第353話 くっころ男騎士と盗撮魔副官
翌朝、僕は気だるい心地に包まれながら目を覚ました。毛布の中から出たくないという気持ちを根性で抑え込みながら立ち上がり、懐中時計を確認。まだ早朝と言って差し支えない時刻だ。起床ラッパが鳴り響くまでにはまだ猶予がある。
ルーティン的に懐中時計のゼンマイを巻きながら、僕は昨夜のことを思い出した。ソニアと喧嘩をして……そのあとのことは、あまり覚えていない。ベッドの横に見覚えのない酒瓶がいくつか落ちていたので、アレを飲んで酔いつぶれてしまったのだろうか?
……ちょっと記憶がはっきりしてきた。そうだ、確か……フィオレンツァ司教に愚痴を聞いてもらったのだった。前世と現世を合わせれば五十年くらいは生きている僕が十代の少女を相手に愚痴を吐くというのは何とも情けない話だが、そのおかげか存外に気分はスッキリしている。
「カリーナ、いるか?」
「はぁい」
朝の従者当番はカリーナだ。テントの近くにいた彼女を呼んで身支度を手伝ってもらう。……なにやら、カリーナも寝不足の様子で、目をショボショボさせていた。なんとも可愛らしい。
身支度と言っても大したことではなく、顔を洗ったり髪を整えたり服を着たり、まあその程度である。当然この程度のことは自分でやった方が早いのだが、僕も一応は貴族なのであえて人の手でやってもらう、ということも権威付けのためには必要なのだった。面倒くさいね。
「その……お兄様。実は、ソニアさんがお話ししたいことがあるとか、なんとか……」
支度を終えたタイミングで、カリーナがそんなことを言い出した。ソニアという名前を聞いて僕は少しドキリとしたが、表面上は平静を取り繕う。
「あいつは副官だぞ、その程度のことをわざわざ確認してくる必要はない。用事があるなら……いや、なくったって、いつでも好きな時に話しかけてくる権利はあるんだ」
思わず文句が口から飛び出したが、とにもかくにもカリーナに頼んでソニアを呼んできてもらう。正直に言えばかなり気まずさは感じるのだが、彼女は僕にとっては半身も同然の人間だ。この程度のトラブルが原因で仲たがいをするわけにはいかないだろ。時間がたって意固地になってしまうまえに、対処しておかなくてはならない。
「お、おはよう、ございます」
やってきたソニアは、目の下にクマができていた。どうやら、徹夜明けのようだ。その目には泣きはらした痕がある。僕は心臓がきゅっと掴まれたような心地になった。僕は、幼馴染にこんな顔をさせてしまったのか。
「お、おはよう。その、昨日のことは……」
「……大変、申し訳ございませんでした」
僕が何かを言う前に、ソニアは地面に膝を付けて深々と頭を下げてしまった。それを見た僕は大慌てだ。ここはテントの中なので、他の人間の目は無いが……それにしてもだ。こんな大げさな真似は、どう考えてもやり過ぎだ。とにかく僕は彼女に駆け寄り、しゃがみ込んでその背中を叩く。
「やめろ、ソニア! やりすぎだ! ……僕の方こそ、すまない。君の気持を早合点して、勝手に空回って、挙句に君に当たり散らすような真似を……」
「アル様は何も悪くありません! わたしが、女として必要な行動を取っていなかった。それだけのことです。愛想をつかされても、それは自業自得と言うもの」
「愛想なんか尽かせてない! お前は今だって、僕の大切な家族で親友で、副官だ! ソニアのいない生活なんて、考えられない!」
「じゃ、じゃあ、結婚してくださるのですか! わたしと!」
ソニアは僕の肩を両手でつかんだ。涙の滲んだ瞳が、こちらをジッと見つめてくる。
「そ、それは……」
結婚。その単語を耳にした僕は、思いっきり怯んだ。ソニアと結婚? 五年前なら、一も二もなく頷いていただろう。しかし、今は違う。
「その……すまない。今すぐ返事をするのは……無理だ」
「……」
唇をかみしめて、ソニアはうつむいた、僕は彼女の肩を抱き、ぎゅっと力を籠める。
「勘違いしないでほしい。君のことが嫌いとか、そういうことでは断じてないんだ。ただ、その……ひどく難儀して別の棚に移した重い荷物を、また元の棚に戻さなければならない。そういう心地になっているんだ。荷物を運ぶのには時間がかかるし、まず持ち上げるためにもたいへんな気力を要する」
「……」
「とにかく、時間が欲しい。頼む……」
「……はい」
ソニアは子供のような態度で頷き、僕を抱き返した。そして、ゆっくりと立ち上がる。
「一つ、提案があるのですが」
「なんだ?」
