。だが、しかし……不快ではない。むしろ、心地よい。もうとっくに、僕はこのロリババアに敗北しているのかもしれない。
「千年以上もの長い人生の終幕を共にする男が……僕でいいのか?」
伴侶を誰にするのかという命題はすべての人間種にとって重大な決断になるが、その中でもエルフは格別である。なにしろエルフは子を孕むとその不死性を失ってしまう。取り返しがつかないのだ。生半可な相手で妥協するくらいなら、少し待ってより良い条件の相手を探した方が良いのではないか、などと思ってしまう。
「僕は……上辺を取り繕うことだけは得意な人間だ。だから、部下たちからはなんとか失望されずに済んでいるが……実際は、わりとろくでもない人間なんだよ」
「そうかのぉ? ワシは、そうは思えんが……」
僕の髪を優しい手つきで弄りながら、ダライヤは小首をかしげる。優しい木漏れ日に包まれた彼女は、妖精や天使だと錯覚してしまいそうなほど可憐だった。
「……嫌なことは、ついつい後回しにしたり目を逸らしたりしてしまう。結婚の件だってそうだ。早く結婚して両親を安心させてやらなきゃならないのに、一度嫌な思いをしただけで仕事を言い訳にして逃げ回るようになって……。君やソニアが僕を貰ってくれると言ってくれた後も、アワアワするばかりで何もできなかった。駄目な男なんだよ、僕はさ」
「……」
ダライヤ氏は無言でほほ笑みながら、僕の頭を撫でるばかりだった。
「それだけじゃあない。ゴミ出しが面倒くさくて部屋をゴミであふれさせてしまったり、読んだ本を書棚へ戻すのが面倒で放置しちゃったり、遊ぶのに夢中でご飯を食べるのを忘れたり、二日酔いで寝込んでいる時にさらに酒を飲んじゃったり……」
「んふ、んふふふ……それだけかのぉ?」
「……いや、こんなことは序の口だ。一番僕がカスな所は……夫も娘もいる人間を戦地に連れだして、死んで来いと命じてしまえることだ。嫌な気分はするけども、それだけだ。割り切ってしまえるんだよ、そういう感覚を」
「ふむ……それで?」
「自分に対してだってそうだ。きっと、僕は結婚して子供ができても……必要とあらば、妻子がどれだけやめてくれといっても、死地へ飛び込んで行ってしまうだろう。未亡人製造機なんだよ、僕はさ……」
「結構なことではないか。必要な時に命を捨てるのは、戦士の義務じゃぞ? ワシは死にたがりのエルフどもには辟易しておるが、それでも肝心な時に命を惜しんでしまう臆病者よりは死にたがりのほうがまだマシだと思っておるよ」
ダライヤは穏やかな声音でそう言ってくれたが、僕は首を左右に振った。
「そういう上等なモノじゃない。たんに、大衆に殉じるというヒロイズムに酔ってしまっているだけだ。人のため、みんなの為というのはお題目で……実際は自己満足なんだよ」
「ふっ……」
僕の言葉を、ダライヤは刃撫で笑い飛ばした。ま、そういう反応になるだろうな。相手は千年も生きた古老だ。前世と現世を合わせてもまだ半世紀少ししか生きていないような若造の心の動きなど、わざわざ口に出さずともすでに看破しているはずだ。
「ハッキリ言えば、僕は君のことが結構好きだ。ただ、それは……お世辞にも綺麗な感情とは言い難いものだよ。なんというか、ダライヤは……その……」
「この婆の前では、何も取り繕わずとも良いぞ。思ったことを、そのまま口に出すのじゃ」
「……わかった。ダライヤって、クズだろう? はっきり言って。僕もクズだが、君はもっとひどいよ。必要あってのことばかりとは言え、クーデター起こして皇位を簒奪するわ、そこまでして手に入れた国をわざと叩き割って内乱を誘発するわ……僕が君の立場なら、そこまで割り切れないと思う」
ああ、言っちゃった。僕はブン殴られることも覚悟したが、彼女は笑みを深くするばかりで拳どころか罵声すら飛んでくることは無かった。ああ、やはりこのロリババアには勝てない。
