第354話 くっころ男騎士と大貴族たち
ソニアの勧めに従い、僕はいったんカルレラ市に戻ることにした。久方ぶりの帰宅だったが、もちろんゆっくり休んでいる暇などは無い。僕の前には絶望的な量の仕事が山積していた。
封建領主というのは、行政・立法・司法の三権をたった一人で握っている。つまり、領民の陳情も法律についての問い合わせも裁判の申し込みもすべて僕のところにやってくるというわけだ。それを半月も放置して外交と戦争にあけくれていたものだから、もう大変である。僕は帰宅早々馬車馬のように働かねばならなくなった。
しかも、仕事はそれだけではない。領内に大量の蛮族が移住してくることになったのだから、関係各所との調整も大忙しだ。カルレラ市の参事会や各農村の有力者などは当然猛反発しているので、あちこちを回って説得せねばならない。
さらにリースベンの食料生産量ではあの蛮族ども全員を養うのは難しいので、外部からの食料調達も引き続き拡大させていく必要があった。友好関係にある周辺諸侯に書状を出しまくり、穀物の買い付けを急ぐ。
とんでもないオーバーワークに時間は光陰矢の如く過ぎ去り、気付けばアッダ村を発ってから一週間が経過していた。時間がたっても仕事量は減るどころか増えるばかり。さらにはエルフ側特使として僕と共にカルレラ氏にやってきたダライヤ氏が毎日のように求婚の返事を求めてくるのだからたまらない。ソニアに対する返事も決まっていないのに、ロリババアとの話を進められるはずもない。僕はのらりくらりと逃げ回った。
そうやって日々の激務をこなし、すっかりグロッキーになっていた僕の元にある報告がもたらされたのは、カルレラ市に帰還してから一週間後の話であった。
「カステヘルミ・スオラハティ辺境伯閣下、およびアデライド・カスタニエ宰相閣下ご両名が到着されました!」
そう、僕の上司二名がリースベン領にやってきたのである。ソニアが辺境伯に手紙をだしてから、まだ一週間しか立っていないのに、だ。いくらなんでも早すぎる。翼竜騎兵から手紙を受け取って、即リースベン来訪を決定したとしか思えないタイミングだった。
「お、お久しぶりです。辺境伯様、宰相閣下」
正直に言えばかなり面食らったが、現実から目を逸らすわけにもいかない。僕は領主屋敷の応接室で、ガレア王国屈指の大貴族二名を出迎えていた。冷や汗をかきつつ、ペコペコと頭を下げる。
「ああ、本当に久しぶりだねぇ」
ねっとりとした口調でアデライド宰相が言い、僕に歩み寄った。そして問答無用でこちらの尻を揉み始める。
「君がいないとどうにも手持無沙汰でねぇ……困っていたんだよ」
ひどくイヤらしい笑みを浮かべながら、アデライド宰相が僕にささやきかける。その手付きはまさに熟練の尻揉み職人のそれであった。相変わらず、言動も行動も現代日本だったら一発でしょっぴかれるレベルだな、この人は。
「おやぁ? 尻がだいぶ固くなったねぇ。ふぅむ、これはこれで……」
「こ、この頃行軍続きでしたので……」
相変わらずだなあこの人は! 僕はすがるような目つきでスオラハティ辺境伯を見た。彼女は苦笑し、ため息をついてからアデライド宰相を僕から引きはがした。ソニアの母親らしく体格に恵まれた辺境伯と、甚だしく運動不足な文民系只人である宰相ではF1カーと軽自動車くらい馬力が違う。セクハラ女はあっという間に僕の身体から離れざるを得なくなった。
「ヤメロー! 久しぶりの尻なんだぞ! これくらいいいじゃあないか!」
「そういうのは、二人っきりの時にだけするべきだ」
二人っきりの時なら尻揉みはセーフなの!? 良識派と思っていたスオラハティ辺境伯の言葉に、僕は思わず頭を抱えた。……いやまあ、いいけどね。宰相にはさんざんお世話になってるし、特に不快でもないし。ケツくらい好きなだけ揉めばいいさ。でもやっぱり恥ずかしいんだよな……。
「いいじゃないか、身内しかいないんだから……」
応接室の中を見回しながら、宰相が言う。彼女らの要望で、この部屋には人払いがかけられていた。室内に居るのは我々と、宰相の懐刀と称される護衛騎士のネルのみだ。……そういやカマキリ娘のほうのネェルさんと名前がそっくりだな、この人。機会があったら紹介してみるか……。
「……まったく」
スオラハティ辺境伯のジトーッとした目を受けて、アデライド宰相は肩をすくめた。どうやら、この場でのこれ以上のセクハラはあきらめてくれたらしい。……ひさしぶりの尻揉みだったので、ちょっと残念だ。ちょっとだけだが。我ながらなんとも複雑な心境である。
「ははは……しかし、まさか辺境伯様が自らリースベンにいらっしゃるとは。驚きましたよ」
二人の大貴族をソファーに座らせ、その対面の席に自身も腰を下ろしてから僕はそう言った。……アデライド宰相が自分と辺境伯様の間にちょうど人ひとりぶんが入るスペースを開け、手招きしている。こっちへ来い、という事らしい。
