第355話 くっころ男騎士と最悪なプロポーズ
「……あの、それって」
僕のカラダを蛮族に渡す気はない。アデライド宰相はそう言った。彼女の真意を確かめるべく僕は口を開いたが、宰相は僕の言葉を遮り大声を出した。
「ネル! アレを持って来なさい!」
「はいはい。まったく面倒なご主人様ですね」
気だるげな声と共に部屋に入ってきたのは、もちろんカマキリ娘のネェルではない。アデライド宰相の懐刀として知られる竜人騎士、ネル氏だ。
彼女は小脇に抱えていた革製の大きなカバンを開き、中身を応接テーブルの上にブチまけた。物凄い量の羊皮紙だ。何かの書類らしく、その表面には文字がビッシリと掻かれている。
「なあアル君。これ、何だと思うかね?」
書類の束を手でポンポンと叩きつつ、アデライド宰相はニヤニヤと笑った。スオラハティ辺境伯が深いため息をついて額に手を当て、ネル氏は僕に同情のまなざしを向けた後そそくさと部屋を出て行ってしまった。……どうにも、ロクでもない代物のような気配だ。
「さて……尻を拭く紙ではないのは確かでしょうが」
「もちろん、違う。もっと大切なものだよ。……借用書さ、君の借金のねぇ」
「……えっ」
借金!? 借用書!? 僕は衝撃を受けて、書類の山に視線を戻した。物凄い量だ。えっ、これ僕の借金!? 全部そうなの!?
「……うわ」
あわてて書類を確かめてみると、大変に残念なことに見覚えのある文面だった。僕が宰相から借金をするたびにサインを求められていた書類である。
「これ全部でいくらの借金にやると思う? ちょっとした大店でも、問答無用で夜逃げの準備を始めるような額だ。アルくん、君にこの借金が返しきれるかね? んん?」
「……」
僕は無言で書類を確かめ始めた。……なんということだろうか、すべて借りた覚えのある借金だった。借用書一枚一枚に書かれている額面もかなり大きいのだが、それが目算で百枚以上積み重なっているのだからヤバいどころの話ではない。
よくよく考えてみれば、僕は貴族として軍務についてからずっとアデライド宰相から金銭的な支援を受けていた。ライフルをはじめとする新兵器群の開発予算も、それらを配備するためのカネも、すべて宰相の財布から出たモノだ。
リースベンの領主になってからは、借りる額面も跳ね上がった。なにしろ領邦領主は己の領地を運営する予算はすべて自前で出す必要がある。その上、リースベン軍の編制にも死ぬほどカネがかかっていた。数百人ぶんの武器、軍服、住居、給料……それらを僕の財布で賄うのは、はっきり言って不可能だ。アデライド宰相のカネがなくては、僕は領邦領主としての体裁を整えることすら不可能だったのである。
「ぶ、分割払いじゃダメですか?」
「さあてね……リースベンにはミスリル鉱山がある。たしかに、返すアテがまったくない……とまでは言えないだろうねぇ。……で、その鉱山の開発費用はどうやって捻出するのかねぇ?」
「……」
鉱山開発にはアホみたいにカネがかかる。岩山に人力で坑道を掘らねばならないのだから当然の話だ。人を集め、道具を与え、人里離れた山中に送り込み、そして彼女らが生きていけるよう食料品をはじめとした物資類を輸送する……少なくとも、新たに軍隊を一つ建軍するくらいのカネが必要なのは間違いない。
や、やばい。詰んだかもしれん。すっかり前世のノリで、上司に申請したら予算が降りてくる、というのを当然のものとして受け止めていたが……冷静に考えれば、ガレアは封建国家。貴族と言うのは、基本的に何もかも手弁当でやらねばならぬ世界だ。勤め人である"公務員"としての考え方は通用しない……。
「返済不能……のようだねぇ? ならば、債権者としては抵当を差し押さえる権利がある」
「て、抵当」
ここまでくれば、いくら察しの悪い僕でも彼女の言いたいことは理解できた。案の定、アデライド宰相は悪党そのものの笑みを浮かべながら、僕ぼ胸を指先でつついた。
「わかりやすく言おうか。……キミが私のモノになれば、借金をチャラにしてやろう」
「……」
……やっべ、本格的に詰んだかもしれん。逃れる方法が思いつかないぞ? 現状のリースベン領はたんなる金食い虫だ。これからもしばらくは赤字財政が続く。アデライド宰相からの資金提供がなければ、絶対に成り立たない。