「アル様は、いったんカルレラ市に戻ってはいかがでしょうか? この野営地は、わたしが面倒を見ますので。……時間が必要なのは、お互い様です。少しの間、離れていた方が良いやも、と思いまして」
「……なるほどな」
僕は腕組みをして考え込んだ。エルフやアリンコ共はまだ動けない。入浴を終えた者はまだ全体の三割しかいないし、それ以前に病人やけが人の数も多いのだ。すっかり気温も下がってきたこの時期に無理やり移動をさせれば、命を落とす者もでてくるかもしれない。一週間くらいは、腰を据えて養生させたほうが良さそうだ。
一方、リースベン領の領都カルレラ市も放置できない。かなり長期間、留守にしてしまったからな。僕が処理すべき政務が山のように溜まっている。それに、蛮族どもを領内で受け入れるため、領内外の者たちを相手に説得・調整をする必要もあった。できるだけはやく、いったん領主屋敷に戻りたいところだった。
「わかった、こちらのことはお前に任せよう」
「副官の代理は、ジルベルトに。彼女であれば、立派にわたしの代役がこなせますので」
「だろうな。……しかし、僕の本当の副官はソニア、お前ひとりだけだ。忘れるなよ」
「はい」
ソニアは本当に嬉しそうに笑って、僕を抱きしめた。そして耳元で、小さく囁く。
「ちゅーを……して良いですか?」
「……うん」
ほっと安堵のため息をついてから、ソニアは僕の唇に己の唇を押し付けた。彼女とキスをするのは、初めてではない。というか、ファーストキスの相手はソニアだった。初陣の時の話である。ガレア王国には、童貞にキスを貰った者はその戦場では死なない、などというジンクスがある。それに則り、僕は彼女にキスをした。……ま、その後、幼馴染の騎士ども全員とも唇を重ねる羽目になったが。
しかし今回のキスは、そういう建前的なものは一切ない。ただの、愛情表現のキスだ。そう思うと、なんだかとてもドキドキした。青春的なトキメキを感じる。
「……」
それはソニアの方も同じらしい。彼女は完熟リンゴのように顔を真っ赤にして、慌てて口を離した。照れているソニアはたいへんに貴重だ。びっくりするほど可愛らしい。
「あ、ありがとうございます。元気が湧いてきました」
「僕もだよ」
スキンシップって、大事だよな。こういうことを前から日常的にやっていれば、こんなバカみたいなすれ違いは起きなかっただろうに。
「……ああ、それともう一つご報告が」
こほんと咳払いをして、ソニアは話を逸らした。
「実は、あの女……いえ、母上に、連絡を取ろうかと思っています。現状のリースベンは、ひどい人手不足。末端から上層部まで、まったく人が足りていません。母上の力があれば、この辺りにテコ入れができるのではないかと」
「そりゃ、有難い話だが」
僕はかなり面食らった。ソニアがスオラハティ辺境伯に向ける怒りは相当なものだ。そんな彼女が親を頼ろうと自分から言い出すのだから、いったいどういう心境の変化なのか。
「……いいのか?」
「……はい。今回の一件で、いい加減子供ではいられないことに気付きました。バカみたいな意地を張って、周囲に迷惑をかけて……同じ過ちを、二度も繰り返したくはありません。いい機会ですから、清算すべき過去は今のうちにすべて処理いたします」
「……そうか、わかった。すまないが、辺境伯にはよろしく伝えておいて欲しい」
ソニアが実家と和解してくれるのであれば、こんなにありがたいことは無い。僕にとっては、ソニアと同じようにスオラハティ辺境伯もまた家族同然の相手だ。その二者が不仲というのは、たいへんに辛い。
まあ、和解した結果ソニアがスオラハティ家の次期当主に復帰、僕の副官からも卒業……という可能性も十分にあるがね。それはそれで滅茶苦茶困るしそれ以上に辛いんだが、だからといってせっかく改善の兆しが見え始めた母娘仲をあえて引き裂くなぞ論外だからな。どうしたものかね?
「だが、一つ覚えておけ。人は、下げたくもない頭を下げねばならない時がある。しかしだからと言って、己の尊厳を売り飛ばすような真似だけは絶対にしてはいけないんだ。どうしても勘弁ならないという時は、交渉のテーブルなど蹴り飛ばしてしまえ。その時は、僕が必ず味方になるからな」
「……わかりました」
ソニアはコクリと頷き、照れた表情で笑った。……さて、どうなるかね。上手く行けばいいんだが……。ああ、まったく。蛮族どものことといい、僕の結婚事情といい、スオラハティ家のことといい……心配ばかり増えていく。僕の胃、そのうちぶっ壊れるんじゃないのか? 胃と肝臓、どっちが先に再起不能になるのかのか見ものだな……。