なんというか、こう……この人はさぁ。これから真面目な話をしようって時にさぁ。まあ、上司のご要望なので断るわけにもいかんが。僕は不承不承、二人の間に挟まった。香水の香りだろう。辺境伯の方からは柑橘の香りが、宰相の方からはリンゴのような香りがした。……ううーん、ヤバい。セクハラだかご褒美だかわからんな、コレ。
「私の領地……ノール辺境領は、そろそろ氷雪によって閉ざされる時期だからね。今を逃せば、領地の外へ出ることすらままならなくなる。今年のうちにリースベンを訪れようと思えば、今のタイミングしかなかったんだ」
「……なるほど」
ノール辺境領は王国の最北端である。とうぜん、その冬は極めて厳しい。寒さに弱い竜人はもちろん、寒冷地が大得意な巨人族ですら冬の間は住処に引きこもらねばならなくなるほどだ。あまりに誰も出歩かなくなるものだから、北の大地ではヒトも冬眠するようになる、と揶揄されることもある。
「冬の辺境領は手紙すら届かなくなるからね。せっかくソニアの態度が軟化したんだ、この機を逃すわけにはいかない。あわてて、避寒の名目で領地を飛び出してきたという訳だ」
避寒というのは、ようするに避暑の逆で寒さから逃れるために南方へ避難することだ。北国の竜人貴族特有の文化だな。特にノールのような極寒の地では冬の間は戦争どころか野盗による襲撃すら起きなくなるので、長期間領地を留守にしていてもあまり問題は無いのだ。
「避寒名目、ですか。そうするともしや、今回の冬は……」
「ああ、リースベンで過ごそうと思っている。もちろん、ソニアとの話し合い次第だけどね」
「おお! それはそれは。子供の頃の恩返しができますね。目立つものと言えば凶悪蛮族くらいの何もない田舎ですが、誠心誠意おもてなしさせていただきますよ」
子供の頃は、よくノール辺境領でお世話になっていたものだ。夏のノールは大変に過ごしやすい場所で、とても楽しかった思い出がある。せっかくホストとゲストの関係が逆転したんだ。頑張ってあの時のお返しがしたいものだな。
「それは楽しみだ。……しかし、休暇を楽しむためにも、目下の問題は早急に処理しなくてはならない。そうだな、アデライド」
「ああ。名目は休暇でも、実際は仕事のようなものだからねぇ」
粘着質な笑みを浮かべて、アデライド宰相は僕の太ももをスリスリと撫でた。懲りないねぇ、この人も。どうしたものかとスオラハティ辺境伯の方を見たら、恐る恐るといった様子で僕の手を握ってきた。エッナンデ!?
「聞いた話では、なんでも君はいま大変なことになっているらしいじゃないか……。上司としては、見過ごせなくてねぇ。私とカステヘルミ自ら、それを解決してあげに来た訳だ。いやあ、君はいい上司を持ったねぇアルベールくん……」
スリスリ、モミモミと僕の太ももをオモチャにしつつ、アデライド宰相は言った。それに呼応するように、辺境伯も僕の指や指の間を舐めるような手つきで撫で始めた。とんだセクハラサンドイッチである。宰相はまあいつも通りだが、辺境伯はどうしちゃったんだよ。普段は紳士的……もとい淑女的なのに、今日に限ってえらくボディタッチが多い。らしくないというか、なんというか……。
「ま、まあ、大変なことになっているのは事実ですね。あの蛮族どもが思った以上に蛮族で、もう蛮族カーニバルって感じで大変に困るというか……」
「蛮族の件に関しては、君の報告書を読んでだいたいのことは把握しているよ。なかなか、難儀をしているらしいじゃないか。……だが、私の言っていることはそうじゃあないんだ」
ネットリとした口調で囁き、アデライド宰相はその細く長い指で僕の腹筋をツツツとなぞった。距離感が近い。近すぎて身体がベッタリと密着している。竜人や獣人とはハッキリと異なるその柔らかい肢体の感触もバッチリ伝わってきていた。艶やかな黒髪ロングに青い目というなんとも素敵な容姿のお姉さまにこれほど直球のセクハラを受けているのだからたまらない。僕の心拍数は天井知らずだ。
「と、というと……?」
「結婚だよ、結婚。よくないなぁ、そういう話を私たち抜きで進めるというのは……」
ニチャアと容姿に似合わぬ粘着質な笑みを浮かべる宰相閣下。しかし、その目はまったく笑っていなかった。えっ、なに、ソニアってばそんなことまで手紙に書いちゃったの!? あわてて辺境伯のほうを見ると、彼女はひどく不安げな様子で僕の手をぎゅっと握り締めた。えっ、えっ、なにこれ、ナニコレ!?
「本当に良くないよ、アル君……。君のカラダは、君ひとりのモノじゃあないんだ。わかるね……? 私は、この尻も太もももお腹も……蛮族なぞに渡す気はさらさらないんだよ」
そう語るアデライド宰相の目は、獲物に狙いを定めたヘビのように鋭かった。