ハメられた。完全にハメられた。領邦領主としては、己の領地を見捨てるわけにもいかん。今まで通りリースベンを統治し続けようと思えば、アデライド宰相に体を売るしかないだろう。それを狙って、宰相はいち宮廷騎士でしかなかった僕を小なりとはいえ領邦領主に押し上げたのだ。これは、一種の人質戦術である。
借金の件を持ち出された時点で、僕は白旗を上げるしかない。反抗しようにもすでに手遅れなのである。外堀が埋められているどころか、城門がブチ破られて攻城軍が一気呵成に城内に突入、内部の防衛設備もあらかた制圧済み……そういう状況だ。ここからひっくり返すのは孔明やハンニバルでも難しかろう。
「ど、どうした。何をためらっているんだね? 断る理由など思いつかないが」
なにやら冷や汗をかきながら、アデライド宰相はそう聞いてきた。……何を動揺してるんだ? この人は。状況は圧倒的に彼女優位のハズ。余裕のある態度を崩す必要などないだろう。宰相の策には僕の知らないところに穴があり、それを看破されることを恐れている?
……いや、直感だが違う気がするな。もしそうなら、宰相は動揺を表に出したりはしない。彼女は国内屈指の政治家だ。腹芸程度お手の物のはず。僕のような政治の素人を騙す程度、朝飯前だろう。つまり、動揺の理由は実務的なモノではない。もっと心理的なモノだ。
「その体を私に差し出せば、万事解決するのだよ? 領地や軍隊のことは、心配しなくていい。"買った"からには、キミはもう完全に私の身内だからねぇ。これまで通り……いや、これまで以上の援助を与えてもいいだろう」
「……しかし、ブロンダン家の世継が……」
何はともあれ、危機的状況である。僕はこれまでお題目のように唱えてきた理論を宰相にぶつけた。お偉方のお手付きになったような人間が、まともに結婚するのは難しかろう。只人の嫁どころか、ソニアやダライヤ氏にも失望され見捨てられる可能性もある。
「君は何を言っているのかね?」
ところが、当の"お偉方"はひどく呆れた様子で肩をすくめるだけだった。
「世継云々というのなら、それこそ君は私のものになるべきではないのかね? 私以外の誰が、君に只人の子を産んでやれると言うんだ。……そ、それとも、私以外に親しい只人女がいるのか? 邪魔になりそうなヤツは、ほぼ全員釘を刺しておいたはずだが……」
言葉の後半は、ほとんど独り言のような声音だった。え、何、僕に只人女性の知り合いが全然いないのって、アデライド宰相のせいだったの!?
いや、今はそれは問題ではない。とんでもない爆弾発言があった。アデライド宰相が、ブロンダン家の世継を産んでくれる? いや、いや。それっておかしくないか? 彼女は僕より偉い宮中伯。相手がだれであれ、その子供は宰相のカスタニエ家の所属になるはず……。
「え、え? あれ? ん?」
僕がすっかり混乱していると、スオラハティ辺境伯がもう何度目かになるかわからないため息を吐いた。
「我慢していたが……もう限界だ。そろそろ口を出していいかな?」
「す、好きにしろ」
顔を真っ赤にして、宰相はプイとそっぽを向く。そんな彼女を見て、辺境伯は「処置無し」と言いたげな様子で首を左右に振った。
「アル、いいか。びっくりするほど言い方が悪いのでひどくわかりづらいが、アデライドはこう言ってるんだ。私と結婚してください……ってね」
「それって……プロポーズ……ってコト!」
「……そ、そうだともっ! 他の何だというんだ!」
もう完全にやけっぱちになった様子で、アデライド宰相は叫んだ。余りのことに、僕は「ワァッ……!?」とバカみたいな声を上げることしかできない。
「み、身分の差は!?」
「現状の城伯でもギリギリ宮中伯とつり合いは取れるだろっ! それに、来年中にはキミを伯爵に昇爵させる手はずも整っている……! そうすれば、ブロンダン家は我がカスタニエ家と同格……! 当家から嫁を出すことだって十分に可能……! つまり、私がアデライド・ブロンダンになる事だってできると言うことだ……!」
「僕が婿に行くんじゃなくて宰相が嫁に来てくれるんですか!?」
「当然だ! 現役宰相と地方領主の結婚など、別居必須になるからねえ……離れ離れの生活など、これ以上耐えられんっ! 君がこの地に根を張るというのなら、私が嫁に行くほかないだろうが!」
え、は? ええ……。な、なんで!? なんでそうなるの!? 嬉しいけど訳が分かんないよ! 僕は下っ端貴族で、宰相は高位貴族で……あ、だから宰相はガンガン僕の出世を後押ししてたわけか。いや、それにしても、なんぼなんでもこの話は僕に都合がよすぎるのでは?
