第356話 くっころ男騎士と決着
アデライド宰相から求婚された。だが、プロポーズの仕方が最悪だった。僕は机に山と積まれた借用書の束と、シバかれてふくれっ面をしているアデライド宰相の顔を交互に見た。
「なんだ、文句でもあるのか!?」
「文句と言うかなんというか……」
僕と宰相の付き合いも長い。だから、彼女があえて露悪的な言動をしている、というのももちろん理解している。巷では血も涙もない銭ゲバ扱いされることも多い彼女だが、実のところ情に篤いところも持ち合わせている優しい女性なのである。先ほどの言葉が本意であるはずがない。
だが、これは流石にあんまりではなかろうか? 僕が(この世界の)普通の男性だったら、ビンタの一つでも飛んできそうな言い草である。もちろん、僕はそんなことはしないが。
「アデライド、いいかな? この手の告白は、一生のうちにそう何度もやるものではないんだ。下手をすれば一生のうち一回、ということもありえる。そんな重要な思い出が、まるで商売男を買うような言い草で塗り潰されれば……そりゃあ、アルだっていい気はしない。もっとちゃんとした……素敵な言葉をかけてあげるべきだったと思うよ」
かなり呆れた様子で、スオラハティ辺境伯がそう説明した。僕としても同感である。だが、当の宰相は大変にご不満な様子だった。応接机を叩きながら、大声で叫ぶ。
「仕方が無いだろう! 私が勇壮で女らしい騎士だったのなら、そういうやり方も通用したかもしれん! だが、そうではないんだ! 私は非力で臆病で雄々しいたんなる文官 しかも年増! 真っ当なやり方で男を口説いたところで、鼻で笑われるだけ……。唯一の武器であるカネを前面に押し出さねば、どうやっても勝てない勝負なんだ!」
まさに慟哭としか言いようのない叫びだった。目尻には、涙が浮いている。……こういう時代だからなあ。王宮でデカい顔をしているのは、いつだって武官だ。宰相はあくまで文官だし、しかも非力な只人である。いろいろと、コンプレックスを抱いてしまっても仕方のない話だろう。
なんだか、急激にしんどい気分になって来たな。僕もそうだし、母上もそうなんだが……身体能力に優れた亜人たちの社会に混ざって、僕ら只人が貴族として生きていくのは尋常ではなく大変だ。
自力で表舞台に立つのが難しいからこそ、只人は裏族などと呼ばれて貴族社会の裏方に追いやられている。亜人が繁殖に只人を必要としない生き物だったら、被差別種族一直線だったはずだ。だからこそ、ブロンダン家やカスタニエ家などの只人貴族は裏であれこれ言われがちなんだが……。
「宰相閣下。……いえ、アデライド。そんなことをおっしゃらないでください。僕は、あなたの良い所をたくさん知っています。鷹揚で、面倒見がよく、人を思いやれる」
しかも尻を触らせるだけでいくらでもお金を貸してくれる。……そんなことしてるからこんな額の借金をこさえるハメになったのでは?
「どうか、そうやって自分を卑下するのはやめてください。あなたにはあなたの魅力がある、そうでしょう?」
「お、おお、おおう……」
僕が彼女の手を両手でぎゅっと握りながらそう言うと、宰相は熟れたリンゴのように真っ赤になった。
「だ、だったら、結婚してくれるんだな! 私とっ!」
「え、あの、それは……いやもちろん気分としては頷きたいのですが、自分は既にソニアやエルフの皇帝から求婚を受けておりまして……今ここで頷くのは、いろいろな部分に差しさわりが」
「そんなことは全部私がなんとかしてやる! 余計なことは考えるな、私と結婚したいのかしたくないのか! どっちだ!」
「……」
僕は一瞬、考え込んだ。一体僕はどうすればよいのだろうか? 脳裏にソニアやジルベルト、ダライヤ氏の顔が浮かんでは消えていく……いやでもこの借金をなんとかしなきゃ何ともならんわ。借用書は法的に有効なヤツだし。出るとこ出られたら僕は奴隷落ち一直線だ。結婚なんかしてる場合ではなくなってしまう。
