第351話 盗撮魔副官と作戦会議(1)
わたし、ジルベルト・プレヴォは胃が痛かった。本当に大変なことになった、どうすればよいのかさっぱりわからない。
「う、う、うえええ……オオ……アル様ぁ……」
ソニア様……もとい、ソニアが子供のように泣いている。涙も鼻水も滝のように垂れ流す恥も外聞もないような泣き方だ。当たり前だが、こんな彼女は初めて見る。本当に参った。
なぜこんなことになったのか、という事情は、すでにソニア自身の口から聞いていた。聞いていたが、どうかんがえても彼女の自業自得である。もちろん、口には出さないが。
告白の寸前でヘタれた私が言うのもなんだが、言葉で男性を安心させてやるのも女の甲斐性のうちだろう。幼馴染の関係に慢心して必要なことを何も伝えず、結果相手の心が離れてしまうことになった……ウン、慰め方がわからないレベルで、ソニアが悪い。
「……」
とはいえ、相手は友人にして義姉妹。『全部お前のせいです。あーあ』なんて切り捨てるわけにも行かなかった。わたしは無言で酒杯にワインをつぎ、彼女におしつけた。
「うううーっ!」
ソニアは空っぽになったビール瓶を投げ捨て、酒杯をひったくるように受け取るとそのまま中身を一気に飲み干した。そして、「おかわり!」と干したばかりの酒杯をこちらに向ける。
「ぴゃ、ぴゃあ……そ、そ、そんな飲み方したら、身体に悪いですよ……」
そんなことを言ってソニアを制止するのは、主様の義妹カリーナ様だった。小柄な彼女はソニアの胸元にしまい込まれ、防寒コートに包まれている。これは竜人が子供や恋人をカイロ代わりにするときによく使われるスタイルだった。
初冬の夜中とあって、気温は大変に低い。しかも我々は今、野営地の外れにある人気のないあぜ道に座り込んでいる。天幕も陣幕もない場所だから、風は吹き放題だ。寒さに弱い竜人には少々ツラい気温だった。
そう言う訳で人肌に飢えたソニアは、野営地内を歩いていたカリーナ様を捕獲して暖房器具として利用しているのだった。正直、わたしも同様に誰かを捕まえてきたい気分だ。それが主様なら言うことはないのだが、まあソニアがこの状態ではそういうわけにもいかん……。
「飲まなきゃやってられないもん!!」
ソニアは子供のような口調でそう叫んだ。酒に弱い彼女がこんなに飲んで大丈夫なのだろうか? わたしもそう思ったが、拒否すると暴れだしそうだ。しかたなく酒をついでやろうとしたが、そこへ別方向から声がかかる。
「泥酔してる、人を、食べると、自分も、酔えるんですかね? 人喰いの、バケモノとしては、ちょっと気になりますよ、そのへん」
横からニュッと伸びてきた巨大な鎌が、ソニアをツンツンとつっつく。彼女と彼女の懐に居るカリーナ様は同時に悲鳴を上げた。
「ウワアアアアアーッ!?」
「ぴゃあああああああっ!?」
「冗談ですよ、冗談。マンティスジョーク。うふ」
こんな物騒な発言をするのは、もちろんカマキリ虫人のネェルだ。わたしは深いため息をつき、自分の酒杯にワインをそそいで飲み干した。
もちろん、カリーナ様と違ってこのカマキリ女は招かれざる客である。「人払い、必要でしょ? ネェルがいたら、誰も、近寄ってこないですよ」などといって、強引に乱入してきたのである。状況が状況なだけに本気で勘弁してほしかったが、カマキリ虫人は力ずくでどうこう出来る相手ではない。放置するほかなかった。
「でも、お腹がすいたのは、本当なので。ごはん、ください」
「ハイ……」
わたしはため息をつき、酒瓶と酒杯をおいた。我々は車座になって焚き火を囲んでいるが、その火の中では足つきの鉄鍋が湯気を上げていた。中では鶏肉やタマネギなどがコトコトと煮込まれている。ツマミをかねて、カリーナさま
に用意してもらった夜食だった。
その軍隊シチューもどきを木椀にうつし、ネェルに渡してやる。彼女はその巨大で物騒な形状の鎌を器用に使い、シチューを流し込んだ。我々にとっては一食分の量でも、彼女からすれば一口のようだ。あの巨大な口ならば、人間だってバリバリとかみ砕けるだろう。大変に怖い。
「まったく……!」