「そ、そんなことできるわけないでしょ! あなたはガレアの宰相ですよ!? 地方領主に嫁に行くなんて、そんなことが許されるはず……」
「宰相、宮中伯、そしてカスタニエ家の当主の地位は全部妹に押し付ける!」
「妹!? 押し付ける!?」
「ああ。現在のカスタニエ家は、政治部門を私が、商業部門を妹が取り仕切っているんだがね。どうやらあの業突く張り、政治方面にも一枚噛みたがっている様子。そこで、お望みどおりにしてやったわけさ。いやはや、私は家族思いだねぇ……!」
「そ、そんなことが許されるんですか!?」
カスタニエ家は、歴史こそ浅いがそれなりの大貴族の家系である。両親と義妹、そして従者や使用人がいくばくか居るだけのブロンダン家とは規模が違いすぎる。いくら当主とはいえ、そこまでの好き勝手が出来るとは思えないんだが……。
「許されるさ。なにしろ、カスタニエ家は大きいとはいえ宮廷貴族の家。貴族としてさらに勢力を拡大させるためには、やはり地盤となる領地は欲しい……! そこで、このリースベン領だ。今はたんなる田舎のリースベンだが、うまくやれば交通の要衝になれるポテンシャルがある。おまけにミスリルだ。きちんと資本を投下してやれば、いずれ大領地に育つだろう……!」
「……」
「ブロンダン家は、宮廷騎士の家。領地運営のためのノウハウも人員も持たない。つまり、姻戚である我々カスタニエ家を頼るほかないということだ……! ぐふふ、そうなれば神聖帝国との間に結ばれつつある交易路の権益も、ミスリル鉱山権益もカスタニエ家の物……! 十分に姻戚関係を結ぶメリットはあるというわけだ……!」
な、なるほど……要するに、カスタニエ家は結婚という手段を使ってブロンダン家を乗っ取ろうとしているわけか。……別に乗っ取られてもなんも困らないわ。もともと上司と部下の関係だし、そもそもブロンダン家が単独でリースベン領を運営していくのは不可能だから、結局のところアデライドによる助言と援助は必須だし。つまり、名目上乗っ取られたところで実態は何も変わらんってことだ。
だいたい、彼女が例に挙げている交易路もミスリル鉱山も最初からカスタニエ家の資本で開発が行われているわけだしな……。最初から、アレは僕の権益ではない。そんなことは宰相もわかっているだろうから、つまり権益云々は対外的な言い訳……。
「どうだね、アルくん。君がその魅惑的な肢体を差し出せば、領地の問題もお家の問題も残らずに片付くんだ。悪い取引じゃないと思うんだがねぇ……!」
両手をワキワキとさせながら、アデライド宰相は僕に迫ってくる。僕は完全に思考がフリーズしていたが、代わりにスオラハティ辺境伯がスケベ宰相の脳天に手刀を落とした。
「言い方が悪い。死ぬほど悪い」
「あだっ!?」
ゴツンといい音がして、宰相は目尻に涙を浮かべながらうずくまった。辺境伯がまたまたため息をついて、僕の方を見る。
「ええと、その……なんだ。大変にわかりづらいが、つまり彼女はこう言っているわけだ。『絶対に幸せにするから、結婚してください』……ってね」
その言葉に、僕は思わず自分のほっぺたをひねり上げた。……クソ痛い。どうやら、これは夢ではないようだ。マジ……?