これがまだ不当な借金だったらそれなりに抵抗してるんだけど、考えなしに借りまくったのは僕だしな……。しかも、相手は「なんとか結婚できないかなー」などと思っていたアデライド宰相である。全然悪い気はしないし、むしろ嬉しいくらい。
わあ、断れない理由も了承したい理由も揃っちゃったぞ。どうするんだコレ。うむむと唸っていると、アデライド宰相は半泣きになりながら僕にしがみついた。
「はやく答えてくれないか、アルくん! 私の精神はもう限界だ! これ以上もったいぶるようなら私は泣きながらこの部屋を去ることになる! そうなったら縁談はご破算だぞ!」
「アッハイ、結婚します」
ソニア、ジルベルト、ごめん……借金には勝てないわ。いや誰と結婚しようが結局只人の嫁に来てもらわなきゃ困るというのは一緒なんだが、それにしてもなんだかなあ……。真夏の入道雲のように罪悪感がムクムクと湧いてくるんだが。
「頷いたな! 頷いたよな!? もう撤回はできないぞ!? わかっているのか!?」
「……はい」
「ああああああっ!! やったあ!!」
宰相は立ち上がって歓喜の叫びを上げ、小躍りし、そして僕に抱き着いた。そのまま、強引に僕の唇を奪う。たいへんに熱烈なキスだった。
「長かった……長かったよぉ……」
「宰相閣下……」
「アデライドと呼べよぉ……」
おいおいと泣きながら、宰相……もといアデライドは僕の胸板をぺしぺしと殴った。普段は傲慢不遜なセクハラ女な彼女だが、今はただただ可愛らしいだけの生き物と化してしまっている。僕は苦笑しながら、彼女の頭を優しく撫でた。
……いや、なんかノリで頷いちゃったけどこれマズくない? ソニアもダライヤ氏も無視していい相手じゃないぞ。特にソニアだ。彼女に失望され、見捨てられたりしたら……一生立ち直れる気がしないんだが!?
うわあ、どうしよ。ノリで重要な決断をするもんじゃねえな。さっきは即断即決こそ肝要! みたいなことを考えていたのに、今はすっかり手のひらを返したい気分になっている。感情のアップダウンが激しすぎてどうかなりそうだ。
「し、しかしその……ソニアの件はどうしましょう? こういうことになった場でこんなことを言うのはたいへんに気が咎めるのですが、僕は彼女に嫌われることだけは我慢ならないと言いますか……」
「言っただろうが、そんなことは私がなんとかすると……!」
僕に抱き着いたまま、アデライドは恨みがましい目で僕を見た。
「そもそも、ソニアのことは私も最初から考慮に入れている。そうでなければ、親の前で娘の想い人を口説いたりするものか」
そういってアデライドは辺境伯を一瞥する。彼女は苦笑して、コクリと頷いた。
「アデライドが竜人だったら、いろいろと面倒があったんだろうけどね。だが、彼女は只人だ。なんの問題もないだろう」
……まあ、確かに只人と亜人の二人が一人の男を共有する、というのがこの世界の一般的な結婚の形だからな。問題ないと言えば、確かに何の問題もない。とはいえ、前世の記憶を残した僕としては、違和感を覚えずにはいられないのだが……。
「それに、ソニア自身の希望を叶えるためにも……あの子は、アデライドと和解したほうがいいからね」
「……というと?」
僕の問いに、辺境伯は皮肉げに笑った。
「半ば絶縁状態になった今でも、スオラハティ家の家中にはソニアを次期当主に、と推すものは多い。実のところ、本音を言えば私も彼女らと同意見だ。なにしろ、あの子は私の子とは思えないほど出来がいい。智・武・勇をあれほど高い水準で兼ね備えた騎士など、王国広しとはいえソニアくらいだろう。本人にその気がないなら仕方ない、と切り捨ててしまうには……あまりにも惜しい」
「……」
そう言われてしまえば、僕は黙り込む他ない。ソニアは血筋にも才能にも恵まれた本物の出来物で、しかも長女だ。本来なら貧乏騎士家出身の小領主の副官になるなどあり得ない人材だろう。
「だが、あの子の頑固っぷりは尋常ではない。ムリヤリ言うことを聞かせようとしたって、不可能だ。この頃は、私ももうソニアがスオラハティ家に復帰することは諦めつつある。だが、家臣たちはそうではない。ソニアがブロンダン家に嫁入りするためには、家臣たちを納得させる必要があるんだ」