そんなカマキリ虫人を睨みつけてから、ソニアはため息をついて酒杯を捨てた。ネェルのせいで、これ以上酒を飲みたい気分が失せてしまったらしい。……深酒をやめさせるために、このカマキリはあのような物騒なことを口走ったのだろうか? だとすれば、見た目に似合わず案外人を思いやれる娘なのかもしれないな……。
「……うう」
しかし、酒をやめたとて涙が止まるわけではない。ソニアはボロボロと涙をこぼしながら、うなだれた。どうやって慰めようか。わたしは考え込んだが、冴えたアイデアなどまったく湧いてこない。仕方が無いので彼女の隣に身を寄せ、その肩をポンポンと叩いた。
「確かに……その……主様からそういう目で見られていなかった、というのはショッキングなことでしょう。しかし、このタイミングでそれが発覚したのは、不幸中の幸いではないでしょうか? わたしが思うに、現状はまだ手遅れではありません。なんとか巻き返しの方法を考えましょう」
主様があのエルフの童女(婆)から求婚を受けたという話は、わたしもソニアを通して聞いていた。もし万が一あの腹黒エルフとの婚約が成立した後、この事実が発覚していたら……ソニアは再起不能になっていたのではないだろうか?
しかし、あの腐れエルフめ。主様を狙っているのはうすうす感付いていたが、厄介な真似をしてくれる。たしかに、エルフと結婚するのはリースベンを統治していくうえで悪い手ではない。主様としては、拒否しがたいだろう。
……というか、拒否するのだろうか? なんでもわたしを理由に回答を差し控えたという話だが(ソニアの手前口が裂けても言えないが、わたしはそれを聞いた時に小躍りしたくなるほど嬉しかった)、主様は部下や領民の為ならば命を投げ捨てることも躊躇せぬお人だ。必要とあらば、好色エルフに身をささげるようなマネもしてしまうのでは……。
「もう手遅れだよ……」
見たこともないようなションボリ顔で、ソニアは言った。
「わたしが何年無駄にしたと思ってるんだ……崩れた信頼を取り戻すのは、新たに信頼を築くよりもよほど難しいんだ……もう駄目だよ……。もはやわたしに出来ることと言えば、アル様がお前やあのクソエルフと寝ているところを覗きながら、一人寂しく自分を慰めることくらいだ……」
「覗きはやめないんですね」
落ち込んでいてもソニアはソニアだ。わたしはため息をついた。
「とにかく、まず第一に謝ることです。はっきりいって、今回の一件に関してはわたしも擁護できません。アル様から見れば、ソニアは思わせぶりな態度をとって、さらには駆け落ちめいたことまでしておいて、実は結婚する気は無かった女。そういう風に見えていたわけです。普通なら、捨てられていてもおかしくはありませんよ」
「言われてみればその通りだな……というか、アル様。よくその状況でわたしを親友として扱っていたな……」
指摘を受けて、ソニアは深々とため息をつく。そして目元にジワリと涙を浮かべ、鼻をすすった。懐のカリーナ様は、だいぶ迷惑そうな顔をしている。
「当然、謝りはする。だが、許してくれるだろうか……」
「許しては、くれると思いますけど」
唇を尖らせながら、カリーナ様が言った。
「なんたって、あんな言動をしてた私を義妹として迎えてくれたような人なので。でも、恋愛対象として見てくれるかと言うと……」
「うう……」
ソニアはまた滝のように泣き始めた。鼻水と涙がカリーナ様の頭に降り注ぎ、彼女は「ぴゃあ……」と死ぬほど嫌そうなうめき声を上げた。
「そんな、有様だから、負けるんですよ」
そこへ、ネェルがとんでもない爆弾を投げ込んできた。あまりのことに、ソニアの目がクワッと開かれる。
「アルベールくんは、ネェルに、捕まった、絶望的な、時でも、諦める気配は、無かったですけどね。その、アルベールくんの、幼馴染にしては、諦めが、早いですね?」
「……」
「心が折れた、人間なんて、ただのエサです。狩られて、当然の、獲物に、過ぎません。その、心の弱さが、ソニアちゃんの、敗因ですね。勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし……的な?」