「自分よりクズな奴が傍にいると……安心できるんだよ。自分はまだ、最低じゃないんだってさ……そんなことを思っちゃう時点で、どうしようもないカスなのに。ねぇ、ダライヤ。やめときなよ、こういう外道にすら振り切れない中途半端なロクデナシと結婚するのは……」
「んふ、んふふふ、いひひ」
ダライヤから返ってきたのは、言葉ではなく笑い声だった。いつの間にか、彼女の顔に張り付いている笑顔は天使のようなものから悪魔じみた代物へと変貌していた。
「愛い奴。本当に愛い奴じゃのぉ、オヌシは。最高じゃよ。んふ、んふふふ……はははは! ああ、たまらん!」
彼女はひとしきり笑ってから、僕の頭を抑え込んで強引に唇を奪ってきた。昼寝前の優しいキスとは違う、オトナの口づけである。それに対し僕は……抵抗しなかった。ああ、駄目だ。駄目だなあ。これはいけない。完全にロリババアの術中に嵌まっている。
「そうじゃ、その通り。ワシはホンモノの外道じゃよ。それに比べればオヌシなど、生まれたてのひな鳥や子猫のようなものじゃ。おお、良い良い。いくらでも婆と己を比べて安心せい。オヌシがいくら堕ちたところで、ワシ以上の悪党になり果てるなどあり得んからのぉ……ひひひ……」
「……」
邪悪な笑みを浮かべてそんなことを言い放つダライヤを見て、僕は少し固まってしまった。おう、おう。本性を現しやがったなクソババアめ。
「のうアルベールよ。オヌシ、そういう本音をソニアやアデライド、あるいはカステヘルミにぶつけたことはあるかのぉ?」
「……ない。見せられないよ、こういう汚い部分は」
「そうじゃろう、そうじゃろう。いひ、いひひ……ああ、ああ。最高じゃよオヌシ」
恍惚とした表情で、ロリババアはブルリと背中を震わせた。
「ワシの可愛いアルベール。ひひひ、オヌシの浅ましい所も、怠惰なところも、臆病なところも……まとめてワシが愛してやる。骨の髄までぐずぐずに溶かしてやるからのぉ……」
わあ、ヤベエ。うすうす勘付いていたが、このロリババアやっぱりとんでもない悪党だ。ああ、しかし……やはり嫌いにはなれない。むしろ好きだ。どうも僕は、女の趣味が死ぬほど悪いらしい。
「……じゃ、本当にいいんだな? 僕で」
「やかましい、いまさら四の五の抜かすでない。もうオヌシはワシのじゃ。喚こうが騒ごうがもう手離さん。オヌシが悪いのじゃぞ? この枯れ果てた婆に火をつけおって」
「このクソババアが……」
なにが枯れ果てた婆だこの野郎。流石に呆れて、僕は少し笑ってしまった。そして体を起こし、ロリババアに向き直る。
「わかった。じゃあ、ダライヤ。君の人生の残りを僕にくれ」
「良かろう。んふ、いひひひ……ああ、我が人生で一番良い取引じゃ。この腹黒婆の余生で、これほど可愛い男が手に入るとはのぉ。ひひひ、詐欺じゃよ、詐欺。こんな取引は……ひひっ、あとからやっぱりナシと言っても、聞かんからの?」
まったく、こいつは……。僕はため息をついてから、彼女を抱きしめた。そして今度は、自分からキスをする。駄目だな、もう駄目だ。このロリババアからは逃げられないし、逃げる気も失ってしまっている。本当に、とんでもないヤツと縁を持ってしまったものだ。
「……のぅ、アルベール。最後に一つだけ、良いか?」
力強く僕を抱き返しながら、ダライヤは艶やかな声でそう囁いた。
「なに?」
「流石にのぉ? この取引は不平等がすぎるからの……オマケを付けてやろう。ワシは優しい外道じゃからのぅ」
「おまけ?」
「フェザリアとウルじゃよ。いひひ、三人まとめてお世話になるからの? ま、オヌシに損はさせん。楽しみにしておくがよいのじゃ……」
「……えっ!?」
えっ!?!?