「……と言うと?」
「簡単なことだ」
ニヤリと笑って、アデライドは僕から身を離した。そしてそのまま元居た場所へ腰を下ろし、大胆な手つきで僕の太ももを揉み始める。あのさあ……。
「才気あふれる大貴族の長女が、遠く離れた地の新米男領主に嫁ぐ。これだけなら、たんなる駆け落ちだ。しかし、同じ男に王国の元宰相も嫁ぐとなると……どうだ?」
「……アッ、なんかすごく裏がありそうに見える!」
僕は思わずぽんと手を叩いた。
「その通り。事情を知らぬ者には、我らの派閥が南部を獲りに行ったように見えるだろうな。王国の南部は、もとはと言えばオレアン公爵家の庭。しかし今のオレアン家は、謀反の件で身動きがとれなくなっている。現在の南部はほとんど権力の空白地帯だ。勢力拡大を狙うなら、今しかない。そこへ、王国最大の地方領主の長女が参戦だ」
「そうか……嫁養子という名目で、南部にスオラハティ家の分家を立てる。そういう風に体裁を整えるわけですね」
なるほど、よく考えたものだ。南部の支配権を奪うという名目があれば、辺境伯家の家臣たちも文句がつけづらいだろう。……はたから見るとめちゃくちゃド汚い権力闘争だな、これ。王太子のフランセット殿下あたりが懸念を深めそうだが……大丈夫かね?
「まあそういうわけで、私とソニアはセットでアル君に嫁ぐ。これが最適解だ。あとは、ソニアを説得するのみ。君もそれで良いね?」
「はい」
政治の話なんぞなんもわからん軍事バカの僕としては、頷くほかない。……しかし、なんかアレだな。アデライド、ソニア対策のことしか考えてないんじゃないのか? ソニアも確かに難敵だが、ダライヤ氏も大概だぞ。こっちは、どうやって説得する気かね? いくら海千山千の宰相閣下でも、あのロリババアを対策なしでねじ伏せるのはムリだと思うんだが。
「それは分かりましたが……問題は他にもあります。ダライヤ殿……エルフの皇帝の件は……」
「私を誰だと思っているのかね? 大国、ガレア王国の宰相だぞ。ド田舎のクソ蛮族の酋長など、一ひねりだ。まあ、任せてくれ給えよ」
あ、ダメだこれ。めっちゃ油断してるわ。ナメて勝てるような相手じゃないぞと忠告しようとしたが、それより早くスオラハティ辺境伯が口を開いた。
「ところで……そろそろ私のほうの本題に入りたい。いいかな、アデライド」
「……ま、私は本懐を果たしたからな。バトンタッチと行こうか。頑張れよ、カステヘルミ」
なにやら、話の流れが変わった様子である。スオラハティ辺境伯の"本題"とは、いったい何だろうか? ソニアとの仲直りの件か? 僕は彼女に視線を移した。辺境伯はなんだか顔を赤くしながら、コホンと咳払いをした。
「……なあ、アル。ソニアは私とひどい喧嘩をして、スオラハティ家を出ていったわけだが……いったい、どういう理由でそこまでの大喧嘩になったのか、知っているかな?」
「いえ、存じておりません。何度かそれとなくソニアに聞いたことはあるのですが、言葉を濁すばかりで……」
なるほど、やはりそういう話題か。僕は辺境伯に頷いて見せた。
「そうか、まあ当然か。ソニアが出ていった後も、君は今まで通りに私と接し続けてくれていたものな……知っているはずがないか」
深々と息を吐いた辺境伯は、ひどく言いづらそうな表情で視線をあちこちに逸らした。なにやら、不穏な雰囲気である。
「実は、その……あの喧嘩は、私が十割悪かったんだ」
「は、はあ」
「その、あの……私は、ね? なんというか、その……」
「はい」
「夜這い、しようとしたんだ」
「誰に!?」
「君に」
「僕に!?」
「……うん。で、ソニアに見つかって……大喧嘩。というか、一方的にボコボコにされた」
「は!?」
僕は思わず素っ頓狂な声を出した。この優しい辺境伯様が、僕に夜這い!? 悪い冗談だろうかと思ったが、辺境伯の顔は真剣そのものだった。彼女はひどく申し訳なさそうな表情で、僕をじっと見つめる。
「つまりその……わかりやすく言えば……私たちは、母娘で同じ男を好きになってしまった……というわけなんだ」