ド直球の罵倒である。ソニアが怒り狂いはじめるのではないかと、わたしは身を固くした。しかし彼女は、存外に落ち着いた様子でネェルのほうを見た。
「……貴様、もしやわたしを励ましてくれているのか?」
唇を尖らせながら、ソニアはカリーナ様を抱きしめた。人喰いカマキリがこんなことを言い出したのが、不思議でならない様子だった。正直、わたしも同感である。
「あ、わかります?」
ネェルはニヤリと笑い、鎌の先で頬を掻く。
「ネェルは、アルベールくんしか、友達が、いないので。友達、もっと、増やしたいんですよ。でも、友達が、欲しいなら、それなりの態度……必要でしょ? 実践、実践」
これが友達が欲しいヤツの態度なのだろうか、アレが。わたしは小首をかしげたが、どうやらソニアは納得したらしい。
「……面白いヤツだなあ、貴様」
ソニアは少し笑って鼻をすする。そして、シチューが入った木椀をカマキリに渡してやった。気持ちが落ち着いて来たらしく、いつの間にか涙は止まっている。
「確かにお前たちの言う通りだ。まだわたしは負けていない。最後のその時まで、あがいてみることにしようか」
「ええ。それにこの戦いは単なる男性の奪い合いではなく、今後のリースベンにおける主導権争いでもあります。この政争に敗れれば、我々の影響力はジリジリと減退していくことになるでしょう。それだけは避けなくては」
服属させた蛮族に内部から食い荒らされるなど、あってはならない事態だ。勝手な真似をしようというのなら、しっかり掣肘してやらねばならない。領主との結婚などという一大事ならば、なおさらだ。
「そうだ、その通りだ。少しばかり後れを取ったのは事実だが、ここで負けるわけにはいかん。なんとか巻き返しを、巻き返しを……ううむ」
一瞬持ち直した様子でグッと拳を握ったソニアだったが、すぐにへにゃりと力が抜けてしまう。
「……それはいいとして、ここからどうやればわたしはアル様と結婚できるのだ? ぜんぜん、アイデアが浮かんでこないのだが……」
助けを求めるように、ソニアはわたしの方を見てくる。しかし、私は黙り込む他なかった。愛の言葉を口にする勇気が無かったばかりに、『将来の婚約者』から『ただの親友』に転がり落ちてしまった女。どうすれば、そんな彼女を元の地位に返り咲かせることができるのだろうか?
……アラサーも目前だというのに相も変わらず右手が恋人なわたしには、答えの出しがたい問題であった。当たり前だがわたしには男心の機微などまったくわからないし、当事者たるソニアの状況は末期戦めいたひどさだ。現実問題、ここから巻き返しを図るのは容易ではない。
「……むぅ。戦争の勝ち方なら、わかりますが。恋愛事の勝ち方となると……正直、厳しいモノがありますね」
「そもそも、それができるのであれば我らはとうにゴールインしているはずだからな……」
「……一応、わたしには婚約者がいたんですよ?」
「その年齢になっても成婚できなかった時点でわたしと同類だと思うが」
「……」
「……」
わたしとソニア様は顔を見合わせ、どちらからともなくため息をついた。こんな下らぬ言い合いをしたところで、何の生産性もない。たんなる万年処女の足の引っ張り合いだ。
とはいえ、考えても考えても妙案は出てこない。しばらくウンウンと唸っていたが、十分も立たないうちにソニアはまた塩の振りかけられた青菜めいてシナシナと萎えてしまった。そのまま再び酒を口にしようとするが、ネェルが鎌で牽制して止める。……酒に逃げても事態は何も解決しないからな。まったく、見た目によらず気の回るカマキリである。
「……あの」
重苦しい沈黙が場を支配する中、口を開くものが居た。……カリーナ様だ。
「これは、母様……ブロンダン家じゃなくてディーゼル家のほうの、ロスヴィータ様の受け売りなんですが。恋愛と戦争って、ほぼ同じもの……らしいです。……なら、戦争の技法が、恋愛にもそのまま流用できるんじゃないかなって」
「……なるほど、恋は戦争。そういう考え方もあるか」
ニヤリと笑うソニアの目には、再び光が灯っていた。




